1700歳のパンケーキ
人に見えない存在が、もし自分にだけ見えたら。
それは呪いでしょうか。
それとも――奇跡でしょうか。
これは、神様に堕とされた堕天使と、
どこにでもいる普通の少年が、
パンケーキを分け合うところから物語が動き出します
甘くて、少しだけ切ない。
そんな日常の1ページ
「天使じゃなくて、堕天使ね!」
そう言って、エルは少し誇らしげに胸を張った。
テーブルに置かれたメニューへ顔を寄せ、写真を一枚ずつ真剣に見つめている。
指先でデザートの写真をなぞりながら、うっとりと息を吐いた。
「うーん……どうしよう。全部おいしそう……。この、いちごがいっぱいのも食べてみたいし、こっちの白いふわふわのも気になる……」
あれでもない、これでもないと散々迷った末、ようやく一つの写真を指さした。
「……これ、可愛い。これがいい。食べてみたい!」
山盛りの苺とさくらんぼが飾られた、ミルフィーユ風のパンケーキだった。
「じゃあ、これにしようか」
なおきが店員を呼び、注文を済ませる。
エルは、その一連のやり取りを黙って眺めていた。
「……やっぱり、見えてないんだね」
ぽつりと呟く。
椅子に腰掛けてはいるものの、その体は座面からわずかに浮いていた。
それでも足だけは、子どものようにぷらぷらと揺れている。
気づけば、なおきはその頭へ手を伸ばしていた。
「ひゃっ……!?」
エルの肩がびくりと跳ねる。
頬から耳まで、一瞬で真っ赤になった。
「な、なにするの……急に……」
そう言いながらも、手を振り払おうとはしない。
むしろ、撫でられるまま、そっと目を細めている。
「撫でたら嬉しいのかなって」
「なおきは、撫でられたことあるの?」
「ないけど」
「私と一緒だ!」
エルは嬉しそうに声を上げたあと、はっとした顔をした。
「あ。私は今、撫でられたのか」
「あはは」
なおきが笑うと、エルも少しだけ笑った。
だが、その表情はすぐに曇る。
「私……ずっとここにいてもいいのかな」
「僕にしかエルが見えないんだし、帰る時が来るまでいればいいよ」
口にしてから、少しだけ照れくさくなり、視線を逸らす。
その時、注文していたパンケーキが運ばれてきた。
「うわぁ……!」
エルが目を大きく見開く。
「すごい、すごい! なにこれ! 綺麗で、可愛い建物みたい!」
「建物?」
「ほら、ここが屋根で、苺が飾り!」
「確かに。そう見えなくもないね」
エルはパンケーキの周りを覗き込むように、何度も角度を変えて眺めている。
「食べてみる?」
「うん! 食べる、食べる!」
なおきはナイフでパンケーキを切り分け、苺とクリームをフォークへ乗せた。
「はい。口開けて」
「……へ?」
エルの動きが止まる。
「えっ……食べさせてくれるってこと!?」
またたく間に顔が赤くなった。
「そ、そんなの恥ずかしいよ……!」
「だって、ナイフとフォーク一本ずつしかないし。宙にフォークが浮いてたら怖いでしょ」
「だからって、気にしないで!」
「食べさせてあげます」
「……本当に?」
なおきが頷くと、エルはフォークをじっと見つめた。
しばらく迷ったあと、おずおずと小さく口を開ける。
なおきが、そっとフォークを差し入れた。
苺の甘酸っぱさ。
ふわりと広がるクリームの甘み。
温かいパンケーキ。
エルはしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと目を見開く。
「……おいしい」
小さく漏れた声には、驚きが滲んでいた。
「おいしい……! すごく、おいしい!」
さっきまでの恥ずかしさは、もうどこにもない。
エルは身を乗り出し、次の一口を待っている。
「もっと! もっと食べたい!」
「もちろん」
なおきが笑いながら次の一口を差し出す。
気づけば二人とも声が大きくなっていて、近くの席から不思議そうな視線が向けられていた。
エルは口元を押さえ、小さく笑う。
「……私、いっぱい喋ってもいいんだね」
「いいよ。エルの声、僕にしか聞こえないし」
その言葉に、エルは安心したように息を吐いた。
「なおきが普通にしてくれるから、私も堂々としていられる」
結局、パンケーキのほとんどはエルが平らげた。
「満足した?」
「うん! 人生で一番おいしかった!」
なおきは思わず笑う。
「そっか」
だが、エルはすぐに真剣な顔になった。
「ねえ、なおき。私、本当にこれからどうしたらいいんだろう」
膝の上で、小さな手が震えている。
「ずっと一人だったけど……一人って、こんなに寂しかったんだね」
さっきまで輝いていた瞳が、わずかに潤んだ。
「まあ、とりあえず一緒にいればいいよ」
なおきは、努めて軽い口調で答えた。
そして、改めてエルの姿を眺める。
「見た目は妹みたいだけどさ。エルって何歳なの?」
「…1700歳は超えてる」
「1700歳!?」
「だから、私のほうがお姉さん」
エルは少し拗ねたように頬を膨らませた。
「でも、設定はなおきのほうが年上なんだからね!」
「何の設定だよ」
なおきが吹き出す。
「じゃあ、エルお姉ちゃんって呼ぼうかな」
「はぁ!? やめて!」
エルは真っ赤になって立ち上がると、ぷいっと背を向けた。
「もう知らない! 帰る!」
そのまま店の出口へ向かって歩き出す。
「あはは、ごめん、ごめん」
なおきも立ち上がり、鞄を持った。
「じゃあ、帰るよー」
「笑わないで!」
少し先を歩くエルの頭上で、輪が嬉しそうにきらりと光っていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
堕天使エル、人生(?)初パンケーキ回でした。
天界では味わえなかった「甘さ」と「誰かと一緒にいる時間」
なおきにとっても、きっと同じくらい特別な瞬間だったと思います
見えない存在‥きっと楽しいだけじゃないはずです
それでも二人は、同じテーブルで笑いました
この先、
エルは本当にこの世界に居ていいのか
なおきとの出会いは「奇跡」なのか
ゆっくり進んでいく物語になりますが、
見守っていただけたら嬉しいです!
読んでいただけることがとても励みになります
次回もよろしくお願いします。




