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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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97/120

Sky97-名前のない火-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 ブリーフィングルームは、会議室よりひとまわり小さかった。


 天井が低く、照明が近い。白い光は机の角を硬く照らし、端末の黒い画面には座っている士官たちの顔が薄く映っていた。壁面には、帝国空域オルディア南西部の宙域図と、補給基地周辺の地形データが投影されている。青白いホロの中で、補給基地本体は太い赤枠で囲われ、その外縁にいくつもの小さな火点が並んでいた。


 ホロの端では、補給基地外縁をかすめるように二本の青い線が走っている。ひとつは主力部隊の侵攻線。もうひとつは、避難艇群の退避航路だった。二本の線は途中で重なり、同じ狭い空域を抜けていく。


 机の上には端末と紙の資料が並び、飲み残されたコーヒーの紙コップが端に寄せられていた。空調の風に押され、剥がしかけのテープの端が壁際で小さく揺れている。紙コップの縁がかすかに鳴ったが、誰もそちらを見なかった。


 作戦概要の説明が終わった直後の部屋は、人数の割に静かだった。判断を待つ静けさではない。決定がもう降りてきていることを、全員が知っている静けさだった。


 正面のホロに映るホルストの影が、わずかに揺れた。通信の遅延で一拍遅れて、作戦表示が切り替わる。


「任務内容を確認する。帝国空域、オルディア南西部補給基地への大規模攻撃。主目標は補給基地本体および周辺施設の破壊」


 補給基地本体が拡大され、主力部隊の侵攻線が青く太くなる。続けて、外縁部の火点群が赤く点滅した。


「補給基地外縁には、避難艇群の退避航路が重なっている。REDROSEに与える任務は、表向きには航路上の火点処理だ」


 スピーカー越しのホルストの声は乾いていた。情を殺している声ではない。最初から数字しか置かない声だった。


「第一目標、砲座群。第二目標、移動車列。第三目標、通信塔。火点を沈黙させ、退避航路を維持する。同時に、敵戦力がREDROSEへ反応した隙に、主力部隊は補給基地本体へ侵入する」


 あすみは、パイロットスーツの上着を片腕に抱えたまま立っていた。椅子には座らない。足を肩幅より少し狭く置き、顎を引いてスクリーンを見ている。背筋は真っ直ぐだった。真っ直ぐすぎて、ミュラーはその姿勢から目を離せなかった。


