Sky84-英雄の代償-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
臨時区画の通路は、人の数に対して狭すぎた。
毛布の山、積み上がった水の箱、簡易ベッドの列。靴底が床を叩く音が重なって、どこを歩いても肩がぶつかる。
ミュラーは名簿を閉じ、壁際に寄って道を空けた。
救護班の声、泣き出しそうな子どもの息、金属製の折り畳み椅子を開く音。あらゆる音が通路に溜まっているのに、その中でひとつだけ、妙に整って聞こえる足音があった。
通路の向こうから別の足音が聞こえてきた。
ノーザンクロスの艦内で、その音は目立つ。ミュラーは反射で顔を上げた。
廊下の端、隔壁の向こうから二人が出てくる。
先を歩くのはセリだ。腕の振りが大きい。足が止まりそうになる瞬間が一度だけあって、でも止まらない。セリが半歩だけ前に出たまま、その場の空気を切るみたいに立っている。
その半歩後ろに、アスミがいた。ヘルメットバッグを肩にかけ、姿勢も崩れていない。
なのに、視線だけが違った。目が合うより先に、何を見ているかが分かった。人を探す目じゃない。状況を数える目だ。どこに何人いるか、どこが詰まっているか、救護の動線がどこで切れているか。そういうものを先に拾う目。
ミュラーの胸の奥が、嫌な形で冷えた。
(……レイナー)
医療ポッドの中で眠っていた小さな子供。教官として叱ったことも、笑わせたこともある。泣きそうな顔で「大丈夫です」と言って、余計に心配を増やしたことも。
いま目の前にいるのは、同じ顔なのに、目だけが違う。ミュラーは口を開きかけた。
いつもの調子で、「よぉ、レイナー、生きてたか」と言えば、少しは戻る気がした。
でも、アスミの目がこちらを捉えた瞬間、言葉が詰まった。
アスミの足が、一瞬だけ止まる。止まって、次に進む。セリが、目の前の扉の前で一回だけためらった。
「ミュラー教官、無事でしたか!」
ぶっきらぼうな声が、通路の空気を割る。
ミュラーの喉が動く。
やっと出たのは、いつもより低い声だった。
「……お前ら、ちゃんと生きてたか」
セリが、わざと軽く返す。
「俺らが簡単に死ぬわけないだろ」
ミュラーは笑えなかった。笑うと、今ここにいる学生たちの顔が浮かぶ。
アスミが、そこでようやく口元を少しだけ動かした。
「……教官」
声が出たのに、続きが詰まる。安堵と、ごめんなさいと、まだ言葉にならないありがとうが混じって、喉の奥で引っかかるのが見える。
アスミは一度だけ息を吸って、言い切った。いま言うべき言葉を探した末に、いちばん先に残ったのがそれだった。
「……北方基地に配属してくれて、ありがとうございました」
アスミの口から出た瞬間、ミュラーの腹の奥が痛んだ。
自分が送り出した結果だ。生きている。けれど、あの頃の自分と同じ目になった。瞳の奥が揺れない。感情を遮断したような目。
ミュラーは返事が遅れた。遅れて、やっと言葉を探す。
「……お前が希望を出したんだろ。生きてるなら、それでいい」
綺麗すぎる返事だと、自分でも分かった。でも、今はこれしか出せなかった。
セリが、わざと雑に肩をすくめる。
「俺らに手伝えることありますか?」
ミュラーは、視線だけで周囲を示した。
「移送するために人数を確認するところだ、点呼してくれるか」
アスミが小さく頷く。
「……私、手伝います」
セリが、横から口を挟む。
「おい。お前、帰艦報告は?」
「……それは、後ででも大丈夫でしょ」
返事が即答すぎて、セリの眉が一瞬だけ動く。それでもセリは突っ込まない。ミュラーは、アスミの目をもう一度だけ見た。“兵器の目”の奥に、まだ残っているものがあるかどうかを確認するみたいに。
残っている。――そう信じたかった。
その時、通路の奥で、急に若い声が弾んだ。クリスとアミューが、通路の奥から歩いてきた。二人とも避難対応の腕章を巻いたままで、顔にはまだ疲れが残っている。けれど、ミュラーを見つけた瞬間に足取りが変わり、そのすぐあとで、アスミの姿に気づいて顔が変わった。
