第十九話 祝宴の終わり
日が落ちても、広場の賑わいは衰えなかった。
篝火が焚かれ、あちこちで笑い声が上がる。子どもたちは追いかけっこをやめず、村の男たちは酒に頬を染めて陽気な歌を歌っていた。
江理は舞美と並んで座り、焼き菓子の残りをつまみながら、その光景をぼんやりと眺めていた。
「疲れました?」
舞美に尋ねられ、江理は首を振った。
「ううん。こんな日が、ずっと続けばいいのにって思ってただけ」
「分かります」
舞美が小さく笑う。その横顔には、いつもの飄々とした様子とは少し違う、柔らかな影があった。
テオはまだ祝い菓子を狙っていて、ハンナに「もうお腹壊しますよ」と呆れられている。エイトはそんな息子を見て苦笑しながら、舞美の空いた杯に酒を注いでいた。
アイリスとフィンは、村人たちに囲まれ、あちこちから祝いの言葉を受けていた。二人とも顔を赤くして、忙しそうに頭を下げている。
妖精たちは相変わらず飛び回り、篝火の周りで踊るように光の輪を描いていた。
『たのしい!』
『まだおどる!』
ロトとセナがはしゃぐ声に、江理は思わず頬を緩めた。
――本当に、こんな日がずっと続けばいい。
その願いを裏切るように、遠くから、かすかな音が届いた。
最初は、誰も気に留めなかった。
馬の蹄の音。一頭や二頭ではない、複数の重なる音。
「……誰か、遅れて来たのかな」
近くにいた村人が、のんびりとそう呟いた。パール村からの客だろうか、と誰もが思った。
だが、音は近づくにつれて、明らかに数を増していく。
広場の空気が、少しずつ変わり始めた。
妖精たちの動きが、ふいに止まる。
『……なに、これ』
物知りのウィズが、珍しく緊張した声を漏らした。ミトとヒナが、顔を見合わせるようにして固まっている。
その異変に、江理より先に気づいたのは舞美だった。
「……江理さん」
その声のトーンに、江理は背筋が冷えるのを感じた。
次の瞬間、村の入り口の方角から、悲鳴が上がった。
「賊だ! 武器を持ってる連中が来た!」
見張りに立っていた男が、転がるようにして広場へ駆け込んでくる。
その一言で、祝宴の空気が完全に凍りついた。
篝火の灯りに照らされた顔という顔から、笑みが消えていく。
松明を掲げた一団が、村の柵を越えて姿を現した。統率された動きで、剣や槍を手にしている。祝いの席とはあまりに不釣り合いな、殺気だった気配。
「みんな、落ち着いて! 女子供から避難を!」
イアンの声が響く。普段の穏やかさが嘘のような、村長としての鋭い指示だった。
「ハンナ、頼む!」
「はい!」
ハンナが即座に動き、子どもたちと年配の村人たちを家の方へ誘導し始める。
テオも顔色を変え、負傷者が出た時のために動きやすい位置へと移動していた。
江理は立ち上がり、周囲を見回した。
さっきまで温かかった篝火の光が、今は不穏に揺れて見える。妖精たちが、江理と舞美の周りに集まってくるのが分かった。
『エリー!』
『マイミ!』
『こわい!』
その光を、賊の一人が、じっと見つめていた。
「……いた」
低い声が、誰へともなく漏れる。
「何だ」
「あの女だ。いや――二人いる」
その視線が、江理と舞美へ真っ直ぐに向けられていた。
祝宴の幸福は、あまりにあっけなく、崩れ始めていた。
賊の一団が、剣を振りかざしながら広場へなだれ込んでくる。悲鳴と怒号が入り混じり、村人たちが我先にと逃げ惑う。
「アイリス、下がって!」
フィンが叫びながら、剣を持った男の前に立ちはだかる。とっさに拾った棒切れ一本で、村を、そしてアイリスを守ろうとしていた。
「フィン一人じゃ!」
アイリスも、落ちていた薪を手に取り、フィンの隣に並ぶ。誰かに助けを求めるより先に、体が動いていた。
その光景を横目に、賊の数人が真っ直ぐこちらへ向かってくるのが見えた。狙いは、江理と舞美だった。
「舞美を頼みます」
低く、けれど揺るぎない声だった。
振り返ると、エイトが村人の一人から槍を借り受け、舞美の前に立っていた。
「エイト先生!?」
「医者にも、守れるものはある」
白髪の元宮廷医とは思えないほど、構えた姿には隙がなかった。
「江理殿、あなたは逃げなさい」
「そんな、先生一人じゃ」
「私は大丈夫。だから――」
言い切る前に、エイトが賊の一人の攻撃を受け止める。金属のぶつかる鈍い音が響いた。
「江理さん、行って!」
舞美の声に押し出されるようにして、江理は駆け出した。追ってくる足音が、確かに自分を狙っている。
村の外れへと向かう道を、江理は必死に走った。
「江理先生!」
背後から、フィンの声が追いかけてくる。
「二人とも、来ないで! 危ない!」
「嫌です!」
叫び返したのはアイリスだった。ずっと助けられてばかりだった彼女が、今度は自分の足で、江理を追ってきていた。
三人は、気づけば村の柵の外――暗い森の入り口近くまで追い詰められていた。
振り返ると、遠くに見える広場では、まだ戦いの音が続いている。
篝火の温かな光と、悲鳴と、剣戟の音。
さっきまで確かにそこにあった幸福な夜が、今は炎と怒声に塗り替えられようとしていた。
江理は歯を食いしばり、追ってくる足音の方へ向き直った。
――まだ、終わらせない。
誰一人として、失いたくなかった。




