04
最悪でも夜が明ける頃には帰ってくるだろうと待っていたが、オズワルドは一向に帰ってこなかった。
一日経ち、二日経ち、三日経っても戻らず、その頃になるとリトルは心配でたまらなくなっていた。今までにもこういったことはあって、けれど大抵はオズワルドに何か急用が出来た時だけで、リトルにはきちんと伝言を残しておいてくれた。今回はいつもとは違って、待てど暮らせどオズワルドからの小鳥は飛んでこない。
リトルは師を心配してしていたが、オズワルドが自ら消えた以上、リトルが探したところで絶対に見つかりはしないことは明白だった。そもそも師はリトルがいなくても何ら問題ない偉大な魔法使いなので、心配することもないのだろう。だけどいつも理智深い静かな瞳をしている魔法使いの師の、長い髪を編む時間が来ないと、リトルはそわそわしてしまう。ちゃんとご飯を食べているだろうか、と思いを馳せながらも、リトルが師をすぐにでも探しに行かなかったのは、もう一つ理由があった。
卒業試験。
その前にある箒の試験に受からなければ、リトルは卒業が危うい。
もうその試験までの日程は、すぐそこまで迫っていた。師と話し合わないといけないことがあるとしても、とにもかくにも、試験は待ってくれなかった。
箒の練習を頑張って、無事に受かることができたなら、すぐにでも師を探しに行こう。落ちた時のことはあまり考えたくなかったが、残念ながら落ちたとしても、試験が過ぎれば暇ができる。
そうは言っても、リトルの箒の扱い方は、あれから見違えて変わった。
「うまく乗れないようにするおまじないをかけてたの、本当だったんだ……」
以前のように、自分の意志で操ろうとして逃げられる、ということがなくなった箒を前にしてリトルは肩を落とした。アルベルトがおまじないを解いてから、箒は今までの反抗が嘘のようにリトルに従順になった。それが師が本当にリトルの邪魔をしていて、尚且つそれをリトルに隠していた、という事実を明らかにしてしまい、リトルは喜べばいいのか悲しめばいいのか複雑な気持ちになる。
「……オズワルド様、なんで……」
師に裏切られたような気持ちはリトルにはなかった。オズワルドは寡黙で口数が少なく、表情の変化にも乏しいが、小さかったリトルを拾い上げてくれた時からずっと、わかりづらくも優しかった。リトルに危険が及ぶようなことからはさり気なく遠ざけられてきたが、リトルがどうしてもやりたいと望めば、渋々ながらも最終的には折れてくれた。ただびとのリトルが魔法学校に通えるようになったのも、高位魔法使いのオズワルドが口を利いてくれたおかげだ。
だからこそ、リトルはオズワルドの意図が知りたかった。
何か理由があるのならば言ってほしい。オズワルドと話をしたかった。
そうやって悶々と考えながらひたすら飛行術の練習に打ち込んでいたら、あっという間に今月末は明日になった。
試験当日。リトルは寝不足だった。試験の出来も勿論だが、やはり帰って来ないオズワルドのことが頭を占めていた。
寝不足でフラフラと現われたリトルを一目見て、メイルは「ダメそうだな」と無慈悲に言った。リトルは大丈夫だと言ったが、自分でも自信はなかった。
箒の練習をしていても、どうしてもオズワルドのことを考えてしまう。オズワルドにもらった箒をぎゅっと握り締めて、順番が呼ばれるのを待ちながらリトルは悶々としていた。いろいろな考えが頭を過る。
どうしてオズワルドは、妨害するような魔法をかけたのだろうか?
どうして直接リトルに伝えてくれなかったのだろう。本当にオズワルドが嫌がったなら、その理由を話してくれたなら、リトルは納得できずとも呑み込んだかもしれないのに。リトルにとって一番大切なのは、オズワルドなのだから。そもそも、魔法使いになりたいのだって。
いや、そもそも、あれは本当に妨害を目的とした魔法だったのだろうか?
