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SKY  作者: RUI
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78/93

【特別編:後編】ノーザンクロスの願い

 

挿絵(By みてみん)


 ノーザンクロスの整備区画には、艦の深い振動が絶えず通っていた。

 天井灯の白い明かりが係留中の機体の外装を鈍く照らし、開いた点検盤の縁に工具の影を落としている。


 油と金属の匂いが薄く混じり、整備士たちの靴音が金属床を短く打っては消えていった。


 機体の脚元で端末を覗き込んでいた古賀ケイが、手を止めて顔を上げた。

 少し離れた点検ラックの前で、背を丸めているミュラー・エリスに目を向けた。

 まだ肩の線は細く、制服の袖も少し雑にまくられていた。


「ミュラー!」


「お前、システムチェック昨日してないだろ」


 声を飛ばされ、ミュラーがはっとして振り向いた。

 すぐに目を逸らし、ばつの悪そうに後頭部をかく。


「あ、やべ。今からやります。」


 ケイは呆れたように眉を寄せ、端末を脇に挟んだまま歩み寄った。足音が金属床に硬く響く。


「ったく、急な出撃命令が出たらどうすんだよ。ちゃんと毎日やれって言ったろ。」


 ミュラーは肩をすぼめ、視線を落とした。


「…すいません。」


 返事を聞いた途端、ケイの手が軽く動く。こつ、と乾いた音がして、ミュラーが頭を押さえた。


「痛っ」


 横で工具箱を整理していた整備士が、苦笑しながら間に入る。


「まぁまぁ、ケイさん。ミュラーも赴任してまだ一年くらいだし、そうゆう日もありますって。」


「あるから困るんだよ」


 吐き捨てるように言いながらも、ケイの声は本気で怒鳴るほど尖っていない。

 放っておくと際限なく機体にかじりつく子どもを、いつもの調子で引き剥がしているだけだった。


「ったく、飛び級なんかしてくるからだろ」


 ミュラーはむっとしたように唇を寄せた。だが言い返す時の顔は、まだ若い。

 反抗というより、自分の言い分だけはちゃんと胸に残っている年頃の顔だった。


「つまんなかったんですよ。あそこは。」


 その答えに、ケイは半ば呆れ、半ば笑いそうになるのを堪えるように片眉を上げる。


「つまるもなにもあるかよ。お前まだ17だろ?ガキは青春してればいいんだよ。」


 ミュラーはきょとんとした。言葉の意味そのものが腑に落ちていない顔で首を傾ける。


「青春?」


 その反応に、整備士が吹き出しそうになって口元を押さえた。

 ケイは額を押さえ、天井を仰いでから、わざとらしく息を吐く。


「お前、彼女くらい置いてきてんだろ?」


 問われたミュラーは、間を置かず首を振った。


「……いないですよ、そんなの。」


 ケイは大げさに肩を落とす。


「はー!これだからケツの青いガキは。俺がお前くらいの頃には、色気のある話の一つやふたつ…」


 だがミュラーはそこに乗らなかった。端末へ視線を戻したまま、もっと現実的なことを口にする。


「そんなことより、シャトルの時間は?大丈夫なんですか?」


 ケイの顔が止まった。嫌な予感が走ったように、自分の端末を引き寄せて表示を確かめる。


「あ、やべ。ちょっと行ってくる。戻ってくるまでにやっとけよ!」


 そう言い捨てると、ケイは踵を返した。整備区画の自動扉が開き、白い通路の灯りが一瞬だけ差し込む。

 その向こうへ、足早な背中がすぐに消えていった。


 残されたミュラーは、その背をしばらく目で追ってから、小さく息を吐く。

 こづかれた頭を押さえ、何も言わずに端末へ向き直った。


 整備士が笑いを残した声で言う。


「可愛がられてんな、ミュラー」


 ミュラーは返事の代わりに肩をすくめた。


 それから機体の脚元へしゃがみ込み、今度こそ点検項目を一つずつ追い始める。


 白い外装に映る横顔は、まだ若く、まだ何も知らないまま前だけを見ていた。


 ーーー




 医療区画は、昼でも夜でも同じ色をしていた。


 白い壁、白い床、白い天井。そこに沈むように、低い機械音だけが流れている。

 ――VRポッドの循環ポンプが、一定のリズムで息をしていた。


 透明なカプセルが二基。

 淡い光が、眠る二人の輪郭を薄く縁取っている。


 ノエルは、その前に立っていた。


 肩から落ちる金髪を指で払うこともなく、ただ視線だけを落としている。

 細い指先が、カプセルの縁に触れる直前で止まり、触れないまま宙をさまよった。


「……あすみ。カイト」


 祈るような小さな声だった。


 応えるものはない。

 返ってくるのは、機械の呼吸と、遠くの換気扇のうなりだけ。


 背後で、靴底が床を軽く打つ音がした。

 迷いのない歩き方。疲労と焦りが混じっても、足音の癖だけは変わらない。


 ケイが入ってくる。


 入口で一度立ち止まり、VRポッドを見た。

 いつもの乱暴な笑みはない。眉間に薄い皺が寄り、目だけが静かに鋭い。


「ノエル」


 短く名前を呼び、隣に並ぶ。

 伸ばしかけた手を途中で止め、拳を握って開き、そのままポケットへ押し込んだ。


 ノエルは振り向かない。カプセル越しの寝顔を見たまま、口もとだけをわずかに持ち上げた。


「……見てから行こうと思って」


 掠れた声で言う。


「今日、戻ってきたら……また、報告しなきゃでしょ」


「律儀だな」


 ケイは苦く笑って、視線を横へ逃がした。


「……俺は苦手だ、眠ってる相手に、言葉を投げるのは」


「ふふ、貴方はね」

「信じられる?二人とも、もう5歳になるのよ」


 ノエルは少し微笑んだ後、目を伏せ、カプセルの上で軽く指を握る。


「……言葉が返ってこなくても、残るわ。残るの、意外と強いのよ」


 ケイはそこでようやく、ノエルの横顔を見た。


 怖いときほど、言葉が綺麗になる癖。

 昔から変わらないその癖が、胸の奥をじわりと締めつける。


「……今日は、コロニーの調査だけだ」


 小さく息を吐き、顎を指先で掻く。


「すぐ帰れるさ。」


 ノエルは、困ったような笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。宇宙の外が全部地獄みたいに思ったら、私、連邦研究員なんてやってられないもの」