 ホロの端に、補給基地本体から少し離れた区域が拡大される。赤い点が三つ、等間隔に並んだ。砲座。車列。通信塔。識別は軍事目標として処理されている。


「制圧後、残存戦力は管制の指示に従い沈黙させる。周辺状況は一部未確定。詳細座標は出撃後に順次送信する」


 ホロの隅に、小さな文字が点滅する。


 《CONFIRMING》


 ミュラーの眉間がわずかに寄った。


「確認中の区域があるのか」


 ホロの向こうで、ホルストが表情を変えずに頷く。


「衛星再観測中です。ただし作戦開始時刻は変更できません。主力部隊が補給基地本体へ入る時間をずらせば、帝国側に再編の猶予を与えることになります」


 ホルストは一拍置いた。ホロ映像の視線が、画面越しにあすみの位置へ向けられる。


「REDROSEが郊外側へ出れば、帝国側は必ず反応する。退避航路を開けながら敵の目を引きつける。その間に、主力は補給基地本体を叩く」


 その言葉で、部屋の空気が一段下がった。


「古賀一等兵」


 シュタイナーが口を開いたのは、その静けさの中だった。


「あなたが望まないのであれば、この任務を拒否しても構いません」


 声は穏やかだった。しかし、穏やかだからこそ部屋に長く残った。


 ホロの中で、ホルストがすぐに顔を上げる。抑制の利いた声が、スピーカー越しに硬く響いた。


「シュタイナー少佐、その発言は越権行為にあたる。エリス中尉にも君にも決定権はない」


 シュタイナーはホロの中のホルストを見たあと、ゆっくりあすみへ視線を戻した。口元には笑みはない。膝の上で組んだ指の先だけが、一度、互いを押し合う。


 ミュラーはホルストを見ず、あすみを見た。


「……古賀、お前が決めろ」


 あすみの視線が、スクリーンからミュラーへ移る。


「出たくないなら、配置を換える。上層部には俺から言う」


 ホロの向こうでホルストが何かを言いかけたが、ミュラーは画面へ目を向けなかった。


 あすみはしばらく黙っていた。壁の宙域図が、蛍光灯の光を反射して鈍く光っている。紙コップの端が、空調の風でまた小さく鳴った。


「……出ます」


 あすみの声は平坦だった。


「拒否する理由がありません」


 いまさら何を言っても変わらない。

 だって私は、REDROSEだから。


 シュタイナーの指が止まる。


 ミュラーはあすみの顔を見た。あすみは目を逸らさない。けれど、そこにあるのはミュラーへ向けた視線ではなかった。必要な作戦説明を受け取り、次の手順を待つ目だった。


 セリは何も言わなかった。


 ただ、あすみの横顔を見て、奥歯を噛む。唇の端に作っていた軽さが、その瞬間だけ消えていた。


 ホロの中で、ホルストが端末を閉じる。


「作戦開始まで二十分。各員、発進準備へ」



 *



 ブリーフィング後の廊下では、人の流れが幾つにも割れていた。


 格納庫へ向かうパイロット。管制区画へ戻る士官。壁の誘導灯が一定間隔で点灯し、その下を軍靴が通るたびに影が短く伸びて消える。通路の奥からは、整備区画の金属音が薄く届いていた。


 シュタイナーは、セリの前で足を止めた。


 廊下の隅、他の隊員の流れから少し外れた場所だった。シュタイナーは端末を脇へ抱えたまま、セリの顔を正面から見た。柔らかい顔立ちは崩れていない。けれど目だけが、相手を逃がさない位置にある。


「出撃前に、彼女へもう一度言った方がいい」


 セリは振り返る。


「何をですか」


「降りろ、と。今回の作戦で何かあれば、国営放送で世界中に――いや、宇宙中に流される」


 セリの顎がわずかに動いた。


「……俺は、あいつの意思を尊重するって言いましたよね」


「今までは、囮ではなかった」


 シュタイナーの声は低かった。廊下の足音に紛れないよう抑えた声だったが、その分だけ重い。


「今度のは違う。これ以上、消費されるだけでいいのか」


 セリの表情が止まる。


「そんなの……」


 セリは言いかけて、止まった。


 今までだって、同じだろ。

 分かってんだよ。それでも今のあいつには届かない。もう何も、届かないんだ。


 廊下の誘導灯が、一定のリズムで点滅している。青白い光がセリの顔を照らし、すぐに消した。

 握った拳の親指が、手袋の縫い目を押し込んでいる。


 言葉は出ない。


 シュタイナーは、セリの沈黙を急かさなかった。


「彼女が何を選んだかと、何を背負わされているかは、同じではない」


 セリは視線を逸らした。廊下の奥で格納庫行きの扉が開き、金属の低い音が響く。


「……出撃準備があります」


 それだけ言って、セリは歩き出した。


 シュタイナーは追わなかった。ただ、遠ざかる足音を聞いていた。



 *



 格納庫には、発艦前の音が満ちていた。


 固定具が外れる金属音。推進ノズルの試験噴射が床をわずかに震わせる音。整備員たちが短い声で確認を取り合い、工具箱の車輪が床を鳴らしながら移動していく。高い天井から吊られた発艦灯は、まだ待機色の白で、並んだ機体の装甲へ均一な影を落としていた。


 発艦口の向こうには、黒い宙域が開いている。艦内の白い照明と外の暗さが、境界線でくっきり分かれていた。


 赤い機体だけが、その中で強く目を引く。人型の輪郭を持つその兵器は、肩部装甲を閉じ、腕部兵装を畳んだまま、発艦レーンの上に固定されていた。脚部の固定具が足首と膝を押さえ、背部推進器のノズルにはまだ火が入っていない。動かない巨体なのに、胸部フレームの奥だけが、低く呼吸するように微振動していた。


 あすみはすでにパイロットスーツを着込み、ヘルメットを脇に抱えてREDROSEの前に立っていた。整備員が確認事項を告げるたび、短く返事をする。しかし、顔は向けない。視線は機体の腹から発艦口の先へ流れている。


