第2章-⑩ ~決着~
第2章は全14話(①〜⑭)予定です。
マンガはこちら(第2章-①②③)
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文学部大会議室は、第二ラウンドの投票用紙の回収を終え、開票を待っていた。
緊張の糸が張り詰めたまま、誰もが椅子に深く腰掛けて目の前の机に視線を落としている。時計の針の音だけが、妙に大きく響いた。
やがて清水が第一ラウンドのときと同様に開票を始め、淡々と票を読み上げていく。
「安田、一票……安田、一票……神谷……神谷……神谷……」
神谷の票が積みあがると、清水がそっと息を飲んだ。表情は崩さないが目元にわずかな期待の光が宿る。
しかし安田に六票目が入る。
予想通り、西原陣営の二票が加わったはずだ。あと一票で安田の勝利。
そして、最後の票は神谷に入った。
室内の空気がわずかに揺れた。誰かが椅子の背にもたれる音がした。
七票目が入ったのは神谷。
「……!」
一瞬、室内が凍りついたような沈黙が落ちた。
「投票の結果、神谷先生が七票、安田先生が六票で、次期研究科長に神谷先生が選出されました」
清水の心なしか震えた声が静寂を切り裂く。すぐに、教授たちのあいだでざわめきが広がった。
「え? 神谷が……?」
「なんで……?」
「西原の票が安田に行ったはずじゃ……」
神谷本人も目を丸くしていた。第一ラウンドの結果の票読みから、まさか自分が選ばれるとは思っていなかったようだ。
小さく頭を下げながらも、戸惑いの色は隠せない。
安田はゆっくりと目を閉じ、表情を整えようとするかのように深く息を吐いた。
清水はその場で立ち上がることもせず、机の端に指先を添えたまま、茫然と票読み表を見つめていた。
予想が外れた─わずか一票。
会議が散会すると、教授たちは三々五々に立ち去っていった。その背中に戸惑いや興奮がまだ尾を引いていた。柳澤と凛は、廊下の窓際に立っていた清水のもとへ歩み寄った。
「……お見事、というべきか、それとも……」柳澤の声に、清水はゆっくりと顔を上げた。
「……まったく予想外でした。西原陣営の二票が安田先生に行ったのは確実のはずです。安田先生も計算上、それで勝てると踏んでいた」
「でも、どこかで一票が動いた」凛が口を挟んだ。
「ええ。一票だけ風向きが変わった……その一票が、すべてを変えてしまった」
無記名投票。
だからこそ、誰がどう動いたかは確定できない。疑念は誰にでも向けられうる。そのとき、凛が思い出したように言った。
「第二回投票の直前、大迫名誉教授の部屋に浜崎先生と村瀬先生が入っていったの、覚えています?」
「……ああ、そうだったよな」柳澤がうなずく。
「時間にしてほんの五分ほど。けど、この結果を見てから振り返ると─意味深ですよね」
「裏で調整があった?」
「それとも風向きを誰かが変えたのかもしれない」
清水は目を伏せた。あくまで選挙を管理運営する立場の彼にとって、何かを言うのは控えるべきと判断したようだ。
「いずれにせよ、票のズレが起きた。そのズレを生んだのは誰か─」
「裏切りか、再考か、覚悟の変更か」柳澤はつぶやいた。
「我々の仕事は選挙運営のお手伝い、そして外部コンサルタントとして透明性向上を後押しすること。ズレが誰によるものであるかを知る必要はないです。本来のお仕事はここまで」凛は微笑を浮かべて続ける。
「でも人間行動を分析、理解するのが好物の私たちが、ここで観察をやめてしまうのはありえないですね」
凛はメモ帳を開きながら言った。
「じゃあ、『ズレた一票』の正体を探りに行きますか」
風は、確かにどこかで吹いていた。