「え。ミュラー教官と一緒にいるのって、もしかして……」
「REDROSEだ! 絶対そうだよ!」
二人は興奮しながらアスミとセリに近づく。
「あ! あの! REDROSEさんですか!」
セリがすぐに口を挟んだ。
「それはコードネーム。こいつはアスミ・レイナー一等兵。まず敬礼。ミュラー教官から教わってんだろ?」
クリスたちが姿勢を正して敬礼をする。
「すみません! クリス・バーネットです!」
「アミュー・フリンツです! サインください!」
アスミが微笑みながら敬礼を返す。
「アスミ・レイナー一等兵です」
「セリ・アンダーソン一等兵、よろしく」
二人は目を輝かせながらアスミを見ている。
「すげえ! 本物の英雄だ!」
「俺、戦闘ログ見てからファンです!」
アスミは笑顔を崩さずに「ありがとう」と返した。
ミュラーは、変わらない笑顔に視線を向けながら、その目の奥の変化を見つめていた。
その騒ぎから半拍遅れて、もう一つ足音が入ってきた。
スザンナが遅れて入ってくる。
ミュラーの方に近づいてくると、アスミたちに敬礼と自己紹介をした。
「スザンナ・リードです。よろしくお願いいたします」
アスミを見ても、他の二人とは違い静かにミュラーに向き直った。
「教官、普通科の生徒は、明日の午前中にセレスタの分校に移送されるそうです。ラナ艦長が伝言をと」
ミュラーはスザンナに顔を向け、短く答える。
「分かった。そっちの様子も見に行く」
それから、セリとアスミに顔を向け直し、声をかける。
「ここは任せた。点呼が終わったら、人数をラナ艦長に伝えてくれ」
二人は、「了解しました」と言って臨時区画の中央に移動していった。
クリスとアミューがスザンナに近づいてきて、小声で言う。
「おい、REDROSEだぞ!」
スザンナは表情を変えずに、アスミに一瞬だけ視線を送った。
「私、二人みたいに英雄とか興味ない。ただの卒業生の先輩でしょ?」
アミューがスザンナに興奮した声で言った。
「ただの。じゃないって、コードネームがつくパイロットなんてほぼいないってミュラー教官が言ってたろ!」
ミュラーは、三人の声を耳に残したまま、部屋の中央にいるアスミたちへ視線を移した。
本当に、いつも通りに笑っているように見える。
二人とも変わっていないように。でも、確かに何かが変わっていた。
これ以上あの場に立っていると、顔に出る気がした。
ミュラーはアスミから視線を外し、通路を別の部屋へ向かって歩いていく。灯りが白く、音が遠い。
喉が一度だけ動いて、言葉が口から落ちた。
「英雄って称号と引き換えに、何を失うんだ」
自分に向けたわけでも、誰かに投げたわけでもない。ただ、昔からそこにあった疑問が、今になって形を持っただけだった。
「……そんなに大事なもんかよ」
乾いた声だった。吐き捨てるでも、怒るでもない。
アスミの目が、昔の自分と同じだった。
ミュラーは息を吐いた。ほんの少し遅れて、続ける。
(あの目のまま、名前だけ削れていく)
叫んだ夜の声が、喉の奥にまだ残っている気がした。
*
一般生の部屋に行き移送についての詳細を確認した後、ミュラーはブリーフィングルームへ向かった。
会議室に使われている艦内の小ブリーフィングルームは、仮設灯の白さがやけに硬かった。
壁面の表示板には、学園コロニー周辺の軌道図と宇宙エレベーターの接続予定時刻が並んでいる。
換気音の低い唸りの奥で、どこか遠くの格納庫から金属を打つ乾いた音が、一定の間隔で届いていた。
長机の上には、紙の報告書と端末が重なっている。席についているのは、ノーザンクロス艦内の各部署責任者だけだった。
正面に立つラナ艦長は、相変わらず背筋がまっすぐだった。表情は静かで、けれど迷いはない。
ラナの右隣には、ガナシュが腕を組んで立っている。
大柄な体を壁際に預けるでもなく、少しだけ斜めに立つ姿勢が、艦橋ではないこの部屋にも現場の空気を持ち込んでいた。