 セリがその隣へ並んだ。


「あすみ」


「なに」


 あすみは機体を見たまま返事をした。


 セリは少しだけ視線を落とし、グローブの指先を握り込んだ。


「……降りたいなら、降りていい」


 ヘルメットの縁をなぞっていたあすみの指が止まる。


 セリはあすみを見た。ふだんの軽さを口元に作ろうとして、途中でやめた顔だった。


「これ以上、何かを背負う必要はないんだ」


 あすみはセリを見なかった。発艦口の向こうに広がる黒い宙域を見ている。


「降りないって言った。もういい?出撃に遅れるよ」


「……そうかよ」


 それ以上、セリは言わなかった。


 あすみはヘルメットを抱え直し、顎に触れた髪を指で払った。その仕草だけが、少し乱暴だった。


 ミュラーは格納庫の端で腕を組み、発艦準備の音を聞いていた。固定具が外れる音。整備員の確認。発艦灯の切り替え。そのすべてが、妙に速く感じる。


 セリが横を通り過ぎた時、ミュラーは低く言った。


「アンダーソン」


「……はい」


「古賀の様子がおかしいと思ったら、すぐ引き戻せ」


 セリは足を止める。


「教官」


「何かあったら、俺が連れ戻す」


 ミュラーは発艦レーンの先を見たまま続けた。


「だから、お前一人で抱えるな」


 セリは一度だけ頷く。


「……はい」


 副艦長ガナシュが、近くの端末から顔を上げた。ミュラーの横顔を見て、口の端だけをわずかに動かす。


「ミュラー、眉間に皺が寄ってる」


「イラついてんだよ」


 自分に似てるやつを育ててしまった自分自身に

 嫌気がする。


 ミュラーは吐き捨てるように言った。


 ガナシュはそれ以上言わない。端末に視線を戻し、発艦手順の確認を続けた。


 発艦灯が切り替わる。


 格納庫の奥から白い光が差し込み、並んだ機体の装甲を一斉に照らす。整備員たちが持ち場へ散り、足首と膝を押さえていた固定具を外す音が連続して鳴り始めた。脚部ロックが解除されるたびに、赤い機体の膝関節がわずかに沈む。床下のレールが低く唸り、空気が機械の振動で細かく震える。


 あすみはコクピットへ身体を沈める。ハーネスを引き、肩のロックを留める。金具が噛み合う音が、狭いコクピットの中で乾いて響いた。


 ヘルメットをかぶり、バイザーを下ろす。


 首筋の神経リンク端子が接続されると、脊椎の奥に冷たい針を差し込まれたような感覚が走った。次の瞬間、足裏にないはずの接地圧が薄く返ってくる。膝を折った赤い巨体の重みが、自分の脚の外側にもう一組重なった。


 透明な面の向こうで、あすみの目だけが薄く透けて見えた。


 セリは自分の機体へ向かいながら、一度だけ振り返る。


 REDROSEのキャノピーは、静かに閉じ始めていた。



 *



 カタパルトの振動が、機体の腹から背骨へ伝わってくる。


 あすみは両手を操縦桿に置いたまま、指先だけを動かしていた。燃料系統、背部推進器、腰部姿勢制御、腕部兵装、シールド。表示はすべて正常。足首、膝、腰、肩、肘。機体側の関節状態が神経リンクを通して、身体の外側に薄く重なっている。HUDの端で、作戦宙域図が読み込まれ、補給基地外縁の火点群が赤く灯る。


