第4話 離別の準備
旅団長より部隊を離れる者には生き残るために必要な情報をお伝えするようにと仰せつかっています。
まず、爆心地から約10キロ圏内は核爆弾による放射性物質で汚染されている可能性がありますから進入は控えてください。目安としては、建物の外壁が崩れるなどの被害が散見される地域です。この程度の被害が出ていれば放射能汚染にさらされている可能性があります。
また、軍の物資から水、食料が配給されますのでそれらを受け取って出発してください。
その他の物資も場合によっては持ち出しを許可されます。詳しくは隣のテントで兵站管理担当者に問い合わせてください。退職金替わり、とのことです。
最後に、ここから観測できた核爆弾投下位置が書き込まれた地図がテントを出たところにあります。通信が断絶されていますので国内の中心部から西部にかけての被害は未知数です。
以上です。お気をつけて。
―――元オーゼル共和国第三旅団事務官 リリー・ブンデルベルクからの説明―――
俺はノアの写真を胸ポケットに入れて事務官のテントへ向かった。テントの入り口横はひどく混雑している。
中に入ると三人の担当者が長机を挟んで離隊者へむけて手早く説明を行っていた。いずれも五人程度が列をなして並んでいる。15分ほど待つと自分の番が来た。事務官は若い女性だった。ひどくやつれた顔だが、私情を押し殺して業務に励んでいる。
「離隊希望ですか?」
彼女ははっきりと耳に通る高い声で言ったが、その奥底には言い知れぬ悲しみが潜んでいるように感じられた。
俺は返事をしてパイプ椅子に腰を下ろした。
「分かりました。それではこちらにお名前と、軍籍番号をご記入ください」
彼女はそう言って小さい紙片を差し出した。俺はその紙に向かって言われた内容を記入していく。
『ニコラス・ウェーバー 56-09987』
紙が小さく、これだけ書き込むにも気を使って小さく書かなければならなかった。
「すみません。基本的な事務作業はタブレットで行っていましたので、紙があまり残っていなくて」
彼女はすまなさそうに言って紙片を手に取り、内容をリストに書き加えた。
「それではいくつか説明すべきことがありますので」
彼女はそう切り出して、きっと何度も繰り返したであろう説明を淀みなく聞かせてくれた。
俺は説明を受けた後、軽くお辞儀をして席を離れた。
テントから出て、脇の人混みに混ざる。周囲の人はみんな一心に目の前の地図を見ていた。
見慣れたオーゼル共和国の地図に不穏な書き込みがされている。ここから一番近いところだとレムリア市の中心部に赤い点、そしてそれを中心に円が描かれている。
先ほど受けた説明から、それが核爆弾の投下位置と放射能で汚染されている範囲だということがわかる。
同じマークが地図の東側にだけ数か所書き込まれている。
「フルストもダメか・・まあ、あれだけ派手に煙が見えてたしな」
「俺のとこは田舎だから大丈夫だと思うが」
皆が地図を見ながら故郷の安否を確認している。しかし西半分の被害は未知数だ。その中には俺の目的地で、ノアの故郷でもあるバルバロッサも含まれていた。
俺は隣の兵站部のテントに入った。生真面目そうな眼鏡をかけた男が、次々にやってくる離隊者の質問に回答している。人手が足りていないのか慌ただしくしていた。
「離隊希望者でしたらそこにある物資を一袋取って行ってください」
俺は彼の言葉に従って袋を受け取り、自分のテントに戻った。
袋の中には水、レーション、缶詰が入っていた。節約すれば一週間は持つだろう。
しかし―――
「これじゃ足りないよな」
俺は膝の上に地図を広げた。先ほど見た核爆弾の投下ポイントを書き込み、改めて自分の位置とバルバロッサまでの距離を確認する。
