Sky98-堕ちる白-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
《CONFIRMING》の点滅は、最後まで消えなかった。
戦術管制室の壁面モニターでは、敵火点の沈黙と主力進入の報告が淡々と並んでいる。ミュラーは端末の縁から手を離さないまま、帰投許可の表示を見ていた。喉の奥には、さっき混線に紛れて残った一音が貼りついている。
まだ形を持たないその音だけを残して、管制は次の処理へ進んでいく。
帰投ルートの最後のカーブを抜け、REDROSEはノーザンクロスの格納庫レーンへ入った。
減速。脚部制動。足裏スラスターの噴射が絞られ、膝関節が短く沈む。足首のロックがレールに噛み、機体全体の揺れが吸収されていく。
あすみはコクピットの中で、両手の力をすぐには抜かなかった。
動力停止の表示が順に落ちる。背部推進器、腰部姿勢制御、腕部兵装、シールド。右腕部砲身が格納され、肩部装甲が閉じる。神経リンクの反応が細くなり、外側に重なっていた巨体の感覚が、少しずつ剥がれていった。
それでも、指先にはまだトリガーの圧が残っていた。
格納庫の天井灯が、白く機体を照らしている。整備班の足音。工具の金属音。冷却剤の匂い。床のレールの油の匂い。いつも通り、帰ってきた時の景色だった。
《以上をもって、本作戦は終了とする》
指揮所の声が、少し遅れてヘルメットの内側へ届いた。
《戦果報告。敵火点、沈黙。主力、補給基地外縁へ到達。作戦継続可能》
あすみは目の前の計器を見たまま、小さく頷いた。
それで良かった。
言い聞かせる必要もないくらい、表示は整っている。ヘルメットのロックを外す。顎紐がほどける。ヘルメットを持ち上げると、冷たい空気が額に触れた。湿った髪が頬に張りつく。あすみはヘルメットを膝に置いた。
その瞬間、通信の末尾に別の声が混じった。
『助かったよ、REDROSE』
無線の向こうで、別のパイロットの声が明るく弾んだ。
戦闘の後の、少しだけ緩んだ声。誰かが生き残ったことを確かめるような声だった。
『あの非武装キャンプに帝国の指揮官が潜んでるって話だったからな』
あすみの指先が、わずかに止まった。
「……非武装キャンプ?」
自分の声が、自分のものではないみたいに聞こえた。声は、どこか遠かった。
あすみはゆっくりと顔を上げた。
コクピット正面のHUDには、帰投後の処理ログが並んでいる。さっきまで、爆撃座標は補給基地として表示されていた。そう、表示されていたはずだった。
けれど、今そこにある文字は違っていた。
非武装キャンプ。
赤い警告線の下に、無機質な文字が浮かんでいる。
あすみは呼吸を忘れた。目が大きく開いていき、肺の奥だけが、冷たく縮んでいく。
『そうだよ。今日のやつ、国営放送で流れるぜ』
同じ声が、何も知らないまま続ける。
『また戦果を上げた英雄って言われるな』
英雄。
その言葉が、コクピットの中に落ちて、跳ねずに沈んだ。
あすみは震える指でHUDを切り替えた。ホロ画面が立ち上がり、あすみの目を覆っていく。
画面が一つ、続いて、もう一つ。さらに別の窓が開き、コクピットの前面を埋めていく。
そこに映っていたのは、赤く光る機体だった。
REDROSE。
自分の機体が、空を切り裂くように降下している。
爆撃の光が、画面の端で白く弾ける。
ひとつ、またひとつ。
建物の影が崩れ、砂煙が上がる。映像の端で、大きな人影が小さな人影を庇うように身をかがめていた。
あすみの喉が、音もなく詰まった。別の角度の映像。爆撃座標。機体ログ。通信記録。
どれも違う記録のはずなのに、映っているものは同じだった。
自分が撃ったもの。自分が見ないことにしたもの。
誰かが、何度も言っていた。
降りていい、と。
戻っていい、と。
差し出された手の温度は、たぶんそれぞれ違った。
それでも私は、一度も掴まなかった。
掴めなかったのではない。
聞こえなかったのでもない。
掴まなかった。
REDROSEだから、と思えば迷わなくて済んだ。
REDROSEだから、と思えば、差し出された手を見ないふりができた。
周りの音が、遠くなっていく。
格納庫のざわめきも、工具の音も、無線の声も、分厚い水の向こう側へ沈んでいく。
目の前にあるのは、HUDの座標表示。そして、いくつもの画面に映る自分の機体。
赤い光を纏い、何度も、何度も、同じ場所へ火を落としている。
私は、なんでSKYに乗っているの?
