Sky96-英雄の役目~
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
NTO中央司令本部の作戦会議室は、昼夜の区別が薄い場所だった。
壁一面のモニターには帝国空域の宙域図が映し出され、青白いホログラムが長い会議卓の上に浮かんでいる。そこに表示された赤と青の識別光は、基地、補給線、迎撃可能範囲、そして投入予定部隊を、ひどく整った記号に変えていた。
画面を囲むように、各方面軍の司令官、副司令官、作戦参謀たちが座っている。誰も声を荒げない。誰も拳を握らない。戦争の次の手順を決める場にあるのは、怒りでも恐怖でもなく、疲れ切った合理性だけだった。空調の音が低く、椅子の革が軋む音だけが時折こぼれる。誰かが咳払いを飲み込み、誰かが指先で机を一度だけ叩いた。
「次の大規模作戦に、REDROSEを投入します」
作戦本部長のタイザー大佐が、端末の資料を指でスクロールしながら告げた。
表示された作戦名の下に、目標地点が現れる。
帝国空域。
オルディア南西部補給基地。
大規模攻撃作戦。
補給基地周辺の爆撃が失敗すれば、今後の戦地侵攻に大きな支障が出る。帝国側の補給線を断てなければ、前線はさらに長引き、避難船団の移送ルートにも影響が出る。資料にはそう書かれていた。
間違ってはいない。だからこそ、会議室の空気は重く、誰も簡単には反論しなかった。
「今回の作戦では、ご承知のとおり、REDROSEを中心地の空爆には参加させません。配置は郊外空域です」
イルは司令官の隣の席に座り、数字の羅列された資料に目を落としていた。その指が、端末の上で止まる。
彼はゆっくりと顔を上げ、対角にいるタイザーを見た。
「郊外。囮にでも使うのかね。NTOの象徴を」
タイザーは一瞬だけ止まった。しかしすぐに背を正し、会議室全体へ向けて説明を続ける。
「REDROSEは現在、帝国軍の捕獲対象になっています。REDROSEが出れば、帝国側は必ずそちらに戦力を割くでしょう。その隙に、主力部隊で補給基地を落とす。それが今回の骨子です」
ホログラムの宙域図が切り替わる。
補給基地。
郊外空域。
主力侵攻ルート。
REDROSE配置予測。
赤い識別光が、敵の迎撃予測線を引き寄せるように置かれていた。
「REDROSEは簡単には落ちません」
タイザーは言った。
その口調には、現場を潜り抜けてきた軍人の自信があった。恰幅の良い身体を会議卓に向け、彼は一人一人の反応を確かめるように視線を巡らせる。
「帝国側がREDROSEへ食いつけば、その間に主力で基地を落とせる。中立圏向けの映像としても悪くありません。NTOの英雄が、帝国軍を押し返す。民衆には分かりやすい」
イルは、息を吐くと、タイザーの顔を見た。
「ゼルンハイトの若い士官が、ノーザンクロスで苦言を呈したそうだな」
イルが静かに言った。
「〝汚れ役を空に上げる気か〟と」
会議室の空気が、一瞬だけ止まった。
タイザーは鼻で笑う。
「中立国らしい綺麗事ですな」
「世論が怖いと、また言われますぞ」
誰かが乾いた笑いを漏らした。
それに合わせるように、別の誰かが小さく息を吐く。笑い声はすぐに消えた。残ったのは、そう言いながら誰も本当に笑ってはいない、冷えた空気だった。
タイザーは端末を閉じ、椅子に深く背を預けた。
「なら、REDROSEにはNTOの英雄として役に立ってもらいましょう」
その言葉は、会議室の中央へ静かに落ちた。誰もすぐには否定しなかった。
否定しないことが、承認に変わっていく。
「ミュラー中尉が先日、オルテアの皇太子機を負傷させた。ブラック・ランスは今回の作戦には出られまい」
別の参謀が言うと、ホログラムの表示がまた変わった。敵主力の予測配置がずれる。
そこに、REDROSEを示す赤い点が置かれた。
あまりにもきれいな位置だった。敵を引きつけ、主力を通すために、ちょうどいい位置。
映像に残すにも、ちょうどいい位置。
「なるほど。綺麗だ」
誰かがそう呟いた。
その〝綺麗〟という言葉だけが、イルの耳に妙に残った。
綺麗な作戦。
綺麗な配置。
綺麗な映像。
そうして整えられたものの中心に、一人の軍人がいる。
「REDROSEが落ちない保証は?」
