Sky83-静かな異音-
救護室の扉が閉まったあと、 ミュラーは数歩だけ廊下を進んで、 足を止めた。
艦内の換気音に混じって、 遠くから一定の電子音が聞こえる。
――救護室のモニターの音だと分かった瞬間、喉が詰まった。
規則正しい電子音。
生きている証のはずなのに、なぜか胸が締め付けられる。
呼吸を整えるふりをして、 ミュラーは背中を壁に預ける。握っていた拳を開くと、掌に爪の跡が赤く残っていた。
「ミュラー」
横から声がした。
ガナシュ副艦長が追い立てない距離で立っていた。
視線が、 救護室 の方向へ一度だけ流れてからミュラーへと戻る。
「避難民受け入れの臨時区画を立ち上げる。お前は学園側の責任者として立ってくれ。」
ミュラーは 返事を整える余裕がなく短く答えた。
「……分かった」
ガナシュは、もう一度医務室へ視線を向けた。
「…ブライトン大統領の御息女は落ち着いたか。」
ミュラーは視線を落としたまま答える。
「……今は鎮静剤で眠ってる」
視線を医務室から戻すと、ガナシュはミュラーの肩に手を置き
静かに言った。
「艦長も言ったが、お前のせいじゃない。忘れるなよ」
ミュラーは、肩に置かれた手に一瞬視線を向けるが、すぐに方手でガナシュの手を払うと横を通り過ぎながら言った。
「分かってる」
ガナシュは、廊下を歩いていくミュラーの後ろを数歩開けてついて行く。
格納庫前の区画は、 収容所のようになっていた。
毛布が積まれ、 水と栄養パックの箱が並び、 救護班が簡易ベッドの位置を指示してい る。
壁沿いに座らされた生徒たちの間を、 医務が順に歩いて回っていた。
誰かが泣いて、 誰かが黙り込んで、 誰かが友達の名前を呼んでいる。
ミュラーがそこへ入った瞬間、 視線が一斉に集まった。 制服の教官腕章が、 ここでは生徒たちの安心材料になる。
何人かが、毛布の中から腕章を見ている。
「......教官......?」どこかで小さな声がした。
ミュラーは答えない代わりに、 歩幅を落とした。
走ったら、余計に怖がらせる。
その奥で、 ラナ艦長が指示を飛ばしていた。艦長は声を張り上げない。 けれど、 周囲の動きが揃う。
救護の手が止まらず、 整備の人 員が通路の確保へ回り、 警備が人の流れを整理していく。
「格納庫の奥は機体の動線。 そこに子どもを入れないで。 区画を分ける。 ――いい? ここ は戦艦じゃなくて“避難船”よ。 順番を守らせて、 押さない。 走らせない」
誰かが 「しかし艦長、 作戦――」 と言いかけた。
ラナは視線だけで止めた。
「作戦は私が背負う。 いまは受け入れる。 やることは一つずつ」
ミュラーはその言葉を聞いて、 胸の奥が少しだけ落ち着くのを感じた。
後ろから歩いてきていたガナシュが、 ミュラーの横へ半歩出る。
「学園の生徒は“学年”で固める。 お前は点呼と配置。 できるだけ、 知 っている顔を同じ区画へ」
「......了解」返事が乾く。 乾いていてもいい。 いまは声が出ればいい。
ドック側がもう一度騒がしくなった。
「新規入港、 二機! 学園所属の訓練機――」
誘導灯が走り、 整備員が手を振る。二SKYと小型機が震えながら滑り込んで、 ロックが噛む。
ハッチが開く前から、 中の人の気配が 溢れてくる。
先に降りてきたのは、 訓練生だった。クリスは顔が煤けているが、気丈にSKYから降りてきた。
次にスザンナが乗ってきたSKYから降りてくる。
手が震えているのに背筋を崩さない。
小型機から降りてきたアミューは、
端末を握りしめたまま、 唇を噛んでいる。
ミュラーを見つけた三人の肩が、 同時に落ちる。
クリスがミュラーに言いかける。
「教官……報告をーー」
ミュラーは一瞬だけ足を止めて、 まっすぐ3人に近づいた。
「――よくやった」
クリスの眉が少し下がり、はい。と言いながら声を詰まらせた。
スザンナは泣かないまま、 目だけ赤い。
アミューは一度だけ 頷いて、 機体の中へ手を伸ばした。
「......まだ乗ってる生徒がいます。 怪我人も」
ミュラーは頷く。
「分かった。 救護班、 こっち。 先に酸素、 次に止血。 動ける生徒は座らせろ」
