03
リトルは捨て子だ。
幼い頃、口減らしのために『魔法使いの夜』に迷いの森へと捨てられた。
別に珍しい話でもない。迷いの森はとても深く、神秘の魔力に満ちていて、魔法使いでも魔女でもないただびとが足を踏み入れればあっという間に迷ってしまうことから迷いの森と呼ばれ、恐れられている。
リトルがお師匠さま――オズワルドに拾われてもう十年が過ぎた。
五つだったリトルは、今はもう十五になる。自分を拾い育ててくれたオズワルドに憧れて志した魔法使いの道も、もう少しで卒業試験を控えて、無事に合格すれば正式な魔法使いとして認められる。魔法使いの場合、そうなれば身分証名称が発行されて一人前とみなされた。
リトルは元々魔の才能に乏しいのか、とても高位な魔法使いであるオズワルドに直々に手ほどきを受けながら、メイルに呆れられるほど魔法が不器用だ。
今も卒業に備えて、箒を使った飛行術の練習をしていたが、暴走した箒に強かに頭を叩かれて涙目になっていたところだった。
「うう……全然言うこときいてくれない……」
もう数時間程、箒と格闘していたリトルは疲れてきて座った。箒はぐるぐると宙を舞っていたが、リトルが集中力を切らした途端ぼすんと落ちてきて草の上に転がる。
「……はあ。無事に卒業できるのかなあ」
夜の空を見上げながら、落ちてきそうな星々の輝きの光景に不釣り合いな溜息を吐き出してしまうのは、自分への至らなさ故だ。魔法学校の卒業試験は、一人前の魔法使いへの登竜門だ。卒業しなくても魔法は使えるが、人の中で生きようとすれば出てくる制限への免罪符のようなもので、魔法使いが自立するには欠かせないもの。
オズワルドも、それからメイルも『なくたって困らない』とは言うが、それでは一人で生活するのは難しかった。メイルの発言は冗談だろうが、オズワルドはリトルを拾った責任を感じているから、リトルがいつまでも居座っても文句は言わないだろう。だからこそ、オズワルドに感謝しているリトルはその厚意に何も返せるものがなく甘えることが居たたまれなくなってしまう。
「……オズワルド様の役に立ちたいのに」
リトルの得意な魔法といえば、本当に些細なものだけだ。
花を元気にしたり、空気を少し綺麗にしたり、ちょっとだけ水の中で息ができたり。それも良い魔法だとは思うが、リトルはオズワルドが家程大きな岩を呪文もなく割るところを見たことがあったし、千里を一瞬で駆けて疲労もない彼を見ると、やはり全く追いつけないとしみじみと感嘆する。
「……落ち込んでても仕方ない。時間ないし頑張らなきゃ!」
オズワルドと比べることはおこがましくとも、とにもかくにも、今は目の前の卒業試験である。
気合いを入れ直して、リトルは箒を手に取った。
夜の時間帯に練習をするのは、普段のオズワルドの生活に合わせてリトルも寝起きしているからだ。魔法学校のある週末だけは例外だが、基本的に太陽が中天に昇る頃に起床するオズワルドに合わせてリトルも起きて、まだ空が白み始める少し前にベッドに戻る。だからリトルにとっては今のこの時間が活動時間帯なのだ。
「あんまりゆっくりしてるとオズワルド様が戻ってきちゃうし」
今はオズワルドは森の中に薬草を採りに行っている。いつもだったらリトルも手伝うのだが、箒の練習に熱を燃やすリトルの様子に気を遣ったのか、今日はいつの間にかいなくなって小鳥の伝言だけが残されていた。リトルが置いて行かれたと心配しないようにと、小鳥を残していてくれるのは昔からのオズワルドの習慣だ。だからリトルは、小鳥を見る度、オズワルドは優しいのだと誰にともなく胸を張りたくなる。
けれどえへんと張った胸も、すぐにしおしおと萎びて、リトルはまた何度目かもわからない溜息をついた。
リトルは知っている。
オズワルドは、本当はリトルに箒を使えるようになってほしくないのだ。
魔法学校に通うことにも当初相当難色を示して、リトルの誕生日祝いにようやく許可してくれたのだったが、箒を使った飛行術に関しては今でも本当のところ受け入れてくれていない気がする。
単にリトルが下手だから、という理由ではない。いや、もしかしたらそれもあって怪我を危惧していてくれているのかもしれないが、箒を使って飛ぶということは、魔法使いのシンボルのようなものだ。元々、生活に必要な魔法は教えてくれても、魔法学校に通うほどリトルが熱心に魔法を学ぶことは望んでいなかったオズワルドは、たぶん、リトルが魔法使いを志すことに複雑な気持ちを抱いている。
「でもなぁ……箒で飛ぶの、格好良いのに」
