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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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96/120

Sky96-英雄の役目~

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 連合軍中央司令本部の作戦会議室は、昼夜の区別が薄い場所だった。

 壁一面のモニターには帝国空域の宙域図が映し出され、青白いホログラムが長い会議卓の上に浮かんでいる。そこに表示された赤と青の識別光は、基地、補給線、迎撃可能範囲、そして投入予定部隊を、ひどく整った記号に変えていた。

 画面を囲むように、各方面軍の司令官、副司令官、作戦参謀たちが座っている。誰も声を荒げない。誰も拳を握らない。戦争の次の手順を決める場にあるのは、怒りでも恐怖でもなく、疲れ切った合理性だけだった。


「次の大規模作戦に、REDROSEを投入します」


 作戦本部長のタイザー大佐が、端末の資料を指でスクロールしながら告げた。

 表示された作戦名の下に、目標地点が現れる。


 帝国空域。

 オルディア南西部補給基地。

 大規模攻撃作戦。


 補給基地周辺の爆撃が失敗すれば、今後の戦地侵攻に大きな支障が出る。帝国側の補給線を断てなければ、前線はさらに長引き、避難船団の移送ルートにも影響が出る。資料にはそう書かれていた。

 間違ってはいない。だからこそ、会議室の空気は重く、誰も簡単には反論しなかった。


「今回の作戦では、ご承知のとおり、REDROSEを中心地の空爆には参加させません。配置は郊外空域です」


 イルは司令官の隣の席に座り、数字の羅列された資料に目を落としていた。その指が、端末の上で止まる。

 彼はゆっくりと顔を上げ、対角にいるタイザーを見た。


「郊外。囮にでも使うのかね。連合軍の象徴を」


 タイザーは一瞬だけ止まった。

 しかしすぐに背を正し、会議室全体へ向けて説明を続ける。


「REDROSEは現在、帝国軍の捕獲対象になっています。REDROSEが出れば、帝国側は必ずそちらに戦力を割くでしょう。その隙に、主力部隊で補給基地を落とす。それが今回の骨子です」


 ホログラムの宙域図が切り替わる。

 補給基地。

 郊外空域。

 主力侵攻ルート。

 REDROSE配置予測。


 赤い識別光が、敵の迎撃予測線を引き寄せるように置かれていた。


「REDROSEは簡単には落ちません」

 タイザーは言った。

 その口調には、現場を潜り抜けてきた軍人の自信があった。恰幅の良い身体を会議卓に向け、彼は一人一人の反応を確かめるように視線を巡らせる。


「帝国側がREDROSEへ食いつけば、その間に主力で基地を落とせる。中立圏向けの映像としても悪くありません。連合の英雄が、帝国軍を押し返す。民衆には分かりやすい」