国内の南西部に位置しているバルバロッサまでは約300km。それは歩いて向かうにはとてつもなく長い距離だった。車があればアウトバーンを利用して3時間足らずで到着するが、電子制御に頼っている現代の車両はもう動かないだろう。
それに途中には大きな街がいくつかある。きっと、これらにも核爆弾が投下されているだろう。危険な地域を迂回して向かうとなると何日かかるのか見当もつかない。
俺は地図を閉じて荷造りを済ませた。
背嚢に先ほど受け取った物資を詰め込んで背負ってみた。かなり重たい。
俺は揺らぎそうになる出発の決意を固めるため、最後に救護部のテントに向かった。
テントの中はひっそりとしていた。沢山並べられたベッドに、十数名ほどの人が寝かされている。彼らは包帯もしておらず、手当を受けている様子もなかった。
「彼らは?」
俺は近くにいた救護兵に話しかけた。
「ああ、怪我をしている訳じゃないんですが、精神の方をやられてしまったようで。僕たちは専門外だから何もしてあげられなくて」
救護兵は憐れそうに彼らを見やりながら言った。俺も全てを失うだけだったなら、彼らのようになっていたかもしれない。
「そうですか。あの・・・遺体置き場はどこですか?」
俺は絶望に沈んでいる者たちから目を背けた。
「ご案内します。会いたい方の名前を仰ってください」
救護兵の口調は先ほどまでとは打って変わって厳かなものになった。
「ノア・ディーツです」
俺は久しぶりに友人の名を口にしたような気がした。
救護兵は俺を隣のテントに案内した。薄暗い中に七人の兵士が寝かされ、白い布で覆われている。
「右から二番目がディーツさんです」
救護兵は小さな声で言ったが、教えられる前からどれがノアかは分かっていた。七つの中で一つだけ、人型の膨らみが際立って小さかったからだ。
俺は白い布をそっとめくり、最後に戦友の顔を見た。髪についていた血は綺麗に拭き取られ、美しかった目は閉じられていた。揺り動かせば、眠そうに目をこすりながら起き上がりそうだった。いつかのように。
俺は二度と忘れないように戦友の姿を目に焼き付ける。布を掛けなおそうとしたとき、彼の胸元に一丁のハンドガンが置かれているのに気が付いた。SIG P225 。あの時ノアが頭を撃ち抜いた銃だった。
「これは?」
俺は後ろに控えている救護兵に尋ねた。
「ここに運ばれてくるまで、ずっと右手に握られていました。よほど大事なものだったんでしょうね」
俺は拳を握りしめた。『違う。この銃が彼を殺したんだ』と叫びたかった。しかし、そんなことをしても無意味なのはノアから引き離されたときに痛感していた。
俺は気持ちを落ち着かせて二度と起き上がらない戦友に語りかけた。
「ノア、俺は行くからな」
今度こそ布を掛けなおし、ハンドガンを手にして立ち上がった。
「この銃もらって行ってもいいですか?」
救護兵は小さくうなずいた。
「もしよければこちらも。記録は済んでいますから」
彼はそう言って一枚のドックタグを手渡してくれた。
『 Noah Dietz
No.56-09988
A RH+ 』
ノアの名前と、俺とは一つ違いの軍籍番号、それに血液型が刻印されている。
「ありがとうございます」
俺は礼を言って自分のドックタグを首から外した。そして自分のものにノアのタグを加えて三枚綴りにし、再び首から下げた。タグが擦れ合って前よりも賑やかな音を立てる。
「じゃあ俺はこれで」
「あの、今晩この方たちの葬儀があるんです。よければ参加してあげてください」
救護兵は立ち去ろうとした俺の背中に語りかけた。
「いえ俺はもう行きます。ここには出発の決意を固めるために来たんです」
俺は少し迷ったがはっきりと答えた。
「・・・そうですか。でも、17時からですから・・・気が変わればぜひ」
救護兵は縋るように付け加えた。
「それじゃあ」
俺はそう言ってテントを後にした。