見上げた夜空には、幾つもの星々が宝石を砕いたように散りばめられている。その中を、時折スウッと線を引くような煌めきが落ちる。あれは帚星だ。もうとても遠い記憶だが、五つより前の頃、人の間で暮らしていた時に「帚星が流れるのは不吉だ」と聞かされた思い出がある。
「帚星が不吉なのは、その尾が箒に乗った魔女の姿だから……って」
よくあるお伽噺で、実際に魔女なわけではないのだろう。帚星が落ちる頃まで起きていたら魔女が来る。だから、早く寝ないといけない、という脅しだ。
だけど、魔法使いや魔女が箒を使って飛ぶ姿は、確かに流れ落ちる星のように見える。オズワルドのように箒を使わずとも移動できる力のある魔法使いは稀で、大抵の魔女や魔法使いは箒を使うから、やはりシンボルとしても証のようなものだ。
「……なんでうまく飛べないのかなぁ。というか、乗せてくれないのかなぁ……」
リトルは箒を使うのが下手というよりも、なんというか、それ以前の問題だった。
乗ろうとすると、箒が嫌がる。リトルの手をすり抜けてあっちこっちへ飛んだかと思えば、ようやく乗れた時には思う方向に全然行ってくれない。まだ振り落とされたことはないが、制御できていないのと同じことだ。
「それはまー……あれだ。とりあえず箒代えたら?」
「箒を?ってぎゃあ!?」
後ろから伸びてきた手が箒をちょいちょいと指差して、自然に相槌を打った後で飛び上がるほど驚いた。
「な、な、な……アルベルト様!?」
「よう。今日も可愛いねぇ、リトル。こんばんは」
上体を折り曲げてこちらを覗き込んでいたのは、つい先日会ったばかりのアルベルトだった。夜の中でも明るい金髪を揺らして、にっこりと人好きのする笑みを見せる。つられて笑い「こんばんは!」と挨拶を返した後、我に返った。
「どうしてこちらに……お……お師匠さまは今いらっしゃらないのですが」
「ありゃほんと。それは都合が良い」
「え?」
アルベルトが体を元に戻した。そうすると、すっきりとした立ち姿になる。魔法使いの正装は身を覆うような長さのローブだから、アルベルトのように普通の人のような格好をしている魔法使いは珍しい。普通というには、あまりに華美でいろいろ装飾もついていたが、魔法使いは元々装飾過多なのでその辺りから魔法使いらしさが滲み出ているといえば出ている。
「実はリトルに話があったんだけど」
「私ですか?」
「ああ。でも、その箒? 練習してたの?」
興味深そうにアルベルトが箒に視線を注ぐ。唐突な訪れに驚いていたリトルは、話の方向をまた唐突に変えられて面食らいつつも頷く。
「もうすぐ卒業試験なので……」
「でも箒が言うこと聞いてくれないんだ?」
「はい……」
そうかそうか、とアルベルトは同情したように頷いた。
そうして、にっこりと笑顔を浮かべて、さも名案を思いついたかのようにぽんと手を叩く。
「じゃあ折って別のに変えたらどうだ?」
身も蓋もない提案にリトルはおののいた。
「だ、ダメですよ!これはお師匠さまがくださった大事な箒です!」
「ウーン、そう?」
「絶対ダメです!」
毛を逆立てた猫のように威嚇するリトルに、アルベルトは半笑いだった。だが、この箒は本当にオズワルドからもらった大事なものなのだ。オズワルドが手ずから材料を選んで作ってくれた、魔除けのまじないや装飾が含まれた、この世に二つとない箒だ。少しくらい暴れん坊だとしても、手放すつもりはなかった。
「じゃ、仕方ない。ちょちょいのちょいっと」
「……えっ」
アルベルトがいつの間にか現われていた杖をつまむように振ると、箒が一瞬ぱあっと夜闇に輝いた。すぐに輝きは落ち着いて、見た目は元通りの箒に戻ったが、リトルは恐る恐る箒を見る。
「な、何かしたんですか……?」
「まあ、ちょっとね。その箒、いろいろまじないがかけてあったから」
「お師匠さまの魔法ですね。私のためを思って祝福をかけてくださったんです。……え、まさか解除してませんよね?」
「あはは。……祝福ねえ」
箒を手に嫌な予感にぴしりとリトルが固まった時だった。東の空のほうで一瞬点滅する光が見えた。星が流れたのだろうかと瞬きをした次の刹那、目の前にぶわりと風が立つ。ざあああっと草原と湖面が揺れて、ベールを翻すようにゆっくりと収まった。長い三つ編みが背に見える。
「お師匠さま」
「よう。お邪魔してるぜ」
「何をしにきた」
