堅物騎士は、お嬢様のバターケーキを食べる
王の菜園で働いていた下町の者達は、ソレーユの実家が用意した受け入れ先へ移動する。 そこには日常生活を送るに十分な生活空間と食品、日用品が用意されていた。希望する者には、職も斡旋するという。
ひとまず、現状の王の菜園では仕事ができない上に、火事のあとが広がる光景は精神的によいものとは思えなかった。
即座に下町の者達の身の振り方について提案してくれたソレーユには、感謝の言葉しかない。
事件後、王の菜園とアランブール伯爵邸では現場検証が行われた。
多くの騎士が行き来し、普段は静かなこの地は騒がしかった。
作物はほとんど燃えてしまい、残った野菜も灰を被っていたり、土の中で蒸し焼き状態になってダメになっていたりと、使えるものは残っていない。
幸いにも、畑や田んぼの端に植えられていた果樹や、ガラス張りの温室の被害はなかったが。
王の菜園には、立ち入り禁止の木札が立てられている。農業従事者は休日とし、ゆっくりしておくように命じていた。
唯一、王の菜園の見回りを任された第十七騎士隊は、昼夜問わずに辺りを巡回している。
風が吹くと、焦げ臭さを運ぶ。少し前まで、豊かな緑が広がる場所だった。
それなのに、今は一面真っ黒だ。胸が締め付けられるようになる。
「コンスタンタン様」
名を呼ばれて振り返る。リュシアンがロザリーと共にやってきていた。
ガーとチョーも、飛び跳ねながら存在を主張している。
「アン、どうした?」
「そろそろ休憩の時間かと思いまして、ご一緒しようかと」
「そうか」
少し離れた場所に、テントで作った仮設の休憩所がある。そこで休もうと思っていたが、リュシアンとロザリーは、焼けていない草むらに敷物を広げ始めた。
「アン、ここは焦げ臭いが」
「わたくしは平気ですわ」
にっこりと、微笑みながら言う。リュシアンが平気というのならば、それに合わせるほかない。
コンスタンタンはリュシアンの隣に、腰を下ろす。
「コンスタンタン様、本日はクルミを使って、バターケーキを作りましたの」
「そうか」
リュシアンはいつも通りである。焼けてしまった畑の衝撃を、引きずっているようには見えない。
長方形のバターケーキを切り分け、コンスタンタンへと差し出してきた。
空元気ではないかと気になりつつも、受け取ったバターケーキを頬張る。
「こ、これは!」
しっとりなめらかなバターケーキの中に、キャラメルのように甘く、濃厚なクルミの実が入っていた。
「コンスタンタン様、いかがですか?」
「おいしい。普通のくるみとは、異なるようだ」
「ええ。グルノーブル地方のくるみを、キャラメル絡めにしてケーキに混ぜましたの」
グルノーブル地方のくるみは有名だ。質がよく、人気が高いとコンスタンタンも聞いたことがある。
「今まで食べたどのバターケーキよりも、おいしかった」
「それはよかったです」
向けられたリュシアンの笑顔に、安堵の色が混じっているような気がした。初めて見る表情である。
ここで、コンスタンタンは気付く。数日もの間、顔が常に強ばっていたと。硬くなっていた頬の筋肉が、解れたように思えた。
このバターケーキは、コンスタンタンを元気づけるためのものだったのだろう。
リュシアンのコンスタンタンを想う気持ちが、これでもかと詰まっているような気がした。
いつだってそうだ。リュシアンの料理や菓子は、食べる人のことを考えて作られている。それはどれも温かくて、優しい味がするのだ。
手が空になっているコンスタンタンに、リュシアンが問いかけてくる。
「もう一切れ、召し上がりますか?」
「ああ、いただこう」
二切れ目のバターケーキもおいしかったが、先ほどよりも味わい深く感じてしまった。
瞼がジンと熱くなったが、溢れそうになったものは紅茶と一緒に呑み込む。
落ち込んでばかりではいられない。前を、向かなければ。
コンスタンタンはリュシアンの手を両手で包み込み、頭を下げた。
「アン、ありがとう」
コンスタンタンの気持ちのすべてを受け取ってくれたのか、リュシアンは淡く微笑んでいた。
気持ちに整理がついたところで、コンスタンタンはリュシアンに問いかける。
「この現状を、どう思う?」
「王の菜園に油が撒かれていなくて、よかったなと思いました」
炎は風に煽られて燃え広がっただけで、油が撒かれているわけではなかったのだ。
そのおかげで、王の休憩所だった喫茶店や宿舎は燃えずに済んでいる。
続いて、コンスタンタンはもっとも懸念に思っていた質問をぶつけてみた。
「ここを元の畑に戻すには、どれだけの期間がかかるだろうか?」
三年か、五年か、はたまた十年か。
一度失ってしまったものを、もとの姿に戻すのは難しいだろう。
コンスタンタンは落ち着かない気分で、リュシアンの返答を待つ。
「そうですわね。ニンジンでしたら、冬に種を蒔いて、春には収穫できるかと」
「……春?」
「はい、春です」
「それは、何年後の春だ?」
「来年の、春ですわ」
「来年!?」
信じがたい気持ちでリュシアンのほうを見たが、キョトンとした表情を見せるばかりであった。
「アン、畑の再生は、数年かかるのではないのか?」
「いいえ。燃えた野菜を肥料に、すぐに栽培できますわ」
「そ、そうなのか?」
「ええ。油を撒かれたわけではありませんもの。土壌は死んでいませんわ」
真っ黒に焦げた王の菜園は、最低最悪の状態ではないという。いったいどういうことなのか。コンスタンタンは続けて話を聞く。
「農業の一つに、焼き畑、というものがありますの」
「焼き畑?」
「ええ。主に山間部に住む者達が行う農業で、山に火を入れ、焼いた草木を肥料とし、作物を育てます。四年間、その地で野菜を作り、以降は十年、二十年と放置して山を再生させる、というものです」
「そのような農業があるのだな」
「今は、行っていないようですが。そういう農業法もあると、耳にしたことがありまして」
王の菜園は、すぐに再生できる。死んではいない。
それは、奇跡のように思えた。




