Sky82-虚空の音-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
格納庫のシャッターが開く音は、 空気そのものを動かすみたいに重かった。 誘導灯が点 滅し、 床の軌条に白いラインが走る。 冷却剤の霧が低く流れて、 金属の匂いに混じって焦 げた熱が遅れて入ってきた。
「収容位置、 固定。 担架、 先に出して」
ラナ艦長の声が飛ぶ。大きくはない。けれど、その一言で整備と救護の足が同じ方向に揃う。
緊急用の小型機体が、軌条に乗ってよろめくように滑り込み、最後にロックが噛む。駆動音が順に落ちていって、残ったのはファンの低い唸りだけだった。
ハッチが開く。
ミュラーは中から、サラを抱えたまま降りてきた。 足場に片足をかけた瞬間、サラの膝がわず かに揺れる。
サラを抱えたまま足を踏ん張って、一段ずつ、ゆっくりと降ろしていく。
腕の中にいるサラは、もう泣き叫ぶ段階を越えていた。目は開いているのに焦点が遠い。 頬に涙はない。顔の筋肉だけが、固いまま止まっている。
ラナ艦長がミュラーの正面まで急ぎ足で来る。 整備員と救護班の背後で、艦長だけが一歩だけ近かった。
「ミュラー! 無事だったのね!」
その声に返すより早く、救護班が距離を詰めてくる。 担架の車輪が床を噛む音。毛布が広げられる擦れ。
ラナ艦長はサラを一度だけ見て、迷わず言葉を切る。
「......救護室へ。 いま、すぐ」
担架が寄せられ、サラの肩へと手が伸びる。ミュラーは一瞬だけ、肩を持つ腕に力を込めた。
抱えた体温を離すのが遅れる。 指先に残る重みが、離したくないのか、離せないのか、自分でも判別できない。
けれど次の瞬間、ゆっくりほどいて、サラを渡した。
「......頼む」
ラナ艦長は短く頷いた。
「任せて」
担架が動き出す。救護班の肩越しに、サラの視線だけが宙に置き去りのまま運ばれていく。
ミュラーは追いかけたいのに、足が出な買った。追えば何かが崩れる気がして、踏み出せない。
救護班が格納庫の出口へ消えてから、ラナがようやく問いを落とした。
「ブライトン大統領は?」
ミュラーの喉が動く。 声が出るまで、時間がかかった。
「......間に合わなかった」
ラナの目がわずかに見開かれて、言葉が詰まり、息を整えるみたいに一度だけ唇を結び、低く言う。
「そう」
それから、ミュラーを見てきっぱりと言った。
「あなたのせいじゃないわ」
ミュラーは俯いたまま、 静かに返した。
「......ああ。 分かってるよ」
“分かってる”の言い方が、答えになっていない。ラナは、その顔を一瞬だけ確かめるように見た。
「そんな泣きそうな子供みたいな顔して......あなたも少し休みなさい」
ミュラーは笑う形すら作れなかった。代わりに唇を噛み、吐き捨てるように言う。
「あいつら、学校内部に兵器を持ち込みやがった。助けられた生徒も多くない......」
ラナは返さない。返せない種類の報告だった。そのまま横へ視線を切る。
「......ガナシュ。 ミュラーについていて」
ラナの隣にいた、ガナシュ・フィヨルド副艦長が一歩前に出て、硬く、正確に答えた。
「承知致しました」
ガナシュが半歩だけ横に立つ。
「平気か、ミュラー」
追い立てない。 慰めもしない。ただ、倒れる前に支えられる距離を保つ。
「……多分な」
ミュラーは拳を開けないまま、救護室の方向を見ていた。
ノーザンクロスの会議室では、 壁面モニターが複数立ち上がっていた。 衛星中継。各基地回線。断片を繋いで、 状況を形にするための場所。誰かの悲鳴も、爆音も、ここには入れない。入れた瞬間に判断が遅れるからだ。
ラナは席につき、端末を開いた。艦内の空気が、会議用の温度に切り替わる。画面の一つに、西方とは別系統の作戦室が映る。 落ち着いた照明。机。書類。人の配置が整っている。
ノーザンクロスの所属先である北方基地の会議室に、イルとハイルトンがいた。イルが画面の中央に立っていた。 隣に、ハイルトンがいる。
イルが淡々と告げる。
「LAA学園コロニー、襲撃を確認。ブライトン大統領の死亡は確定。生存者の一部はノー ザンクロスが収容」
感情を含まない言い方だった。事実だけが重い。 ラナは頷いた。返事は短い。
「収容は続ける。医務と格納庫を拡張する」
イルが続ける。
「避難ラインは複数。追撃の可能性もある。ノーザンクロスは現時点で最も安全な受け皿 だ」
そこまで言って、 ハイルトンが一度だけ口を開いた。
「......生徒を最優先で守れ。 ノーザンクロスは最後の盾だ」
ラナは 「了解」 とだけ返した。会議室の空気が、さらに締まる。
会議室のドアが開いて、廊下の音が戻る。 換気の低い唸り、遠くの足音、ドック側の工具が金属 を叩く乾いた音。 艦はいつも通りに動いている。
ミュラーは廊下の窓際で、艦の外を見ていた。星があるだけの黒い景色。インシオンは角度が悪くて見えない。
背中の奥が重い。拳の痛みが、まだ残っている。息を吐いて、もう一度だけ窓の外を見上げる。
見上げても、何も変わらない。
ブライトン大統領に託されたものを、腕の中に抱えてここに来た。
ミュラーは、自分の掌へ視線を落とした。
すぐにヴィーラに乗れたなら、LAAの内部に持ち込まれた兵器をすぐに排除できた。もっと早く生徒を安全な場所に連れて行けた。もっと早く、ブライトン大統領を助けに行けた。
サラの鳴き声が、耳から離れない。僅かに震え出した手を押さえ込んで、ミュラーは救護室へ向かった。
救護室の照明は明るかった。無機質な壁、消毒の匂い、遠くでモニターが一定のリズムを刻む音。
一定の静かな音だけが響く部屋のベッド脇の椅子に、サラは座っていた。背筋は伸びているのに、体の中身だけが抜けたみたいに見える。目はどこか遠くを見たまま、瞬きが少ない。
ミュラーは入口で一度だけ立ち止まり、呼吸を整えるふりをしてから近づいた。
自分の足音が、この部屋ではやけに大きい。サラの隣に立つと、ミュラーはサラの顔を見ながら言った。
「平気か?」
サラの視線が、ほんの少しだけ動く。声は小さく、掠れていた。
「......ミュラー......」
力のない声。何も映っていない瞳。サラのそんな表情を、今まで一度も見たことがない。
「なんだ」
サラの表情は動かない。膝の上に置かれた手にも力が入っていない。ミュラーでさえ、今の彼女の瞳には映っていない。
その目に映っているのは虚空だけだ。
言葉が落ちるまで、時間が必要だった。
サラの喉が動く。言葉にするまで、時間がかかった。
ミュラーはサラの顔を見ていた。そして、ゆっくりとサラが口を開いた。
「......お父様を殺した人......全員殺して来て......」
ミュラーの拳が固く握られる。 爪が掌に食い込み、痛みが遅れて来る。
その痛みで、ここにいることだけが確かになる。
「......そんな事、お前は言うな......」
その瞬間、サラの瞳の端から一筋涙が流れた。
自分が涙を落としたことさえ、分かっていないほどに、静かに落ちた。
ミュラーは、それ以上の言葉を出せなかった。
サラの側で、サラの涙から視線を逸らさずに、ただ立っていた。
救護室には、モニターの一定の電子音だけが響いていた。
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