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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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90/93

Sky90-白銀の獅子-

 



 ――格納庫の天井が割れる。装甲板の継ぎ目が左右へ滑り、誘導灯の列が黒い外へ向かって伸びていった。艦内に満ちていた金属音が一枚薄くなり、その向こうに宇宙が開く。光のない黒と、遠い星の粒だけが、機体の前方を埋めていた。


 その瞬間だった。


 喉の奥を押し上げていた吐き気が、ふっと退いた。汗の冷たさはまだ首筋に残っている。だが、指先の震えは止まっていた。浅かった呼吸が、計器の点滅に合わせるように整っていく。視界の端で、警告灯、推進残量、味方識別、敵影の予測線が順に意味を取り戻す。


 ミュラーは操縦桿に手を置いた。


 革手袋の下で、指が自然に締まる。力を入れすぎない角度。機体の軸を乱さない圧。忘れていたはずの細かな手順が、思考より先に掌へ戻ってくる。キャノピー越しの星がわずかに傾き、機体が外へ出る姿勢を取った。


 ――ここだ


 短い息を吐く。


 スラスターを開くと、機体は余計な遅れもなく応えた。ノーザンクロスの外縁を離れ、ミュラーは宙域へ出る。背後の艦影が小さくなり、前方に味方の機影が散っていた。避難コリドーを守るための線。守りながら下がるしかない、歪んだ陣形だった。


 その中に、一機。


 小さかった頃から見てきた背中があった。機体の癖、噴射の間、回避の角度。訓練で何度も直した動きが、今は戦場の中心で削られている。動きは崩れていない。けれど、逃げ場が狭い。あすみの機体は、落とされるのではなく、囲われていた。


 ミュラーは一度だけ息を吸い、回線を開いた。


「――全機へ」


 声は大きくない。だが、管制の雑音の中でも、輪郭を失わなかった。


「ミュラー・エリス、 これより介入する。」


 通信帯の向こうが、わずかに静まる。誰かが言葉を失い、別の誰かが息を飲む気配だけが返ってきた。


 ミュラーは、その沈黙に応じなかった。前方、斜め上から敵影が二つ落ちてくる。撃墜を狙う弾ではなかった。相手の進路を少しずつ奪い、回避できる場所を限定し、最後に拘束するための射線だった。


 その組み方が、異様に綺麗だった。


 先頭機は出過ぎない。前へ出ないことで、むしろ全体の中心にいる。低い位置についたもう一機は、最小限の射撃で味方の移動先だけを消していた。外れた弾まで、次の動きのための壁になっている。


 ミュラーは言葉で状況をなぞらなかった。説明している間に、あすみの逃げ場がひとつ消える。スラスターを一段切り替え、味方の陣形の外側へ滑った。敵が作っている捕獲の箱。その角に、自分の機体を差し込む。


 味方の機影が揺れた。あすみの機体が、一瞬だけ姿勢を崩す。


 そこへ、細い光が伸びる。ワイヤだった。


『拘束――!』


 管制の声がかすれる。


 ワイヤは、ただ掠めるための角度ではなかった。接触すれば、姿勢を持っていかれる。次の回避が消え、その次には牽引される。


 ミュラーは機体を入れた。敵機を狙わず、伸びたワイヤの根元だけを撃つ。短い射撃音が通信の奥で沈み、光の線が砕けた。散った粒子の流れを見て、ミュラーは次弾の位置を読む。断たれることまで織り込んだ仕掛けだ。


『……っ、 助かった――!』


 回線の向こうで、誰かが声を飲み込む。

 その一拍のあと、別の声が、ほとんど独り言みたいに漏れた。


「……戻ってきた。白銀の獅子が……」


 ミュラーは返事をしなかった。呼ばれた名に振り向く余裕はない。礼を受けるために入ったのではない。


 敵の先頭機が、こちらを見た。

 レーダー上では、ただ一点の向きが変わっただけだった。だが、その直後に低い位置の機体が動き、ミュラーの逃げ場をひとつ削った。

 視線を向けるだけで、僚機の動きまで変わる。その中心にいるのが、誰なのかはすぐに分かった。


「……今だ。 二番機、 上へ」


 名を呼ばない。番号も呼ばない。それでも、戦場の空気が命令の形を取る。セリの機体が滑り込んだ。速い。だが、敵の先頭機は揺れなかった。セリが逃げたい場所を先に潰す角度へ弾を置く。撃つというより、釘を打つ動きだった。