アルベルトはなんと言っていたか。確か、そう。
「リトル」
名を呼ばれて、リトルはぱっと立ち上がった。
箒をぎゅっと握り締めた後、返事をして駆けていく。
きっと受かる、大丈夫。そうして、受かったらそのまま、オズワルドのところへ行こう。オズワルドのところに真っ直ぐに導いてくれるはずの、この箒に乗って。
□
リトルは魔法使いになりたかった。
魔法を使えるようになりたかった。
「お師匠さまーっ!」
リトルを乗せた箒はぐんぐんと高度を増して高く高く昇っていく。
雲に手が届くのではと思うほど高く昇っても、迷いの森は全体が見えないほど大きく深い。上空を旋回する箒は、滑らかに空中を飛行していたが、師の姿は見つからない。リトルは、もしやアルベルトが中途半端に魔法を消したせいでうまく追跡できないのかと不安に思ったが、やがてリトルの意志に反して箒はぴたりと空中で止まった。
「えっ……え、えーー!!」
がくんっ、と急に動きが止まった箒が傾く。リトルが目を見開いて、ついでに半開きになった口から悲鳴が溢れた。ひゅううと風を切って体が夜空を落ちていく。下には黒い森が広がっており、地面との距離がうまく測れず、リトルはひやりとした。
ぶつかる、と思った。その瞬間、淡い光の粒が視界をふわりと覆う。
リトルは、目を見開いた。ふわり、ふわり、と柔らかい泡のような光の粒。
夜空に不意に広がったその淡い灯りの間から、小鳥が溢れ出て、リトルの箒の枝や房に止まる。引き上げるように支えられて、体が軽くなった。
「お……お師匠さまっ……!」
「《――》」
リトルの箒が舞い降りた場所には、オズワルドの姿があった。頭まですっぽりと濃淡のローブを被っているせいで、夜闇に溶け消えるようだ。だが、その湖面のように凪いだ静かな瞳も、物憂げに見える表情の乏しい美しい顔も、リトルの瞳にはどのような闇の中でも輝いて見える、決して見間違えることのない師に他ならなかった。
オズワルドが呪文を呟くと、光の粒は消えてリトルはそっと地面へと降ろされた。途端、リトルは師のもとへと駆け寄る。数日会っていなかったことも、顔を見たら言おうと思っていたことも忘れて、抱き着きながら歓声を上げた。
「お師匠さまーっ! 聞いてください! リトル、受かりました! 飛行術の試験! やりました!」
「……第一声がそれ……」
気の抜けたような、呆気に取られたような、ほっとするような、なんとも言い難い複雑な感情を滲ませてオズワルドがリトルを受け止める。数日振りの師は、いつも通りの師だったが、リトルはローブの中から現われた頭に目敏く気づいた。
「お師匠さま、魔法を使って髪を結ばなかったんですか?」
「……ああ……忘れていた」
オズワルドのいつもの三つ編みではなく、解けて背に散らばっていた。くるぶしまで流れる髪は、毎日リトルが師のために編んでいるものだった。ここしばらく顔を合わせていなかったから、そのまま放っておかれたのだろう。本当は魔法を使ってしまえばあっという間で、実際、オズワルドは普段の身繕いから食事の支度まですべて魔法で済ませてしまう。てっきり離れている間もそうしているだろうとその辺りを心配することはなかったのだが、思ったよりもぼんやりしている師の様子に、リトルは慌てた。
「お師匠さま、髪を結んでもいいですか?」
「ああ、うん……」
やはりオズワルドはぼんやりと心ここにあらずな様子で、けれど従順に頷いて、大人しくリトルに頭を預けた。リトルは地面に置いた箒の上に座って、オズワルドの髪を手ぐしで梳く。小さく口の中で呪文を唱えると、リトルの手に触れたオズワルドの髪の間に、幾つもの花が咲く。魔法をかけながら指先を動かすと、するすると花は編み込んだ髪の間に髪飾りのように差し込まれて、あっという間に綺麗な三つ編みができた。
「ふふん~ふふん~」
「……おまえは、この魔法が好きだな」
もっと他にやることや、言うことがあるだろうに。そういう呆れの気持ちもこめられていたのかもしれない師の呟きに、歌を口ずさみながら結んでいたリトルははにかむ。
「この魔法は、最初にお師匠さまが教えてくれたものですから」
「……名前を」
「オズワルド様! が、教えてくださったこの魔法が、リトルは大好きなんです。ずっと、オズワルド様のように魔法を使ってみたかったから」
そう、リトルは、魔法を使ってみたかった。
オズワルドはリトルにあまり魔法の才がないことを見抜いていたが、それでも、最初のほうはリトルが望むがままに魔法を教えてくれた。彼が、そのリトルにとっては雄弁な沈黙のうちに、魔法の手ほどきを躊躇うようになったのは、リトルが魔法使いになりたいとはっきりと言い始めた頃からだった。
「オズワルド様。ありがとうございます、本当は反対だったのに、魔法学校に通わせてくれて。試験に受かったのはオズワルド様のおかげです」
リトルの柔らかい声に、オズワルドは沈黙した。オズワルドの魔法によって、手元を照らす程度の薄らとした灯りだけがふわふわと浮かぶ夜の森は、夢のように綺麗だ。そう思うのは、リトルが誰より綺麗だと思う師がこの場にいるからなのだろう。
