第2章-⑪ ~ズレた一票~
第2章は全14話(①〜⑭)予定です。
マンガはこちら(第2章-①②③)
https://note.com/lush_plover1590/n/n336a21ab9b03
「ズレた一票は坂井先生ですね」凛の口調は穏やかだった。
だが、言葉には一分の隙もなかった。
坂井教授の研究室は、夕方の西日がカーテン越しに射し込み、淡く照らされていた。
柳澤と凛は、教授会の散会後に改めて挨拶に来たと称して坂井の部屋を訪れていた。坂井は椅子にもたれ、少し疲れた顔で二人を迎えた。
「どうして、そう思うんです?」
坂井は笑いながら訊いた。その声には焦りも怒りもなく、ただ少しだけ寂しげな響きがあった。
「第一回投票では安田先生に入れていた。第二回では、それを神谷先生に変えた」
凛がそう断定すると、坂井は反論せず静かにうなずいた。
「……やはり、わかってしまいますか」
「決選投票の前、大迫名誉教授のもとに浜崎先生と村瀬先生が行きました。でも、大迫先生には明らかな権力があるわけではないし、票を動かすには時間が足りなすぎる。動くにはもっと、内面的な葛藤が必要です」
柳澤が補足する。
「事前のヒアリングで、あなたはどちらに投票するか迷われていた。我々がヒアリングした中で、一番葛藤を抱えていたのはあなただったんです。第一回投票のあと、少し一人で外に出ましたね。十分ほど……たぶん、そこで決めたんじゃありませんか? 自分の一票をどう使うかを」
沈黙が流れた。坂井は机の端に手を添え、小さく首を振るように息を吐いた。
「裏切り、と言われるかもしれません。でも……私は、もうあの時のことを繰り返したくなかったんです」二人は言葉を差し挟まず、ただ聞いた。
「数年前の話です。うちの研究室に、ものすごく優秀な院生がいたんです。研究成果も、独創性も。今でも、私が出会った中で一番の才能だったと断言できます」
坂井の声は、少しずつ熱を帯びていく。
「彼は安田先生のもとで、共同研究をしていたんです。もちろん、目的は研究の領域を拡げる合理的なものでした。将来を見据えた経験を積ませたい、という意図もあった。だけど、安田先生の求める水準は……あまりに高くて、厳しくて」
「潰されたんですね」柳澤の言葉に、坂井は小さくうなずいた。
「ある日、彼は研究室に来なくなりました。精神的に限界だったんです。でも私、何もできなかった。若手だから仕方ない、そんな立場ではない、って言い訳して……結局、頑張ってねってしか言えなかった」
その言葉に凛の顔が少し曇った。
「その後悔が、ずっと胸に残っていたんですね」
「ええ。今回は安田先生に入れるつもりだったんです。周囲の空気もあったし、神谷先生は温厚だけど、実務能力には少し不安があると思ってましたし……」
「でも、票を変えた」
「ええ。あの夜─教授会の前日、旧館で偶然、大迫先生にお会いしたんです」
そのときの光景が坂井の瞳に浮かぶ。