 その言い方が、ケイの胸に小さく刺さる。

 “外が全部地獄”――そう思ってしまう瞬間が、ケイにも確かにあったからだ。


 そのとき、廊下の向こうから少し騒がしい足音が近づいてきた。

 軽い口笛まじりの呼吸。扉の開く気配の直前に、ひょいと声が飛ぶ。


「ノエルー! シャトルの時間!」


 ロイ・ラブラトリーだ。


 扉を開けると同時に片手を上げる。

 その笑顔と明るさが、真っ白な部屋の空気にすっと入り込んでくる。


「お、ケイもいた」


 ロイは肩を軽く揺らしながら言った。


「相変わらず、ここ好きだね。医療区画の空気って、眠くならない?」


「お前の声の方が眠気飛ぶわ」


 ケイが渋い顔で片眉を上げると、ノエルがようやくロイの方を向き、こくりと頷いた。


 制服の上に羽織った上着の襟を整え、仕事の顔へ戻していく。


「行くわ」


 ノエルはバッグの紐を握り直し、凛とした表情になる。


「……ロイ、今日は早めに戻るって言ってたわよね?」


「もちろん」


 ロイは軽く敬礼し、片手をひらひらと振った。


「奥さんに電話しないと怒られちゃうし」


 その言い方が可笑しくて、ノエルは小さく吹き出す。

 ケイも、その一瞬だけ口元を緩めた。


 医療区画を出ると、圧力扉の向こうに基地の空気がある。

 消毒液の匂いから、金属とオイルと冷えた空気の匂いへ。北方基地は、大きな生き物みたいに匂いを変える。


 ケイは二人の背中に向けて声を投げた。


「二人とも、気をつけろよ」


 ノエルは振り返り、柔らかく笑って手を振る。


「大丈夫よ。いってきます」


 ロイも振り返り、にやっと笑って親指を立てた。


「任せてー。……あ、そうだケイ。昨日さ、奥さんから写真がきて」


 歩きながら、ロイは端末を取り出す。

 画面には、笑っている小さな男の子――ジョンの写真。まだ幼く、目だけは真っ直ぐだ。


「ほら、ジョン」


 ロイは嬉しそうに目を細めて、ノエルに端末を見せた。


「僕に似なくて良かったよーって、奥さんがさ。ひどくない?」


「ひどいけど……分かるかも」


 ノエルは口元を手で押さえ、肩を震わせる。


「ロイ、子どもの頃の写真、顔がうるさかったもの」


「うるさいって何!?」


 ロイは大げさに胸を押さえ、よろける真似をした。


「ねえケイ、今の聞いた? ノエルが僕を侮辱した!」


 ケイは返さなかった。

 返せなかった。


 二人の笑い声が、妙に遠くへ流れていく気がしたからだ。


 遠くでシャトル用ハンガーの扉が開閉する音がした。

 金属が擦れる低い軋み。基地の鼓動。


 その音に紛れて、ノエルとロイの足音は角を曲がり、視界から消えた。


 ケイだけが、その場に残る。


 VRポッドの機械音が、耳の奥にぶり返す。


 ――この日が、境目になることを。


 その時点でケイはまだ、言葉にできなかった。


 *


 連邦軍保護下の宇宙コロニー。外縁部居住区。


 狭い通路とむき出しの配管。人工重力のわずかな揺れ。

 壁の窓からは、遠くに青白い惑星が小さく見えていた。


 生活音と機械音が入り混じったその区画に、突然、異質な音が降ってきた。


 乾いた破裂音。押し殺した悲鳴。重いブーツの足音。金属扉を蹴り開ける音。


 民族狩り。


 報告書では短い単語で片付けられるそれが、コロニーの中では果てしなく長い。


 ノエルは走っていた。


 子どもを抱えた母親の腕を引き、老人の背を押し、狭い通路から避難ハッチへと誘導する。

 表情だけは冷静に保とうとするのに、喉の奥だけが硬く張り付いていた。


「こっち!」


 彼女は声を張り上げ、非常灯の赤い光の下で人々を押し出す。


 ロイが、その少し前を走っていた。

 データパッドを片手に、反対の腕を広げて盾になるように立ちふさがる。


「ノエル、下がって!」


 歯を食いしばった声と同時に、帝国兵の弾丸が飛び込んでくる。


