第十一話 やってきた名医一家
エイト一家が来ると決まって数日後、まず一人で村を訪れたのは、息子のテオだった。
「テオ・クロフォードです。父より先に、様子を見に来ました」
人懐こい笑顔で頭を下げる青年に、江理は素直に好感を持った。
「わざわざ先に? 大変だったでしょう」
「いえ、家の下見も兼ねてます。それに」
テオが、少し声を落として苦笑した。
「今の父、正直ちょっと厄介なので。先に僕が状況を整理しておいた方がいいかと思って」
「厄介、というと?」
「マイミさんが、田舎でのんびり暮らしたいって言ったんですよ。そしたら父、二つ返事で『分かった』って」
「即決だったんですね」
シリルから聞いていた「王宮への意地」的な話とはずいぶん違う。江理は内心、そっちかと呟いた。
「王宮での立場とか、あれだけ拘ってた人だったのに。マイミさんの前だと、もう完全に言いなりです」
少し呆れたような、それでいて微笑ましそうな口ぶりだった。
「今まで王宮医師としてバリバリやってた真面目一辺倒の親父が、タガが外れたみたいに一人の女性に夢中になってて。まあ、あれだけ綺麗な人なら、仕方ないのかもしれませんけど」
「そんなに?」
「見ればわかります。到着したら、たぶん驚きますよ」
テオはそう言って、意味深に笑った。
その予告通り、数日後に到着したエイトとマイミを見て、江理は声を失いかけた。
「エイト・クロフォードです。よろしく頼みます」
白髪交じりの、いかにも経験を積んだ医師然とした佇まい――その堂々とした挨拶とは裏腹に、視線はしきりに隣のマイミへと向いていた。
「マイミ、疲れてないか。少し休むか?」
「大丈夫ですよ、エイトさん」
「無理はするな。荷物は私が」
止める間もなく、マイミの荷物をすべて抱え上げるエイト。その様子を、テオが少し離れた場所から、やれやれといった顔で眺めている。
「な、言った通りでしょう」
「……本当だね」
江理は苦笑しながら頷いた。国一番の名医と噂されていた男が、こんなにも分かりやすく一人の女性に夢中になっているとは、想像以上だった。
ようやく荷物から解放されたマイミが、江理に向き直り、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。マイミ・カガワと申します」
「マイミ・カガワさん……」
江理は、聞き返しそうになるのをこらえた。
――カガワ? 香川?
日本にある苗字そのものだ。聞き間違いようがない。
まさか、そんなはずはない。この世界に来て以来、日本語も日本人も、一度たりとも見かけていないのに。
江理は慌てて、自分の中の考えを打ち消した。
「あの、その、お名前……」
「変わってますよね、よく言われます」
マイミは涼しい顔で、あっさりとそう答えた。それ以上の説明をする気配はなく、話はそのまま次へと移っていく。
江理は追及しかけた言葉を、ひとまず胸の内にしまい込んだ。
――気のせい、かな。
そう自分に言い聞かせながらも、頭の片隅に、小さな違和感が居座り続けていた。
「あの、エイト先生」
「ん?」
「お荷物、私も手伝いますよ」
「いや、これは私が」
譲らない様子のエイトに、テオが小声で付け加える。
「先生、諦めた方がいいです。父、荷物運びだけは絶対に譲らないので」
「そうなんだ」
江理とアイリスは顔を見合わせて、こっそり笑いを堪えた。
荷ほどきを手伝いながら、近所の女性が何気なくマイミに話しかけた。
「そういえば最近、ちょっと眩暈がすることがあって」
「立ち上がった時ですか? それとも、座っている時にも?」
マイミが、間を置かずにそう問い返した。
――え?
江理は手を止めた。それは、問診として的確すぎる質問だった。素人が咄嗟に出せる言葉ではない。
「あ……いえ、そんなに深刻には考えてなくて」
「そうですか。それならよかったです」
マイミはすぐに、何事もなかったような顔で話題を変えた。エイトも、それについて何も言わなかった。
江理の中に、また一つ、小さな引っかかりが積み重なった。
この人、どうしてそんな聞き方をするんだろう。
これから村に加わる新しい家族。国一番の名医と、若い医師と、素性の知れない美しい女性。
賑やかになりそうな予感の陰で、江理はまだ、自分たちの村に何が揃おうとしているのか、正確には気づいていなかった。




