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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第6章 それぞれの道を考え始めちゃった。

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第百四話 選ぶ場所 【最終回】

 帝都ローズの工房を訪れたのは、秋の初めのことだった。

「エリーさん、珍しいですね。体は大丈夫ですか」

 パウラが、机の上の資料から顔を上げる。

「うん。今日は、聞きたいことがあって」

 江理は、少し間を置いてから、切り出した。

「私が日本へ帰ることは、できる?」

 部屋の空気が、わずかに変わった。

 隣にいたシリルが、息を呑む気配がした。

「……考えてるの?」

「分からない。でも、ちゃんと知ったうえで、決めたいの」

 パウラは、しばらく江理を見つめていた。

 それから、静かに答えた。

「できる。仁さんを送れたから、理屈の上では、エリーさんも」

「リスクは」

「ゼロじゃない。それに、一度送ったら、二度と戻ってこられない。呼ぶ術と送る術は、同じ道を逆に辿れないの」

「そう」

 江理は、小さく頷いた。

「教えてくれて、ありがとう」

 帰る方法は、本当にあった。

 その事実を、江理は、自分の耳で確かめた。

 ◇

「もう一つ、お願いがあるの」

「何?」

「手紙を、送れないかな。物を送る実験、続けてるでしょう」

 パウラは、目を瞬かせた。

「できなくはない。ただ、届いたかどうかを確かめる方法は、まだないよ」

「それでもいい」

 江理は、きっぱりと言った。

「届くかどうか分からなくても、書きたいの」

 パウラは、少し考えてから、ふっと表情を和らげた。

「分かった。ちゃんと送る。私の術で」

「ありがとう」

 その夜、江理は、ペンを取った。

 日本にいる家族へ。

 突然いなくなってしまったこと。

 今、生きていること。

 大切な人たちに囲まれて、医者を続けていること。

 そして、もうすぐ、二人の子どもの母になること。

 便箋に向かうほど、涙がこぼれた。

 それでも、書き終えたとき、胸の奥が、不思議と軽くなっていた。

 ――ごめんね。でも、私は、ここで元気にやってるよ。

 最後の一行を書き終え、そっとペンを置いた。

 ◇

 翌日、パウラの手で、手紙は、淡い光に包まれて消えていった。

「届くといいね」

 シリルが、ぽつりと呟く。

「うん」

 江理は、光の消えた空間を、静かに見つめていた。

 ◇

 その夜、江理は、オジーの隣で、自分の気持ちを言葉にした。

「私ね、帰る方法があることを、確かめてきた」

「……そうか」

 オジーの声は、静かだった。

「一度送れば、戻ってこられないことも、聞いた」

「それでも」

 オジーは、江理の手を、そっと握った。

「江理が選ぶなら、俺は、何も言わない」

「ありがとう」

 江理は、まっすぐオジーを見た。

「私、ここで生きる」

 その言葉に、オジーの目が、わずかに見開かれた。

「帰れないから、じゃないよ。帰れるって知ったうえで、それでも、ここがいいの」

 声は、少し震えていた。

 けれど、迷いはなかった。

「日本の家族に会いたい気持ちは、今も変わらない。でも、ここにも、会いたい人が、帰りたい場所が、たくさんあるの」

 ピーコック村の診療所。

 アイリスの庭園。

 マーサのアトリエ。

 シアンの城。

 そして、隣にいる人。

「これは、私が、自分で選んだ答え」

 オジーは、何も言わず、江理を強く抱きしめた。

 その腕の中で、江理は、静かに目を閉じた。

 ◇

 それから、いくつかの季節が巡った頃。

 ピーコックの庭に、春の風が吹いていた。

「エリー! おめでとう!」

「ふたごちゃん、かわいい!」

 妖精たちが、嬉しそうに飛び回っている。

 江理の腕の中には、小さな二つの命があった。

 男の子と、女の子。

 お腹にいた頃から、ずっと待ち望んでいた、双子だった。

「どんな名前にしよう」

 隣で、オジーが、柔らかな声で尋ねた。

「ゆっくり、考えよう」

 江理は、微笑んだ。

 庭には、アイリスが、ハンナが、アメリアが。

 マーサ、ミラ、ライリーも、顔を揃えている。

 マイミとエイトの姿も、桜子の姿もあった。

「エリーさん、見てください」

 アイリスが、庭を示した。

 ベンチには、貴婦人と農婦が並んで座り、同じ茶を楽しんでいる。

 その向こうでは、子どもたちが、ハーブの間を走り回っていた。

「身分も、立場も、関係なく、皆が笑ってる」

「うん。夢みたいだね」

「夢じゃありません。エリーさんが、最初に種を蒔いてくれたんです」

 アイリスの言葉に、江理は、静かに首を振った。

「違うよ。皆で、育てたの」

 隣で、桜子が、穏やかに微笑んだ。

「ここに来てよかったって、毎日思ってます」

 その言葉に、マイミが、小さく頷いた。

 それぞれが、自分の居場所を、自分で選び取った人たち。

 その輪の中心に、今、江理は立っていた。

 誰も、完璧ではなかった。

 それぞれが、それぞれの過去と、選択を抱えて、ここに集まっている。

 江理は、空を見上げた。

 どこまでも、青い空だった。

 ピーコックブルーの、澄んだ空。

 夜勤中だった外科医は、ある日突然、異世界へ召喚された。

 もちろん、日本には帰りたい。家族にも会いたい。

 その気持ちは、少しも変わっていない。

 けれど、今の江理には、もう一つ、確かな想いがあった。

 この場所が、愛おしい。

 帰りたい場所は、元の世界だけではなくなった。

 腕の中で、小さな命が、ふわりと笑った。

 江理は、その頬に、そっと唇を寄せた。

 これが、私の選んだ場所。

 風が、庭の花々を揺らしていった。

 その香りの向こうで、誰かが、江理の名を呼ぶ。

「エリー先生!」

 診療所の方から、アイリスの声が響いた。

 江理は、双子をオジーに預け、立ち上がった。

「はーい、今行きます!」

 白衣の裾を翻し、診療所へと駆けていく。

 その背中を、青空が、優しく包んでいた。

 ――完。

ここまで読んでいただいて大変ありがとうございました。

最終回になります。

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