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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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95/125

Sky95-誇りたいもの-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 管制システム課のモニターの隅では、未処理の数字が増えるたびに小さな通知音が鳴って、鳴って、鳴り止まない。白い照明が天井から均一に落ち、空調の乾いた風がラックの隙間を抜けていく。モニターの熱が、狭い島の空気をわずかに押し上げていた。

 ジョンは椅子の背にもたれず、画面に近いまま手を止めた。

 指先が熱を持っている。キーボードの角が、やけに硬い。

 隣の席ではアンが、いつも通り口だけ荒い顔でログを叩いている。

 怒りを燃料にしているみたいな、あの手の速さ。けれどジョンは、アンの声を〝遠い音〟として聞いていた。

 画面には、別のウィンドウが開いている。

 ――旧版仕様書。ページの端に、見慣れた署名があった。

 《設計責任:――ロイ・ラブラトリー》

 ジョンは一度だけ唾を飲み、スクロールをゆっくり進めた。古い設計思想の欄。そこに短い一文が残っている。

「混線時は救護を最優先とする」

 たったそれだけなのに、胸の奥がきゅっと縮む。

(……誇りたいんだよ、これを)

 父は、アスミの母親が死んだ事件で足に障害を残した。それでも〝現場を嫌いにならない〟人だった。

 歩けなくなった分だけ、頭の中で人を助ける流れを組んで、軍本部のシステム課に残った。誰よりも事故を憎んで、誰よりも「救護が遅れる」ことを嫌った。

 だからこの一文は、父の祈りみたいなものだ。

 ――なのに。

 ジョンは、目の前の現実ログに視線を戻す。救護、戦闘誘導、回収ライン。全部が同時に鳴っている。

 〝混線時は救護を最優先〟。今それを忠実にやれば、戦闘誘導が遅れる。

 遅れれば退避コリドーの計算が狂う。狂えば回収班が遅れる。遅れれば、救護が詰まる。

 正しいはずのものが、別の正しさを殺す。ジョンの指は、変更案の欄を開き、書きかけては止まる。

 カーソルが瞬く。瞬いているだけで、責められている気がした。

「……ジョン?」

 アンが横目で見た。眉を吊り上げたまま、口だけが少し柔らかい。

「顔、死んでる。寝てないでしょ」

 ジョンは笑いそうになって、やめた。口角が上がりきらない。

「寝ると、追いつけない」

「追いつく気あるのが偉いんだって」

 アンはそう言って、またキーボードに戻る。ガチャガチャと音が増える。その〝増える音〟が、ジョンには救いにも焦りにもなる。

 そのとき、画面の端で別のウィンドウが勝手に前に出た。戦闘運用の自動最適化表示。人間の手を待たずに回り続ける、冷たい手順。


 REDROSE:AUTO ROUTE OPTIMIZED

 TIME TO LAUNCH:00:45

 LOADOUT:STANDARD/SAFE-MIN

 PRIORITY:HIGH


 ジョンの胃が、ぎゅっと締まる。喉の奥が渇いて、唾を飲み込む音が自分の耳にだけ大きく響いた。

 REDROSE――アスミ。

 自動最適化。勝手に、最短で、最善で。その〝最善〟の中に、彼女の気配はどこにもない。

 ジョンは、画面を指で押さえた。押さえても何も止まらないのに、押さえずにいられなかった。

 父さんのシステムで、守られてきたのは、お前とカイトだ。アスミが名前じゃなくて、兵器として呼ばれてる。

 カイト、どこにいるんだよ。

 兵器にしないように二人を守るシステムを作った父を、誇りたい。けれど今、同じ仕組みが〝兵器としての最適化〟を先に走らせている。

 背後で椅子が鳴った。誰かが通路を横切る気配。ブーツの音がひとつ、重い。

 ミュラーだった。通りすがりに管制室の奥を覗き、ジョンの画面を一瞬だけ見た。

 ミュラーは何も言わない。眉間だけを少し寄せる。あれは心配でも命令でもない。状況を〝飲み込んだ顔〟だ。

 ジョンが目だけで会釈すると、ミュラーは小さく顎を引いて、そのまま行った。袖口の白銀が、照明に一瞬だけ浮いて、すぐ消える。ジョンは自分の掌を見た。キーボードの跡がうっすら残っている。握っていたわけじゃないのに、力が入っていた。

 父の足は、もう戻らない。父は〝現場に行けない代わりに〟システムで守ろうとしている。

 背筋を、冷たい汗が一筋伝った。ジョンは、その父の一文を画面の片隅に残したまま、ログ保存のコマンドを叩いた。保存音が小さく鳴る。

 たったそれだけの音が、今夜はやけに重い。

 どうすれば、守れる。何を切れば、助かる。誰を後回しにすれば、誰が生き残る。そんな計算をするために、父はこのシステムを作ったんじゃない。

 それでもジョンは、手を止められなかった。止めた瞬間、誰かが死ぬ。モニターの隅で、REDROSEのカウントが淡々と減っていく。

 00:31

 00:30

 ジョンは、息を殺してキーを叩いた。

「……ごめん、アスミ」

 声は、ファンの唸りに沈んだ。


 *


 格納庫は、いつも通りの匂いをしていた。冷却剤の霧が薄く漂い、金属と油の匂いが喉の奥に残る。整備灯の白が機体の腹を照らし、工具の音がリズムみたいに重なる。台車の車輪が床の継ぎ目を跨ぐたび、小さな衝撃音が反響していた。誰かの笑い声が、天井の高い空間に一瞬だけ伸びて消える。

