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SKY  作者: RUI
SILVER LION

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88/93

Sky88-黒い槍-

 


 会議室として使われている艦内の小ブリーフィングルームは、朝の運用に切り替わった艦の中でも、ひときわ空気が張っていた。

 天井灯は落としすぎず、机上の端末画面だけが青白く顔を照らしている。

 外壁に近い壁面モニターには、北方基地との映像回線が二面、西方本部との回線が一面、連合軍司令部の回線が一面、順番に開かれていた。

 どの回線もわずかな遅延を含んだ電子音を抱えていて、遠い場所と今この部屋が無理やり繋がっているのが分かる。


 ラナは机の正面に立っていた。


 肩の線はまっすぐで、手元の端末を軽く押さえている。

 表情は静かだったが、これから出る言葉の重さだけは隠していなかった。


 右手側にはガナシュが立っている。

 椅子に腰を下ろす気は最初からないらしく、腕を組んだまま壁際に体重を預けていた。ミュラーも座っていない。

 ラナから半歩引いた位置で、壁際に立ったままモニターを見ている。

 昨夜ほとんど眠れていないはずなのに、その顔はもう教官のものに戻っていた。

 ただ、目の下の影だけが少し濃い。


 ジョンはCIC席から引っ張ってきた端末を開き、画面を二つ並べている。

 回線管理と現在位置の同期を同時に見ているせいで、指先の動きがいつもより忙しい。


 シュタイナーはその斜め後ろに立ち、端末画面ではなく人の顔を順に見ていた。

 中立国の士官らしく、まず空気を読み、次に発言の順番を計っている。


 映像回線の向こうでは、北方基地の会議室にハイルトン・グレイ大佐がいた。

 頬杖もつかず、机の上に両肘を乗せることもなく、ただ前へ身を乗り出している。


 横にはリーサ軍曹が座っていた。

 暗号解読用の補助端末を複数開いており、細い指で文字列を追う目つきが鋭い。


 西方本部側には、イル・チャンティ中将がいた。白髪混じりの頭を少し傾け、柔らかく見える目の奥で、状況の変化だけは一つも取りこぼさない顔をしている。

 そのさらに上位回線、連合軍司令部にはアーノルド・サルダー大将が映っていた。

 背景の暗さのせいか、顔より先に肩章が目に入る。短く決めるためだけに出てきた人間の座り方だった。



 ラナが室内を見渡し、声を落ち着かせたまま口を開く。

「北方基地からの暗号通信解読結果を共有します。リーサ軍曹、お願い」


 リーサはすぐに頷いた。声は小さめだったが、聞き取りやすい。

「帝国側の暗号通信を、昨夜二三時四十六分に傍受しました。

 こちらで言う暗号通信は、普通の公開回線じゃなくて、軍の内部だけで使う鍵付きの通信です。

 内容を解くまで時間がかかりますが、その分、流れている情報の温度は高い」


 説明を一度だけ挟んでから、リーサは画面を切り替えた。壁面モニターに、原文の断片が並ぶ。


「今回の文言で注目すべきなのは、“destroy”ではなく“capture”が使われていたことです。

 つまり、撃墜ではなく捕獲。壊すのではなく、生きたまま確保する意図がある」


 ジョンが小さく息を止める音がした。

 ミュラーは表情を変えない。変えないまま、視線だけが文字列に貼りついている。


 リーサは続ける。


「発信元の系統はロイヤル側に近い。断定は避けますが、少なくとも現地部隊の雑音ではありません。確度は高いです」


 ラナが短く訊く。「対象は明記されているの?」


