Sky83-静かな異音-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
救護室の扉が閉まったあと、ミュラーは数歩だけ廊下を進んで、足を止めた。
艦内の換気音に混じって、遠くから一定の電子音が聞こえる。救護室のモニターの音だと分かった瞬間、喉が詰まった。規則正しい電子音。生きている証のはずなのに、なぜか胸が締め付けられる。
呼吸を整えるふりをして、ミュラーは背中を壁に預ける。握っていた拳を開くと、掌に爪の跡が赤く残っていた。
「ミュラー」
横から声がした。振り向くと、ガナシュが立っていた。視線が、救護室の方向へ一度だけ流れてからミュラーへと戻る。
「避難民受け入れの臨時区画を立ち上げる。お前は学園側の責任者として立ってくれ」
ミュラーは返事を整える余裕がなく、短く答えた。
「……分かった」
ガナシュは、もう一度医務室へ視線を向けた。
「ブライトン大統領の御息女は落ち着いたか」
ミュラーは視線を落としたまま答える。
「今は鎮静剤で眠ってる」
視線を医務室から戻すと、ガナシュはミュラーの肩に手を置き、静かに言った。
「艦長も言ったが、お前のせいじゃない。忘れるなよ」
ミュラーは、肩に置かれた手に一瞬視線を向けるが、すぐに片手でガナシュの手を払うと横を通り過ぎながら言った。
「分かってる」
ガナシュは、廊下を歩いていくミュラーの後ろを数歩開けてついて行く。
*
格納庫前の区画は、収容所のようになっていた。
毛布が積まれ、水と栄養パックの箱が並び、救護班が簡易ベッドの位置を指示している。壁沿いに座らされた生徒たちの間を、医務が順に歩いて回っていた。誰かが泣いて、誰かが黙り込んで、誰かが友達の名前を呼んでいる。ミュラーがそこへ入った瞬間、視線が一斉に集まった。制服の教官腕章が、ここでは生徒たちの安心材料になる。何人かが、毛布の中から腕章を見ている。
「……教官……?」
どこかで小さな声がした。ミュラーは答えない代わりに、歩幅を落とした。
走ったら、余計に怖がらせる。
その奥で、ラナが指示を飛ばしていた。艦長は声を張り上げない。けれど、周囲の動きが揃う。
救護の手が止まらず、整備の人員が通路の確保へ回り、警備が人の流れを整理していく。
「格納庫の奥は機体の動線。そこに学生を入れないで。区画を分ける。いい? ここは戦艦じゃなくて“避難船”よ」
誰かが「しかし艦長、作戦――」と言いかけた。
ラナは視線だけで止めた。
「作戦は私が背負う。いまは受け入れる。やることは一つずつ」
ミュラーはその言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ落ち着くのを感じた。後ろから歩いてきていたガナシュが、ミュラーの横へ半歩出る。
「学園の生徒は“学年”で固める。お前は点呼と配置。できるだけ、知っている顔を同じ区画へ」
「……了解」
ドック側がもう一度騒がしくなった。
「新規入港、二機! 学園所属の訓練機――」
誘導灯が走り、整備員が手を振る。二機のヴィーラと小型機が震えながら滑り込んで、ロックが噛む。
ハッチが開く前から、中の人の気配が溢れてくる。
先に降りてきたのは、訓練生だった。クリスは顔が煤けているが、気丈にヴィーラから降りてきた。
次にスザンナが乗ってきたヴィーラから降りてくる。手が震えているのに背筋を崩さない。小型機から降りてきたアミューは、端末を握りしめたまま、唇を噛んでいる。
ミュラーを見つけた三人の肩が、同時に落ちる。クリスがミュラーに言いかける。
「教官……報告を――」
ミュラーは一瞬だけ足を止めて、まっすぐ三人に近づいた。
「よくやった」
クリスの眉が少し下がり、「はい」と言いながら声を詰まらせた。
スザンナは泣かないまま、目だけ赤い。
アミューは一度だけ頷いて、機体の中へ手を伸ばした。
「……まだ乗ってる生徒がいます。怪我人も」
ミュラーは頷く。
「分かった。救護班、こっち。先に酸素、次に止血。動ける生徒は座らせろ」
言いながら、自分でも驚くほど、口が勝手に回った。