 金属壁を叩く火花。

 次の一発がロイの胸近くを掠め、身体が弾かれた。


 重い衝突音。空気の抜ける音。


 ノエルの視界が白く跳ねた。


「ロイ!」


 伸ばした手が空を掴む。

 彼女が駆け寄ろうとしたその前に、黒い軍服の影が滑り込んだ。


 帝国兵が通路を塞ぐ。

 無表情な顔。まっすぐ向けられた銃口。

 背後には、拘束具を持った別班が続く。


「標的確認。オルディア系研究員」


 短い帝国語の通信が、ヘルメット越しに漏れた。


 次の瞬間、ノエルの腕を、冷たい手袋の手が掴んだ。


「離して――!」


 叫びは金属通路に反響したが、誰の耳にも届かない。


 ロイは意識不明のままその場に倒れている。

 ノエルは逆方向へ、強引に引きずられた。


 非常灯の赤が、白い研究衣を染める。


 救出の混乱の中で、ノエルの姿は、きれいに消えた。


 残されたのは、床に落ちたバッグと、通路に張り付いた金髪の一本だけだった。


 ***


 北方基地。作戦本部。


 壁一面のモニターに、コロニーの監視映像の断片が並んでいた。

 ノイズだらけの画面。途切れる音声。

 さっきまでそこに「いた」はずの人間が、次の瞬間には映っていない。


 ハイルトン

「……ロイは連合側の救出部隊に引き上げられた。……医療チームが対応しているが、重体だそうだ。」


 ケイは椅子の背を握りしめていた。

 白くなった指の節が、金属に食い込むほどに。


「……どこだ」


 低い声が漏れる。


「どこに連れて行かれた」


 机の向こう側で、イル・チャンティが端末から目を離さずにいた。

 北方基地司令官。硬い声。理性の鎧。


「コロニーからの撤退ルートは三つ」


 イルは淡々と整理する。


「一つは帝国側艦艇での直接回収。二つ目は、民間船を装ったシャトル経由で帝国域内へ。三つ目は――」


 端末に新しいウィンドウが重なった。

 通信士が顔色を変えて振り向く。


「司令、帝国軍暗号回線の断片を解読しました!」


 作戦室の空気が一瞬だけ動く。


 スピーカーから、短い断片が流れた。


『対象ノエル=コガ、捕獲完了。地球本土・帝国施設ノーザン・コロニー第七研究区画ヘ移送――』


『その後、証拠隠滅作戦ニ統合。発令者、ロナルド=オルディア二世』


 そこまで聞いたところで、音声はノイズにかき消された。


 ケイの中で、何かがきしりと音を立てる。


「……地球、だと」


 喉の奥から、笑いにも悲鳴にもならない息が漏れた。


 北方の雪も、連邦の境界線も、あっさり飛び越えた一文。

 地球本土。帝国の心臓部。

 そこへ、ノエル一人だけが運ばれていく。


「出す」


 ケイは椅子から立ち上がった。勢いで椅子の脚が床を鳴らす。


「俺を出せ。ノーザンクロスに回線繋げ。あいつで地球まで跳ぶ」


「本部許可が降りない」


 イルは顔を上げないまま、冷静に言う。


「帝国本土への無許可侵入は開戦行為だ。スクランブル枠も無い。……今出れば、ノーザンクロスごと切り捨てられる」


「枠?」


 ケイは机越しにイルを睨んだ。

 唇を噛み、拳を握りしめる。


「ふざけんな。枠の話をしてる間に、人が一人、地球まで攫われてんだぞ」


 イルの表情は変わらない。

 その無表情さが、ケイの苛立ちに油を注ぐ。


「いずれ交換要員になる可能性だって――」


「数字の話しかできねぇのかよ」


 ケイの声が低く沈む。


「“オルディア系研究員一名、将来的資産として確保”ってか。……ノエルは、資産じゃねぇ」


 背後で椅子がきしむ音がした。


 ハイルトン・グレイが、背もたれに体重を預けたまま、その目だけでケイを見ている。

 いつものだらしなさは影を潜め、瞳の奥だけが冴えていた。


「落ち着け、ケイ」


 短く、刺すような声。


「今暴れても、誰も助けられねぇ」


「今黙ってたら、確実に殺されるだろ」