「各機、チェックシート回してー。今日もいつも通り、壊すなよー」

 整備主任が怒鳴る。怒鳴り方が、怒っていない。号令の音だ。

 セリが返事を投げる。

「了解了解。俺は〝優しく〟飛ぶタイプなんで」

 軽口。笑い声が一瞬だけ起きる。でも、その笑いの中に混じる息が薄い。セリの笑いは支えじゃない。摩耗を先送りするための癖だ。ミュラーはそれを見て、少しだけ胃が締まった。

 アスミも笑っている。ヘルメットを抱えたまま、整備員の指示を一つずつ復唱する。

「REDROSE、燃料系統、正常。推進、正常。姿勢制御、正常。チェック、完了」

 声は一定。無駄な揺れがない。

 〝人の声〟というより、ログの読み上げに近い。

 ミュラーは自分の機体の前で、グローブを締めた。指先の感覚を確かめる。

 整備班が叫ぶ。

「REDROSE、発進レーンへ移動! 次、Alpha2、続け!」

「はい」

 セリが手を挙げて歩き出す。


 *


 宙域。管制の声が、いつもの速度で落ちる。

 《目標区域、表示。赤点、三。砲座、車列、通信塔。順に消して。残ったら、後処理まで》

 アスミの声が返る。一定の温度で、淡々と。

 《REDROSE、第一目標――沈黙させます》

 モニターの地形図で、赤い点が三つ灯っていた。砲座、車列、通信塔。

 次の瞬間、画面が揺れた。閃光は一瞬で、残るのは〝消える〟方だった。赤い点が一つ消える。二つ消える。三つ目が消える。

 アスミの声が、同じ温度で続く。

 《第二目標、消失確認。第三目標――消失確認。……作業、終了》

 〝撃った〟ではない。〝倒した〟でもない。消失確認。作業終了。

 セリの回線が被る。

 《終わったな。帰るぞ》

 その「帰る」が、励ましなのか、自分に言い聞かせているのか。区別がつかないのが、いちばん嫌だった。

 ミュラーは横からその軌道を見ていた。戦術的には完璧だった。無駄がないほど、人間味が削られて見える。

(正確な兵器だな)

 口には出さない。出した瞬間、戻れなくなる気がした。

 ミュラーは、REDROSEの背中を見た。迷いのない軌道。余分な推進も、余分な言葉もない。

 命令を理解し、目標を処理し、帰投する。正しい。あまりにも、正しい。

(レイナー)

 胸の奥で、声にならない声が落ちる。

(そのまま行くな)

 正しく飛べば、褒められる。速く終わらせれば、次も呼ばれる。迷わなければ、誰かが助かる。

 その全部が、本当だから、人はそこへ自分を差し出してしまう。

(お前まで、あの手順の中に入るな)

 ミュラーは奥歯を噛みしめた。

 自分もそうだった。上手く飛べた。正しく撃った。誰かのためだと、言い聞かせた。

 その先で、空から降りられなくなった。

(これ以上、自分を差し出すな)

 REDROSEの誘導灯が、青白く機体の縁をなぞる。

(お前は、まだ人間だろ)

 その言葉だけは、通信に乗せられなかった。


 帰投の灯が点く。発進灯が次の順番を告げるのと同じ無機質さで、帰投が許可される。

 格納庫のカタパルトが動き出す。発進の衝撃が来る前に、ミュラーは短く呟いた。

「……行くぞ」

 返事は、通信の中で重なる。

 いつもの戦争が、何事もなかったみたいに再開した。

 アスミの機体が前へ進む。機体は滑らかだ。迷いがない。

 なのに。ほんの一瞬だけ、背中が固く見えた。

 固いのは装甲じゃない。そこに乗っている〝誰か〟の気配だ。ミュラーは目を細める。見逃すなと、自分に言い聞かせる。


 *


 艦内の医療区画の廊下で、サラとエリンが医療物資の確認をしていた。廊下の照明は白く、消毒液の匂いが薄く漂っている。

 補給が必要な物資や、不足している薬の数をエリンが数えて、サラが端末に入力している。

 通路の奥の方にある待合からTV画面の音が流れてくる。距離があるぶん、音がくぐもって届いた。

 《特集はNTO統合軍、REDROSEの素顔――》

 その声に、サラが端末から顔を上げると、画面の前にシュタイナーが立っているのが見えた。

 画面の映像は見えないが、NTO広告用のアスミの特集が流れているのであろう事は分かった。

「彼は、NTOも戦争も関係なく、アスミちゃんを心配してる一人ね」

 エリンが薬の箱の蓋を開けながら言った。サラはエリンを見てから、またシュタイナーに顔を向ける。

 遠くから見たシュタイナーの表情はよく読み取れはしない。けれど、その表情はサラには覚えがあった。

 ミュラーがヴィーラに乗れなくなっていた頃、隣でただ見ていることしかできなかった、あの時の自分と同じ顔をしている。

「ただ見ているだけで、何もできない時って辛いですよね。辛いのは自分ではないはずなのに」

 サラの言葉に、エリンもシュタイナーを見る。

「……そうね」

 画面越しに映るアスミは、無数の光を浴びながら微笑んでいる。

 NTOの象徴。赤く光るヴィーラ、オルディア人の高適合者。戦果を上げる英雄。

 映画の一場面のように、北方基地での映像が編集されて流されている。

 雪原に咲く、赤い薔薇。REDROSE。

 シュタイナーは、画面に映るアスミの眼差しを、目を逸らさずに真っ直ぐに見つめていた。


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