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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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90/125

Sky90-白銀の獅子-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 格納庫の天井が割れる。

 装甲板の継ぎ目が左右へ滑り、誘導灯の列が黒い外へ向かって伸びていった。

 艦内に満ちていた金属音が一枚薄くなり、その向こうに宇宙が開く。

 白い格納庫の光が、開いた天井の縁でくっきりと切れていた。その先には、光のない黒と、遠い星の粒だけが、機体の前方を埋めていた。

 その瞬間だった。

 喉の奥を押し上げていた吐き気が、ふっと退いた。汗の冷たさはまだ首筋に残っている。

 だが、指先の震えは止まっていた。浅かった呼吸が、計器の点滅に合わせるように整っていく。視界の端で、警告灯、推進残量、味方識別、敵影の予測線が順に意味を取り戻す。

 ミュラーは操縦桿に手を置いた。

 革手袋の下で、指が自然に締まる。力を入れすぎない角度。機体の軸を乱さない圧。忘れていたはずの細かな手順が、思考より先に掌へ戻ってくる。キャノピー越しの星がわずかに傾き、機体が外へ出る姿勢を取った。

 ――ここだ。

 短い息を吐く。

 スラスターを開くと、機体は余計な遅れもなく応えた。ノーザンクロスの外縁を離れ、ミュラーは宙域へ出る。

 背後の艦影が小さくなり、前方に味方の機影が散っていた。避難コリドーを守るための線。守りながら下がるしかない、歪んだ陣形だった。

 その中に、一機。

 機体の癖、噴射の間、回避の角度。訓練で何度も直した動きが、今は戦場の中心で削られている。

 動きは崩れていない。けれど、逃げ場が狭い。アスミの機体は、落とされるのではなく、囲われていた。

 ミュラーは一度だけ息を吸い、回線を開いた。心臓が、耳の奥で鈍く鳴っている。操縦桿を握る掌に、じわりと汗が滲んだ。

「全機へ」

 声は大きくない。だが、管制の雑音の中でも、輪郭を失わなかった。

「ミュラー・エリス、これより介入する」

 通信帯の向こうが、わずかに静まる。

 誰かが言葉を失い、別の誰かが息を飲む気配だけが返ってきた。

 ミュラーは、その沈黙に応じなかった。前方、斜め上から敵影が二つ落ちてくる。

 撃墜を狙う弾ではなかった。相手の進路を少しずつ奪い、回避できる場所を限定し、最後に拘束するための射線だった。

 その組み方が、異様に綺麗だった。

 先頭機は出過ぎない。前へ出ないことで、むしろ全体の中心にいる。

 低い位置についたもう一機は、最小限の射撃で味方の移動先だけを消していた。外れた弾まで、次の動きのための壁になっている。

 ミュラーは言葉で状況をなぞらなかった。説明している間に、アスミの逃げ場がひとつ消える。

 スラスターを一段切り替え、味方の陣形の外側へ滑った。敵が作っている捕獲の箱。その角に、自分の機体を差し込む。

 味方の機影が揺れた。アスミの機体が、一瞬だけ姿勢を崩す。

 そこへ、細い光が伸びる。ワイヤだった。

《拘束!》

 管制の声がかすれる。

 ワイヤは、ただ掠めるための角度ではなかった。接触すれば、姿勢を持っていかれる。次の回避が消え、その次には牽引される。

 ミュラーは機体を入れた。敵機を狙わず、伸びたワイヤの根元だけを撃つ。短い射撃音が通信の奥で沈み、光の線が砕けた。散った粒子の流れを見て、ミュラーは次弾の位置を読む。断たれることまで織り込んだ仕掛けだ。

《……っ、助かった――!》

 回線の向こうで、誰かが声を飲み込む。

 その一拍のあと、別の声が、ほとんど独り言みたいに漏れた。

「戻ってきた。白銀の獅子が……」

 敵の先頭機が、こちらを見た。

 レーダー上では、ただ一点の向きが変わっただけだった。

 だが、その直後に低い位置の機体が動き、ミュラーの逃げ場をひとつ削った。

 視線を向けるだけで、僚機の動きまで変わる。その中心にいるのが、誰なのかはすぐに分かった。

「今だ。二番機、上へ」

 名を呼ばない。番号も呼ばない。それでも、戦場の空気が命令の形を取る。セリの機体が滑り込んだ。速い。だが、敵の先頭機は揺れなかった。セリが逃げたい場所を先に潰す角度へ弾を置く。撃つというより、釘を打つ動きだった。