 ケイは振り返り、ハイルトンを睨む。


「“証拠隠滅”だぞ。あいつは今、ノーザンなんとかって名札だけ付けられた実験室の中で、数字待ちしてんだ」


 それを聞きながら、ハイルトンの奥歯もきしんだ。


 証拠隠滅。

 それは、上にいる誰かが「紙の上をきれいにするための爆破」を決めたという意味だ。


 ――現場で見た血と、上の机の上のインクは、いつだって別物だ。


 ハイルトンは、そんなことを嫌というほど知っている。


 ***


 数時間後。


 北方基地・作戦本部。

 窓の外には雪。上空には、低軌道を回るノーザンクロスの影。


「研究所の候補は絞れた」


 イルが、なおも淡々と地図を示した。


「地球本土・極軌道側の帝国研究施設。コードネーム、ノーザン・コロニー第七研究区画。

 そこにノエル=コガが移送された可能性が最も高い」


「可能性、ねぇ」


 ケイは乾いた笑いを喉で噛み殺す。


「“可能性”の間に、どれだけ切り刻まれるか考えたことあんのかよ」


 端末に新しい指示が飛び込む。

 本部からの通達。開戦回避。外交カード。数字。


『現状、救出作戦は見送り。対象は捕虜待遇として扱われるものと“期待”』


 画面のその文言を見た瞬間、ケイの中で何かがはっきり折れた。


「……もう待てねぇ」


 椅子が床を擦る音が、鋭く響く。


 ケイは立ち上がり、荒い息のままイルを睨んだ。


「今行かないと、あいつは“爆破された研究施設の実験データ”になるだけだ」


「ケイ、待て」


 イルは声を強め、手を伸ばす。


「命令を――」


「命令?」


 ケイはその手を振り払った。目が怒りで光る。


「命令が人を殺すなら、俺は従わねぇ」


 作戦室の空気が張り詰める。


 ハイルトンはしばらく黙っていたが、次の瞬間、背後の椅子を足で蹴り飛ばした。

 金属が床を滑り、派手な音を立てて止まる。


 イルが一瞬、言葉を失う。


「てめぇも分かってんだろ」


 ハイルトンは苛立ちを隠さず、イルを睨み返した。


「待ってたら“終わる”ってことくらい」


 イルの指が、端末の上で止まる。

 司令官としての判断と、人としての嫌悪の間で、ほんの一瞬揺れた。


 その一瞬を、ハイルトンは見逃さない。


「……ログは俺がどうとでも書く」


 低い声で言う。


「“艦長判断による訓練飛行中、帝国残存兵に遭遇、やむなく交戦”――そんなところだ。

 本部の連中は、紙さえ整ってりゃ安心する」


 それは、軍そのものへの皮肉だった。


 ハイルトンはケイに向き直る。


「行け」


 決めるように、短く。


「後はなんとかする。お前が戻る場所くらいは、どうにか残してやる」


 ケイの表情が、一瞬だけ揺れた。

 ありがとう、なんて言葉を口にしたら、そこで足が止まる気がした。


 彼は歯を食いしばり、短く頷く。


「……悪い」


 それは、感謝と詫びと決別の全部を詰め込んだ一言だった。


 ***


 ノーザンクロス艦内・格納庫。


 天井の高い空間に、整備ライトが点々と浮かぶ。

 オイルの匂い。工具がぶつかる乾いた音。遠くでエンジンの試運転の唸り。


 ケイはシャトルから降りるや否や、一直線に自機のSKYへ向かった。


 整備士が慌てて前に飛び出す。両手を広げ、必死に声を張る。


「待ってください! 出撃許可が――」


「てめえ! そこをどけ!」


 怒鳴り声が格納庫中に響いた。


 整備士の肩を押しのけ、そのまま梯子を駆け上がる。

 コクピットへ滑り込み、乱暴にハーネスを引き寄せる手は震えているのに、スイッチの順番は指が覚えていた。


 起動音が連鎖し、計器の灯りが次々と点る。

 SKYが、眠りから叩き起こされる。


「ケイ中尉!」


 誰かが叫ぶ声を無視しながら、ケイはキャノピーを閉じた。


 そのとき、別の足音がこちらへ向かって走ってくる。


 ミュラー・エリスだった。