『……っ』


 セリの息が詰まる音がする。


 ミュラーは一瞬だけ、あすみの機影を見た。あすみの機体はまだ落ちていない。機動も保っている。だが、背中が硬い。回避のたびに選択肢が減り、機体が自分の意思より狭い場所へ押し込まれていく。


 ミュラーは、あすみの前に立ち続けることをやめた。そこを塞げば、敵は別の角度から箱を閉じる。必要なのは盾ではない。箱そのものを歪ませることだった。


 敵が中心に据えている先頭機。その居場所をずらす。


 射撃。機体ではなく、推進の足場になる宙域へ向ける。微小デブリと妨害粒子が散り、綺麗すぎる連携に、ごく薄い濁りが走った。低い位置の敵機が、初めて余計な噴射をする。わずかな乱れだったが、それで十分だった。


 ミュラーはその乱れへ機体を滑り込ませた。


「――退避線、 開ける。 いま抜けろ」


 あすみの機体が、開いた隙間へ入る。敵の先頭機が追った。しかし、その距離を詰め切る前に、ミュラーの機体が進路の中央を塞いでいた。


 ミュラーは敵影を見据えたまま、低く言った。


「……捕まえる相手を、 間違えるな」


 その言葉が誰に向いたものか、通信を聞いた者には分からなかっただろう。敵に向けた挑発にも聞こえる。味方への牽制にも聞こえる。けれど、ミュラー自身は分かっていた。これは、自分が再びこの場所へ立つための線引きだった。