「……ゼルンハイトの若い士官が、ノーザンクロスで苦言を呈したそうです」

 イルが静かに言った。

「“汚れ役を空に上げる気か”と」


 会議室の空気が、一瞬だけ止まった。

 タイザーは鼻で笑う。

「中立国らしい綺麗事ですな」


「世論が怖いと、また言われますぞ」

 誰かが乾いた笑いを漏らした。

 それに合わせるように、別の誰かが小さく息を吐く。笑い声はすぐに消えた。残ったのは、そう言いながら誰も本当に笑ってはいない、冷えた空気だった。


 タイザーは端末を閉じ、椅子に深く背を預けた。

「なら、REDROSEには連合軍の英雄として役に立ってもらいましょう」


 その言葉は、会議室の中央へ静かに落ちた。誰もすぐには否定しなかった。

 否定しないことが、承認に変わっていく。


「ミュラー中尉が先日、皇太子機を負傷させた。ブラック・ランスは今回の作戦には出られまい」

 別の参謀が言うと、ホログラムの表示がまた変わった。敵主力の予測配置がずれる。

 そこに、REDROSEを示す赤い点が置かれた。

 あまりにもきれいな位置だった。

 敵を引きつけ、主力を通すために、ちょうどいい位置。

 映像に残すにも、ちょうどいい位置。


「なるほど。綺麗だ」

 誰かがそう呟いた。


 その“綺麗”という言葉だけが、イルの耳に妙に残った。

 綺麗な作戦。

 綺麗な配置。

 綺麗な映像。

 そうして整えられたものの中心に、一人の少女がいる。


「REDROSEが落ちない保証は?」

 イルの問いに、タイザーは少しだけ笑った。

 その笑みには、苛立ちも不安もなかった。ただ、当然のことを確認されているという程度の色しかない。


「落ちませんよ」

「……」

「あなた方が一番よく知っているはずだ」

 タイザーはホログラムに映る赤い識別光を見た。


「――あれが、古賀ケイの娘だということを」


 イルの指が止まった。

 会議室の誰も、すぐには口を開かなかった。


 古賀ケイ。


 その名前だけで、空気が変わる。

 白銀の獅子。

 黒い閃光。

 かつて戦争の流れを変えた男。

 そして今、その娘がREDROSEとして空を飛んでいる。


「帝国が欲しがるのも当然だ」

 タイザーは続けた。

「連合にとっても、あれは象徴です」


 会議室の中で、その言葉だけが静かに確定していく。

 象徴。戦力。英雄。

 そこに、古賀あすみという名前はなかった。


 *



 その決定は、三十分後、ノーザンクロスの作戦会議室に“承認済み作戦案”として降りてきた。


 発進灯の白が格納庫の奥で揺れたまま、ミュラーは会議区画へ向かった。

 さっき見た手順の手が、まだ瞼の裏に残っている。指先が迷わず次へ送っていく感触だけが、胸の内側を擦っていた。

 会議室の扉は半開きだった。中は妙に静かで、外の足音や怒声が壁一枚で切り落とされている。静かすぎるぶん、端末のファンの回転音と、椅子の脚が床を擦る小さな音がやけに目立った。


 ミュラーは壁際の席に立ったまま、入室の手順に従って無言で端末を開いた。

 誰も彼に発言の番を用意していない。

 それが分かる空気だった。


 正面のモニターに、中央司令本部からの回線が立ち上がる。

 映るのはホルストの顔と、少し後ろの影の位置にいるイルだった。照明が落ち着きすぎていて、あちら側の空気だけ別物に見える。


 ラナ艦長は、会議卓の端に肘を置き、指先でペンをゆっくり回していた。

 回しているのに、目は一度も泳がない。

 胸の奥で怒りを燃やしている人間の静けさだった。


「現状を整理する」


 ホルストが先に口を開く。

 声は低く、滑らかだった。滑らかだから余計に冷える。


「ブライトン暗殺以降、世論は“抑止”を求めている。こちらが一歩でも引けば、次は地球側の都市が燃える」


 言葉は強いのに、言い方は淡々としている。

 火を扱う人間の温度ではない。数字を扱う人間の温度だった。


 イルが補足する。

 机上の紙を一枚めくる音だけが、やけに大きい。


「短期戦果の最大化は、長期の被害を抑えるための前提条件です。今回の大規模作戦は“見せる”必要がある。敵の補給線を断ち、前線を押し戻す。ここで躊躇すれば、避難船団の移送ルートそのものが崩壊します」