 同僚に腕を掴まれ、それを振りほどいて駆けてくる。

 顔色は青いのに、瞳だけが決まっている。


「ミュラー! やめろ、処分されるぞ!」


 背後から同僚が叫ぶ。


「知ってます!」


 振り返りもせず、ミュラーは別機の梯子を一気に登った。

 コクピットへ飛び込み、キャノピーを叩き閉める。


 二つの機体のHUDに、同じ通信チャンネルが開いた。


 《ノーザンクロス二番機、古賀ケイ。勝手に出る》


 ケイの声が低く響く。


 《三番機、ミュラー・エリス。勝手に付き合います》


 ミュラーの声は、かすかに震えているのに、迷いはなかった。


 《お前まで処分受けるぞ》


 《そんなこと、どうでもいいですよ!》


 その瞬間、ケイはほんの少しだけ救われた気がした。

 誰かが一緒に怒ってくれる。それだけで、折れかけた膝がもう一度立つ。


 次の瞬間、格納庫のシャッターが開く。

 冷たい宇宙空間へ通じるエアロックの光が、二機の機体を青く照らした。


 ノーザンクロスの腹から、二つの光跡が飛び出す。


 ***


 地球本土・帝国研究施設ノーザン・コロニー第七研究区画、外縁軌道。


 黒い惑星の縁に、細く光の線が差し込んでいた。

 そのすぐ上を、帝国の研究衛星がいくつも並んでいる。


 計器の光だけが、コクピットの中の顔を青く照らす。


 帝国側の迎撃信号が、レーダーに点を打った。

 警告音が短く鋭く鳴り、機体に微細な振動が走る。


 《左、来ます!》


 ミュラーの声。


 《分かってる!》


 ケイが応じる。


 火線が背を掠める。

 機体が揺れ、骨に響く。


 二機はそれを潜り抜けるように加速した。


 遠くに、小さく灯りの群れが見えてくる。

 ノーザン・コロニー第七研究区画。帝国本土の外縁に浮かぶ、実験施設。


 あと少し。あと、数十秒。


 ――そのとき。


 光が、地平線を裂いた。


 爆発は音より先に視界を奪い、その後に鼓膜と機体を叩きつける。


 黒い惑星の縁が、一瞬だけ昼になった。


「……ノエル」


 ケイの喉から、勝手に声が溢れる。


「やめろ……やめろ……やめろー!!!」


 握りしめた操縦桿に、骨が軋む痛みが走る。


 爆風が二機を押し戻し、姿勢制御警告が一斉に点滅した。

 通信が途切れ、砂嵐のようなノイズだけが残る。


 ミュラーは、目の前の光を見たまま言葉を失っていた。


 スピーカーからは、荒い呼吸だけが漏れている。


 《……目の前に、いたのに……》


 震えた声が、どうにかそれだけを絞り出す。


 届かなかった。

 ほんの少しの差。


 人の命は、その「少し」で平然と消える。

 命の上を、証拠隠滅という四文字が平然と通り過ぎていく。


 ***


 軍からの処分は、淡々としていた。


 まず、机の上のホロパネルに三つの項目が並ぶ。


 《被処分者:古賀 ケイ

 現階級:中尉 → 少尉(1階級降格)

 所属:ノーザンクロス搭載 SKY部隊 → 艦隊本部付 技術要員

 処分内容:

 ・無許可出撃による軍規違反

 ・オルタイト搭載機の無断運用

 ・ノーザンクロス艦長判断に同調した責任

 以上をもって、当人の艦載パイロット資格を無期限停止とし、

 オルタイト関連実戦任務から完全に外す。

 地球本部(連合軍第○技術局)への配置転換を命ずる。》


 《被処分者:ハイルトン・グレイ

 現階級:中尉 → 少尉(1階級降格)

 所属:連合軍宇宙艦隊 ノーザンクロス艦長 → 艦隊予備役

 処分内容:

 ・指揮官としての統制義務違反

 ・部下による無許可出撃を黙認した責任

 以上をもって、艦長職を解任し、

 一定期間の停職ののち辺境警備任務への異動を命ずる。》


 《被処分者:ミュラー・エリス

 現階級:二等兵(最下級のため階級据え置き・懲罰任務)

 所属:ノーザンクロス搭載 SKY部隊

 処分内容:

