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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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92/125

Sky92-帰る場所-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。




 格納庫のシャッターが震えるような音を立てて開いた。

 冷却剤の白い霧が、床すれすれに流れ込んでくる。その霧の奥で、さっきまで戦闘管制が吐き出していた音声ログの残響が、まだ耳の奥に貼りついていた。

《敵部隊、撤退確認。帰投を許可する。救護班、待機――》

 その向こうから、焦げた匂いと、金属のきしむような音と一緒に、一機のヴィーラが滑り込んできた。


 白銀の機体が、軌条の上をきちんとした角度で進んでくる。装甲の縁は焼け、関節の一部が黒く煤けている。

 損傷の見え方だけで、どれだけ近い距離で押し合ったかが分かった。脚が落ち、ロックが掛かる。

 駆動音が順に落ちていって、最後に残るのはファンが回る低い唸りだけだった。

 少し離れた別レーンでは、回収班がREDROSEの損傷機を引いていく。担架が走り、救護の呼び声が短く交差した。それでも、格納庫の視線は今ここに戻った一機へ吸い寄せられていた。


 ノーザンクロスの整備クルーたちが、誰からともなく手を止めた。工具を握ったままの手が、宙で止まる。誰かが息を詰めているのが、肩の動きで分かった。

「……帰ってきた」

 誰かが小さくつぶやく。

 サラは、格納庫の入口近くに立っていた。救護用ジャケットの前をきちんと閉じたまま、両手だけはぎゅっと握りしめている。

 さっきまで、医務室で負傷者の受け入れの指示を出していた。それを他のスタッフに託してここに来たのは、ミュラーが戦場に出てから、ずっと胸の中で凍ったままになっていたものを、ようやく確かめられる気がしたからだ。

 ハッチが開く音がした。


 白い霧の中、パイロットスーツの白が浮かび上がる。

 ミュラーが、いつも通りの無駄のない動きでコクピットから立ち上がった。

 ヘルメットを片手に抱え、梯子を下りる。その足取りは、戦闘明けにしては驚くほどまっすぐだった。

 ちゃんと、歩いてる。

 サラの喉の奥で、何かがふっとほどける。視界がじんわり滲んでいくのを、彼女は瞬きで誤魔化そうとした。

 だが、もう涙は止められなかった。

 床にブーツが降りる音が、格納庫に乾いて響く。整備班の誰かが、工具を落としかけて慌てて拾った。

 ミュラーは、周囲の視線を一度も拾わないまま、まっすぐ前を見る。

 その先にサラがいた。涙をこぼしながら、逃げも隠れもしない目で、まっすぐこちらを見ている。

 ほんの一瞬、二人の間の空気が止まった。

 その瞬間だけ、格納庫の喧騒が遠のいて、ファンの低い唸りと、どこかで鳴った金属の乾いた音だけが響いていた。


   *


 ラナが、機体から数歩離れた位置で腕を組んだまま、何も言わずに様子を見ている。ガナシュはその隣、ラナの半歩後ろに立ち、ふっと目元だけを和らげた。

 ミュラーは、歩き出した。

 一歩、二歩。ヘルメットを持っていない方の手が、わずかに力んでいるのが近くで見ると分かる。

 サラの頬を、透明な筋が伝って落ちた。

「……ミュラー」

 名前を呼ぶ声は、震えているのに、真っ直ぐだった。

 ミュラーは、それに返事をしなかった。

 代わりに、目の前まで来て、躊躇いもなく彼女を両腕で抱きしめた。救護ジャケットごと、細い肩を胸元に引き寄せる。

 乾いた油と金属の匂いと、サラの髪の匂いが、狭い距離の中で混ざった。ミュラーは、彼女の背中に回した腕に、ゆっくりと力をこめた。

「……待たせた」

 それだけだった。

 格納庫のあちこちで、すん、と誰かが鼻を鳴らす音がした。

「……ガナシュ」

 ラナが小声で呼ぶ。

「戦闘記録のところに〝特記事項〟で残しておきましょう」

「何を書くつもりですか」

「〝白銀の獅子、人前で人を抱きしめる。艦内騒然〟」

 ガナシュは思わず吹き出し、すぐ咳払いで誤魔化した。その笑い声が、小さく格納庫に広がる。

 そして、またミュラーに目を向ける。

(ミュラー、待ってたぞ)

