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SKY  作者: 岩佐知秋
SILVER LION

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87/126

Sky87-白いうさぎ~

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



連絡デッキの端に設けられた臨時の事務スペースは、昼の光が届かない代わりに、

 天井灯の白さだけが均一に落ちていた。

 艦の低い振動が床の下で鳴り続け、換気の音が一定のまま天井を流れていた。

 サラは机の前の椅子に浅く腰を掛けていた。黒い服の襟は整っている。髪も乱れていない。

 けれど、視線だけが机の端に落ちたままで、呼ばれるまで一度も自分から顔を上げなかった。

 向かいに立つラナは、手元の端末を閉じると、一度だけサラの顔を見た。

 事実を伝える前に、受け止められるかを測る視線だった。けれど、黙っている時間は長く取らない。

 こういうことを先延ばしにしても、軽くはならないと知っている人の間だった。

「大統領を襲撃した犯人が捕まりました」

 その一言で、サラの呼吸がわずかに止まる。顔は上げない。けれど、声だけが細く落ちた。

「……父を…誰が?」

 ラナは感情を混ぜないように、言葉を選んだ。

「金銭で雇われた人物です。計画を立てた側とは直接の関係がない可能性が高い」

 そこで、間が空いた。艦の振動が、二人の間の沈黙を埋めるみたいに続いている。

 ラナは視線を落とさずに続けた。

「いわゆる、実行役です」

 サラは何も言わない。理解しているのか、まだそこまで届いていないのか、外からは分からなかった。

 ただ、瞬きだけが急に少なくなる。

 ラナは端末を持ち直し、声の温度を変えないまま次を告げた。

「必要であれば、今後の特別法定にも出廷できます。検察官に伝えたいことがあれば――」

 そこで、サラの唇がかすかに動いた。

「……せないで」

 ラナがわずかに眉を寄せる。 

「え?」

 サラはそこでやっと顔を上げた。泣いてはいない。叫んでもいない。けれど、目の奥だけがひどく冷えていた。

「死なせないで下さい。絶対に」

 ラナのまっすぐな表情が、そこで初めて少しだけ揺れた。

「……サラさん」

 サラは視線を逸らさないまま、続ける。

 言葉を整えているわけではない。胸の奥から出てきたものを、そのまま落とすような声だった。

「人を殺して、簡単に死ぬなんて……」

 そこで一度、喉が詰まる。それでも、サラは止まらなかった。

「終わりになんて、させない」

 声は大きくない。むしろ静かだった。静かなぶんだけ、その言葉はまっすぐ残った。

 ラナはしばらく黙っていた。

 慰めの言葉は違うと分かっている顔だった。いまここで必要なのは、同情ではなく返答だと分かっている。

 やがて、短く頷く。

「分かりました。責任を持って監視させます。裁判は見学されますか?」

 サラは首を振った。その動きは小さいのに、迷いがなかった。

「できる限りで構いません。真実を暴いてください。そう、検察の方に伝えてください」

 ラナはもう一度、静かに頷いた。机の上の端末には、まだ処理しなければならない報告書がいくつも残っている。

 艦の中では、今日も人が動き、物が運ばれ、次の判断が待っている。

 それでも、この瞬間だけは、ラナは目の前の一人から視線を外さなかった。

 サラもまた、椅子に浅く腰掛けたまま、背筋を崩さなかった。

 泣かないまま、怒りだけを自分の中にまっすぐ通している人の姿だった。


   *


 休憩室を出たミュラーは、廊下の角で足を止めた。

  大きめのモニターがある共有ラウンジから、ホロニュースの討論番組の声だけが漏れていた。

 ミュラーは、嫌な予感のまま足を向ける。

 ラウンジには訓練生が集まっていた。目は画面に吸い寄せられている。ホロの中では、スタジオの照明が明るすぎる。司会者が過剰に落ち着いた声で進行し、パネルの討論者が怒鳴り合っていた。

『――ブライトン大統領暗殺は、NTOへの宣戦布告です!』『報復は当然。帝国に〝痛み〟を返さなければ止まりません!』『それに、戦力が足りない。オルタイト保有者を〝フル動員〟すべきだ!』