 ・上官への無断追随による無許可出撃

 ・作戦行動規定違反

 以上をもって、6ヶ月の飛行任務停止および謹慎処分とする。

 復帰には医療局による心理評価・適性検査を要する。》


 紙の上の文字は冷たかった。


 そこには、ノエルの名前も、あの爆光の色も、

 ミュラーの途切れた声も何ひとつ書かれない。


「誰を、何階級落として、どこの棚にしまったか」


 ――本部にとって必要なのは、それだけだとケイは悟る。


 古賀ケイ:1階級降格。ノーザンクロスから外され、地球本部行き。

 ハイルトン・グレイ:艦長職を剥がされ、辺境送りの紙を一枚。

 ミュラー・エリス:パイロットバッジを一度取り上げられ、半年の謹慎。


 現場で燃えたものも、奪われたものも、

 報告書の中では、ただの「処分履歴」として整然と並ぶだけだった。


 そこには、ノエルの名前も、地球の空の色も、ミュラーの震え声も要らない。


 ――本部にとって大事なのは、「誰を罰したか」だけだ。


 ケイは、そのことにようやくはっきりと気づいた。


 軍は、人を守るための場所じゃない。

 数字と枠と報告書を守る場所だ。


 その実感が、じわじわと胸を焦がしていく。


 ***


 輸送機の前。北方基地の滑走路。


 雪が薄く積もり、風がそれを削って流していく。

 エンジンの始動音が腹の底に響き、凍った空気が肺を刺す。


 ケイは肩に掛けた荷物の紐を握り直し、足を止めた。


 背後にはハイルトンが立っている。

 咥えた煙草は火が点いていない。点ける余裕がない顔だ。


「……子供はどうするんだ」


 渋い表情のまま、低く問う。


「……ここにいる限りは、安全だろ」


 ケイは視線を逸らし、短く息を吐いた。


 ノーザンクロスの医療区画。

 VRポッドの淡い光。眠っている二人。起きない時間。守るべき時間。


「何かあったら、宜しくな」


 低い声で、それだけを預ける。


「……めんどくせぇ事を言いやがる」


 ハイルトンは舌打ちし、わずかに口角を歪めた。


 引き止めないことが、彼なりの赦しだった。

 軍に失望しながらも、その枠の中で守れるものだけは守ろうとする、大人の折り合い。


 輸送機の前には、三人の姿があった。


 ミュラー

 ラナ

 エリン


 ミュラーは正面に立ち、軍帽の影からこちらを見上げている。

 目だけが、どうしても子どもっぽさを捨てきれずに揺れていた。


 ラナは唇を噛みしめ、胸元の制服を握っている。

 エリンは背筋を伸ばし、感情を外に出さない。ただ、その視線だけがケイを逃がさなかった。


「……戻ってくるんですよね」


 ミュラーが、必死に平静を装った声で言う。

 握りしめた拳が、小刻みに震えていた。


 ケイはすぐには答えない。


 ここで「戻る」と約束してしまったら、この先、自分がどんなに軍に失望しようと、約束に縛られる。

 それが、自分にも、目の前の十七歳にも嘘になる気がした。


 代わりに一歩近づき、ミュラーの目の前に立つ。


「……お前には、もっと教えたいことがあったんだけどな」


 ケイは乱暴に笑って、ミュラーの額に自分の拳を軽くコツンと当てた。


「育てきれなくて悪いな」


 少しだけ間をおいて、言葉を変える。


