第十三話 女神と生活魔法と、新しい医療道具
「人は増えた。でも、道具が足りないんだよね」
診療所の棚を眺めながら、江理はぽつりと呟いた。
包帯は使い古した布を裂いて代用し、薬の保存容器も心許ない。清潔な状態を保つのにも、毎回かなりの手間がかかっている。
「現代にあったものを、この世界の材料で作れないかな」
「例えば、どんなものです?」
テオが身を乗り出す。
「三角巾とか、簡易マスクとか。薬を小分けにする袋も欲しい。器具をしまう箱もね」
「私、素材には詳しいので、探してきます」
アイリスが早速手帳を開き、必要なものを書き出していく。
「うちの薬の使い方なら、少しは力になれるだろう」
エイトも静かに頷き、現地の知識を交えながら案を出し始めた。
テオは試作品作りに夢中になり、失敗しては笑い、成功しては歓声を上げる。診療所は、いつのまにか小さな工房のような賑わいを見せていた。
昼過ぎ、テオが得意げに布切れを掲げた。
「見てください、三角巾、ちゃんとできました!」
自分の腕に巻いて見せるテオに、江理は満足げに頷いた。
「いいね、その調子で」
続けて完成した布マスクを試着したテオが、たちまち顔をしかめる。
「これ、息苦しいですね……」
「改良だね」
笑いながらも、少しずつ「使える形」に近づいていく手応えが、確かにそこにはあった。
その作業の最中、江理の周りをふわふわと漂っていた妖精たちが、急にざわめき始めた。
『エリー』
『あの人、すごいよ』
「あの人って?」
視線を追うと、皆の間を行き来しているマイミの方を、妖精たちがじっと見つめていた。
『聖女かな』
『違うよ』
『聖女より、もっといっぱいある』
『……女神?』
江理は思わず固まった。
「そんなことって、あるの?」
当のマイミは、特に驚いた様子もなく、通りすがりの妖精と目を合わせて微笑んだ。
「こんにちは」
その自然な仕草に、江理はさらに固まる。
「マイミさん……この子たち、見えるんですか」
「見えてますよ?」
あっさりとした返事に、江理の中で、これまでの違和感が一気につながっていく。
カガワという姓。内科医だったという過去。妖精が見え、声を聞き分ける力。そして今、妖精たちが口を揃えて言う「女神」という言葉。
「エリーさんも、相当ですよ。自分では気づいてないみたいですけど」
「え?」
「妖精と話せて、声も聞こえてる。それって、普通は起こらないことなんです」
マイミにそう言われ、江理は改めて自分を見つめ直した。
「じゃあ私にも、何かできたりするんですか」
「たぶん。少し、試してみましょうか」
マイミの指導のもと、江理は手のひらに意識を集めてみた。最初は何も起こらなかったが、何度目かの挑戦で、指先にほんの小さな水滴が浮かんだ。
「できた!」
「筋はいいと思います」
その後、乾かす、軽く温める、簡単な汚れを落とす――そんな生活魔法をいくつか教わった。
「これ、診療所でめちゃくちゃ使える。手を洗う水にも、器具を乾かすのにも」
戦うためではなく、治療のために使えるとわかった瞬間、江理の胸は自然と弾んだ。
「じゃあ、マイミさんは、どれくらいできるんですか」
軽い気持ちで尋ねると、マイミは同じように手のひらに意識を集めてみせた。
次の瞬間、その上に、コップどころではない量の水が渦を巻きながら膨れ上がった。
「わっ」
マイミが慌てて手を振り、水を霧散させる。
「あっ……ごめんなさい、加減を間違えました」
妖精たちが空中で右往左往しながら騒ぎ立てる。
『多すぎる!』
『エリーの何倍?』
『わかんない!』
「い、いやいやいや」
規模が、明らかに桁違いだった。江理が慌てて振り返ると、エイトだけが平然とした顔で微笑んでいる。
「エイト先生……もしかして、知ってたんですか」
「もちろんです」
「全部?」
「ええ」
そう言うなり、エイトはごく自然な仕草で、マイミの荷物を持ち上げた。
――この夫婦、一体どうなっているんだろう。
江理がそう思っていると、マイミが人差し指を口元に当てて、いたずらっぽく笑った。
「このことは、内緒ですよ?」
「はい、絶対に言いません」
江理は深く頷いた。まだマイミがなぜこれほどの力を持つのか、どうしてこの世界に来たのか、何も分からないままだったが、それでも今は、この秘密を守ることの方が大事に思えた。
――その頃、村から遠く離れた酒場で。
「ピーコック村? ああ、最近すごいらしいぞ」
シリルは、久々に顔を合わせた知人相手に、上機嫌に喋っていた。
「異世界から来た女医がいてな。とんでもない縫合の腕でな、助からないと思われた怪我人まで助けたんだと。元王宮医のエイト先生まで移住してきたくらいだ」
悪気のない、ただの世間話だった。
その話を聞いていた男が、盃を傾けながら小さく呟いた。
「西の村に、腕のいい女医、ねえ」
噂は、少しずつ形を変えながら、人から人へと渡っていく。
その頃の江理は、自分の名前が、村の外をゆっくりと歩き始めていることなど、まだ知らなかった。