医療責任者のエリンは、机の端で端末を指先だけで操作していた。白衣ではなく艦内勤務用の濃紺の上着を羽織っているのに、周囲の誰よりも医務室の匂いが似合う人だった。
輸送主任のハドリー少佐は、細い銀縁眼鏡の奥で航路表を追っている。言葉少なで、数字を崩さない男だ。
腕まくりをしたまま紙束を押さえている補給主任のマルタ軍曹長は、四十代半ば、現場上がりで、物資が一つ足りないだけで声の温度が下がる。
警備主任のルーク中尉は若い。若いが、避難区画の騒ぎを半日で抑えた目をしている。
通信解析主任のユノ技官は、椅子に深く座る癖のある痩せた男で、画面に映る資金流入経路の断片を、まばたきも少なく見つめていた。
そしてミュラーは、机のいちばん端に立っていた。座る気にはなれなかった。
椅子を引く音ひとつで、さっき通路で見た子どもたちの顔がまた浮かびそうだった。
ラナが端末を伏せ、室内を一度だけ見渡す。
「始めるわ」
それだけで、紙をめくる音まで止まった。
「襲撃事件後の、ノーザンクロスの臨時運用について確認します」
ラナの声は大きくない。けれど、部屋の端まで綺麗に届く。艦長としての声だった。
「まず前提。学園コロニーは、隔壁閉鎖と区画制御が間に合ったおかげで、被害は学校近辺に集中している。居住区と一般区画の大半は無事。被害は小さくないけれど、壊滅ではない」
ラナが表示板を切り替える。学園コロニー全図のうち、赤く表示されているのはLAA周辺だけだった。
ハドリー少佐が眼鏡の位置を指で直し、短く頷く。
「避難対象は学園関係者が中心です。一般区画まで広げる必要は現時点ではありません」
ラナは頷き返し、そのまま続けた。
「ノーザンクロスは、避難民をインシオン地表までは運ばない」
そこで机の向こうの空気がわずかに動いた。誰も驚いた顔はしない。ただ、確認する姿勢に変わる。
「宇宙エレベーターでの受け渡しのみ。第一次輸送、第二次輸送ともに、エレベーター基部で連合受け入れ班へ引き継ぐ。以後の地表輸送は本部側の管轄よ」
輸送主任のハドリー少佐が、手元の航路表に視線を落としたまま口を開く。
「エレベーター接続時間は、一便ごとに三十八分確保できます。格納庫側からの移送導線が混まなければ、第一次で普通科の大半、第二次で残りと軽傷者の移送が可能です」
補給主任のマルタ軍曹長が、紙束を机に打ち付けるように置いた。
「“混まなければ”ね。水も簡易食も足りてはいるけど、今のまま通路に人を溜めたら絶対に詰まるよ。避難区画の毛布だって、積み方ひとつで動線が死ぬ」
「だから第一次輸送を早めるのよ」
ラナは即座に返した。
「普通科の生徒を先に出す。判断基準は年齢と医療優先度、それから艦内混在の危険度。ミュラー中尉の指導しているパイロット候補生三名はノーザンクロスにて待機」
その一言で、ミュラーの視線が初めてラナに上がった。
「……戦闘員として使うつもりですか」
部屋の空気が一段だけ静まる。誰もすぐには動かなかった。
ラナはミュラーを見た。逃げない目だった。
「……分からない。可能性はある」
短い沈黙が落ちる。その沈黙を、ガナシュが崩した。
「ミュラー、まだ待機ってだけだ」
ガナシュの声は低く、抑えられていた。なだめるでも、押し返すでもなく、その場で言える線だけを引く声だった。
ミュラーは何も返さない。
だが、机の縁に置いた指先にだけ力が入る。
警備主任のルーク中尉が、報告書から顔を上げる。
「艦内警備上は助かります。候補生を全員ばらけさせるより、艦内でまとめて把握した方が事故は少ない」
ミュラーは、その言葉を聞いても表情を変えなかった。
分かっている。分かっているから余計に、待機という二文字が黒く見える。
エリンがそこで口を開く。声は柔らかいのに、内容は容赦がない。
「医療側から言うなら、候補生を“まだ飛ばせるかどうか”で見るのはやめて。少なくとも今はね。眠れてない子、過呼吸を起こしかけてる子、反応が遅れてる子もいる。制服を着てるからって、中まで整ってるわけじゃない」
マルタ軍曹長が小さく鼻を鳴らした。
「まともな意見だね」