《……っ》

 セリの息が詰まる音がする。

 ミュラーは一瞬だけ、アスミの機影を見た。アスミの機体はまだ落ちていない。

 機動も保っている。だが、背中が硬い。回避のたびに選択肢が減り、機体が自分の意思より狭い場所へ押し込まれていく。

 ミュラーは、アスミの前に立ち続けることをやめた。そこを塞げば、敵は別の角度から箱を閉じる。

 必要なのは盾ではない。箱そのものを歪ませることだった。

 敵が中心に据えている先頭機。その居場所をずらす。

 射撃。機体ではなく、推進の足場になる宙域へ向ける。微小デブリと妨害粒子が散り、綺麗すぎる連携に、ごく薄い濁りが走った。低い位置の敵機が、初めて余計な噴射をする。わずかな乱れだったが、それで十分だった。

 ミュラーはその乱れへ機体を滑り込ませた。

「退避線、開ける。いま抜けろ」

 アスミの機体が、開いた隙間へ入る。敵の先頭機が追った。

 しかし、その距離を詰め切る前に、ミュラーの機体が進路の中央を塞いでいた。

 ミュラーは敵影を見据えたまま、低く言った。

「……捕まえる相手を、間違えるな」

 その言葉が誰に向いたものか、通信を聞いた者には分からなかっただろう。敵に向けた挑発にも聞こえる。

 味方への牽制にも聞こえる。けれど、ミュラー自身は分かっていた。

 これは、自分が再びこの場所へ立つための線引きだった。

 敵の先頭機が、ミュラーを取る角度へ入る。戦場の空気がさらに硬くなった。


   *


 ――北方第七基地。作戦室。

 モニターの青白い光が、壁と人の横顔を照らしていた。加速度、姿勢制御、射線選択。戦闘ログが無機質な数字となって走り続ける。

 ハイルトンは椅子に深く座ったまま、画面を見ていた。表情は動かない。ただ、口元だけが呆れたように歪む。

「あいつにはブランクって言葉はねえのかよ」

 隣のリーサは、端末の縁に指をかけたまま瞬きを忘れていた。画面に映る機動を追い、そこにある技量と、誰を守るためにその技量が使われているのかを同時に見ている。

「これが、白銀の獅子。すごい」

 小さな声だった。感嘆だけでは、そこまで掠れない。


   *


 ――宙域。

 ミュラーは敵の先頭機と正面で噛み合った。人間離れした連携の精度が、操縦桿を握る指先にまで重くのしかかる。美しさと確実さが、同じ形をして迫ってくる。

 それでも、機体は乱れなかった。ミュラーは受け止めるのではなく、わずかに前へ出る。アスミの機体が距離を取る。守る線が、一段だけ広がった。

 ミュラーは、その広がった一段を使う。ほんの少し前なら、届かなかった場所。今なら、届く場所。

「……次で、形を変える」

 呟きは独り言だった。けれど、その声は戦場の中心に落ちた。

 敵の先頭機が、初めてミュラーに〝答えるように〟動いた。

 正面で噛み合った瞬間、宇宙の黒が線に変わった。

 推進の火線、射線、回避の軌跡。散らばっていた光の点が、一本ずつ意味を持って結ばれていく。

 敵の先頭機は無駄を出さない。前へ出過ぎず、弾をばら撒かず、それでもこちらの次の進路だけを確実に狭めていた。

 ミュラーは息も乱さない。操縦桿に余計な力を入れず、機体の傾きと敵の射線から、先に目的を読む。

 捕まえる。落とさない。そのために、こちらの足を切る。

 機体を半回頭させ、あえて逃げる角度を作った。逃げ道ができた瞬間、敵の先頭機が追える距離に入る。

 追えるのではない。

 追わせた。

 ミュラーは逆噴射を一瞬だけ噛ませた。追いの慣性が、敵の軌道を半拍押し出す。そこへ射線を落とす。

 撃ち込む場所は機体ではない。推進の癖の根。姿勢制御の要。

 弾が掠め、敵機の姿勢が一度だけ崩れた。崩れても墜ちない。だが、次に使える選択肢がひとつ消える。

 効いている。

 NTOの回線がわずかにざわついた。誰も大声は出さない。ただ、呼吸の音だけが変わる。

《何だよあれ。撃ち方が、違う……》

 誰かの独り言が漏れた。

 前だけを見て、さらに形を変えた。

 敵のもう一機――拘束ワイヤの機影が、アスミの背後へ滑る。

 浅い射線。短い射撃。逃げ道の縁だけが削られていく。アスミの機体は狭い場所に押し込まれていた。

 狭いまま飛ぶ背中は、機体越しでも、訓練場で何度も見た教え子の背中と重なった。

 ミュラーは名を呼びそうになり、喉の奥で止めた。今呼べば、あの背中が振り向く。振り向いた瞬間に、捕まる。だから、別の言葉で繋いだ。

