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SKY  作者: 岩佐知秋
SILVER LION

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94/126

Sky94-倫理と世論-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 ノーザンクロス艦内、会議区画。

 照明は落とされ、壁面のホロ投影だけが青く室内を塗っていた。天井の低いこの部屋は、人数の割に空気が薄く感じられる。艦の微かな振動が床を伝い、誰も口を開かないまま時間だけが進む。

 円卓の端にラナが座っている。肘をついた指先でペンを転がし、表情は崩さない。

 ミュラーは背もたれに深く預けたまま、画面の向こうを見ている。呼吸は静かで、目だけが動かない。

 議題は昨日の帝国からの襲撃を受けての今後の作戦方針だった。

 ホロ画面の中には、NTO上層部の顔が並んでいた。制服の襟章と無表情。言葉だけが整っている。

「――帝国は倫理に反する行為を繰り返している。我々はこれを断固として非難する」

「人体実験の疑いがある以上、国際社会の理解は得られない」

「NTOはあくまで――」

 批判の形を取りながら、実際は結論だけを押し通す速度。誰の視線も、艦内にいるシュタイナーへは向かない。

「――以上を踏まえ、帝国側の人体実験疑惑を国際世論に訴える。同時に、REDROSEの戦線復帰を急がせる必要がある」

 その言葉で、ミュラーの目だけが動いた。

 ラナはペンを止めた。転がっていた黒い軸が、円卓の上で小さく鳴る。

「……確認します」

 ラナの声は静かだった。けれど、艦橋の空調音が一段低く聞こえるほど、部屋の空気が固まった。

「いま、あなた方が非難しているのは、帝国が人間を兵器として扱ったことですか」

 ホロの中の一人が眉をひそめる。

「当然だ」

 ラナは表情を変えない。指先だけで、止めたペンを円卓に置いた。

「では、その直後にレイナー一等兵を戦線へ戻せと言うのは、どういう分類になりますか」

 誰も、すぐには答えなかった。ミュラーは背もたれに沈んだまま、画面を見ていた。

 目だけが、冷えている。ホロの光が、彼の頬に薄く青い影を落とした。

「ラナ艦長」

 上層部の男が、声を硬くする。

「感情論は控えていただきたい」

「感情論ではありません」

 ラナは即座に返した。

「作戦運用上の確認です。帝国の非倫理性を非難するために、こちらの倫理基準をどこまで下げるのか。艦長として、把握しておく必要があります」

 シュタイナーは、背筋を崩さずに座っていた。

 そして、指を組んだまま、口元だけでふっと息を吐くように笑う。

「倫理ですか……世論が大切なのではなく、世論が〝必要〟なのでは?」

 会議室の視線が、一斉にシュタイナーへと向けられた。ホロ画面の向こうでも、何人かが息を止める。

 それでもシュタイナーは、相手から目を逸らさなかった。ほんの一瞬、会議が止まる。

「だから。手は汚さない。汚れ役は空に上げる。帝国が狙っているのを承知で」

「REDROSEという高適合者を」

 言い切った瞬間、室内の空気が薄くなる。

 隣の席で誰かが小さく息を呑んだ。ラナのペンが止まり、指先が一度だけ硬くなる。ミュラーは瞬きもしない。

 画面の中で誰かが口を開きかけ、言葉を飲み込む。

 整った批判の言葉が、机の上で崩れずに残ったまま、宙に浮く。

 シュタイナーの目が怒りを帯びている。しかし口調は平坦で冷静だ。

「……国というのは残酷ですね。帝国もNTOも。ただ、汚れ方が違うだけに見える」

 その言葉が落ちたあと、誰もすぐに返せなかった。返した瞬間に〝何を守りたいのか〟が露骨になるからだ。