オズワルドは黙っていたが、夜の闇に沈み込むほど深い沈黙の後に、とても小さな声で「おめでとう。おまえの努力の結果だよ」とこちらを見ないまま言った。ほらやっぱり、リトルのお師匠さまは優しいのだ。
「――リトル。私を置いて行くのかい」
オズワルドが、リトルの素晴らしいお師匠さまが、項垂れて呟いた。
リトルのお師匠さまはすごい。とても偉大な魔法使いだ。人嫌いで滅多に外界と交流をしないのに、魔法学校の存在を知ったリトルが行きたいと頼み込んだら、入学の条件と引き換えに外の仕事を引き受けるようになったのも知っている。
「おまえしかいない私を、この森に、置いて行ってしまうのか」
いつもあまり喋らず、纏う空気も静かな人だが、怪我をしたリトルを見た時などはすぐに魔法をかけて治るまで離れずに傍にいてくれた。リトルは知っている。オズワルドは孤独なのだ。とても強くて優秀で、けれど心の深いところに孤独を抱えているから、いつもどこか寂しいのだ。
「そう! だから私、オズワルド様に、私以外のものをたくさん見せてあげたいって思って!」
魔法使いになれば、身分証明書を発行できて、捨て子のリトルでも正式な人として認められる。そうしたら、人の住む街で住居も借りられるし、仕事だって探せる。だから正式に魔法使いとなったのを契機として、多くは旅に出るのだ。魔法使いは余程優秀でなければ定職を持たないので、各地を転々として生きることがほとんどだから。
リトルもまた、どこへでも一人でいけるようになりたかった。リトルがもっと自由になれば、師の小鳥のように、お師匠さまに素敵なものを運んでこれる。
「おまえ以外に、見たいものなどないよ」
オズワルドは、緩く俯いた。諦めるような、自嘲するような声音で、珍しく投げやりになったように言う。
「リトル。私のかわいい小鳥。おまえの足を奪うのはどうだろう。もう二度と箒に乗れないよう、どこにもいけないよう、私のもとから逃げられないよう、切り落とすのは」
リトルは息を呑んだ。
オズワルドはリトルに些細な魔法は教えたが、本格的な魔法を教えるのはいつも気が進まない様子だった。特に、飛行術に関しては良い顔をしなかった。練習にも危険が伴うからだろうとリトルは思っていたが、予想外の理由に、思わず黙り込んでしまう。その沈黙をどう取ったのか、オズワルドは自暴自棄になったような様子で、顔を覆った。
「おまえの育て方を、間違えた……」
低く、切々としたどこか悲壮な色を乗せた訴えが、その掌の間から零れ落ちる。
「こんなはずじゃなかったんだ。こんなに長く、手元に置くつもりでは。私はおまえを縛ってしまう。止められないんだ、自分でも。おまえが飛んでいこうとする度に、手を伸ばして掌の中に包みこもうとしてしまう。かわいく思うなら、手放さなければいけないのに、こんな森に閉じ込めて」
「お師匠さま」
リトルはすっと背筋を伸ばした。俯いたままのオズワルドはリトルが身を正した気配に気づいただろうに、じっと動かずこちらを見ない。だからリトルは、その顔を下から覗き込めるよう正面に回って、もう一度「お師匠さま」と呼んだ。
「お師匠さま。オズワルド様。あなたが望むなら、リトルの足を差し上げます」
今度はオズワルドが息を呑む番だった。微かな吐息が揺れて、いつもは凪いだ湖面のように静かな瞳もまた揺れる。
「あなたが悲しむのなら、リトルは足なんていりません。あなたが許してくれるなら、ずっとお傍にいます。でも、私は、やっぱり魔法使いになりたい。オズワルド様と同じ景色が見たいです」
リトルはずっと、魔法を使えるようになりたかった。
この人の孤独を、幸せに変えられるような魔法を。
「オズワルド様の小鳥がリトルにいつも喜びを運んできてくれるように、リトルもあなたに幸せを運べるようになりたい。ねえお師匠さま。そのために、これからもリトルが魔法を習うのをお許しいただけませんか?」
リトルが得意なのは、些細な魔法だ。
花を元気にしたり、空気を少し綺麗にしたり、ちょっとだけ水の中で息ができたり。
でも、リトルの使いたい魔法は、とても大きなものなのだ。
なにせリトルのお師匠さまは、滅多なことでは笑顔を浮かべない静かな人だ。この人を笑顔にする魔法をリトルは使えるようになりたい。
「…………おまえが現われてから、私はずっと幸せだよ」
骨張った男のひとの大きな手が、不意に伸びてきてリトルを抱き締める。
掻き抱くような強い抱擁だった。落ち着く涼やかな匂いに満ちたローブの中に引き入れられて、リトルは瞳を瞬かせたが、状況を理解するとその背に手を回した。
「おまえがいれば、幸せだよ」
私にはおまえの魔法がかかっている。
おまえが現われた時に、おまえは私に魔法をかけた。
「だから、傍にいておくれ。魔法が解けないように」
静かな囁きが浸透するように胸に落ちる。
リトルは世界で一番大好きな師の胸の中で、はい、と嬉しく頷いた。