オズワルドの声は冬の湖のようにひんやりとしている。リトルは少し驚いた。確かにオズワルドはアルベルトを邪険にする傾向があるが、いつもはもう少し無機質にあしらうし、普通に話すこともあるから、仲が悪いわけではないはずだ。今日は何か気が立つことでもあったのだろうか、と心配するリトルをさり気なく背後に隠して、オズワルドが「帰れ」と高慢に告げる。
「私の時間をおまえに割く気はない」
「酷いな。旧友の話くらい聞いてくれたっていいだろ?」
「用件は把握している。断る」
「まあそう言うなって」
「断る」
にべもない師の様子に、リトルはまた密かに驚く。アルベルトは時折こうして何かしらの要件を持ってやってくる。リトルに知らされることはないが、恐らくは何かしらの魔法を使う依頼なのだろうと思っていて、いつもオズワルドは煩わしそうにしていたが特に拒絶することはなく受け入れていた。歓談というほど和気藹々とした話し合いはないが、世間話程度の会話もする。だが、今日のオズワルドは最初から拒絶の姿勢を示していた。
「だがなあ、オズワルド」
困ったようにアルベルトが笑う。
幾つものリングの嵌められた指が、つ、と何故かリトルの箒を指した。
「これはいただけないなあ?」
「――おまえには関係のないこと」
「いいや、関係あるね。俺の用件はリトルなんだから、あるに決まってるだろう?」
何の話だろう。硬さを帯びたオズワルドの声音が、一段低くなる。ちゃりん、ちゃりん、と風もないのにオズワルドのピアスが揺れる音に、魔力が漏れているのだと気づく。これは大変なことだとリトルは混乱しながらも瞬く。オズワルドが感情を揺らしているということだ。
「もうリトルに直接聞こうかと思ってな」
「やめろ」
「なあ、リトル。魔法をうまく使えるようになりたくないか?」
リトルは瞬きをした。それは、勿論。と頷きかけて、師の背中から感じる無言の威圧感に気圧されて、瞬きを繰り返すしかできない。だが、アルベルトはこちらの心情を察しているだろうに、ん?と首を傾げて返事を待っている。仕方なく、リトルは少し泣きそうになりながら、こくんと頷いた。
「ほら、な。まあそうだろうと思ったよ。魔法学校もそこの頑固者を泣き落として入ったっていうんだから、意欲は十二分にある」
リトルの目には見えなかった。そのくらい唐突に、物凄い速さでアルベルトに迫った光の破片が、空中で静止していた。空から降る花弁が、急に時を止めた空間に取り残されたように止まっている。無数に停止した光の破片の鋭い切っ先が、すべてアルベルトのほうを向いていなければ、美しい光景に見えた。
アルベルトが視線を少しやると、バリンッと音を立てて、破片が砕けて落ちる。
「知り合いにね。弟子を欲しがってる魔法使いがいるんだ。魔法学校を卒業した後、仕事をしながら学ぶことができる。卒業試験の練習に関しては、オズワルドが面倒見てくれないならそいつに頼んであげてもいいさ。まぁ、心配ないと思うけどね」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が急で」
「そうかあ。俺はもう数ヶ月は前からオズワルドに伝えてたんだけどね」
思わず師の背中を見つめたが、オズワルドはリトルのほうへ振り向かない。その表情がわからず、リトルはにわかに不安になった。不安になるようなことなど何もないはずなのに、奇妙な感覚だ、と思ったリトルの心情に追い打ちをかけるように、アルベルトがくるりと指を回す。すると、リトルの箒がひとりでに宙に浮いた。
「だがこれを見てわかったよ。オズワルドはおまえを手放す気はないな。ついでに、卒業試験に受からせてやろうって気もないみたいだ。リトル、慎重に何重にもダミーで隠されているからわからないのも当然だが、この箒、酷い類いのまじないがついているよ」
「黙れ」
またざわりとオズワルドの周囲の空気が震えた。滅多にない師の怒気にリトルは震え上がる思いだったが、流石同年代の高位魔法使いだからか、旧友の慣れか、アルベルトは笑みを浮かべている。
「まあ、祝福っちゃ祝福か。間違っちゃいないかもな。最終的には絶対に特定の場所にしか向かないようになってる箒なんて、不良品もいいとこだと思うが」
「えっ」
思わず落ちたリトルの驚きの声に、ふ、と急に張り詰めていた空気が解けた。怒気が解かれたというよりも、何か、ぴんと張っていた糸がぶちりと途切れてしまったような急な変化だった。そこでようやく、オズワルドがこちらを振り向く。彼は珍しく、見た目の頃より幼げな表情をしていた。常の平静そのもののような雰囲気を保ってはいたが、その表情の奥には、まるで、悪事が露見した幼子のような気まずげな色が揺れている。
