第2章-⑤ ~教授たちへのインタビュー~
第2章は全14話(①〜⑭)予定です。
マンガはこちら(第2章-①②③)
https://note.com/lush_plover1590/n/n336a21ab9b03
続いての相手は村瀬教授。年齢は浜崎より若いが、より慎重な雰囲気をまとっていた。書棚の隅には仏教哲学に関する書籍がずらりと並び、内省的な性格が伺えた。
「私は派閥とか、あまり好きじゃないんですよ。自分の研究を静かに続けていたいタイプでしてね」
「では、票は……?」
凛が尋ねると、村瀬は意味ありげに笑った。
「まあ、空気を読みますよ。場の和を壊したくないですからね。誰を選ぶかより、誰を怒らせないかが大事なんです」
「和、ですか」
「文学部は言葉の人間関係がすべてです。投票もそれに準じます。……それに、誰が見てるか、って意外とみんな気にしてるんですよ。昔のようにね」
「もしかして、大迫先生……のことですか?」
村瀬は少し目を細めた。
「彼女が研究科長だった頃は、ほんの一言で空気が変わった。『今回は見送った方がいいかもしれませんね』って、あの声で言われたら、もうそれで決まりだった。今はそんなことはないけど……その影響力はまだ残っている」
廊下に出た凛は、ぼそりとつぶやいた。
「今の人も、決めていないけど決めたくない、ってタイプ。動かされるのを待っています。そして動かすのは大迫の残像、ってわけですか」
三人目は西原志穂。今回の候補者の一人でもある若手の女性教授だった。研究室に通されると、西原は落ち着かない様子で席に着いた。
室内はまだ引っ越し直後のような殺風景さで、背後の壁には「知性と感性の融合」と書かれたカレンダーがかかっていた。
「……あの、こういうのって、どこまで話していいのか迷うんですけど」
「何かを誘導するつもりはありません。ただ、現状のご自身の立ち位置や、感じていることをお聞きできれば」
柳澤がやさしい声で促すと、西原は少しうつむいて言った。
「正直、安田先生に言われて立候補したんです。でも、私にできるのか、自信はないんです」
「野心的な方だと思われてますけど?」
「そう見えるんでしょうね。若いってだけで目立つから。でも私は、学部のことをちゃんと考えているつもりなんです。……それだけじゃダメなんですかね?」
彼女の声に、凛は一瞬だけ沈黙した。部屋を出た後で彼女はぽつりと言った。
「この人は応援されて立っている人。実力とは別に誰が背後にいるか、で判断されちゃうタイプ」
「西原さんに票を入れるってことは、実質的に安田派に与するって意味になる。若手女性教授で、しかも安田先生が推したという構図……それ自体が、一種の政治的なサインになってる」
柳澤が言うと、凛はうなずいた。
次に訪ねたのは坂井由紀子教授の研究室だった。
過去に安田と神谷、両方の元で研究活動を行っていたことがあるという。特に神谷とは専門領域が同じで、以前は対立したこともあるが、近年は表立って関係が悪いわけではないという。
「投票ですか……迷っていますね、正直」
「神谷先生との確執が影響している?」
柳澤の問いに坂井は驚いたように顔を上げたが、すぐに小さく笑った。
「そこまで知られているんですね。まあ……昔はいろいろありました」
「でも今は?」
「最近の神谷先生は力強くなったと思います。学生への対応も変わった。……ただ、それでも完全に信頼しきれるかというと」
その言葉の余韻は、教室の静けさの中に沈んだ。
その日の午後、再び清水のもとに戻ると、彼は自作の票読み表を机に広げていた。大きな方眼紙には、教授陣の名前、候補ごとの支持傾向、動向のリスクなどが細かく記されている。
「今のところ、動きが読みにくいのは浜崎、村瀬、坂井の三人。一票の動向が、決選投票の帰趨を左右する可能性が高いです」
凛が表をじっと見つめたまま言った。
「でも票を動かすのは誰かじゃない。何かの風、なんですよね……昔の研究科長の目線一つが、いまだに風向きを左右するなんて」
清水が苦笑するように息をついた。
「……大迫先生は直接何かを命じたりは、ほとんどしなかったんですよ。ただ、誰かが迷っているときに、『それ、本当に自分の意思ですか?』って静かに言うだけで、空気が変わっていました」
「観察してたんだね、ずっと」
柳澤がつぶやくと、清水は少し目を伏せた。
「ええ。だからこそ、逆に動かされていたのは、僕たちだったのかもしれません」
柳澤はうなずきながら、静かにペンを走らせた。
─見えない力は、今もこの場に息づいている。