「……お前は、こうなるなよ」


 ミュラーの顔が、そこで初めて十七歳になった。


 子どものように心細そうで、それでも泣きたくないと必死に堪えている顔。

 喉が震え、声が出てこない。


 ケイはミュラーの頭にある軍帽を取り、髪が四方八方に乱れるくらいに乱暴に撫で、軍帽を戻した。


 優しさよりも、「置いていく」手つきで。


 横に視線を流す。


「エリン」


 ケイは短く呼びかけた。


「娘を頼む」


 エリンは目を細め、胸に手を当てて静かに頷く。


「……わかったわ」


 それだけで十分だった。


 ラナが耐えきれないように、一歩踏み出す。


「……ケイ」


 潤んだ瞳で、言葉を探す。


「必ず……」


 そこまで言って、声が掠れた。


 ケイはいつもの乱暴さを無理やり顔に戻して、軽く手を上げる。


「――うるせぇ。寒いんだよ、ここ」


 わざと雑に言って、背を向ける。


 タラップを上る直前、振り返った。


 雪混じりの風の向こうで、ミュラーが立っている。

 親に置いていかれる子どものような顔で、必死に泣かないようにしている。


 ――ああ。壊したのは俺だけじゃねぇな。


 軍も、戦争も、数字も。

 全部まとめて、この子の子ども時代を奪った。


 ケイはその表情だけを、胸の奥にしまい込んだ。


 *


 輸送中、古賀ケイは行方不明になった。


 北方基地の作戦室で、イルとハイルトンは紙の上の処理を終える。


 《輸送機×号、帝国側残存勢力との小規模交戦により消息不明。乗員・搭乗員は全員行方不明(MIA)》


 司令官のサイン。副署。時刻。証言者。


 書類が閉じられた瞬間、ケイの存在は軍の中で「いない人間」になった。


「……MIA、紙の上では行方不明扱いだ……これで、上は満足か」


 ハイルトンがぼそりと呟く。


「実験記録も、違反出撃も、全部“処理済み”だ」


 イルは何も言わない。

 黙って、それを受け入れる。


 ケイは「消えた」。


 だがノーザンクロスのどこかで、彼の怒鳴り声の残響だけは、しつこく壁に染み付いたままだった。


「てめえ、そこをどけ」

「命令が人を殺すなら、俺は従わねぇ」


 軍への怒りと失望だけが、消えずに残った。


 *


 ――現在。


 ノーザンクロスの格納庫の片隅。


 屋根を叩く雪の音が、断続的に響いていた。

 整備灯の下では、白銀の機体の影が静かに並んでいる。


 半分開けたシャッターの向こうに、うっすらと星が滲む。


 その明かりの下で、カイトがサジと話をしている。


 灰色がかった髪の青年。

 目の色は灰色になったが、エリンによく似た目をしている。


 二人は何かを話している。

 内容までは聞き取れない。ただ、声の温度だけが伝わる。


 ケイは、少し離れた暗がりから、その背中を見ていた。


 胸の奥にしまい込んだ「十七歳の表情」が、目の前のカイトの横顔に重なる。


 ……ミュラー。

 お前も、あんときあれくらいだったな。


 心の中で、苦く笑う。


 屋根を叩く雪の音がひとつ強くなり、格納庫の光がわずかに揺れた。

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