言いながら、 自分でも驚くほど、 口が勝手に回った。
救護班が詰め、 毛布が広げられ、 担架が差し込まれる。 泣き声が増える。 名前を呼ぶ声が重なる。 誰かが 「教官」 と叫ぶ。
ミュラーは振り向いて、 声を低くした。「 ――ここは安全だ。 いまは、 言う通りに動け」
言い切ると、 生徒たちが一瞬だけ静かになる。 静かになったあと、 震えが伝染するみたいに戻ってくる。
⸻
臨時区画の入口で、 ミュラーは腕まくりをした。 袖口が擦れて、 布が少し引っかかる。
そこに、 薄い刺繍が残っていた。白銀の獅子。 昔の部隊章。 洗われて、 削れて、 輪郭だけになっている。
ミュラーは一瞬だけ指先で触れて、 すぐに手を離した。 見ている暇はない。
「――教官!」
呼ばれて顔を上げると、 怯えた目が並んでいる。
子どもの目だ。 訓練生も、 いまは子どもと同じ顔をしている。
ミュラーは息を吸って、 手元の端末を開いて名簿を見る。
避難民兼、 指導教官それが、 いまの自分の役目だと分かった。
通路の向こうで、 ラナ艦長の指示が途切れない。
ノーザン・クロスの中が、 “受け入れるための音” で満ちていく。
ミュラーは端末を握り直し、 次の名前を呼んだ。
ーーー
学園アカデミーから避難してきた生徒たちは、グループごとに分けられ、艦内の空き会議室へ順に移されていった。
地球や他のコロニーへ輸送する手筈が整うまで、しばらくはノーザンクロス艦内で過ごすことになる。
一通りの申し送りが終わった頃には、もう深夜近かった。
格納庫前のホールは人影もまばらで、さっきまでの慌ただしさが、ようやく少しだけ落ち着いている。
ミュラーは紙コップの薄い縁を指で押しながら、窓際の椅子に座っていた。
窓の向こうには、無数の星と、夜の側へ回った地球の灯りが暗がりの中に散っている。
「あなたの部屋、医務室のいちばん近くに変えたって。ラナが伝えておいてって」
背後から声がした。
振り向くと、エリンが同じようにコーヒーの入った紙コップを持って立っていた。
ミュラーは視線だけをエリンに向けて、すぐにまた窓の外へ戻す。
「……どうも」
ぶっきらぼうに返すと、エリンの口もとが少しだけ緩んだ。
「久しぶりの再会なのに、冷たいのね」
エリンはミュラーからほんの少し距離を空けて、隣の椅子に腰を下ろした。
「……こんな状況で、明るく挨拶ってわけにもいかねーだろ」
エリンは何も言わず、ミュラーの横顔を見る。
疲労がそのまま滲んだ顔だった。
「ミュラー、少し眠ったら? 今日は色々ありすぎたわ」
ミュラーは「ああ」とだけ短く返して、また黙った。
エリンは周囲に一度だけ視線を配ってから、少し声を落とす。
「眠るのが怖いの?」
ミュラーは視線の置き場を決めないまま、低く返した。
「……わかんねえ」
怖くないと言えば嘘になる。
目を閉じた先に何が来るのか、考えたくなかった。
うなされて起きるのか、眠ったまま朝まで落ちるのか、自分でもわからない。
エリンはミュラーから目を逸らさないまま、コーヒーを
ゆっくり口んだ。
それから、静かに話を続ける。
「明日、あすみちゃんたちが別のコロニーの任務から戻ってくるわ」
ミュラーは、その言葉を聞いて、やっとエリンの顔を見た。
「…配属が変わったのか?ノーザンクロスに?」
最後に聞いた時、REDROSEは西方本部空域を飛んでいたはずだ。
それが、どうしてノーザンクロスにいる。
西方本部のやり方はよく知っている。
REDROSEが最前線から簡単に外されるはずがない。
何かあった。
そう理解するには、今のエリンの言葉だけで十分だった。
エリンは、ミュラーから目を外し、窓の向こうに視線を流した。
「…少し前にね」
そして、ほんの少しだけ間を置いて続ける。
「……あとは、貴方が自分の目で見て判断して」
エリンは立ち上がり、片手のコーヒーを飲み干すと、ミュラーの顔を指先で示した。
「それから、そんな顔で出迎えちゃ駄目よ」
「ちゃんと寝なさい。約束よ。」
エリンはそう言うと、おやすみ。と言って、医務室の方へ歩いて行く。
ミュラーが手に持っていた紙コップのコーヒーは、もうとっくに冷めていた。