「はい。コードネーム“REDROSE”です」


 室内の空気が、そこで一段だけ硬くなった。誰もすぐには言葉を挟まない。

 その沈黙を、北方基地側のハイルトンが破る。低く、無駄のない声だった。

「冗談や偽装の類じゃない。少なくとも、帝国側は本気で取りに来るつもりだ」


 ハイルトンの背後で、北方基地側の表示板に進路推定図が浮かぶ。

「しかも母艦を率いたブラック・ランスが主力だ。小隊規模の嫌がらせじゃねえ。」


 ラナが目を上げる。「ブラック・ランス……皇族直々に“迎えに”来たってことね。確認できているメンバーは」

 リーサが即座に読み上げる。

「ノア・オルディア。帝国皇太子。レイン・エドガー。エースパイロット。ビル・グレイツ。ジョシュア・ラリー」


 淡々とした羅列だった。

 だからこそ、逆に嫌な現実味があった。


 ジョンが思わず小さく呟く。「ブラック・ランスって、大規模作戦にしか出ない部隊じゃないのかよ。……本命じゃん」

 ガナシュが腕を組んだまま横目で見る。ジョンは口を引き結び、端末へ視線を戻した。


 そこでシュタイナーが、指先で机の縁を軽くなぞりながら口を開いた。丁寧だが、言葉は曖昧に逃げない。

「撃墜ではなく捕獲です。生存前提で確保する価値があると見ている」

「捕獲目的は不明ですが、過去の生体実験の延長である可能性は否定できません」


 ジョンが顔を上げる。説明を求める目だった。

 シュタイナーはそれを見て、言い直す。

「要するに、“戦場で使いたいから奪う”だけではない、ということです。身体そのもの、あるいは適性そのものに価値を見ている可能性がある」


 その言葉に、ミュラーの喉が小さく動いた。

 視線はまだモニターから外れない。


 イル・チャンティ中将が、そこで初めて口を挟んだ。柔らかい声のはずなのに、内容は冷静すぎるほど冷静だ。

「連合としては、ここを曖昧にはできん。REDROSEは軍の象徴だ。帝国に拉致されることだけは避けなければならない」

 人としてではなく、象徴として言った。その冷たさを、ラナもガナシュも聞き流さなかったが、誰も遮らない。


 ミュラーが低く言う。

「ノーザンクロスにいる候補生は戦力対象外として下さい」

 声は静かだった。怒鳴らない。だからこそ硬い。

 ミュラーは一拍置いて、続けた。

「……あいつらは、まだ訓練途中だ。」


 その一言に、ハイルトンが北方基地側の画面の向こうで目を細めた。

 何か言いたげだったが、先にガナシュが口を開く。

「つまり、REDROSEだけじゃない」

「ノーザンクロスそのものが捕縛対象になる可能性がある」

 副艦長の声は、艦そのものの重さを背負っていた。

 艦が狙われる、というのは比喩ではない。

 ここにいる候補生も、避難民も、医療区画も、全部まとめて危険に晒されるという意味だ。


 ラナがジョンを見る。「現在位置と接触予測」

 ジョンはすぐに画面を切り替えた。声は少し早いが、内容は正確だった。

「現在位置はアルクトリ圏縁。宇宙エレベーター接続空域からは既に離脱済み。

 近隣宙域に帝国側の大規模反応はまだ出てません」

「ただ、ブラック・ランス級の部隊が母艦ごと動いてるなら、接触時期は読みづらいです。

 進路を大きく変えれば避けられる可能性はありますが、その分、哨戒の穴が開きます」


「哨戒の穴」という言葉に、ラナの目がわずかに細くなる。

 艦長として、一番嫌う種類の報告だった。

 サルダー大将がそこでようやく口を開いた。短く、結論だけを置く声だった。

「運用は止めない」


 誰も息をしないみたいに静かになる。

「護衛・警戒を強化」

「REDROSEの確保を最優先」

「以上だ」