 敵の先頭機が、ミュラーを取る角度へ入る。戦場の空気がさらに硬くなった。


 ――北方第七基地。作戦室。


 モニターの青白い光が、壁と人の横顔を照らしていた。加速度、姿勢制御、射線選択。戦闘ログが無機質な数字となって走り続ける。


 ハイルトンは椅子に深く座ったまま、画面を見ていた。表情は動かない。ただ、口元だけが呆れたように歪む。


「……あいつにはブランクって言葉はねえのかよ」


 隣のリーサは、端末の縁に指をかけたまま瞬きを忘れていた。画面に映る機動を追い、そこにある技量と、誰を守るためにその技量が使われているのかを同時に見ている。


「これが、白銀の獅子ーーすごい」


 小さな声だった。感嘆だけでは、そこまで掠れない。


 ――宙域。


 ミュラーは敵の先頭機と正面で噛み合った。人間離れした連携の精度が、操縦桿を握る指先にまで重くのしかかる。美しさと確実さが、同じ形をして迫ってくる。


 それでも、機体は乱れなかった。ミュラーは受け止めるのではなく、わずかに前へ出る。あすみの機体が距離を取る。守る線が、一段だけ広がった。


 ミュラーは、その広がった一段を使う。ほんの少し前なら、届かなかった場所。今なら、届く場所。


「……次で、 形を変える」


 呟きは独り言だった。けれど、その声は戦場の中心に落ちた。


 敵の先頭機が、初めてミュラーに“答えるように”動いた。


 正面で噛み合った瞬間、宇宙の黒が線に変わった。


 推進の火線、射線、回避の軌跡。散らばっていた光の点が、一本ずつ意味を持って結ばれていく。


 敵の先頭機は無駄を出さない。前へ出過ぎず、弾をばら撒かず、それでもこちらの次の進路だけを確実に狭めていた。


 ミュラーは舌打ちをしなかった。息も乱さない。操縦桿に余計な力を入れず、機体の傾きと敵の射線から、先に目的を読む。


 捕まえる。

 落とさない。

 そのために、こちらの足を切る。


 ミュラーは機体を半回頭させ、あえて逃げる角度を作った。逃げ道ができた瞬間、敵の先頭機が追える距離に入る。


 追えるのではない。

 追わせた。


 刹那、ミュラーは逆噴射を一瞬だけ噛ませた。追いの慣性が、敵の軌道を半拍押し出す。そこへ射線を落とす。


 撃ち込む場所は機体ではない。推進の癖の根。姿勢制御の要。


 弾が掠め、敵機の姿勢が一度だけ崩れた。崩れても墜ちない。だが、次に使える選択肢がひとつ消える。


 効いている。


 連合側の回線がわずかにざわついた。誰も大声は出さない。ただ、呼吸の音だけが変わる。

『……何だよあれ。 撃ち方が、 違う……』

 誰かの独り言が漏れた。ミュラーは聞こえないふりを続ける。前だけを見て、さらに形を変えた。敵のもう一機――拘束ワイヤの機影が、あすみの背後へ滑る。浅い射線。短い射撃。逃げ道の縁だけが削られていく。あすみの機体は狭い場所に押し込まれていた。狭いまま飛ぶ背中は、機体越しでも、訓練場で何度も見た教え子の背中と重なった。ミュラーは名を呼びそうになり、喉の奥で止めた。今呼べば、あの背中が振り向く。振り向いた瞬間に、捕まる。だから、別の言葉で繋いだ。

「二番機。 今の角度、 捨てろ。 浅い線に乗るな」

 短い。命令に近い声だった。セリの機体が反射で角度を変える。

『了解。 ……教官、 相変わらず口が悪い』

 セリの声は軽い。軽く聞こえるように作った声だった。ミュラーは返さない。返す間を、敵は待ってくれない。その時、艦内回線が割り込んだ。

『避難艇、 射出開始。 護衛線、 間に合ってない!』

 管制の声が跳ねた。避難艇。子どもたちが乗っている。泣き声の届く距離にある、あの避難船が吐き出す、小さな命の塊。敵の編隊がわずかに広がった。狙いが変わる。今までの浅い削りに、落とすための射線がひとつ混ざった。ミュラーの視界の隅で、小さな艇影が光る。逃げるために、真っ直ぐ飛ぶしかない鈍い軌道だった。やらせるか。敵の先頭機を追い詰める角度は、いま目の前にある。半拍前に崩した姿勢の戻り癖に、もう一発入れれば落とせる。連合側の誰もがそう判断する距離だった。ミュラーも同じ結論へ届いた。そのうえで、捨てた。落とすための射線を切り、機体を翻す。敵を追うのではなく、避難艇へ向かう刃の前へ滑り込んだ。ミュラーの機体が、避難艇の前に影を落とす。次の瞬間、弾が来た。避難艇ではなく、ミュラーのシールドに叩きつけられる。衝撃が胸に響いた。だが、機体は退かない。ミュラーはもう一度、避難艇の前に居座った。昔なら、ここで敵を落としていた。戦果を取り、数を減らし、結果で守ると信じていた。けれど、その順番の隙間に落ちたものを、彼はもう知っている。あの腕。あのぬいぐるみ。報告書の中で要因に変わってしまった命。ミュラーは操縦桿を握り直した。今は違う。撃つより先に、どこへ立つかを選べる。回線が入る。