救護班が詰め、毛布が広げられ、担架が差し込まれる。泣き声が増える。名前を呼ぶ声が重なる。誰かが「教官」と叫ぶ。
ミュラーは振り向いて、声を低くした。
「ここは安全だ。いまは、言う通りに動け」
言い切ると、生徒たちが一瞬だけ静かになる。静かになったあと、震えが伝染するみたいに戻ってくる。
臨時区画の入口で、ミュラーは上着の袖を捲った。袖口が擦れて、布が少し引っかかる。
そこに、薄い刺繍が残っていた。白銀の獅子。かつて自分に与えられたコードネームの紋章。洗われて、削れて、輪郭だけになっている。
ミュラーは一瞬だけ指先で触れて、すぐに手を離した。見ている暇はない。
「教官!」
呼ばれて顔を上げると、怯えた目が並んでいる。子どもの目だ。訓練生も、いまは子どもと同じ顔をしている。
ミュラーは息を吸って、手元の端末を開いて名簿を見る。避難民兼、指導教官。それが、いまの自分の役目だと分かった。通路の向こうで、ラナの指示が途切れない。ノーザンクロスの中が、“受け入れるための音”で満ちていく。
ミュラーは端末を握り直し、次の名前を呼んだ。
*
学園アカデミーから避難してきた生徒たちは、グループごとに分けられ、艦内の空き会議室へ順に移されていった。インシオンや他のコロニーへ輸送する手筈が整うまで、しばらくはノーザンクロス艦内で過ごすことになる。
一通りの申し送りが終わった頃には、もう深夜近かった。格納庫前のホールは人影もまばらで、さっきまでの慌ただしさが、ようやく少しだけ落ち着いている。
ミュラーは紙コップの薄い縁を指で押しながら、窓際の椅子に座っていた。窓の向こうには、無数の星と、夜の側へ回ったインシオンの灯りが暗がりの中に散っている。
「あなたの部屋、医務室のいちばん近くに変えたって。ラナが伝えておいてって」
背後から声がした。振り向くと、エリンが同じようにコーヒーの入った紙コップを持って立っていた。
ミュラーは視線だけをエリンに向けて、すぐにまた窓の外へ戻す。
「……どうも」
ぶっきらぼうに返すと、エリンの口もとが少しだけ緩んだ。
「久しぶりの再会なのに、冷たいのね」
エリンはミュラーからほんの少し距離を空けて、隣の椅子に腰を下ろした。
「こんな状況で、明るく挨拶ってわけにもいかねーだろ」
エリンは何も言わず、ミュラーの横顔を見る。疲労がそのまま滲んだ顔だった。
「ミュラー、少し眠ったら? 今日は色々ありすぎたわ」
ミュラーは「ああ」とだけ短く返して、また黙った。
エリンは周囲に一度だけ視線を配ってから、少し声を落とす。
「眠るのが怖いの?」
ミュラーは視線の置き場を決めないまま、低く返した。
「……わかんねえ」
怖くないと言えば嘘になる。目を閉じた先に何が来るのか、考えたくなかった。うなされて起きるのか、眠ったまま朝まで落ちるのか、自分でもわからない。
エリンはミュラーから目を逸らさないまま、コーヒーをゆっくり口へ運んだ。
それから、静かに話を続ける。
「明日、アスミちゃんたちが別のコロニーの任務から戻ってくるわ」
ミュラーは、その言葉を聞いて、やっとエリンの顔を見た。
「配属が変わったのか? ノーザンクロスに?」
最後に聞いた時、REDROSEは西方本部空域を飛んでいたはずだ。それが、どうしてノーザンクロスにいる。
西方本部のやり方はよく知っている。今やREDROSEはNTOの象徴として扱われている。
NTOがREDROSEを最前線から簡単に外すはずがない。
何かあった。
そう理解するには、今のエリンの言葉だけで十分だった。エリンは、ミュラーから目を外し、窓の向こうに視線を流した。
「少し前にね」
そして、ほんの少しだけ間を置いて続ける。
「あとは、貴方が自分の目で見て判断して」
エリンは立ち上がり、片手のコーヒーを飲み干すと、ミュラーの顔を指先で示した。
「それから、そんな顔で出迎えちゃ駄目よ」
「ちゃんと寝なさい。約束よ」
エリンはそう言うと、「おやすみ」と言って、医務室の方へ歩いて行く。
ミュラーが手に持っていた紙コップのコーヒーは、もうとっくに冷めていた。
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