 ラナは一呼吸置いて、画面に視線を向けたまま、淡く笑うでもなく言う。

「……次の議題は?」

 会議の中の誰かが咳払いをする。話題を戻そうとする声が、少しだけ上ずっていた。

 ミュラーはまだ黙っている。ただ、肘掛けに置いた指先がほんの少しだけ、強く曲がっていた。

 ホロ画面の青い光だけが、テーブルの縁を冷たく照らしていた。


   *


 会議が終わり、それぞれが会議室から自分の仕事へと戻っていく。

 シュタイナーが会議室から出て、まっすぐに伸びた廊下を歩き出すと、ミュラーが立っていた。廊下の白い灯りが、二人の間の距離を均等に照らしている。

 シュタイナーはミュラーには目を向けず、前を通り過ぎようとした。歩く速度は変わらない。急いでもいないし、ためらってもいなかった。

「おい」

 ミュラーがシュタイナーを呼び止める。

 シュタイナーは顔だけをミュラーに向ける。

「……はい」

 ミュラーが目線だけシュタイナーを見る。

「さっきのは、お前の私心か? それとも……国の考えか?」

 シュタイナーは少し考えて、口元だけで笑った。

「我が国は宇宙時代のキーパーソンとなる人材を死なせたくない。――それだけですよ」

 シュタイナーはそのまま廊下を歩いていく。ミュラーは会議室のホロ越しに見えた目を思い出す。

 あれは〝中立国の派遣士官〟の顔じゃなかった。ふっと、ミュラーの口元がほぐれる。

「くえない奴だな」


   *


 ブリッジ直下のブリーフィングルームは、いつもと同じ白い明かりだった。

 天井の換気が低く唸って、壁のモニターには宙域図と、数字と、矢印が淡々と並ぶ。

 昨日の戦いの痕跡は、ここには置かれていない。

「次任務。ポイントD-17、通商レーン沿いの哨戒と、合流予定の避難艇群の護衛」

 読み上げる管制士官の声は平らで、抑揚が少ない。それが仕事の声だと分かっているのに、ミュラーは喉の奥が少しだけ乾くのを感じた。ブリーフィングの最後、管制が淡々と読み上げた。

「目標、地上補給線。制圧後、残存は殲滅。帰投優先」

 返事が重なる中で、アスミだけがずれずに返す。

「REDROSE、了解。制圧後、残存は殲滅。帰投優先――復唱完了」

 セリがアスミを見て少しだけ笑った。前日の襲撃の後、アスミは変わらずいつも通りだ。

「お前、端的に言いすぎだろ」

 アスミはヘルメットの顎ロックを締め、薄く口角だけ動かす。

「手順でしょ」

 席に着いている顔ぶれも、いつも通りだった。セリは椅子の背にもたれ、片足を軽く揺らしている。目の下に薄い影があるのに、口元だけがやけに軽い。その隣で、アスミはモニターを見ていた。背筋は真っ直ぐ。指先だけが、膝の上で一度きゅっと握られる。

 ミュラーは、アスミの横顔を見てしまって、視線を外した。

 誰も、昨日の戦闘を口にしない。あれだけの音と、あれだけの匂いと、あれだけの恐怖をまるで最初から無かったみたいに飲み込む。周りの士官たちも、いつも通りの顔で端末を確認していた。誰かがあくびを噛み殺し、誰かが隣と小声で世間話をする。その普通さが、かえって部屋の空気を薄く張り詰めさせていた。

「追加。交戦時は、撃破より無力化を優先。対象を逃がすな。回収可能な状態を維持すること」

 その〝言い回し〟が、ミュラーの中で一瞬だけ引っかかった。胸の奥に、硬い針が刺さる感覚。

 ミュラーは顎をわずかに引いて、何も言わない顔を作った。ここで止めても、止まらない。

 止まらないことを、もう知っている。

「了解。以上」

 解散の合図が出る。椅子が軋み、足音が重なる。

 それが、昨日の続きの音とは思えないくらい、あっさりしていた。


   *


 格納庫は、整備灯の列がきっちり並び、機体の腹が淡々と開かれていた。工具の乾いた音。チェックリストを読み上げる声。扉の開閉。換気の低音。〝処理〟の音の上に、もう〝次〟の音が重なっている。