 青い線が二本ある。


 避難艇群の退避航路。主力部隊の侵攻線。


 二本の線は、途中で重なり、同じ狭い空域を抜けていく。


『REDROSE、発進準備完了を確認』


「REDROSE、発進準備完了」


『アルファ2、準備完了』


 セリの声が続いた。短い。余計な息が混じらない。


 格納庫の白い光が、キャノピーの端を流れていく。レールが動き、機体が前へ押し出される。胸の奥へ軽い圧がかかった。発艦口の黒が近づく。


『発進』


 脚部固定具が完全に外れ、足裏スラスターに白い火が灯った。REDROSEは膝を一度だけ沈める。人間が跳ぶ直前に身体を畳むような姿勢だった。


 次の瞬間、カタパルトが機体を放つ。


 白い格納庫の灯りが背後へ流れ、背部推進器が点火する。腰部スラスターが左右に短く噴き、機体の姿勢を黒い宙域へ揃えた。宇宙の暗さが正面いっぱいに広がった。


 機体の光が格納庫の闇へ消えたあと、ミュラーは発艦口から目を離した。


 *


 廊下の角を曲がるたび、ノーザンクロスの音は変わった。


 避難区画の方角からは、人の声が漏れていた。泣き声、怒鳴り声、誰かをなだめる声、どこかの子どもが何度も同じ名前を呼ぶ声。その奥で、整備区画の金属音が乾いた拍子を刻んでいる。工具が床に触れる音、コンテナの留め具が噛み合う音、発進準備を告げる短い確認の声。その全部の上を、管制警報だけが一定の高さで艦内を貫いていた。


 ミュラー・エリスは何も言わず、ブリッジ下の戦術管制室へ入った。


 自動ドアが閉まると、廊下の混ざった音が薄い壁一枚ぶん遠ざかる。代わりに、低く唸る機械音と、壁面モニターの白い光が室内を支配した。管制官たちは席に張り付き、手元の端末と正面モニターの間を視線だけで往復している。誰もミュラーへ椅子を勧めなかった。勧める余裕がないのではない。ここでは、余分な動作がそのまま遅れになる。


 ミュラーは立ったまま壁面モニターの前へ出た。手が先に動き、端末の縁を掴む。指先が白くなるほど力が入っていることに、本人は気づいていない。


「……作戦開始」


 管制官の声が乾いていた。疲れていない声ではない。疲れを仕事の形に整えた声だった。


 モニターに、宙域図と地形図が同時に立ち上がる。


 補給基地本体へ向かう主力部隊の進入線。その外縁をかすめる避難艇群の退避航路。二本の青い線は途中で重なり、補給基地郊外の火点群を避けるように細く曲がっていた。そこへ、赤い点がいくつも灯る。砲座。車列。通信塔。支援区域。火点。


 赤は、敵の生きている場所の色だった。


「退避航路維持。敵火点の沈黙を継続。主力進入タイミング、予定通り」


 管制官が読み上げるたび、別の席で誰かが復唱し、別の回線を開き、別のログを切り替える。言葉が回っていく。回るほど、現実がそれに合わせて形を取っていく。


 ミュラーは喉の奥の熱を飲み込んだ。


 正しい手順だった。火点を消せば航路は通る。航路が通れば避難艇が進める。敵がREDROSEへ反応すれば、主力は補給基地へ入れる。どの線も、作戦図の上では破綻していない。


