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SKY  作者: 岩佐知秋
SILVER LION

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81/126

Sky81-託される者-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。






 避難ルートの最後の隔壁が閉じる直前、ミュラーは列の背中を押し切った。

「行け。止まるな」

 泣き声が遠ざかる。足音が遠ざかる。隔壁のロックが落ちる音がして、通路の向こうが遮断された。

 ――ここまで。生徒は出した。

 ミュラーは一度だけ呼吸を吸い、イヤピースを叩いた。返るのはノイズと、断続的な声だけだ。

 警備の指示も、講堂側の報告も、途切れ途切れで意味にならない。炎の匂いが濃くなっている。ホール側――制御区画の方向から、また爆音が鳴った。粉塵が通路の天井から降り、床に白い膜を作る。

 サラ。

 大統領。

 さっき見えた背中が、あの方向だった。ミュラーは躊躇せずに走り出した。通路の角を曲がる。床に転がる破片を避ける。火花が飛び、照明が一つ落ちた。暗くなる。通路には警備灯だけが、赤く点滅する。

 前方に人影。NTOの警備かと思った一瞬のあと、動きが違った。肩の角度が低い。足が速い。銃口が迷わない。

 ミュラーは壁に身体を寄せ、回り込むように距離をずらした。撃ち合う時間はない。倒すことが目的じゃない。通るのが目的だ。相手が振り向いた瞬間、ミュラーは床に落ちていた消火用の筒を蹴って転がした。

 金属音が響いて、視線がそちらへ寄る。その隙に、ミュラーは走り抜けた。背中で銃声が鳴り、壁が抉れる。

 粉塵が舞って、吸い込んだ肺が痛い。それでも、足は止まらない。

 ――間に合え。

 それだけを、身体が繰り返す。


   *


 制御区画の手前、最後の通路に入った瞬間、空気が変わった。

 熱い。

 ここだけ温度が違う。焦げの匂いが強い。床に水が広がり、天井からはスプリンクラーの残り水が滴っている。

 足元が滑る。

 ミュラーは踏ん張って、前へ出た。扉が半分潰れていた。内側で何かが燃えている。音が低い。火が壁の継ぎ目を舐めている。護衛が少ない。倒れている。

 立っているのは数人だけで、その顔はもう「時間を稼ぐ」だけの顔だった。

「……くそ」

 ミュラーは扉の隙間を押し広げ、声を張った。

「ブライトン大統領!」

 返事の代わりに、内部からサラの声が飛んできた。

「ミュラー! こっち!」

 煙の中で、サラがいた。髪が乱れ、資料端末の代わりに救急バッグを抱えている。

 その奥に、ブライトン大統領がいた。椅子に座っているのに、姿勢が崩れていない。周囲の誰よりも落ち着いた目をしている。落ち着いた目のまま、状況を見ている。大統領がミュラーを見る。声は静かだった。

「来てくれたか」

 サラが大統領の前に立つ。声が震えていた。

「お父様……、私も一緒に残るわ!」

 ミュラーは一歩前に出ようとして、床のひび割れを見た。区画の端が崩れている。隔壁の歪み。配管の裂け目。

 次の衝撃が来たら、ここは持たない。

 大統領が、サラにだけ向ける声で言った。

「サラ。お前は生きなさい」

「嫌よ……! ここに置いていけない!」

 サラが大統領の腕に縋る。指が白くなる。必死だ。大統領は一瞬だけ目を閉じた。

 父親の迷いが、ほんの一瞬だけ顔を横切る。でも、次に開いた時にはすでに覚悟を決めた目をしていた。

「ミュラー少尉。娘を頼む」

 ミュラーの喉が鳴る。返事をしたら、この場が決まってしまう。それでも、決めないと死ぬ。

 サラが叫んだ。

「ミュラー! お願い、手伝って! お父様を――!」

 ミュラーは、サラの肩へ手を伸ばした。躊躇なく強く掴む。迷っている時間はない。

「……承知しました。必ず」

「なに、やっ……!」

 サラの身体が浮く。ミュラーは彼女を抱え上げた。

「離して! いや! お父様!」

 サラの声が割れる。爪がミュラーの肩に食い込む。

 大統領が、煙の中で穏やかに笑った。

「サラ。生きろ」

 サラは大統領に手を伸ばした。

「……や……いや! 話して! お願い、お父様!」

 それが最後の会話みたいに聞こえて、ミュラーの背中が冷たくなる。そのまま、前だけを見てミュラーは走った。


   *


 制御区画の奥に緊急用の小型機体が残っているはずだ。脱出用のヴィーラの格納ハッチへ向かう。

 通路は狭い。天井が低い。二人分の足音が響く。ハッチの前に辿り着く。表示灯が点滅し、開閉パネルが半分だけ生きていた。ヴィーラは一機。座席は二つもない。パイロット席と、補助ベルトだけの同乗スペース。

 これ以上は乗れない。誰も追加できない。

 サラが暴れる。

「やだ! 戻る! 止まって!」

 ミュラーは彼女を抱えたまま、機内に押し込んだ。補助ベルトを引く。締める。指が迷わない。

 サラの顔が涙で濡れる。

「ミュラー、離して! お父様が!」

 操縦席に滑り込み、始動キーを叩く。計器が動き始める。電源が戻り、警告が一斉に点滅した。

 外部通信ログに、短い誘導メッセージが残っていた。

 《避難機はノーザンクロスへ。着艦優先。医務開設済み》

 ミュラーはそれを確認しただけで、次の動作へ移る。

 推進。姿勢制御。ハッチ開放。

「サラ、頭下げろ!」

「嫌……! お父様――!」

 答えが返る前に、ミュラーはハッチを閉めた。閉めた瞬間、背後が白くなった。爆風が来る。音が遅れて鼓膜を叩く。機体が横から殴られ、視界が一瞬だけ飛ぶ。計器が悲鳴を上げる。警告音が重なる。

 ミュラーは反射でサラを抱き寄せた。サラの頭を胸に寄せて、抱きしめながら、操縦桿を握り潰すみたいに握る。

 画面の端で、制御区画側の表示が消える。熱源が跳ねる。そこにあったはずの区画が、データ上で「空」に変わる。

 ミュラーの喉の奥が固まった。

 ……くそ。

 言葉にならない。

 また間に合わなかった。

 過去の匂いが一瞬だけ鼻の奥に戻る。油と焦げ。叫び声。赤黒い色。布の白。

 見るな。見たら、手が止まる。今は前を見ろ。

 推進をかけ、姿勢を立て直す。外壁の穴から宇宙へ抜ける。コロニーの外縁が視界に滑り込み、黒い宇宙が広がる。

 サラが嗚咽する声が途切れない。その声に、ミュラーは返事をしない。返事をしたら、後ろを振り返りたくなる。

 通信が一瞬だけ繋がった。

 《こちらノーザンクロス。避難機、識別確認。――進入許可。誘導を出す》

 その声の先に、遠く、艦影が見えた。黒い宇宙の中に、はっきりした輪郭が浮かび上がる。

 ミュラーは呼吸を吸って、吐いた。

 吐いた息が震えるのを、ヘルメットの内側でだけ感じた。

 サラの泣き声が止まらない。その声を耳に預けたまま、操縦桿を握った。

 ノーザンクロスが、少しずつ近づいてくる。


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