第十二話 六人の診療所
エイト一家が加わってから、診療所の朝は一変した。
「今日の予約は、五件ですね」
アイリスが手帳を片手に、てきぱきと予定を読み上げる。捻挫の男、咳の止まらない子供、腰痛の老人、傷の経過観察が二件。
「腰痛の方は、私が診ましょう」
エイトが静かに申し出た。長年の経験に裏打ちされたその判断は、いつも迷いがない。
「咳の子は、私が」
マイミが手を挙げる。問診の的確さは、この短い間にすっかり診療所の頼みの綱になっていた。
「なら、傷の経過観察は僕が。あとで縫合痕、エリー先生にも確認してもらっていいですか」
テオが張り切って声を上げる。若手らしい素直な熱心さが、村人たちにも評判だった。
「残りの捻挫は私が診るよ。アイリス、薬の準備お願いできる? ハンナさんは、受付と器具の消毒お願いします」
「任せてください」
「かしこまりました。今日はどなたが来るか、名前と症状、ちゃんと控えておきますね」
六人がそれぞれの持ち場に散っていく光景は、もう診療所の当たり前の朝になっていた。
午前の診療が一段落した頃、江理はふと、マイミの診察の様子を横目に見た。
「マイミさん、さっきの子供、咳だけじゃなくて熱もあるって、すぐ気づきましたよね」
「顔が赤かったのと、少し呼吸が速かったので。念のため触ってみたら、やっぱり熱くて」
軽く答えるマイミだったが、顔色・呼吸数を無意識に見て取るその観察眼は、素人のそれではなかった。
江理は、これまで何度も飲み込んできた言葉を、今日は口にすることにした。
「マイミさん。前から聞こうと思ってたんですけど……医療の仕事、してました?」
一瞬、マイミの手が止まった。
「……内科医でした」
短く、それだけ答える。
「そうだったんですね」
それ以上は聞かないでほしい、というような空気を感じ取り、江理もそこで頷くに留めた。
どこで、いつ、どんな形で。聞きたいことは山ほどあったが、今はまだその時ではない気がした。
昼の休憩、診療所の裏庭に六人が集まって、ハンナが用意した軽食を囲んだ。
「そういえば、皆さんに聞いてほしいことがあるんです」
イアンが、少し照れたように切り出した。隣に座るハンナの表情も、いつもより硬い。
「ハンナと、正式に夫婦になることにした」
一同が、一瞬、静かになった。
「おめでとうございます!」
真っ先に声を上げたのはアイリスだった。飛びつくようにハンナの手を取り、満面の笑みを浮かべている。
「お父様、ずっとそんな感じでしたもんね」
「そ、そんなに分かりやすかったか」
「バレバレでした」
周りからも次々と祝いの言葉が飛ぶ。エイトが柔らかく笑い、マイミも穏やかに頷いていた。
「式は、特に挙げるつもりはないんだ。もう若くもないし、二人でひっそり始められればそれでいい」
イアンの言葉に、ハンナが小さく頷く。
「大げさなことは、性に合わないので」
控えめなその答えに、江理はかえって、二人らしい温かさを感じた。
「おめでとうございます、イアンさん、ハンナさん」
改めて江理が頭を下げると、イアンが照れくさそうに頭を掻いた。
「エリー殿にも、この村では世話になりっぱなしだ」
「私こそ、たくさん助けてもらってます」
午後の診療も、朝と同じように賑やかに進んだ。
捻挫の男の包帯を替え、腰痛の老人にはエイトが丁寧に体操の指導をする。テオが縫合痕を確認しながら、江理に細かく質問を重ねていく姿は、若手らしく頼もしかった。
「江理先生、この糸の結び方、もう一度見せてもらえますか」
「うん、いいよ。こうやって――」
手元を覗き込むテオの熱心さに、江理も自然と丁寧に教える。この村に来てから、誰かに医療を教える立場になるとは思っていなかった。
診療が一段落した夕刻、アイリスが小さな包みをいくつか抱えて診療所に戻ってきた。
「実は、こんなもの作ってみたんです」
包みの中身は、乾燥させた薬草を練り込んだ、香りのよい塊だった。
「入浴剤です。お湯に溶かすと、いい香りがして、肌にも優しいはずで」
「わあ、嬉しい」
江理は真っ先に受け取り、香りを確かめた。ふわりと、爽やかな草の匂いが立ち上る。
「ハンナさんと、マイミさんの分もあります」
アイリスが二人にも包みを手渡すと、ハンナが目を細めて礼を言い、マイミも嬉しそうに包みを胸に抱えた。
それを見ていたテオが、あからさまにしょんぼりした顔をする。
「僕もほしかったです!」
「テオ、男の子でしょう」
「関係ないです。いい香り、僕だって好きです」
拗ねたような口ぶりに、江理たちはつい笑ってしまった。
「じゃあ、次はテオさんの分も作りますね」
「本当ですか!」
アイリスがそう言うと、テオはたちまち機嫌を直し、目を輝かせた。
穏やかな午後の光の中で、六人の笑い声が診療所の裏庭に響いていた。
この村に来たばかりの頃は、たった一人だった。
今は、こんなにも多くの人と、同じ食卓を囲んでいる。
江理はその温かさを胸の奥にそっとしまい込みながら、次の患者のカルテに手を伸ばした。