「これじゃあ失敗続きなのも当たり前だ。かけられたまじないの効果で、必ずオズワルドのところへ向かう。それ以外の行先を望んだ場合は、てこでも乗せやしない。子どもみたいなまじないもあったもんだなあ」
アルベルトの声音はいかにも面白がっていた。だが、唐突に知らされた真実にリトルはそれに反応するどころではなかったし、オズワルドに至っては、最早リトルと目を合わせていなかった。湖面に浮いた古城に、沈黙が落ちる。ざああっと風が木の葉を揺らす音だけが聞こえていたが、リトルは不意に薄くなり始めたオズワルドの影に「あ」と口を開けた。
「あ、おい」
「お……オズワルド様っ!」
暴露されて時が止まったように一時停止していたオズワルドが、風に吹かれる木の葉のようにさらさらと光の粒になって、あっという間に跡形もなく溶け消えた。まるで消滅したかのような消え方にリトルはにわかに焦ったが、アルベルトが声を上げて笑いながら「逃げたな!」と言ったので我に返る。
「あ、アルベルト様!」
「おう。なんだ?」
本当に楽しそうににんまりと笑っているアルベルトに、リトルは泡を食って尋ねた。
「アルベルト様のお望みは!?」
「おやっ。騙されている旧友の弟子に対する、単なる親切心とは信じてくれないのか」
わざとらしい泣き真似をされて、リトルは眉を寄せる。数百年は生きているはずのオズワルドとほぼ同年代と聞いているにもかかわらず茶目っ気のある態度にではなく、彼の内心を疑わしく思って。
アルベルトとはそもそも、数年に一度顔を合わせたら挨拶をするくらいで、そこまで親しい仲ではなかったはずだ。勿論、リトルのほうに高位魔法使いとしての畏敬の念はあるが、アルベルトのほうがリトルに構う理由はない。
「どうしてオズワルド様をいじめるような真似をするんですか! 落ち込んでいます、今きっと!」
「おやおやっ。騙してたアイツじゃなくてアイツが傷つくことをした俺に怒るのか。麗しい師弟愛だ」
「だって……だって、失礼ですが、アルベルト様にそんなに親切にしていただく理由が思い当たりません。私をだしにオズワルド様をからかいにこられたんですか?」
「まさか。流石にそんなに暇じゃない」
アルベルトが肩を竦める。それは確かにそうだろう。詳しいことは知らないが、アルベルトは高位魔法使いとしていろいろな役職を得ているはずだった。その割に気ままで自由な態度が目立つが、偉い人なのだということは知っていた。
「弟子を欲しがってる魔法使いがいるってのは嘘じゃない。何を隠そう、俺のことだからな」
「はい!?」
「弟子とかめんどくさいと思ってたが、あのオズワルドが入れ込んでる娘なら面白そうだとも思う。面倒みてやっても構わない。それに、オズワルドと離れろって言ってるわけじゃないぜ? なんなら、オズワルドも一緒に来させればいい」
それが目的か、とリトルは瞠目した。
魔法使いは性質的に独立した気質を持つ者が多いとされるが、オズワルドもその性質が顕著だった。迷いの森のこの古城に引き籠もって、既に百年は経っていると聞いたことがある。そんな性質に難があるが能力は抜群のオズワルドを、表舞台に引っ張り出したい者も多いとは、なんとなく聞いていた。
「友達を売ったんですか!」
無礼だとわかっていてもつい叫んでしまった。
アルベルトは気分を害した様子もなく「人聞きが悪い」と笑った。
「こんな辺鄙なところに引き籠もり続けてたアイツが、人の子を拾って弟子にしたという。魔法学校に通ってればそこから情報は漏れるからなあ。外界と再び交流を持ち始めたなら、こっちに戻ってこさせられるかもしれないと、目の色変える奴らがいたってだけさ」
「そしてアルベルト様もそのお一人なんですね!」
「まあな。俺も真っ当にアイツを心配してるんだ」
いけしゃあしゃあと白々しいことを述べて、アルベルトは金髪を翻した。焚きつけるだけ焚きつけたので帰るつもりなのだとわかった。こちらが何か言うより先に、ひらりと手を振ったアルベルトの姿が足元から揺らいで消えていく。
「またな。あ、そうだ。その箒のまじない、完全には解いてない。相当強くかけてあったからな。怖い怖い」
最後までにんまりとした笑みを浮かべたまま、男の姿がかき消える。
後に残されたのは、ぽつんと落ちた箒と、やはりぽつんと立ち竦むリトルだけ。
「…………オズワルド様…………」
波の立たない湖の上の古城に、十五の人の娘の哀れっぽい声も溶け消えた。