「まともじゃなきゃ困るわ」
エリンは視線も上げずに返す。その横顔を見て、誰も続けなかった。
ラナは机の上の資料を閉じる。
「候補生は“戦力”ではなく、“艦内待機中の要保護人員”として扱う。少なくとも、ノーザンクロスにいる間はそう定義する」
ガナシュがそこで一度だけ頷いた。
その言い方なら通ると判断した顔だった。通信解析主任のユノ技官が、沈んだ声で報告を挟む。
「襲撃犯について。現時点で拘束された実行犯グループは少人数。組織犯罪であることはほぼ確定ですが、国や企業がどこまで介入しているかは未確定です」
表示板に資金流入経路の断片が映る。企業名も国家名もまだ出ていない。ただ、個人犯では終わらない形だけが見える。
「雇われた側と、計画した側が切れてる可能性が高いです。実行犯だけ押さえても終わりません」
ユノ技官の言葉に、部屋の中の誰も驚かなかった。
むしろ、その方が自然だった。
ラナが頷く。
「調査は本部と連携して継続。ノーザンクロスは直接の追跡には回らない」
そこでガナシュが口元を少しだけ歪めた。
「追うより、抱えてるもんが多すぎる」
「そういうことよ」
ラナは短く返し、表示板を再び航路図へ戻した。
「この艦の次の役割は、追撃じゃない。受け渡しまで生かして運ぶこと」
その言い方に、会議室の温度がやっと一つに揃った。
ハドリー少佐が、指で航路をなぞる。
「第一次輸送は明朝零六〇〇。普通科生徒を優先、軽傷者を含めて九十六名。第二次輸送は正午予定。候補生は艦内待機」
ルーク中尉が続ける。
「避難区画は二分割に再編します。普通科と軍高候補生を混在させない。夜間巡回を増やし、出入り管理を強化」
マルタ軍曹長が資料をめくる。
「食糧と水は二十四時間分を再計算する。候補生連中にも配膳補助くらいはやらせるよ。手が余ってるわけじゃない」
エリンがそこで、初めてミュラーを見る。
「その前に寝かせる子は寝かせるわ。検診はこっちで選ぶ。反論は受け付けない」
ミュラーは小さく息を吐いた。反論する気など最初からなかった。
ラナが最後に、室内全員を見渡す。
「確認するわ。ノーザンクロスは一時避難と宇宙エレベーターでの受け渡しに専念する。候補生は艦内待機。医療優先。調査情報は追うけど、うちは抱えた人間をまず落とさない」
誰も異を唱えなかった。それがこの艦の答えだった。
会議が終わり、椅子が引かれる音が重なる。
資料をまとめる者、端末を閉じる者、次の持ち場へ急ぐ者。部屋の空気がまた現場に戻っていく。
ミュラーだけは少し遅れて動いた。
机の上に残った通達文を、もう一度だけ見下ろす。
候補生、待機。
それは保護の言葉でもあり、いつでも別の意味に変わる言葉でもある。
ミュラーは紙を裏返し、そのまま手で押さえた。
ラナが席を立つ気配がする。ガナシュは何も言わない。だが、隣を通る時だけ、ほんの一瞬だけ歩幅を緩めた。それだけで十分だった。
ノーザンクロスは、インシオンまで送らない。
宇宙エレベーターまでだ。そこまで生かして渡す。
簡単な任務のはずがなかった。
ミュラーはゆっくり顔を上げ、会議室の扉へ向かった。
その足は、そのままサラのいる医務室へと向かっていた。
ミュラーは医務室の前まで来ると、ドアに手を伸ばした。けれど、触れる寸前で止まる。
廊下の向こうから歩いてきたエリンが、その顔を見た。
「起きてるわよ。入らないの?」
「……いや、やっぱり後にする」
「ミュラー、大丈夫よ」
エリンはそう言って、ミュラーに小さく微笑みかけた。
「サラさんは、大丈夫。会いたくなったら、いつでも顔見せてあげて」
「……分かってるよ」
「本当に、あなたって子は昔から同じ返事しかしないんだから」
エリンはドアを開けながら、ミュラーを見る。
「そんなんじゃ、そのうち愛想尽かされちゃうわよ」
そう言って医務室の中へ入っていった。ミュラーは軽く舌打ちをした。閉まったドアに向かって、「うるせえな」と小さく呟く。
それから、その場を離れた。