 それだけ言って、サルダーの回線は沈黙する。上の人間ほど短い。決定だけが残る。


 ラナはその沈黙を数秒だけ受け止めたあと、自分の声で会議を引き取った。

「REDROSEの運用方法は大幅変更なし。大規模・中規模作戦、近隣宇宙空域の哨戒も継続する」

「ただし、警戒レベルを一段上げる。ノーザンクロスが狙われる前提で守る」


 艦長としての結論だった。

 感情を混ぜない。けれど、人を切り捨てる言い方もしない。現実と守りを両方抱えた声音だった。


 ジョンが端末に指を走らせる。

 ガナシュは頷き、すでに次の配置を頭の中で組み直している顔になる。

 シュタイナーはモニターを見たまま、口元の笑みを消していた。

 ハイルトンは画面の向こうで一度だけ目を閉じる。イルは何も言わない。


 ミュラーだけが、まだ動かなかった。

 候補生は前に出さない。

 その言葉を口にした瞬間から、余地は消えている。

(あいつらは出さない)

 胸の奥で、言葉だけが先に固まる。

(出すなら、俺だ)

 視線は壁面モニターの青白い光に残ったまま、もうその先を見ていた。

(ノーザンクロスごと狙うなら、なおさらだ)

 会議室の空気は冷えていた。

 けれど、その冷たさの中でラナが最後に置いた一文だけは、ちゃんと人の声だった。

「総意を確認するわ」

「REDROSEは捕獲対象になった。だが運用は止めない。だから艦ごと狙われる覚悟で守る」

 誰も異を唱えない。

 異を唱えたところで、この現実は軽くならないと全員が知っていた。

 ミュラーは、机の上の端末にはもう視線を落とさなかった。

 会議は終わっていない。けれど、自分の中では、もう次の段階へ入っている。


 逃げる余地は、消えたのだ。






 ーーー帝国側の母艦の発進デッキは静かだった。


 艦は、ノーザンクロスの進路を正面から塞ぐ位置にいた。連合の哨戒圏ぎりぎりの外側、逃げ道を潰すには十分で、まだ正式な交戦開始には遠い距離だった。

 外から見れば、その母艦は黒い槍のような形をしていた。長く鋭い艦首、左右に張り出した発進ベイ、腹部に並ぶ装甲板。連合艦のような白く広い船体ではない。光を反射せず、宙域の黒に沈み込むような、帝国軍らしい艦影だった。

 整備員の手つきに無駄がない。指示が短く、返事が即座に返る。音が少ないぶん、機体の駆動音だけが目立つ。



 先頭の機体の前に、ノア・オルディアが立っていた。 ヘルメットを抱え、視線は前方宙域の一点に固定されている。

 焦っていない。待つ必要がない顔だった。

「距離、詰めます。ノーザンクロス、迎撃準備の動き」中隊長のモリー・クインツが報告する。声は硬い。

 ノアの前で余計な温度は削る。


 ノアは頷くだけで答えた。「包囲する。逃がすな」

 短い命令だった。声を荒げたわけでもないのに、その一言が落ちた瞬間、発進準備区画の空気がさらに細く張った。

 白い照明が、並んだ帝国軍機の外装を冷たく照らしている。床のガイドランプ、整備端末の認証音、遠くで重く唸るカタパルト。誰も慌てていない。ただ、全員が同じ方向へ緊張を揃えていた。


 レイン・エドガーは、肩にかかる緑色の長い髪を手早くまとめ、後頭部で留めた。癖のない動きでヘルメットを被り、顎のロックを締める。硬い音が、小さく響く。そのまま視線を上げ、正面モニターを見る。


 REDROSE。

 連合軍のS級パイロット。

 戦闘ログの中で何度も見た、赤い軌跡。オルタイト高適合者。連合が“象徴”として扱っている存在。


 生かして連れ帰る。

 ノアの命令は明快だった。だが、撃墜ではなく捕獲が前面に出る任務は、いつもより少しだけ輪郭が違って見えた。レインはその違和感の正体を言葉にはしないまま、拳を軽く握る。