『……ミュラー。 避難艇、 抜ける』

 ラナの声だった。短く、状況だけを告げる声。その次の一言は、さらに短かった。

『ありがとう』

 たったそれだけだった。ミュラーの胸の奥で、硬く縮まっていたものが、わずかに緩む。熱でも涙でもない。ただ、長く強張っていた場所に、呼吸が戻るような感覚だった。

「……了解」

 返事も短くして、ミュラーは戦闘へ戻った。


 近傍宙域、帝国側。


 ノアは、視線だけを変えた。

 焦りはない。逃げ道を潰す箱が崩れた。崩したのはREDROSEではない。


「……来たな」


 ノアの声は低い。

 報告ではなく、確認の声だった。


 戦闘ログでは、何度も見ていた。

 白銀の獅子。

 連合側の記録映像に残る軌跡。旧式の戦場で、ひとりだけ別の線を描いていた機体。

 射線の置き方、間合いの詰め方、敵の足を切るために使う余白。

 それらは、資料としてなら頭に入っている。


 だが、画面の中の過去と、いま目の前にいるものは違った。


 避難艇の前に立つ機体。

 撃墜を捨て、盾になる機体。

 それでも動きは鈍らず、守るために入ったはずの機体が、戦場の中心を奪い返している。


 ノアは、REDROSEの機影を見なかった。

 見ないまま、白い機体だけを追っていた。


「白銀の獅子。……戦闘ログで見た通りです」


 レインが言った。

 ノアは短く返す。


「違う」


 レインの機体が、わずかに角度を変える。

 ノアは続けた。


「ログでは足りない。本物は、もっと厄介だ」


 声に熱はない。

 けれど、その冷たさの奥で、獲物を定めるような集中がひとつ沈んだ。


 狩りたい。


 ノアは、その感情を言葉にはしなかった。

 ただ、戦術画面の中心をREDROSEから白い機影へ移す。


「レイン」


 ノアが言う。


「REDROSEは任せる」


 レインは即答する。


「承知しました……逃がしません」


 ノアは続けた。


「私は、あの獅子を狩る」


 狩る。

 撃墜ではない。盾を剥がす。戦場の中心から引きずり下ろす。

 盾が剥がれれば、避難艇は露出する。露出すれば、戦場の形は帝国側に戻る。


 モリーが短く確認した。


「狙いを変更。対象、白銀の獅子」


「そうだ」


 ノアは淡々と、しかし迷いなく宣言した。


「REDROSEの捕獲は続行。だが、邪魔がいるなら先に排除する」


 ノアの機体が前へ出る。

 出過ぎない。だが、周囲の機影がその動きに合わせて広がった。

 先頭機の向きが変わるだけで、僚機の配置まで変わる。


 その中心が、いまミュラーに向いた。


 ノーザンクロス側、宙域。


 ミュラーは、敵の先頭機の注意がこちらへ移ったことを、射線の組み替わりで知った。狙いが増える。逃げ道が削られる。それでも、機体の動きは鈍らない。


 狙いが自分に来るのは悪くなかった。


 避難艇が抜ける。子どもが生きる。あすみが捕まらずに済む可能性が上がる。


 敵の先頭機が来る。来る前から、来た後の形まで作っている動きだった。


 ミュラーは、その出来上がった形を壊すために、最短の動きを選んだ。


 正面で受けない。逃げない。斜めに落ちる。


 推進を一段だけ切り替え、敵の射線の外側へ滑る。滑った先に敵の刃が来る。来る場所に、自分の刃を先に置く。


 射撃は短い。短いのに、戦況が動いた。敵機の姿勢がまた僅かに崩れる。その分だけ、避難艇の前に一瞬の空白が生まれた。

『避難艇、 抜けた!』

 管制の声が走る。ミュラーは息を吐いた。吐いた瞬間、次が来た。敵の先頭機がさらに踏み込む。さっきまでの精密な連携のまま、圧だけを一段上げてくる。ミュラーはその動きを見て、口元だけで笑った。笑い声ではない。まだ足りない、と言う顔だった。

「――いいぞ」

 誰にでもなく、宇宙に言う。

「来い。 俺が相手だ」


 回線の向こうで、あすみの機影が揺れる。拘束ワイヤの影が、その背後に張り付いている。


 レインはあすみを狙っている。狙い続けている。執拗に、浅く削って、最後に繋ぐために。


 ミュラーはそれを横目で捉え、同時に先頭機を離さなかった。


 古賀の退避線、避難艇の進路、敵の中心。

 三つの線を視界の中に置いたまま、ミュラーは機体をさらに前へ出す。


 昔の自分なら、どれかを切っていた。戦果のために、正しそうな順番を選んでいた。


 今は、その順番を他人に預けない。


 敵の先頭機が、それに応えるように角度を変える。ふたつの影が、戦場の中心で重なった。

次回更新は5/9になります

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