格納庫の扉に近づくと、候補生とセリたちが訓練機の前で話していた。クリスやスザンナのまだ子供らしさが残った顔を見てから、アスミの顔に視線を移す。
あの目の意味を、何人が理解できる。どれくらいのやつが、あいつの今の状態を見抜ける。
ミュラーの息が浅くなる。
また同じもんを作るつもりか。ミュラーは、アスミから視線を外したあとも、すぐには動けなかった。
*
臨時区画の中央では、点呼の声が重なっている。候補生たちの返事、毛布を引く音、水の箱を運ぶ音。
そこに混じって、さっきまで自分の前にいた二人の声も確かにあるのに、ミュラーにはうまく聞き取れなかった。
喉の奥だけが、妙に熱い。通路の奥へ歩き出す。灯りは白く、足音だけが乾いて響く。
避難区画のざわめきが少しずつ遠のき、代わりに艦の低い振動だけが耳の奥に残った。
角を曲がった先、格納庫寄りの小さな観測窓の前に、ガナシュが立っていた。
背中を向けたままでも分かる。肩の力の抜き方も、足の開き方も、一緒に飛んでいた頃から変わらない。
ミュラーが近づくと、ガナシュは窓の外を見たまま口を開いた。
「レイナー一等兵とアンダーソン一等兵、お前の教え子だってな。しっかり教官やれてたみたいで安心したよ」
ミュラーは壁に肩を預けるでもなく、その少し手前で足を止めた。返ってきた言葉に、鼻先で息を鳴らす。
「なんだよ、安心って。当たり前だろ」
そのぶっきらぼうな返しに、ガナシュの口元がわずかに動く。
「一緒に飛んでいた時は、お前は現場の人間だと思ってた。育てるのにも実は向いてたとはな」
ミュラーが鼻で笑う。けれど、その笑いは長く続かなかった。窓の向こうには、艦外作業灯に照らされた船体の縁と、その向こうに滲む星の光がある。
静かな景色だった。静かなはずなのに、さっき見たアスミの目だけが、まだ離れない。
ミュラーは視線を窓の外へ投げたまま、低く言った。
「レイナーをいつまで飛ばすつもりだ。お前も分かってんだろ、あの眼」
ガナシュはすぐには答えなかった。
数秒だけ沈黙が落ちて、そのあとで、静かな声が返る。
「戦場での英雄は、光だ。光は誰かの道を照らす。お前もだ。ミュラー」
ミュラーの顎がわずかに強張る。その言葉を、綺麗事として切り捨てられるほど、子どもではなかった。
「俺は違う。俺はいつも間に合わない。目の前にいたはずなのに、助けられない」
言い終わったあと、窓に映る自分の輪郭がかすかに揺れた。
ガナシュはその横顔を見ない。ただ、同じように窓の外を見つめたまま言う。
「俺だって、あの頃お前を助けられなかった。同じだろう」
ミュラーは何も返さない。返せる言葉があるなら、とっくに見つかっていた。
「戦場に立つには、お前は若過ぎた。それだけだ」
その一言に、ミュラーの喉が小さく動いた。
若すぎた。
その言葉で済むのなら、どれだけ楽かと思う。
けれど、その言葉でしか届かないことも、ミュラーは知っている。
「……」
窓の向こうで、インシオンの青がゆっくり縁を描いていた。ミュラーは視線を落とさないまま、奥歯を噛む。
「あいつはこれ以上、壊れないと思ってんのか?」
ガナシュは短く息を吐いた。
「彼女は軍人だ。止められはしない。けどな、お前にしか出来ないことはある」
その言葉で、ミュラーはようやくガナシュの方を向いた。真正面ではなく、少し斜めから。昔から、何かを真正面で受けるのが下手だった。
「俺にしか?」
ガナシュはそこで初めて、ほんの少しだけミュラーへ顔を向ける。
「彼女が壊れたら、お前が連れ戻せ」
短い言葉だった。命令でも、慰めでもない。
託されたのだと分かるからこそ、胸の奥が鈍く痛んだ。
ミュラーは、口角を下げ切らないまま、窓の外に目を向ける。返事はしなかった。できなかったとも言えるし、する必要がないとも思った。
ガナシュはミュラーに返事を求めない。彼はずっと、窓の外を見つめている。
星の光と、インシオンの青が二人の目の前に広がっていた。
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