イルの問いに、タイザーは少しだけ笑った。
その笑みには、苛立ちも不安もなかった。ただ、当然のことを確認されているという程度の色しかない。
「落ちませんよ。あなた方が一番よく知っているはずだ」
タイザーはホログラムに映る赤い識別光を見た。
「――あれが、ケイ・レイナーの娘だということを」
イルの指が止まった。会議室の誰も、すぐには口を開かなかった。
ケイ・レイナー。
その名前だけで、空気が変わる。
黒い閃光。かつて戦争の流れを変えた男。
そして今、その娘がREDROSEとして空を飛んでいる。
「帝国が欲しがるのも当然だ」
タイザーは続けた。
「NTOにとっても、あれは象徴です」
会議室の中で、その言葉だけが静かに確定していく。
象徴。戦力。英雄。そこに、アスミ・レイナーという名前はなかった。
*
その決定は、三十分後、ノーザンクロスの作戦会議室に〝承認済み作戦案〟として降りてきた。
発進灯の白が格納庫の奥で揺れたまま、ミュラーは会議区画へ向かった。
さっき見た手順の手が、まだ瞼の裏に残っている。指先が迷わず次へ送っていく感触だけが、胸の内側を擦っていた。
会議室の扉は半開きだった。中は妙に静かで、外の足音や怒声が壁一枚で切り落とされている。静かすぎるぶん、端末のファンの回転音と、椅子の脚が床を擦る小さな音がやけに目立った。
ミュラーは壁際の席に立ったまま、入室の手順に従って無言で端末を開いた。
誰も彼に発言の番を用意していない。それが分かる空気だった。
正面のモニターに、中央司令本部からの回線が立ち上がる。
映るのはホルストの顔と、少し後ろの影の位置にいるイルだった。照明が落ち着きすぎていて、あちら側の空気だけ別物に見える。
ラナは、会議卓の端に肘を置き、指先でペンをゆっくり回していた。
回しているのに、目は一度も泳がない。胸の奥で怒りを燃やしている人間の静けさだった。
「現状を整理する」
ホルストが先に口を開く。
声は低く、滑らかだった。滑らかだから余計に冷える。
「ブライトン暗殺以降、世論は〝抑止〟を求めている。こちらが一歩でも引けば、次はインシオン側の都市が燃える」
言葉は強いのに、言い方は淡々としている。
火を扱う人間の温度ではない。数字を扱う人間の温度だった。
イルが補足する。机上の紙を一枚めくる音だけが、やけに大きい。
「短期戦果の最大化は、長期の被害を抑えるための前提条件だ。今回の大規模作戦は〝見せる〟必要がある。敵の補給線を断ち、前線を押し戻す。ここで躊躇すれば、避難船団の移送ルートそのものが崩壊する」
必要がある。
前提条件。
言い換えれば、誰かが折れることも計算の中に入っている。
ラナはペンの回転を止めた。
「で」
短く言った。
「それを誰にやらせるつもり?」
ホルストが一拍置く。遠隔の映像の中で、口角だけが僅かに上がった。説得の表情だった。
「REDROSEを中心に組む。成功率が一番高い。実績もある。最短で火種を潰す必要がある」
必要。
最短。
成功率。
綺麗な言葉ほど、誰かの血の色を薄くする。
ラナはペンを机に置いた。置く音が、乾いた。
ラナは、声を出す前に一度だけ息を止めた。喉の奥で言葉を選び、それから静かに吐き出す。
「REDROSEって呼ぶの、やめなさい」
ラナの声は大きくない。大きくないのに、会議室の空気が一段沈んだ。
「アスミ・レイナーよ。人間。あなた達の〝抑止の看板〟でも、〝世論の鎮痛剤〟でもない」
ホルストが眉を寄せる。言葉を挟もうとする前に、ラナが続けた。
「勝つために人を切るのは、分かるわ。戦争だから。でも、NTOは〝切り方〟が綺麗すぎる」
ラナの目が、モニターの端末表示へ一度だけ落ちる。そこには任務計画が並んでいた。
チェックボックス。
タイムライン。
投入順。
回収計画。
「〝最適化〟。〝出撃ウィンドウ〟。〝回収可能な状態を維持〟。……その言い回し」
ラナはペンで画面を指した。刺す、というより撃つ仕草だった。
「人を、兵器のように扱う言葉で整えるな。整えた瞬間に、壊していいものに変わる」
イルが静かに返す。反論というより、現実の提示だった。
「ラナ。言葉を変えても現実は変わらない。戦力が足りない。避難民の保護ラインを維持するには、ここで敵の拠点を削る必要がある」