 サラの肩が、ミュラーの胸の中で小さく震えていた。泣き止もうとして、うまくいかない震えだ。

 救護ジャケット越しに伝わる体温が、細くて、軽い。

 ミュラーは抱いたまま、背中に回した腕へもう一度だけ、ゆっくり力をこめた。強くはしない。逃がさない程度。

「もう、大丈夫だ」

 自分に言い聞かせるみたいな声になった。

 サラは返事をしない。代わりに、喉の奥で息が詰まる音がして、肩が一度だけ跳ねた。それでも顔は上げない。上げたら崩れると分かっている顔だった。

 その背後で、格納庫の空気が「戦闘後」から「作業」へ切り替わっていく。工具の金属音が戻る。カチャ、と乾いた音。トルクレンチが回る短い唸り。誰かが落としかけた部品を受け止める指の音。低い換気ファンが、霧を押し流していく。

 シャッターが閉まる重い音が、遠くでゆっくり響いた。白い霧は残ったまま、床すれすれに薄く流れている。その霧の向こうで、担架の車輪が走る音が近づいてきて、横切った。

「搬送、右! 酸素、先!」

 救護班の号令が短い。感情が入る余地のない声だ。担架の上の誰かが呻く。すぐ、別の誰かが「大丈夫、大丈夫」と言っている。大丈夫ではないのに言う声だった。

 サラの髪が、ミュラーの胸元で少し揺れた。息を整えようとしている。

 ミュラーは、彼女の背中をぽん、と一度だけ叩いた。慰めの形をした合図だった。

「戻れ。仕事に」

 サラがようやく顔を上げる。目の縁が赤いのに、視線だけは逃げない。

「うん」

 声がかすれていた。彼女は頷いて、袖で頬の涙を乱暴に拭った。すぐにそれを恥じるみたいに、ジャケットの前をきっちり整える。そこへ、ラナ艦長が近づいてきた。腕は組んだまま。けれど、目はちゃんと二人を見ている。

「二人とも」

 ラナの声は低い。優しい言葉は言わない。その代わり、現実を渡す。

「救護とログ整理が詰まってる。ミュラー、動ける?」

 ミュラーは一瞬だけサラを見る。サラは小さく顎を引いた。行け、という合図だった。

「……ああ」

 ミュラーは答えて、最後にもう一度だけサラの肩に手を置いた。

 サラは、その手の温度を目で追ったあと、唇を噛んで言った。

「行って」

 短い命令みたいに言って、背を向けた。泣いた顔のまま仕事に戻る背中だった。

 ミュラーはヘルメットを脇に抱え直し、霧の中を歩き出した。

 戦闘が終わったんじゃない。

 ――処理が始まった。足の裏から、そう伝わってきた。


   *


 医務区画の手前は、いつもより照明が白かった。白すぎて、影が薄い。消毒の匂いが鼻の奥に刺さる。

 廊下の角から覗くだけで、混み具合が分かる。ベッドの数が足りない。ストレッチャーが壁際に並び、座れない患者が床に腰を下ろしている。スタッフの歩幅が速すぎて、止まるとぶつかる速度だった。

「次、外傷優先! 出血量、二以上は先!」

「鎮痛剤、残り三十本! ――半量運用に切り替え!」

「医務班、ベッド追加! 仮設、廊下に出す!」

 ミュラーは廊下の壁に体を寄せ、通り道を空けた。担架が二つ続けて走り抜ける。風が頬をかすめ、消毒液の匂いが一段強くなった。その間に、救護スタッフが次の指示を怒鳴り返す。扉の向こうでは、サラの声が聞こえた。怒鳴ってはいない。けれど切れている。

