第1章-⑥ ~なぜ俺じゃダメなんだ~
第1章は全12話(①〜⑫)です。
マンガはこちら(第1章-①②③)
https://note.com/lush_plover1590/n/na2df6904b1b7
それから数日間、柳澤と凛は学際情報学センターの三階の研究室に詰めて、各学生へのヒアリング、そしてメール、学内およびプライベートSNSの解析を続けていた。柳澤が資料をめくりながら話し出す。
「修士一年生。実験の進捗もよくて、教授の評価も高かったはずなんだけど……」
「目立った体調不良じゃなくて、連絡はちゃんと既読になる。なのに研究室に顔を出さない」
「ふむ」
柳澤は机に無造作に置かれたスティックのりを指で転がしながら、共用のホワイトボードに視線を向けた。そこには、学生たちのスケジュールが書かれていたが、佳奈の欄だけが、二週間前から空白になっている。
「確かにこれは、ちょっと変わった〝失踪〟だな」
凛がスマホを操作しながら、小声で言った。
「彼女、裏アカがあるっぽいです。内容的にも本人で間違いなさそう。たとえば、こんな投稿」
─「信じてたのに。全部、冗談だったのかな」
─「私だけじゃなかった、って気づいたときの、あの感じ。消えたくなる」
柳澤は、ため息とともにメモを取った。ペンの先が紙に触れる音が、かすかに響く。
「こういうとき、表に出ている感情より、触れられたくない部分、のほうが重要なんだ。だから皆が彼女について多くを語らないこと自体が、ひとつの反応なんだよ」
「いなくなった理由をみんな、わかっているかもしれないけど言えない、って雰囲気です」
ちょうどそのとき、隣のブースから学生よりも年齢が上に聞こえる感じの人物の声が響いた。
「吉井くん、この報告書、何回目? どうして同じところで詰まるの?」
少し怒気を含んだ口調に、柳澤と凛が顔を見合わせた。
「柴田助教……です」
離れたところにいた清田が、二人の驚いた様子を見て気にしたようで、わざわざ近づいてきて小声で補足してきた。
「厳しいけど、悪い人じゃないんです。ちょっと詰め方が強いだけで」
「もしかして……佳奈さんも、最近よく詰められていたんですか?」
清田は少し黙ってからうなずいた。
「……そうですね。佳奈さんの指導教官ですから」
柳澤と凛は、隣のブースの険悪な雰囲気に気をとられながら感じていた。
(ということは、何か、があったのかもしれない)
その日の夕方、柳澤と凛は、共用スペースでさきほど隣のブースにいた学生─修士一年の吉井と話す機会を得た。
吉井はおとなしそうな青年で、メガネをかけて髪は伸ばしっぱなし。少し猫背気味で、会話のテンポもややぎこちない。
「まあ、あいつがモテるのは……いいんですけどね」
何気ない話の流れで、宮田の話題が出たとき吉井は言った。
「でも、なんか……僕みたいなタイプ、全然太刀打ちできないっすよ」
「そう感じること、よくありますか?」
柳澤がやさしい口調で促すと、吉井は少しうつむいて言った。
「みんな、宮田のやつの話をさりげなくするんですよ。だから、真似して僕も誕生日におめでとう、ってメッセージ送ったりしたんですけど……反応、薄くて」
「メッセージだけですか?」
「うん。あ、あと、好きなアーティストの話題とか振ってみたけど、すぐ話終わっちゃって……。逆に気まずくなって」
「それ、相手に合わせたつもりだったんですか?」
「はい。でも、どうもうまくいかなくて。僕、やっぱり、空気読めないのかもって、落ち込んで」
凛が、思わず言葉を挟んだ。
「たぶん吉井くん、媚びてる、って思われちゃったのかもしれませんね」
「媚びてる、ですか?」
「好かれたい、って気持ちが強く出すぎると、相手からすると都合のいい人に見えちゃう。恋愛って、追いすぎると逃げられちゃうんですよ」
「……あー、それはそういう感じかも」
吉井は、苦笑しながらメモ帳をいじった。
「なんか、僕だけ浮いてるなあって感じてて。今日もグループワークで、ちょっと会話に入りにくくて……」
その晩、凛はSNSで吉井の裏アカウントを探り当てた。そこには、静かな自嘲と焦りがつづられていた。
─「俺がやるとキモいって言われるけど、あいつがやると優しいって言われる。不公平すぎだろ」
─「あーあ、。結局、俺じゃダメってことだよな」
─「本当の俺、見てくれる人なんていないのかもな」
凛はそれを柳澤に見せながら、静かに言った。
「彼、かなり思い詰めています。ちょっと心配ですね。彼にも気をつけた方が良いのかも。」
柳澤は、ノートの端にメモを取った。
─なぜ俺じゃダメなんだ。




