表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: RUI
SILVER LION

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

91/93

Sky91-戦場の中心-

 ふたつの影が、戦場の中心で重なった。


 黒い機体と白銀の機体は、正面からぶつかり合っているはずなのに、乱暴な衝突にはならなかった。互いに相手の次の一手を読み、その読みをさらに読んだ先で、わずかに位置をずらし続けている。近いのに、届き切らない。届き切らないまま、刃だけを突きつけ合っているような緊張が、暗い宙域のど真ん中に張り詰めていた。


 ミュラーは操縦桿を握る手に余計な力を入れなかった。力めば動きが硬くなる。硬くなった瞬間、その癖をノアは見逃さない。真正面にいる黒い機体は、速さだけで押してくる相手ではなかった。どこに立てば相手が嫌がるか、どこへ弾を置けば回避先が一つ消えるか、その選び方が、あまりにも正確だった。


 敵の射線が白銀の機体の右へ流れる。外れたように見えて、外してはいない。次にミュラーが逃げるならそこだと決め打ちした、細い通路だけを先に潰す撃ち方だった。ミュラーは機体を半歩だけ沈め、装甲の厚い側へ火線を滑らせる。白い火花が外装を舐め、衝撃が座席越しに背中へ伝わる。それでも彼は構わなかった。弾を避け切るより、戦場の形を崩さない方が先だった。


 その斜め後ろでは、レインの機体がなおもあすみを追っていた。深く踏み込まず、近づき過ぎず、しかし逃げ道だけは残さない距離を保っている。細い拘束ワイヤが一度、暗い宙を横切った。赤い機体が身をひねってそれを外し、続いて滑り込んだセリの機体が浅い射線を切って、あすみの背後へ重なろうとする黒い影を押し返す。


『あすみ、右へ寄るな。そこは切られてる』


 セリの声は、努めて平静だった。焦りを含めば、あすみの指先がそれを拾うと分かっているのだろう。だが、その落ち着いた声の裏で、息がひとつ浅くなる気配だけは隠し切れていなかった。


『……分かってる』


 あすみの返事は短かったが、短いまま硬い。墜とされることより、連れて行かれることの方が怖いと、一度知ってしまった人間の声だった。自分の意思で引くのではなく、整った力でそのまま持ち去られることへの恐怖は、ただの撃ち合いにはない冷たさを持っている。レインのワイヤが掠めるたび、その冷たさが胸の奥へ薄く、しかし確実に積もっていくのが、ミュラーには機体越しにも分かった。


 その時、別の黒い機体が外縁から浅く差し込んだ。セリがあすみの外側へかぶさろうとした、そのわずかな隙を埋める位置取りだった。


 ビルだ。


 強引ではない。ただ、そこにいるだけで進路がひとつ死ぬ。撃墜を急がない、編隊の厚みそのものみたいな動きだった。セリは舌打ちを飲み込みながら角度を変え、あすみの背中へ残せる空間をかろうじて繋ぎ直す。


 それでもミュラーは、そちらへは向かなかった。向けば、ノアが待っている。ノアは、こちらが守りたいものを見た瞬間に、その守り方ごと折ってくる。


 黒い先頭機が、わずかに姿勢を変えた。前へ出過ぎず、しかし退きもしない、そのままの位置で白銀の機体を押し出しにかかる。落とすつもりはないのだと、ミュラーはそこで確信した。ノアが欲しいのは撃墜数ではない。白銀をこの場所から外し、その隙にレインがあすみを絡め取る。戦場全体が、その順番に従って動いていた。


 守るだけでは足りない、とミュラーは思った。


 守るたびにノアは形を組み直す。避難艇を庇えばあすみの退路が狭まり、あすみの方へ意識を割けば避難線に穴が空く。盤面を握っているのは、まだ向こうだった。このままでは、いくら時間を稼いでも追いつかれる。必要なのは、防ぐことではない。戦場の中心にいるこの黒い機体そのものを、一度、外へ弾き出すことだった。