「二番機。今の角度、捨てろ。浅い線に乗るな」

 短い。命令に近い声だった。セリの機体が反射で角度を変える。

《了解。……教官、相変わらず口が悪い》

 セリの声は軽い。


   *


 近傍宙域、帝国側。

 コクピットの計器の光が、ノアの横顔を青白く照らしていた。シートに預けた背は動かない。

 ノアは、視線だけを変えた。焦りはない。逃げ道を潰す箱が崩れた。崩したのはREDROSEではない。

「……来たな」

 ノアの声は低い。

 戦闘ログでは、何度も見ていた。

 白銀の獅子。

 オルテアの記録映像に残る軌跡。旧式の戦場で、ひとりだけ別の線を描いていた機体。

 射線の置き方、間合いの詰め方、敵の足を切るために使う余白。それらは、資料としてなら頭に入っている。

 だが、画面の中の過去と、いま目の前にいるものは違った。

 撃墜を捨て、盾になる機体。それでも動きは鈍らず、守るために入ったはずの機体が、戦場の中心を奪い返している。

 ノアは、REDROSEの機影を見なかった。ミュラーの白い機体だけを追っていた。

「あれが白銀の獅子。戦闘ログで見た通り」

 レインが言った。

 ノアは短く返す。

「違う」

 レインの機体が、わずかに角度を変える。ノアは続けた。

「ログでは足りない。本物は、もっと厄介だ」

 声に熱はない。けれど、その冷たさの奥で、獲物を定めるような集中がひとつ沈んだ。

 狩りたい。

 ノアは、その感情を言葉にはしなかった。

 ただ、戦術画面の中心をREDROSEから白い機影へ移す。

「レイン。REDROSEは任せる」

 ノアが言った。

 レインは即答する。

「承知しました……逃がしません」

 ノアは続けた。

「私は、あの獅子を狩る」

 狩る。撃墜ではない。盾を剥がす。戦場の中心から引きずり下ろす。

 盾が剥がれれば、避難艇は露出する。露出すれば、戦場の形は帝国側に戻る。

 モリーが短く確認した。

「狙いを変更。対象、白銀の獅子ですか?」

「そうだ」

 ノアは淡々と、しかし迷いなく宣言した。

「REDROSEの捕獲は続行。だが、邪魔がいるなら先に排除する」

 ノアの機体が前へ出る。出過ぎない。だが、周囲の機影がその動きに合わせて広がった。

 先頭機の向きが変わるだけで、僚機の配置まで変わる。

 その中心が、いまミュラーに向いた。


   *


 ノーザンクロス側、宙域。

 ミュラーは、敵の先頭機の注意がこちらへ移ったことを、射線の組み替わりで知った。狙いが増える。逃げ道が削られる。それでも、機体の動きは鈍らない。狙いが自分に来るのは悪くなかった。

 アスミが捕まらずに済む可能性が上がる。敵の先頭機が来る。来る前から、来た後の形まで作っている動きだった。ミュラーは、その出来上がった形を壊すために、最短の動きを選んだ。

 正面で受けない。逃げない。斜めに落ちる。

 推進を一段だけ切り替え、敵の射線の外側へ滑る。滑った先に敵の刃が来る。来る場所に、自分の刃を先に置く。

 射撃は短い。短いのに、戦況が動いた。敵機の姿勢がまた僅かに崩れる。その分だけ、避難艇の前に一瞬の空白が生まれた。

《避難艇、抜けた!》

 管制の声が走る。ミュラーは息を吐いた。吐いた瞬間、次が来た。敵の先頭機がさらに踏み込む。

 さっきまでの精密な連携のまま、圧だけを一段上げてくる。ミュラーはその動きを見て、口元だけで笑った。

 笑い声ではない。まだ足りない、と言う顔だった。

「――いいぞ」

 誰にでもなく、宇宙に言う。

「来い。俺が相手だ」

 回線の向こうで、アスミの機影が揺れる。拘束ワイヤの影が、その背後に張り付いている。

 レインはアスミを狙っている。狙い続けている。執拗に、浅く削って、最後に繋ぐために。

 ミュラーはそれを横目で捉え、同時に先頭機を離さなかった。

 アスミの退避線、避難艇の進路、敵の中心。

 三つの線を同時に見続けるだけで、目の奥が鈍く痛んだ。視野を絞らず、広いまま保つのは、負荷のかかる作業だった。

 三つの線を視界の中に置いたまま、ミュラーは機体をさらに前へ出す。

 昔の自分なら、どれかを切っていた。戦果のために、正しそうな順番を選んでいた。

 今は、その順番を他人に預けない。


 敵の先頭機が、それに応えるように角度を変える。ふたつの影が、戦場の中心で重なった。


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