「搬送順、変えないで。今、変えたら混乱するわ」

 静かな声なのに、押し返せない強さがある。

 ミュラーは立ち止まった。声のするほうへ一歩踏み出しかけて、やめた。行って何を言う。ここでは、抱きしめるより順番だった。

 代わりに、扉越しに一言だけ投げた。

「……無理すんなよ」

 返事はすぐには返ってこなかった。少し遅れて、サラの短い声が返る。

「してない」

 してる、と分かる声だった。ミュラーはそれ以上言わず、踵を返した。


   *


 ブリッジ側へ向かう通路は、戦闘のあとの匂いがまだ残っていた。焦げた金属、冷却剤、汗、消毒液。そのどれもが艦の中で混ざり合い、どこへ行っても「まだ終わっていない」と告げてくる。

 管制区画の手前では、若い士官たちが端末を抱えたまま走り回っていた。混線した通信ログ、損傷報告、救護班への引き継ぎ、機体の再整備申請。全部が同時に押し寄せているらしい。

「回線、被ってます! 優先度上げて!」

「ログ、未整理が二百八十件! 戦闘管制の主系列から先に!」

「損傷レポート、整備班に直送しろ! 紙に落とすな、時間がない!」

 走り抜ける士官の肩が、ミュラーの腕を一度かすめた。互いに謝る間もなく、それぞれの方向へ流れていく。

 ミュラーはブリッジの手前で呼び止められた。管制担当の若い士官が、目の下に濃い影を作ったまま端末を抱えている。

「ミュラー中尉、さっきの戦闘ログ、確認サインを――」

 言いかけた声を聞き流しかけて、ミュラーは端末の画面に視線を落とした。分類タグが、画面の端に並んでいる。戦果、損傷、回収、救護。その中にひとつだけ、目を止める文字列があった。

 ――拘束ワイヤ/捕獲プロトコル。

 ミュラーの目が止まる。

 帝国がREDROSEを狙っていること自体は、もう分かっていた。リーサの解読でも、ハイルトンの口からも、撃墜ではなく捕獲だと聞いている。だが、画面に出ているこれは意図の説明ではなかった。実際に戦場で使われた装備と手順の記録だった。

 撃ち落とすのではなく、逃げ道を削り、姿勢を奪い、拘束して持ち帰る。

 帝国側は最初から、アスミ・レイナーを生きたまま確保する対象として動いていた。一度きたなら、二度目も必ずある。ミュラーの喉の奥で、冷たいものが鳴った。

「……これ、抽出できるか」

 若い士官は一瞬きょとんとしてから、慌てて画面を見直した。

「はい。管制ログの主系列と敵装備反応の照合で、ある程度は。まだ荒いですが、残せます」

「消すな。別タグで残せ」

「は、はい」

 士官が頷いた、その直後だった。背後から別の声が飛んでくる。

「ミュラー中尉! 医務区画、搬送の人手が足りません!」

 ミュラーは画面から目を離さなかった。離したくなかった。今見ないと、また見落とす。戦闘の最中に掴み切れなかったものが、ようやく形を持って目の前に出ている。

 けれど、通路の向こうではストレッチャーの車輪が止まらない。救護班の号令が重なり、扉の開閉音がせわしなく続く。この艦では、違和感だけを追って立ち止まることが許されるほど、何かが終わってはいなかった。

 ミュラーは歯を食いしばり、端末を持つ士官に短く言った。

「そのタグ、残せ。――あとで俺が見る」

 士官は目を見開き、強く頷いた。

「はい!」

 ミュラーは踵を返した。足を速めながら、胸の奥を見る。熱はもうない。

 勝ったあとに残るのは、休息ではない。見落としてはならない違和感だけだった。


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