 ノアの機体がさらに間合いを詰めた。黒い外装の肩口に走る紋章が、遠い誘導灯をかすかに返す。ここまで近づけば普通なら撃墜を急ぐ。だが、ノアは急がなかった。急がないまま、白銀の機体の鼻先を押さえ続ける。ここで無理に抜けば、ミュラーの後方にいる避難艇と赤い機体が露出する。そのことまで、もう折り込んでいる動きだった。


 ミュラーは機体を半回頭させ、あえて逃げる角度を作った。


 その開き方が露骨に見えない程度であることが大切だった。本当に逃げるとノアに思わせてはいけない。だが、ここを食えば白銀を押し出せると見せる必要はある。ほんの一拍だけ広げたその角度へ、ノアの黒い機体は迷いなく乗ってきた。罠だと疑ってもなお、踏み込む価値があると判断したのだろう。その判断の速さに、ミュラーは心のどこかで小さく舌を巻いた。


「……そう来るか」


 呟きは、密閉されたコクピットの中で自分にだけ聞こえた。


 次の瞬間、白銀の機体が沈んだ。逃げたように見えた機体は、実際には落ちていない。逆噴射を一瞬だけ噛ませ、ノアの前進の慣性を半拍だけ余らせたのだ。その半拍で生まれたズレは、戦果にならないほど小さい。だが、ミュラーにとっては十分だった。


 照準を絞る。


 狙うのは胴ではない。頭部でもない。機体の左肩から背部へかけて連なる、姿勢制御の中継部。その一点を抜けば、ノアの機体はすぐには墜ちないが、今みたいな精密な押し込み方だけを失う。


 ミュラーの射撃が走る。


 黒い装甲の肩口で火花が弾け、遅れて鈍い振動が敵機全体へ走った。ノアの機体は即座に体勢を立て直そうとしたが、わずかに遅れた。その一拍の遅れが、戦場全体の空気を変える。


『殿下!』


 モリーの声が、帝国側の回線で初めて硬く跳ねた。


 低い位置を抑えていた僚機が、予定より早く補正噴射を入れる。レインの機体も、あすみへ伸ばしかけていた拘束線を一度切って、先頭機の乱れを横目で確認せざるを得なかった。美しかった編隊に、ごく薄い濁りが走る。


 その次の瞬間、ジョシュアの機体が前へ出かけた。


『……よくも』


 さっきまでの軽さは、声のどこにも残っていなかった。怒りがそのまま回線に乗っている。白銀の機体へ一直線に食いつこうとした、その進路を、横から別の黒い機体が塞いだ。


 ビルだった。


『下がれ、ジョシュア』


 低い声が短く落ちる。


『今は殿下を引かせるのが先だ』


『……っ、でも――』


『命令だ』


 その一言で、ジョシュアの機体が半拍だけ止まる。止まった隙に、レインがノアの下へ滑り込み、損傷した先頭機を庇う位置を取り直した。


 その濁りを、ミュラーは見逃さない。


 白銀の機体が前へ出る。今度は守るためではなく、ずらすための踏み込みだった。二射目、三射目は、ノアの機体そのものではなく、その周囲に置かれた味方の位置取りを崩すために放たれる。近い距離で必要な場所だけを削る、乾いた短い射撃だった。


 ノアの機体が、初めて白銀を避ける。


 その動きは逃げではなかった。崩れかけた均衡を立て直すための修正だった。だが、その修正を強いられた時点で、さきほどまで敵が握っていた流れは緩んでいた。


『今です! 第二列、抜ける!』


 連合側の管制が、息を詰めていた声を一気に解いた。避難艇の鈍い光が細い列を作って暗い向こうへ流れていく。セリがそこへ自機を寄せ、あすみも遅れてその外周へ重なる。赤い機体の挙動はまだ硬いが、それでも先ほどまでのような「閉じる箱」の内側にはもういない。