「今日も無事に帰ってくるぞ。生きて返って、飯食って、寝る」

 セリがヘルメットを指で回しながら言う。笑っているのに、目は笑っていない。

 アスミが小さく口角を上げた。息の温度だけで作った笑い。

「……うん」

 返事は短い。それでも〝返した〟ことが、ミュラーには妙に重く見えた。

 ミュラーは自分の機体の下で、整備員から端末を受け取る。手が勝手に動く。ベルトの締め具合、グローブの感触、ロックの確認。昨日〝帰ってきた〟身体は、もう〝いつもの〟へ戻ろうとしていた。

「ミュラーさん」

 整備主任が呼びかける。油汚れの付いた手袋のまま、端末を示した。

「推進系、問題なし。昨日の負荷は……まあ、記録見りゃ分かる。けど、今日も飛べます」

「俺の機体、残っていたのに驚いたよ」

 ミュラーが苦笑すると、整備主任は眉だけ動かして返す。

「ミュラーさんが、いつか戻って来るって艦長が信じて、調整していた機体です。俺らも信じてました」

 整備主任はそう言って、軽く頭を下げると踵を返して次の機体へ歩いて行った。

 ミュラーは、何も言わずに自分の機体を見上げて、足元にそっと手を乗せた。

 少し離れたところで、アスミの機体のカウルが閉じられる。整備員が肩を叩いて、親指を立てた。

 アスミは頷く。

 セリがそれを横目で見て、わざと明るく声を出した。

「アスミ、今日帰ったら自販機奢れ。昨日の分も。利子つけて」

 アスミは少しだけ時間を置いてから、ほんの少しだけ息を吐く。

「高い利子だね」

「戦場利子だよ。やさしいだろ?」

 いつもの軽口。そのやり取りが戻るほど、ミュラーは気持ち悪さを覚えた。異常が日常に飲まれる。

 ミュラーはふと、自分の袖口を見る。教官章はもうない。今の自分は〝教える側〟ではなく〝飛ぶ側〟だ。

 それでも視線が勝手に人数を数える。欠けがないか、顔色が悪くないか、無理をしていないか。


 発進灯が変わる。セリの機体が滑り出し、青い推進光が一瞬だけ強くなる。

 アスミの機体が続く。ミュラーは、その背中を見送ってから、自分の操縦桿に触れた。

 カタパルトが動き出す。発進の衝撃が来る前に、ミュラーは短く呟いた。

「……行くぞ」

 返事は、通信の中で重なる。

 いつもの戦争が、何事もなかったみたいに再開した。


   *


 管制システム課へ降りる廊下の途中で、アンは立ち止まって外を見ていた。廊下は静かで、遠くから機械の低い唸りだけが届いている。観測窓のガラスは冷たく、指先で触れると微かに震えているのが分かった。

 観測窓の向こう、三機のヴィーラが軌道へ滑り出していく。光点が、すぐに小さくなる。

 アンの脳裏に、昨日のログの断片が刺さる。

 TARGET: REDROSE

「……なんで」

 なんで昨日の今日で本部はすぐにREDROSEを任務に出せるの。

 声は低いのに、喉の奥が熱かった。手すりを掴む指に力が入って、白くなる。

 アスミがLAAに行き、北方に配属になり、西方へ行ってから。日が経つにつれ連絡が遅くなっていたこと。

 メールの内容や書き方が、少しずつ変わっていったこと。

 頼んでないのに、セリから来る定期連絡でしか、アスミの様子を知れなかったこと。

 いつの間にか、メディアにまでNTOの象徴として顔を出されるようになった事。

 ――全部、同じところに戻ってくる。アスミのために何もできない自分。

 奥歯を噛みしめた。悔しさで、胸の奥がぎゅっと縮む。窓の外の光点は、もう見分けがつかないくらい遠い。

 それでもアンの目は、まだ追っていた。

 追ったところで、何も届かない。通信を繋いでも、任務中のアスミには触れられない。

 それでも、目を離したら本当に失ってしまう気がした。

「……アスミ」

 名前だけが、喉の奥で小さく擦れた。


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