「……REDROSEは、まだ出てきていないようですね」

 レインはモニターから視線を外し、ノアへ向けた。


 ノアは戦術画面を見たまま、わずかに口元だけで笑った。

「すぐに出てくる。彼女は即戦力だ」

 言い方は静かだった。予測というより、癖を読んでいる口調だった。


 そのすぐ後ろで、ジョシュア・ラリーが笑う。明るい笑い方ではない。何か面白いものを待っている時だけ、喉の奥で転がるように漏れる笑いだった。

「いいですね。REDROSEさえ折れれば終わる」

 レインが横目だけでジョシュアを見る。表情は変えない。

「ジョシュア。REDROSEを軽く見ない方がいい」

 ジョシュアは片方の口角を上げ、肩をすくめた。軽口の形をしているのに、目の奥だけが妙に冷えている。

「殿下が一緒に出るんです。問題ないでしょう?」

 少し離れた場所で、ビル・ドーソンが自機の外装を一度だけ撫でた。確認というより癖に近い仕草だった。顔を上げずに言う。


「お前もA級だろ。足を掬われないように気をつけろよ」

 ジョシュアは返事の代わりに鼻で笑った。

 モリーが端末を操作しながら、淡々と情報を読み上げる。

「対象はノーザンクロス所属、オルタイト保有者。REDROSE同行機はセリ・アンダーソン一等兵。A級パイロットです」

「A級パイロットねえ」

 ジョシュアが小さく繰り返す。その声音は軽い。だが、何を値踏みしているのかは顔に出さない。

 ノアは誰の顔も見ないまま、続けた。

「目的は艦の撃沈じゃない」

 その声だけが少し硬くなる。命令というより、譲らない方針だった。


「REDROSEを捕獲する。殺すな。生かして連れ帰る」


 レインは無言のまま、その言葉を受けた。

 殺すな。

 他の命令よりわずかに重く残る。ノアは連合の象徴を戦場から消したいのではない。奪いたいのだ。

 その事実だけが、冷たい金属みたいに胸の内側に沈む。


 捕獲。

 レインは、その言葉をもう一度だけ胸の内で繰り返した。

 戦場で敵を殺す命令なら、理解できる。

 撃墜しろ。制圧しろ。突破しろ。

 それらは軍の言葉だった。

 けれど、生かして連れ帰る、という命令は違う。

 それは戦闘ではなく、回収に近い。

 人間を、人間としてではなく、価値ある部品として扱う時の響きがあった。


 レインは、その考えをすぐに消した。

 任務前に余計な感情を持ち込むな。

 そう教えられてきた。


「ノア様、予定通り、私がREDROSEを捕縛します」

 レインは前を見たまま言った。迷いのない声だった。だがその言葉の奥で、任務の異質さだけが静かに沈んでいる。

 ノアが視線だけをレインへ向ける。

「任せた。私が追い込む。お前が追え」

「了解しました」

 レインは短く答えた。


 モリーが最後の確認を投げる。

「捕獲優先。機体破壊は最小限。連合側は防衛戦で時間を稼ぎに来ます」


 ノアは頷き、ヘルメットを被る。顎のロックを締める音が、周囲の静けさの中で妙に大きく聞こえた。

「来させる。来たら、こちらの形にする」

 その言い方に熱はない。だが、勝ち方だけがすでに決まっている声だった。

 レインは通信回線を開く。澄んだ声が、発進準備区画に落ちる。


「全機、出る。目標、REDROSE――捕獲」


 ジョシュアがすぐに返した。

『了解。――やっと会えるな』


 ビルの低い声が続く。

『余計なことは言うな。捕まえるだけだ』


 発進灯が変わる。

 床下でカタパルトが動き出し、低い駆動音が足元から骨へ伝わってきた。


 帝国側SKY部隊が、近傍宙域へ出る。


 ノーザンクロスの方角は、すでに戦術画面の中心にある。

 距離は短い。


 逃げる時間は、さらに短い。


 そして――奪うための時間は、十分にある。

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