 ミュラーは、その確認を視界の端で済ませた。終わってはいない。レインはまだ諦めていないし、ノアも墜ちてはいない。ここで追い込みが甘ければ、相手はまた形を作り直す。


 帝国側の回線で、レインの声が低く響いた。


『ノア様、左肩の中継部が損傷しています。これ以上の継続は――』


『構わない』


 返したのは、ノア自身だった。声の温度は変わらない。むしろ静かになったようにさえ聞こえる。


『白銀を外せば、まだ戻せる』


 その執念の向きに、ミュラーは目を細めた。相手もここで退くつもりはない。ならば、もう一段深く入るしかない。


 北方第七基地の作戦室では、ハイルトンが机の縁に肘をつき、モニターの戦闘ログを睨んでいた。リーサの指が走らせる座標予測の上で、白銀と黒の軌跡が何度も重なっては離れる。


「……まだ居座る気かよ、あの皇太子」


 ハイルトンの低い声には、感心と苛立ちが混じっていた。


 リーサは唇を引き結んだまま、補助端末の数値を追っている。


「左肩の損傷だけでは止まりません。あのままでも押し切る気です。……司令」


「分かってる」


 ハイルトンは短く答え、別系統の回線を開いた。


『ミュラー、聞こえるか。いまから一発入れる。直撃は狙わん。ずらすだけだ』


 その通信が入った瞬間、ミュラーの口元がわずかに動いた。昔と変わらない声だった。余計なことを言わず、しかし必要な時だけこちらへ一拍を渡してくる上官の声だった。


「了解です」


『皇太子の右後方、外縁を焼く。お前はその戻りを取れ』


 答えるより先に、支援射撃が来た。


 遠方から伸びた火線は、黒い先頭機の右後方――直接の装甲ではなく、その進路の外縁を舐めるように焼いた。直撃ではない。だが、無視すれば自分から火の壁へ飛び込む形になる。ノアの機体が、一拍だけ修正を入れる。その一拍を、ミュラーはずっと待っていた。


 白銀の機体が、静かに沈む。


 相手の下へ潜り込むのでも、上を取るのでもない。ノアが「ここで戻す」と決めた、その戻り先へ先に入る。操縦桿を滑らせる手つきに迷いはなかった。読んで、待って、そこへ置く。ただそれだけを、息を乱さずにやる。


「――そこだ」


 射撃が走る。


 今度は左肩ではない。胸部寄りの結合部をかすめるように貫いた。致命傷ではない。だが、無視できる傷でもなかった。黒い機体の姿勢が大きく流れ、制御補正が間に合わず、コクピットの中でノアの体がシートへ叩きつけられる。


 短く、苦い息が漏れた。


 鈍い痛みが左脇から胸へ走る。衝撃そのものは装甲が殺したが、二度続けて同じ側へ食らったことで、固定具の締め付けた場所が深く軋んだ。ノアは歯を食いしばり、視界の揺れを押し込もうとしたが、機体の方が先に限界を知らせる。警告音がひとつ、今までの静かな戦場音を割った。


『殿下!』


 今度のモリーの声は、報告より先に編隊の中心を案じる声だった。


『殿下、下がってください!』


 ジョシュアの声も続く。怒りを抑え切れていない。白銀へ向かって噛みつきたい衝動が、そのまま残っていた。


『ジョシュア、前へ出るな』


 ビルが低く切った。


『殿下を戻す。形を崩すな』


 ジョシュアは返事をしなかった。しなかったが、機体だけは命令に従って速度を落とす。怒りで飛び出しかけた先端が、ようやく編隊の輪へ戻り始める。


 ノアは答えなかった。答える代わりに、呼吸を整えながら正面モニターへ目を戻す。白銀の機体が前へ出ている。避難艇はもう十分に距離を取り、赤い機体も護衛線の外へ抜けつつある。ここで続行しても、捕獲の形は戻らない。それでも一歩でも退けば、負けを認めたことになる。そんな理屈が頭をよぎるより早く、左脇に走る熱い痛みが現実を告げた。