「REDROSE、状況確認。退避航路、二分後に第一波通過開始。主力部隊、外縁へ接近中」


 返事は即座に返ってきた。


『REDROSE、了解。第一目標、沈黙させます』


 ミュラーは一瞬だけ指先の力を緩めた。


 守るために撃つ、という理屈がここでは成立している。成立しているからこそ、誰も止めない。


 地形図の赤い点がひとつ拡大される。座標、射程、地形の陰、周辺熱源。数字が並び、次の瞬間には実行へ移る。


『照準、固定。投下――』


 言い終える前に、モニターの一角が白く瞬いた。光が弾け、熱源の色が一瞬だけ跳ね上がり、それから沈んでいく。赤い点が、ふっと消える。


「第一目標、沈黙確認。退避航路、通過可能。主力進入線、維持」


 管制官が言った。


 通過可能という言葉が、ひどく整った形で人の命を指していた。


 次の赤点が拡大される。砲座ではない。移動車列だった。動いている。退避航路の外縁へ寄り、主力部隊の進入線にも近い。


「REDROSE、第二目標。車列、航路外縁へ接近。優先」


『了解。第二目標、沈黙させます』


 あすみの声は一定だった。


 その一定さが、避難艇の時間を作る。主力部隊の進入時間も守る。それは、否定しようのない事実だった。


 閃光。


 熱源が短く膨らみ、音声ログに爆圧の波形だけが残る。残ったのは、沈黙だった。赤い点が消え、地形図の上には空白が広がる。


 通信回線の端で、セリの声が入った。


『右、潰した。次、行ける』


 軽口ではなかった。短く、乾いている。呼吸が薄いのが、通信越しにも分かる。


 ミュラーは画面から目を離さない。


 赤点が消えていく速さが、綺麗すぎた。座標更新が、速すぎた。敵の配置が単純だからではない。次が来るタイミングが、こちらの息継ぎを許していない。


「第三目標、通信塔。沈黙確認できなければ、退避航路の誘導精度が落ちます。主力回線にも影響」


『REDROSE、第三目標――沈黙させます』


 また白い閃光が走った。


 画面が揺れ、次の瞬間、通信アイコンが灰色に落ちる。沈黙確認。主力進入線、維持。退避航路、維持。戦果は良好だった。


 良好だからこそ、誰も手順の綺麗さに疑問を挟めない。


 ミュラーの奥歯が、ぎり、と鳴った。


「避難艇第一波、航路進入。主力、基地外縁へ到達」


 別回線から、避難区画の声が混線気味に割り込んだ。水が足りない。薬が足りない。子どもが泣いている。どれも短く切れて、管制の表示の奥へ沈んでいく。管制はそれを切り落とさない。切り落とせない。全部を同時に抱えたまま、指示だけが先へ進む。


「REDROSE、次の座標を送る。更新」


 管制官が言った瞬間、ミュラーは端末の角を強く押さえた。


 地形図に、新しい赤点が灯る。さっきまで空白だった場所。補給基地外縁のさらに外側。退避航路からも主力進入線からも、ぎりぎり外れている。ぎりぎりというより、近すぎる。


 モニターの注記が、一拍遅れて点滅した。


 《CONFIRMING》


 確認中。


 その文字が、やけに冷たく見えた。


「……管制」


 ミュラーが声を出しかける。出しかけて止めた。


 言葉にした瞬間、政治の温度がこの部屋へ降りてくるのが分かったからだ。止めるには根拠が要る。根拠のない停止命令は、別の場所で別の人間を殺す。


 管制官が一拍だけ黙った。喉が鳴る音が、近くの音声ログに拾われる。


 それでも、彼の声は仕事の形に戻った。


「REDROSE、座標更新。優先度、最上位。航路および主力進入維持のため、追加火点を沈黙」


 最後の一文が、言い訳みたいに聞こえた。



 *



 ブリッジから二つ下の階層、管制システム課。


 白い照明と乾いた空調の下で、ラックの奥に並んだファンが低く唸っていた。その一定の音は、集中を助けるどころか、耳の奥へ薄い膜を張るようだった。モニターの隅では未処理の数値が増えるたび、小さな通知音が鳴る。


 アンは椅子に片膝を乗せたまま、画面へ前のめりになっていた。髪の端が頬にかかっても払わない。指は速い。速いのに、一瞬だけ止まった。


「……出てた」


 声が、いつもより低い。噛みつく前の声だった。


 アンは画面の一点を指で叩く。叩いたところで何も残らないのに、指先は二度、同じ場所を叩いた。


「いま、出てたよね。“それ”」


 ジョンが隣でモニターへ身体を寄せた。眼鏡の奥の瞳が硬くなる。彼は反射みたいに画面を指で押さえた。押さえても何も止まらないのに、押さえずにはいられなかった。


「権限レイヤーが……上書きされた」


 ジョンの指の下で、薄い注意レイヤーが一瞬だけ浮かび、すぐ別の表示に塗り潰される。消える直前、アンの目が文字を拾った。


 CIV REFUGE CAMP / UNARMED

 VISUAL SUPPRESSED


 アンの顔から血の気が引いた。


 怒鳴るより先に、唇が開いたまま止まる。彼女は一度だけ喉を鳴らし、画面の表示が消えた場所へ視線を押しつけた。


「非武装……キャンプ?」


 ジョンも黙った。画面を見たまま、止まった指をゆっくり握り直す。


 そこへ、通知音が割り込んだ。


 乾いた、短い音だった。善悪の温度がない音。画面の端に、機械の文面が滑り込む。


 POLICY UPDATE

 CIV LAYER = SUPPRESS / OPSEC

 REASON: PREVENT OPERATION STOP DUE TO PUBLIC OUTCRY


 アンの眉がつり上がる。怒りで動く手が、今度は怒りで止まりかける。


「……“SUPPRESS”? “PUBLIC OUTCRY”って何。世論が騒ぐから、見せない? ふざけないで」


 ジョンは、開きかけた別画面を止めた。指先がキーボードの上で浮いたままになる。


「“OPERATION STOP”を怖がってる。止まるのが怖いから、隠す。最善、って言い方で」


 アンはキーボードを強く叩きそうになり、寸前で拳を握りしめた。叫べば帯域が詰まる。余計な通信が流れれば、管制のどこかに遅れが出る。それを知っている手が、机の上で震えた。