 必要がある。

 前提条件。

 言い換えれば、誰かが折れることも計算の中に入っている。


 ラナはペンの回転を止めた。


「で」


 短く言った。


「それを誰にやらせるつもり?」


 ホルストが一拍置く。

 遠隔の映像の中で、口角だけが僅かに上がった。説得の表情だった。


「REDROSEを中心に組む。成功率が一番高い。実績もある。――君の艦が抱えている避難民を守るためにも、最短で火種を潰す必要がある」


 必要。

 最短。

 成功率。

 綺麗な言葉ほど、誰かの血の色を薄くする。


 ラナはペンを机に置いた。

 置く音が、乾いた。


「REDROSEって呼ぶの、やめなさい」


 ラナの声は大きくない。

 大きくないのに、会議室の空気が一段沈んだ。


「古賀あすみよ。人間。あなた達の“抑止の看板”でも、“世論の鎮痛剤”でもない」


 ホルストが眉を寄せる。

 言葉を挟もうとする前に、ラナが続けた。


「勝つために人を切るのは、分かるわ。戦争だから。――でもね、あなた達は“切り方”が綺麗すぎるの」


 ラナの目が、モニターの端末表示へ一度だけ落ちる。

 そこには任務計画が並んでいた。

 チェックボックス。

 タイムライン。

 投入順。

 回収計画。


「“最適化”。“出撃ウィンドウ”。“回収可能な状態を維持”。……その言い回し」


 ラナはペンで画面を指した。

 刺す、というより撃つ仕草だった。


「人を、兵器のように扱う言葉で整えるな。整えた瞬間に、壊していいものに変わる」


 イルが静かに返す。

 反論というより、現実の提示だった。


「艦長。言葉を変えても現実は変わりません。戦力が足りない。避難民の保護ラインを維持するには、ここで敵の拠点を削る必要がある」


 ホルストが頷く。


「抑止は“見せる”ことで成立する。こちらが躊躇しないと示せば、敵の次の一手が鈍る。結果として子どもが助かる」


 子どもが助かる。誰も反対できないカードを、さらりと出す。


 ミュラーの奥歯が噛み合った。

 反論の論理はある。別案もある。だが、この会議は論理の勝負ではない。温度の勝負だ。

 そしてこの部屋の温度は、中央司令本部側が握っている。


「……全部まとめてREDROSEに乗せるつもりか」

 ミュラーの声は低かった。

 低すぎて、最初は誰に向けた言葉なのか分からないほどだった。

 けれど、会議室にいた全員が聞いた。


 ホルストは画面の向こうで、わずかに視線を動かす。

「戦争とはそういうものです、中尉」


 その一言で、ミュラーの中の何かがさらに深く沈んだ。

「REDROSEが落ちない保証は?」


 会議室が静かになる。

 ホルストではなく、画面の奥に控えていた本部参謀が口を開いた。中央で作戦案をまとめたタイザー大佐だった。

「落ちませんよ」彼は少しだけ笑った。


 ラナの表情が、ほんの少しだけ硬くなった。

 ミュラーは何も言わなかった。ラナは背もたれに一度だけ体重を預けた。

 それから、前へ戻る。戻る動きが速い。

「助かる、って言ったわね」


 声が低くなる。

 怒鳴らない。怒鳴らないから、刃になる。


「じゃあ聞く。あなた達は、古賀あすみが壊れた後も“助かる”って言い続けられる? 壊れたら次のカードを切るんでしょう。次は誰? REDROSEの次に名前を消すのは、どの子?」