ホルストが頷く。
「抑止は〝見せる〟ことで成立する。こちらが躊躇しないと示せば、敵の次の一手が鈍る。結果として子どもが助かる」
子どもが助かる。誰も反対できないカードを、さらりと出す。
ミュラーの奥歯が噛み合った。反論の論理はある。別案もある。だが、この会議は論理の勝負ではない。温度の勝負だ。そしてこの部屋の温度は、中央司令本部側が握っている。
「……全部まとめてREDROSEに乗せるつもりか」
ミュラーの声は低かった。低すぎて、最初は誰に向けた言葉なのか分からないほどだった。
けれど、会議室にいた全員が聞いた。
ホルストは画面の向こうで、わずかに視線を動かす。
「戦争とはそういうものだ、中尉」
その一言で、ミュラーの中の何かがさらに深く沈んだ。
「REDROSEが落ちない保証は?」
会議室が静かになる。
ホルストではなく、画面の奥に控えていた本部参謀が口を開いた。中央で作戦案をまとめたタイザー大佐だった。
「落ちませんよ」
彼は少しだけ笑った。
ラナの表情が、ほんの少しだけ硬くなった。
ミュラーは何も言わなかった。ラナは背もたれに一度だけ体重を預けた。
それから、前へ戻る。戻る動きが速い。
「助かる、って言ったわね」
声が低くなる。怒鳴らない。怒鳴らないから、刃になる。
ラナの指先が、机の縁を強く押さえた。爪の白さが、その圧の強さを物語っていた。
「じゃあ聞く。あなた達は、アスミ・レイナーが壊れた後も〝助かる〟って言い続けられる? 壊れたら次のカードを切るんでしょう。次は誰? REDROSEの次に名前を消すのは、どのパイロット?」
ホルストの表情がわずかに固まる。イルが言葉を選ぶ間が見える。
その間が、ラナには許せない。
ラナは机に手を置いた。掌が静かに沈む。その仕草だけで、ミュラーには分かった。
「いい?」
ラナが一語ずつ落とす。
「アスミを〝最適解〟として出すなら、条件を付ける。情報を伏せるな。座標を〝きれいに〟渡すな」
会議室が、さらに静かになる。静けさの中で、誰かの喉が鳴る音が聞こえた。
「それが守れないなら――」
ラナの視線がホルストを射抜く。
「この艦は、あなた達の都合のために〝パイロットを燃やす装置〟にはならない」
ホルストが息を吐き、言い方を変える。交渉の声だった。
「艦長、感情で――」
「感情じゃない。線引きよ」
ラナが即座に切る。
「私は〝保つ〟ためにここにいる。勝つために壊すのは簡単。保つのは、ずっと難しい」
イルが小さく頷き、冷静なまま譲歩の形を作った。
「……条件の一部は受け入れる。だが作戦自体は必要だ。投入は避けられない」
結局、そこだった。理解している大人がいるのに、止まらない。
ミュラーは拳を握った。
握った拳を見られないように、机の影に隠す。自分の怒りをここに落としたら負けると分かっていた。
ラナの表情は変わらない。
変わらないまま、目だけが細くなる。
「……分かった。じゃあ〝きれいな手順〟で決めて。あなた達が得意なやつで」
皮肉が混じる。
混じるのに、声は揺れない。
ホルストが端末を操作する。画面に項目が並ぶ。
隊の投入順。任務割り当て。回収計画。想定損耗。チェック、チェック、チェック。
その並び方が、捕獲ログと同じ匂いをしていた。
落とすな、ではない。壊しすぎるな。撃て、ではない。運べる形を維持。
ミュラーの胃が締まる。気持ち悪いほど整っている。
そして、最後の確定が出る。
モニターの片隅に、無機質な表示が点灯した。
REDROSE:DEPLOY
MISSION:LARGE SCALE
LAUNCH WINDOW:SCHEDULED
ラナはその表示を見て、瞬きもせずに言った。
「……だから、名前で呼べって言ってるのに」
誰も返せない。返したら、自分の手で枠を確定させたことを認めることになる。
会議が終了する。回線が切れる前、ホルストの声だけが最後に残った。
「成功させろ。――世論が見ている」
画面が暗転する。
暗転したモニターに、自分達の顔が薄く映った。
ラナは立ち上がる。椅子の脚が床を擦り、音が伸びる。
その背中は、勝つ人の背中じゃない。保つ人の背中だった。なのに、今日も勝つための手順が増えていく。