「誰が……このポリシー出したの」


 返ってきたのは、顔のない返答だった。端末の自動返信が、淡々と文字を並べる。


 上層承認済み

 任務継続


 アンは唇を噛んだ。噛みつく癖が、噛み殺す仕草に変わる寸前の顔だった。


「……くそ」


 吐き捨てた声は小さかった。小さいのに、爪が立っていた。



 *



 戦術管制室。


 ミュラーの背後で、オペレーターが座標を読み上げる。読み上げの速度が滑らかすぎる。更新が綺麗すぎる。


『REDROSE、更新座標。航路維持および主力進入のため、追加火点の沈黙。繰り返す、追加火点――』


 火点。


 その単語が、何度も盾になる。


 火点を消せば航路が通る。航路が通れば避難艇が進む。敵の目がREDROSEに向けば、主力が補給基地へ入る。その正しさの枠が、いまはすべてを押し切っている。


 ミュラーは、オペレーターの肩越しに画面を覗き込んだ。


 そこに民間を示す記号はない。最初から表示されない設計になっているみたいに、綺麗な空白だった。


 見せていないのか。


 口に出した瞬間に何かが崩れる気がして、ミュラーは言葉を喉の奥で止めた。


 止めたところで、状況は進む。


 スピーカーから、一定の声が返る。あすみの声だった。一定で、揺れない。揺れないことが、いまは任務遂行の形になっている。


 機体側の表示も同じだった。神経リンク遅延、許容範囲。腕部兵装、再展開。脚部姿勢制御、固定。人間の迷いより先に、赤い巨体の関節が次の射撃姿勢へ移っていく。


『更新座標、復唱。――実行』


 短い。


 余計な息が混じらない。迷いの間が挟まらない。その完璧さが、ミュラーの胃を締め付ける。


 画面の赤点がまた消える。


 閃光のログ。熱源の減衰。沈黙確認。退避航路の線が少しだけ太くなり、主力部隊の識別光が補給基地本体へ一段深く入っていく。


 通ったという結果だけが、正しさを補強していく。


 管制官が、押し切るように続けた。


『避難艇が通る。主力も入る。REDROSE、更新座標を叩け。迷うな、航路を通すためだ』


 その「迷うな」が、妙に言い訳の形をしていた。


 ミュラーの視線が、画面の端の《CONFIRMING》へ戻る。点滅が消えない。消えないまま、次の座標が来る。


 その時、管制の別回線が一瞬だけ混線した。


『周辺の――』


 ノイズが混じる。


『……非――』


 その音だけが残り、すぐ別の声に上書きされる。


『周辺状況、確認中。衛星再観測待ち。任務継続』


 非。


 一音だけが、耳の奥に刺さった。


 ミュラーは拳を握る。握った指の関節が白くなる。


 何を隠している。


 確証がない。確証がないから止められない。止められないから、正しさだけが進んでいく。


 そしてまた、赤点が消えた。



 *



 やがて帰投許可が落ちた。


『各機、帰投を許可。戦果報告。敵火点、沈黙。退避航路、維持。主力、補給基地外縁へ到達』


 戦術管制室の空気がわずかに緩む。誰かが短く息を吐いた。別の席では、すぐに次のログ整理が始まる。終わったものは、終わったものとして処理されていく。


 その直後、別の文面が一行だけ流れた。


『オルタイト保有者の戦闘能力は有用』


 ミュラーの目が細くなった。


 褒めているのに冷たい。人を人として扱わない温度だった。


 最後に、付け足すようにもう一行が落ちる。


『周辺エリア、現在確認中』


 確認中。


 点滅していた《CONFIRMING》は、画面の隅でまだ消えずに残っていた。


 ミュラーは背筋を伸ばしたまま動けなかった。


 勝っている。航路は通った。主力は進んだ。避難艇も動いた。


 それでも、喉の奥に残った一音が、いつまでも消えなかった。

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