 ホルストの表情がわずかに固まる。イルが言葉を選ぶ間が見える。

 その間が、ラナには許せない。


 ラナは机に手を置いた。掌が静かに沈む。その仕草だけで、ミュラーには分かった。

「いい?」

 ラナが一語ずつ落とす。

「古賀あすみを“最適解”として出すなら、条件を付ける。情報を伏せるな。座標を“きれいに”渡すな。確認を省略させるな。報告をログ読みの温度にするな」


 会議室が、さらに静かになる。静けさの中で、誰かの喉が鳴る音が聞こえた。


「それが守れないなら――」

 ラナの視線がホルストを射抜く。

「この艦は、あなた達の都合のために“子どもを燃やす装置”にはならない」


 ホルストが息を吐き、言い方を変える。交渉の声だった。


「艦長、感情で――」

「感情じゃない。線引きよ」

 ラナが即座に切る。


「私は“保つ”ためにここにいる。勝つために壊すのは簡単。保つのは、ずっと難しい」


 イルが小さく頷き、冷静なまま譲歩の形を作った。

「……条件の一部は受け入れる。だが作戦自体は必要だ。投入は避けられない」


 結局、そこだった。理解している大人がいるのに、止まらない。

 ミュラーは拳を握った。

 握った拳を見られないように、机の影に隠す。自分の怒りをここに落としたら負けると分かっていた。


 ラナの表情は変わらない。

 変わらないまま、目だけが細くなる。


「……分かった。じゃあ“きれいな手順”で決めて。あなた達が得意なやつで」

 皮肉が混じる。

 混じるのに、声は揺れない。


 ホルストが端末を操作する。画面に項目が並ぶ。

 隊の投入順。

 任務割り当て。

 回収計画。想定損耗。

 チェック、チェック、チェック。


 その並び方が、捕獲ログと同じ匂いをしていた。

 落とすな、ではない。

 壊しすぎるな。

 撃て、ではない。

 運べる形を維持。


 ミュラーの胃が締まる。気持ち悪いほど整っている。

 そして、最後の確定が出る。

 モニターの片隅に、無機質な表示が点灯した。


 REDROSE : DEPLOY

 MISSION : LARGE SCALE

 LAUNCH WINDOW : SCHEDULED


 ラナはその表示を見て、瞬きもせずに言った。

「……だから、名前で呼べって言ってるのに」


 誰も返せない。

 返したら、自分の手で枠を確定させたことを認めることになる。


 会議が終了する。

 回線が切れる前、ホルストの声だけが最後に残った。

「成功させろ。――世論が見ている」

 画面が暗転する。

 暗転したモニターに、自分達の顔が薄く映った。


 ラナは立ち上がる。椅子の脚が床を擦り、音が伸びる。

 その背中は、勝つ人の背中じゃない。保つ人の背中だった。

 なのに、今日も勝つための手順が増えていく。


 ミュラーは一拍遅れて立った。

 胸の奥で、さっきの無機質な表示が何度も点滅している。


 DEPLOY。


 まるで、人じゃなく枠を動かすみたいに。



 会議室の扉が閉まる直前まで、室内の空気は“正しい結論”の温度のままだった。

「……以上で終わりです」

 議長席の声が落ちる。資料が閉じられる音。端末をロックする指。椅子が引かれる擦過音。

 ミュラーは礼も返さず、先に扉へ向かった。返した瞬間に、何かが割れる気がした。


 扉の外の廊下は、会議室の温度より少しだけ冷たい。蛍光灯の白が均一すぎて、目が痛む。


 廊下の端に、見慣れない背があった。シュタイナーだった。

 壁際に立ち、片手で端末を握りしめたまま、もう片方の手で何かを打ちかけている。打ちかけて、止める。画面を 見て、息だけを吐く。待っている人間の姿だった。

 迎え待ちか、回線待ちか。どちらにせよ、会議の中には入れない位置にいる。


 扉が開く音で、シュタイナーの視線が上がった。そこに、ミュラーの顔が通る。


 ほんの一瞬。ミュラーの目が、誰にも向いていない目だった。

 怒りでも諦めでもなく、どちらにも振り切れないまま硬く固まった目。

 シュタイナーの指が止まった。端末の縁を押さえる親指が、僅かに白くなる。


 ミュラーは何も言わず、通り過ぎた。靴音だけが、等間隔で廊下に落ちていく。

 会議室の扉が、背後でカチリと閉まった。

 その音が合図みたいに、ミュラーの肩が一段だけ落ちる。


 角を曲がった先は、小さな待機スペースだった。

 壁沿いに簡易椅子が並び、補給箱が積まれている。通路の吹き溜まりみたいな場所。

 そこまで来て、ミュラーは足を止めた。


 息を吸う。

 吸ったはずなのに、肺まで入らない。

 次の瞬間、腹の底から声が落ちた。


「クソが!」


 叫びというより、吐き捨てだった。

 ミュラーは一歩踏み込み、足元の簡易椅子を見た。背もたれの低い、軽い椅子。逃げ道みたいに並べられた、誰の怒りも受け止める気のない椅子だった。


 それが、いちばん腹が立った。ミュラーは迷わず脚を振り抜いた。

 ブーツの先が椅子の脚を捉え、椅子は乾いた音を立てて蹴り上がる。床を跳ね、半回転して、壁際の補給箱にぶつかった。

 ガン、と鈍い衝撃が響く。

 金具が鳴って、箱の上のファイルが散った。


 空気が一瞬だけ止まる。止まったのは椅子じゃない。

 ミュラーの呼吸のほうだった。


 分かっている。足りないのも、世論も、数字も。

 全部、分かっている。


 でも、あの出し方は。


 蹴った脚が、わずかに震えている。

 ミュラーはそれを見ないふりをして、拳を開いて閉じた。握りしめる先が見つからない手つきだった。


 角の向こうで、靴音が止まった。


 シュタイナーが、そこにいた。

 廊下の角から半歩だけ覗いた位置。入ってこない。止めに来ない。ただ、反射で一歩踏み出した名残みたいに、つま先だけがこちらを向いている。


 シュタイナーの表情は、読みづらい。怯えでも軽蔑でもない。

 見てしまった顔だった。


 ミュラーは視線を上げた。目が合う。合ってしまう。

 ミュラーは何も言わなかった。

 言えば、怒りが言葉になってしまう。言葉になったら、誰かに渡ってしまう。

 シュタイナーも、何も言わなかった。

 言えば、この怒りを利用する側になる気がしたからだ。


 その沈黙を割ったのは、人の声ではなく、天井のスピーカーだった。


『管制より全区画。REDROSE、次作戦ブリーフィング前倒し。関係者、至急集合。繰り返す――』


 前倒し。その二文字が、ミュラーの怒りを宙に浮かせたまま、別の場所へ引きずっていく。


 ミュラーは散ったファイルにも、倒れた椅子にも手を伸ばさなかった。

 殴った拳を一度だけ振る。痛みを散らすみたいに。表情はもう固い。

 固くしておかないと歩けない。


 シュタイナーは退かなかった。道を塞ぎもしない。

 ただ、ミュラーが通り過ぎる瞬間、視線だけが一度だけ揺れた。声にはしない揺れだった。


 ミュラーはすれ違いざまに、短く息を吐いた。

 謝りでも礼でもない。ただの呼吸。

 怒りは置き場を失ったまま、胸の奥でまだ燃えている。

 でも次のアラートが、ミュラーを現場へ戻す。


 歩き出す背中の後ろで、シュタイナーは動かないまま、端末の画面を暗くした。

 暗い画面に映る自分の顔が、少しだけ硬い。


 ――見なかったことにしない。


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