 レインの声が、今度ははっきりと強くなった。


『ノア様、撤退してください』


 ノアが初めて、レインの方へ視線を向ける。緑の機体はまだあすみの方へ意識を残していたが、その残し方のまま、きっぱりと主君へ戻る線も切っていない。


『捕獲は次に回せます。ですが、あなたを失うわけにはいきません』


 その言葉には焦りがあった。だが、それ以上に、長く仕えてきた者だけが持つ揺るがなさがあった。


 ノアは短く息を吐いた。息に血の味は混じらなかったが、深く吸うと脇腹の内側が重く軋む。傷は軽くない。それを認めるのに、数秒かかった。


『全機、後退』


 声は低く、簡潔だった。


『対象の捕獲は持ち越す。編隊を崩すな。撤退線を維持しろ』


 帝国側の機影が、一斉に引く。逃げるのではない。整ったまま、次の交戦のために距離を切る退き方だった。レインがノアの機体のやや下へ滑り込み、盾になる位置を取る。その外側へビルが広がり、さらに少し遅れてジョシュアが後尾へ回った。崩れたまま逃げるのではない。傷を負った中心を守る形へ、編隊がすでに組み直されている。


『殿下、お怪我は』


 モリーの問いが飛ぶ。返ってきた声は短い。


『死んではいない。後退する』

『了解しました』


 ノアは操縦桿を握りながら、肩の痛みに耐えた。

(白銀の獅子……次は狩る)


 ジョシュアはなおも白銀の機体を睨んでいた。だが、もう前へ出ない。ビルが外側を支え、レインが下を締め、モリーが後退線を保つ。その中で、ノアの黒い機体は静かに距離を切っていく。


 宙域に残された連合側の回線では、誰もすぐには歓声を上げなかった。緊張が長すぎて、勝った負けたの判断より先に、まだ追ってくるのではないかという疑いが残っていたからだ。ミュラーも、撤退していく黒い先頭機を追わなかった。ここで前へ出れば、今度は自分たちの形が崩れる。後ろにはまだ守るべき線が残っていた。


 それでも、白銀の機体はわずかに前へ出たまま、退いていく黒い機体を見送った。


「……次はないと思うなよ」


 ミュラーが小さく呟いた言葉は、通信には乗らなかった。挑発ではなく、確認だった。いま退いたから終わったのではない。ここで守れたからこそ、次も来る。その現実を、自分自身へ刻み直すための言葉だった。


 後方から、ラナの声が入る。


『避難艇、全艇退避線を突破。護衛線、生存確認中。ミュラー、セリ、古賀、応答して』


 最初に返ったのはセリだった。いつもより少しだけ掠れた声で、それでも努めて明るく言う。


『セリ・アンダーソン、無事です。機体損傷あり。けど、まだ飛べます』


 続いて、あすみの小さな声が入る。


『……古賀あすみ、生存。機体制御、維持できます』


 声はまだ硬かった。震えてはいない。だが、震えを押し込んだあとの痕がそのまま残っている。ミュラーはその声を聞き、初めて自分の肩から少しだけ力が抜けるのを感じた。


「ミュラー・エリス、無事です。敵は撤退しました」


 淡々と答える。そう報告したあとで、彼はようやく自分の呼吸が少し荒くなっていることに気づいた。戦っている間は、ずっと忘れていた。


 ノーザンクロスの外縁では、避難艇の鈍い光がさらに遠ざかっていく。さっきまで死にかけていた線が、今はかろうじて生き延びた命の列として、宇宙の黒の中へ伸びていた。


 ミュラーはその光を見たまま、操縦桿を握り直した。


 勝った、とは思わなかった。ただ、奪われずに済んだ。それだけだった。けれど、その「それだけ」を守るために、どれだけ多くのものが噛み合っていたかを、彼は誰より知っていた。


 白銀の機体は、ようやくゆっくりと上半身をわずかに返し、ノーザンクロスの方へ向きを変えた。遠くで待つ艦の灯りは小さい。それでも、帰る場所として見るには十分だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