カイトに会いたかった。
カイトを探したかった。
自分だけ、何も知らない場所で待っているのが嫌だった。
だから飛んだ。
飛べるなら、飛ぶしかないと思った。
けれど、今の私は。
今の私は、何のためにここにいるの。
唇が震えた。
声は出なかった。
それでも、胸の奥で言葉だけが形になる。
わたし、人を殺すために、ここにいるんだ。
膝に置いていたヘルメットが傾いた。
あすみはそれを支えようとしたのに、指が動かなかった。
手から力が抜ける。ヘルメットは膝を滑り、コクピットの床へ落ちた。
乾いた音がした。
その瞬間、格納庫に警報音が鳴り響いた。
整備員の誰かが顔を上げる。REDROSEの機体から、赤い光が滲み出していた。
装甲の継ぎ目をなぞるように、細い線が浮かび上がる。それは警告灯の赤ではなかった。もっと湿った、もっと生々しい色だった。まるで赤い血脈のように、機体の表面を波打っている。
「……おい、古賀、まだ降りてないよな?」
誰かの声が上ずった。
別の整備員が端末を覗き込み、息を呑む。
「内部値、上がってる。なんだこれ」
「誰か、アンダーソン呼んでこい!」
その言葉が終わるより早く、格納庫の入口でヘルメットが床に投げ捨てられた。
セリは走りだしていた。整備員の制止も、警報も、何も聞こえていないみたいに、REDROSEの機体へ向かって一直線に駆けてくる。
赤い光が白へ変わり始める。
最初は警告灯の赤が滲んだだけだった。けれどそれは広がり続けた。装甲の継ぎ目から、関節から、機体の表面を這うように白が侵食していく。赤ではない。オレンジでも黄でもない。見たことのない白だった。目を細めても、遮っても、光源がどこにあるのか分からない。格納庫の壁が、床が、周囲の機体が、全部その色に塗り替えられていく。
整備員の一人が、工具を持ったまま後退った。
「……白って、こんな光、見たことない」
輪郭が膨れ、眩しさを増し、機体そのものが発熱しているように見えた。
「安全装置が機能してない!」
「もう上限を振り切ってるぞ。早く出せ!」
「どけ!」
セリは人並みをかき分け、機体脇の階段を駆け上がった。足音が鉄板を叩く。
手動開閉パネルのカバーを乱暴に開き、ボタンを押し込む。
ハッチが、ゆっくりと開き始めた。警報音が格納庫のすべての音を呑み込んでいく。
白く濁った光の中で、セリはコクピットの中を覗き込んだ。
あすみは、そこにいた。
シートに座ったまま、正面を見ている。視線の先には、コクピットいっぱいに広がったホロ画面があった。
けれど、見ているようには見えなかった。
目は開いているのに、その奥には何も映っていない。画面も、光も、セリの姿さえも、もう届いていないようだった。
セリは一瞬だけHUDの表示へ目をやった。
非武装キャンプ。
その文字を見た瞬間、喉の奥が焼けるように詰まった。
「あす……」
呼びかけようとした声は、最後まで出なかった。
あすみの唇が、静かに開いた。
「カイト」
その名前に、セリの胸が鈍く軋んだ。
「私、人を殺すためにここにいるの」
セリの言葉が止まった。開いたままだった手が、一度、強く拳を握る。
怒りなのか、悔しさなのか、自分でも分からなかった。
けれど、その手はすぐにほどけた。
セリは、あすみの肩にそっと手を置いた。
強く掴まない。
揺さぶらない。
ただ、そこにいると伝えるみたいに。
「……ハーネス、外すぞ」
固定具を一つずつ外していく。金具が外れるたびに、小さな音がした。
最後のロックが解けた瞬間、あすみの身体が支えを失ったように前へ傾く。
セリは受け止めた。
あすみは、崩れるようにセリの胸へ倒れ込んだ。
軽かった。
あまりにも、軽かった。
警報音はまだ鳴っている。
REDROSEの白い光が、格納庫の壁を照らしていた。
その光の中で、セリはあすみを抱えたまま、ただ一度だけ目を閉じた。
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