 〝フル動員〟

 その言葉が、ミュラーの耳に引っかかったまま残る。まるで燃料の話みたいに、軽い。

 討論者の一人が、笑顔で数字を並べた。

『オルタイトは戦力として極めて有用です。適性者を集中的に運用すれば――』

 ミュラーの奥歯が噛み合う。口の中が苦くなる。

 自分が昔、同じ言葉で前に押し出されて、最後に何も残らなかったことを身体が覚えている。

 ラウンジの端に、サラが立っていた。顔は動いていない。目だけが画面を見ている。

 クリスが、隣のアミューに小声で言った。

  「......俺らもさ、役に立てるなら......」

 悪気はない声だった。怖いから、意味を作りたい。役に立つ側にいれば、置いていかれずに済む気がする。

 アミューが頷く。

「うん。だって、戦力が足りなかったら……また、守れないかもしれないし」

 スザンナは何も言わず、ただ画面を見ていた。

 ミュラーは一歩踏み出しかけて、止まった。

 ここで怒鳴ったら、止めるための言葉ほど、逆効果になる時がある。

 その前に、サラが動いた。サラは黙ったまま、ラウンジの制御パネルに手を伸ばす。

 指先が迷わない。ボタンを一つ押す。

 討論番組の声が途切れ、ホロが一瞬で暗転した。残ったのは、艦の換気音と、遠くの足音だけだった。

 クリスたちが驚いた顔をして振り向いた。

 サラは誰も見ないまま、低い声で言った。

「……こんな番組、見なくていい」

 説教はしない。理屈も言わない。禁止の理由も説明しない。

 サラの制御パネルを押す指に、力が入っている。

 爪が白くなるほどではない。でも、感情がそこに出ている。

 ミュラーは、そこで初めて気づいた。サラは泣いていない。叫んでもいない。

 でも、怒っている。社会そのものに。

 人を〝有用〟と呼んで消費する言い方に。

 父が死んだ直後に、次の燃料の話を始める世界に。

 サラは顔を上げずに言った。

「......あなたたちは、役に立つために生きてるんじゃない」

 生徒たちが黙る。誰も反論できない。反論したら、自分が壊れるのが分かる言葉だ。

 ミュラーは喉の奥で息を飲んだ。

 サラは、ひとりで立っているようで、ちゃんと守っている。

 父の代わりに、じゃない。自分の意思で。

 ミュラーは、クリスたちの方へ視線を向けた。

「今のは忘れろ。やれることはある。だから、勝手に前に出るな」

 クリスが口を開きかけて、閉じる。スザンナがミュラーを見る。

 その目は〝分かりました〟とは言っていない。けれど、〝聞いた〟とは言っている。

 サラはようやく顔を上げた。ミュラーと目が合う。

 そこにあったのは、助けを求める目じゃない。同じ方向を見ている目だった。


 ミュラーは、短く頷いた。ラウンジの照明が、さっきより少しだけ冷たく見える。

 艦のどこかで、何かの音だけが一定に響いていた。換気の低い唸り。金属のきしみ。誰かの足音。

 日常が続く音。続けなければいけない音。

 サラは背筋を伸ばしたまま、ラウンジを出ていく。歩幅は乱れない。

 ミュラーは生徒たちを見回し、最後に一言だけ落とした。

  「お前たちは、余計なこと考えるな」

 そう言うと、サラの後を追って、廊下を歩き出した。

 暗転したホロ画面だけが、黒い鏡みたいにラウンジに残っていた。

 サラの背中は、ラウンジを出たあともまっすぐだった。

 歩幅は乱れない。けれど、さっきまで候補生たちの前で立っていた時より、少しだけ小さく見える。

 ミュラーは何も言わず、その半歩後ろを歩いた。

 医務室の横、サラが自室代わりに使っている小部屋の前で、サラが立ち止まる。

 扉を開けて中へ入り、ミュラーも続けて入った。

 室内は静かだった。医務室の気配が壁越しに薄く伝わってくる。

 消毒の匂い、換気の低い音、遠くで誰かが器具を動かす小さな金属音。

 狭い部屋の中には簡易ベッドと小さな机、それから折り畳み椅子が二つだけ置かれている。

 扉が閉まると、さっきまでのラウンジの光景が急に遠くなった。

 ミュラーはサラを見ずに言った。

「艦長に聞いたか」

 サラはベッドの端に腰を下ろし、黒いスーツの袖を整えてから答える。

「ええ。さっき聞いた」

 ミュラーは立ったまま、短く息を吐く。

「平気か?」

 その問いに、サラは視線を落とした。考えるというより、自分の中の温度を確かめるみたいな間だった。

「平気。嘘みたいに落ち着いてる」

 ミュラーはその返事を聞いて、ようやく椅子を引いた。

 きしむ音が小さく鳴る。サラの横に座ると、二人の間には言葉より先に、部屋の静けさが落ちた。

 サラが先に口を開く。

 「……ミュラー」

 ミュラーはサラの顔に視線を向けた。

「私、貴方に馬鹿な事を言ったわ」

 ミュラーは眉を動かした。

「馬鹿な事?」

 サラは自分の膝の上に置いた手を見たまま、小さく笑うように息を漏らした。

 笑ってはいない。ただ、その言葉を口にするしかないみたいな顔だった。

「みんな殺してきて。なんて。忘れてね。もうそんな事、考えてもいないから」

 その言葉に、ミュラーはすぐには返さなかった。

 部屋の白い灯りが、壁際に置かれた机の角だけを冷たく照らしている。

 忘れてね、という声の奥に、忘れてほしいだけじゃないものが混じっているのが分かった。

「忘れない」

 サラが顔を上げる。驚いたわけでも、止めようとしたわけでもない。

 ただ、思っていた返事じゃなかったという目だった。

 ミュラーは視線を逸らさずに続けた。

「あれは、お前が悲しかったってことだ。それは、忘れない」

 言い切ったあと、部屋の中がまた静かになった。壁の向こうで、誰かの足音が一度だけ通り過ぎる。

 サラの目が少し揺れた。涙ではない。ただ、目が少し水分を帯びた。

「ありがとう」

 その礼に、ミュラーは何も返さなかった。言葉を足したら、かえって浅くなる気がしたからだ。

 ただ隣に座ったまま、動かない。

 サラもまた、背筋を崩さないまま前を見ていた。それで十分だった。


   *


 ミュラーはしばらくサラのそばにいたが、やがて静かに椅子を立った。部屋を出ると、その足は自然に訓練生のいるラウンジへ向かっていた。どこにいても艦は低く鳴っていて、換気の音が一定だった。