ミュラーは遅れて立った。
胸の奥で、さっきの無機質な表示が何度も点滅している。
DEPLOY。
まるで、人じゃなく枠を動かすみたいに。
会議室の扉が閉まる直前まで、室内の空気は〝正しい結論〟の温度のままだった。
「……以上で終わりです」
議長席の声が落ちる。資料が閉じられる音。端末をロックする指。椅子が引かれる擦過音。
ミュラーは礼も返さず、先に扉へ向かった。返した瞬間に、何かが割れる気がした。
扉の外の廊下は、会議室の温度より少しだけ冷たい。蛍光灯の白が均一すぎて、目が痛む。
廊下の端に、シュタイナーが立っていた。壁際に立ち、片手で端末を握りしめたまま、もう片方の手で何かを打ちかけている。打ちかけて、止める。画面を見て、息だけを吐く。
扉が開く音で、シュタイナーの視線が上がった。そこに、ミュラーの顔が通る。
ほんの一瞬、シュタイナーの指が止まった。端末の縁を押さえる親指が、僅かに白くなる。
ミュラーは何も言わず、通り過ぎた。靴音だけが、等間隔で廊下に落ちていく。
会議室の扉が、背後でカチリと閉まった。
その音が合図みたいに、ミュラーの肩が一段だけ落ちる。
角を曲がった先は、小さな待機スペースだった。
壁沿いに簡易椅子が並び、補給箱が積まれている。通路の吹き溜まりみたいな場所。
そこまで来て、ミュラーは足を止めた。
心臓が、耳の奥で鳴っているように速い。視界の端が、熱を持ったように滲む。
息を吸う。
吸ったはずなのに、肺まで入らない。喉の奥が、焼けるように狭くなっていた。
次の瞬間、腹の底から声が落ちた。
「クソが!」
叫びというより、吐き捨てだった。
ミュラーは一歩踏み込み、足元の簡易椅子を見た。背もたれの低い、軽い椅子。逃げ道みたいに並べられた、誰の怒りも受け止める気のない椅子だった。
それが、いちばん腹が立った。ミュラーは迷わず脚を振り抜いた。
ブーツの先が椅子の脚を捉え、椅子は乾いた音を立てて蹴り上がる。床を跳ね、半回転して、壁際の補給箱にぶつかった。
ガン、と鈍い衝撃が響く。
金具が鳴って、箱の上のファイルが散った。
空気が一瞬だけ止まる。止まったのは椅子じゃない。ミュラーの呼吸のほうだった。
分かっている。足りないのも、世論も、数字も。全部、分かっている。でも、あの出し方は。
蹴った脚が、わずかに震えている。
ミュラーはそれを見ないふりをして、拳を開いて閉じた。握りしめる先が見つからない手つきだった。
角の向こうで、靴音が止まった。廊下の空調が、低く一定の音を続けている。
シュタイナーが、そこにいた。
廊下の角から半歩だけ覗いた位置。入ってこない。止めに来ない。ただ、反射で一歩踏み出した名残みたいに、つま先だけがこちらを向いている。
シュタイナーの表情は、読みづらい。怯えでも軽蔑でもない。
ミュラーは視線を上げた。目が合う。ミュラーは何も言わなかった。
言えば、怒りが言葉になってしまう。言葉になったら、誰かに渡ってしまう。
シュタイナーも、何も言わなかった。
言えば、この怒りを利用する側になる気がしたからだ。
二人の間の空間には、廊下の白い灯りだけが均一に落ちていた。その沈黙を割ったのは、人の声ではなく、天井のスピーカーだった。
《管制より全区画。REDROSE、次作戦ブリーフィング前倒し。関係者、至急集合。繰り返す――》
前倒し。その二文字が、ミュラーの怒りを宙に浮かせたまま、別の場所へ引きずっていく。
ミュラーは散ったファイルにも、倒れた椅子にも手を伸ばさなかった。
殴った拳を一度だけ振る。痛みを散らすみたいに。表情はもう固い。
固くしておかないと歩けない。
シュタイナーは退かなかった。道を塞ぎもしない。
ただ、ミュラーが通り過ぎる瞬間、視線だけが一度だけ揺れた。声にはしない揺れだった。
ミュラーはすれ違いざまに、短く息を吐いた。
謝りでも礼でもない。ただの呼吸。
怒りは置き場を失ったまま、胸の奥でまだ燃えている。
でも次のアラートが、ミュラーを現場へ戻す。
歩き出す背中の後ろで、シュタイナーは動かないまま、端末の画面を暗くした。
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