 訓練生たちはラウンジのソファーの所で、端末を抱えて笑っている。

 クリスがふざけて肩をぶつけ、アミューが笑いながら「すいませーん」と手を上げる。いつもの雑さ。いつもの空気。

 ミュラーは軽く息を吐きながら、少し離れたソファーに腰を下ろして手元の端末を開いた。

 その時、クリスたちの笑い輪から、スザンナだけが音もなく抜けた。

 歩幅が小さいのに、止まらない。立ち止まらない顔をしていた。

「……教官」

「私を戦闘要員にして下さい」

 ミュラーは顔を上げた。返事が出るまで一拍遅れて、声が低くなる。

「は?」

「役に立ちたいからじゃないです。私は戦闘要員になるために入隊しました」

「戦闘要員として、立たせて下さい」

 ミュラーは手元の端末を机に置いた。音が短く鳴る。

 声は大きくしない。大きくしなくても、止める力がある。

「それは、いま、お前を出す理由にはならねぇ」

「でも――」

「でも、じゃねぇ」

 言葉が鋭くなる。普段より、明らかに。

 生徒たちが気配を殺した。ふざけた空気が引っ込む。

「お前らは弾じゃない」

 スザンナは引かなかった。視線が逸れない。息を吸って、吐く。

「私の妹は、戦場で死にました」

 ミュラーの眉がわずかに動いた。言葉の意味を受け取る前に、身体が先に固くなる。

「私は助けられなかった。……そこにいれば違ったかもしれないって、ずっと思ってました」

 スザンナの指先が制服の裾を一瞬掴む。声が乱れないまま続く。

「避難区域でした。非武装のキャンプ。……攻撃が来るって、誰も思ってなかった」

 ミュラーの喉が鳴る。目線が、スザンナの顔から一度だけ外れる。

 顔色が変わるほどではない。けれど、目だけが明らかに止まった。

「あの日も、白いうさぎのぬいぐるみを持ってました。……片目が取れかけてて」

 周りの音が遠のいた気がした。それでも、換気だけは止まらずに鳴っていた。

 ミュラーの中だけが静かになる。

 スザンナはミュラーの顔を見て、確認するみたいに言った。

「……あの日…あの戦場に、白銀の獅子がいたって…お父さんが言ってた」

 ミュラーの拳がゆっくり握られる。爪が掌に食い込む。

 声が出ない。出せないのではなく、形にならない。

「……誰が、お前にそんな話をさせた」

「誰も」と言って、スザンナは首を振った。

「私が言いたかっただけです。私の妹が、確かにそこにいたって。……忘れられたくないから」

 ミュラーは一拍置いて、ようやく言葉を拾った。

「……忘れるわけない」

 スザンナの目が少しだけ揺れる。

 ミュラーはスザンナから視線を外した。端末を取り上げるふりをして画面を閉じる。

 スザンナが、最後に一歩だけ詰めた。

「……教官。妹が死んだのは戦争のせいです。敵を撃ち落として終わりが近くなるなら、私は撃ちます」

 スザンナの声は小さい。けれど、はっきり届く。

「教官はまだ逃げるんですか?」

 ミュラーは振り向かなかった。返事を探した瞬間、喉の奥が先に固くなる。

 ラウンジの換気音だけが、やけに一定に聞こえた。


   *


 夜のノーザンクロスは、昼よりも整っている。照明は落ちて、監視モニターが静かに点いている。通路の角ごとに、カメラのランプが小さく瞬く。

 巡回の足音が、一定の間隔で近づいては遠ざかった。

 ミュラーは、居住区の方向へは向かわなかった。寝ようとすると、目の奥が勝手に戻る。

 簡易スポーツジムの扉を開けると、無音に近い空気が出迎えた。

 機械の待機ランプだけが点いている。

 ミュラーは迷わずトレッドミルに乗り、スタートを押した。

 最初は歩き。すぐに軽いジョグ。呼吸が整う前に速度を上げる。頭が静かになる。静かになった分だけ、余計なものが入りにくくなる。

 ......だけど、完全には消えない。

 速度をもう一段上げる。ふくらはぎが張って、膝が熱くなる。息が荒くなる。汗が頬を伝う。

 それでも止めない。

(......あー……気持ち悪りぃ……)

 喉の奥に、何かが上がってくる感覚がある。

 実際に吐くわけじゃない。ただ、体が“戻りたがってる”感じだけがある。

 ミュラーは速度を落とさない。

 落とした瞬間、頭が空いてしまうのが分かっている。

  (情けねぇ……)

 走っているのに、どこにも行けない。分かっていても、止まれない。

 やっと、足が重くなってきた頃。ミュラーはようやく速度を落とし、停止ボタンを押した。

 止まった瞬間耳の中の血流音が急に大きくなる。自分の心臓だけが、やけに騒いでいる。

 タオルで顔を拭き、乱暴に首筋を拭く。

 鏡に映った自分は、ただ汗まみれの男だった。戦場の顔でも、教官の顔でもない。

 シャワー室へ向かう通路は暗い。床が少し冷えていて、汗ばんだ足裏に張りつく感じがある。

 個室のシャワーをひねると、湯気が立った。水圧が肩に当たり、皮膚が熱で軽く痺れる。

 ミュラーは額を下げたまま、しばらく湯を浴び続けた。

 ――目を閉じなければ。

 それでも、疲れが勝つ瞬間がある。まばたきが長くなって、次の瞬間、視界が一度だけ暗くなる。

 暗くなったところへ、勝手に入ってくる。

 子どもの腕。短い袖。赤黒い血。

 泥に濡れたぬいぐるみ。

 片目が取れかけて、布が重く濡れている。

 音はないのに、喉が絞まる。

 コクピットの匂いが鼻の奥に戻る。焦げた金属。油。熱。

 ミュラーは反射で目を開けた。開けても、遅い。

 体の芯が硬くなる。息が詰まる。肩が上がる。湯が降っているのに、背中が冷える。

 ミュラーは壁に手をつき、次に額をつけた。

 冷たいタイルに触れた瞬間だけ、今ここだと分かる。

 吐く方を長くする。それだけをやる。

(...…くそ......いつまでやってんだよ)

(ーーサラはちゃんと立ってるのに)

 ミュラーは額を壁につけたまま、目を開けない。開けたら、見えるものが増える気がした。

 湯が肩を流れ続ける。

 ミュラーは数回、深く息を吐いた。

 やっと喉の詰まりが少しだけ緩み、顔を上げる。手のひらで水を受けて目元を何度も洗う。

 鏡は曇っている。そこに映る自分の輪郭は、はっきりしない。


 廊下の監視モニターが、静かに光っていた。

 夜が明けても、艦の音は変わらなかった。


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