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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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【特別編:前編】ノーザンクロスの願い

挿絵(By みてみん)



 ハイルトン・グレイは、机の上のホロパネルを指一本で止めた。


 戦闘ログの映像が、砂嵐のようなノイズを残して静止する。


 西方の都市攻防戦。

 白い機体の節々を赤く光らせたSKYが、ぎりぎりまでスラスターを絞って敵機の死角に潜り込み、

 僅かな間合いで撃ち抜く。


 コクピットから降りてくる、まだ少し大きめのパイロットスーツに包まれた横顔。

 顎を引き、歯を食いしばって、前だけを見ている。


 コードネーム:Red Rose。

 古賀あすみ一等兵。


「……ったく」


 ハイルトンは、頭をがしがしと掻いた。ログ右端には、西方本部からの評価が並んでいる。


 《反応速度:S》《オルタイト同期値:安定》《帰還率:期待値+100%》

 最後の行に、小さなタグが付いていた。


 《高リスク任務ローテーション》


(切り札扱い、ってやつかよ)


 誰もいない北方基地司令室で、彼は椅子の背にもたれかかり、天井を仰いだ。


 薄い蛍光灯の光。壁際には、古びたコートとマグカップ。窓の外には、昔と変わらない北方の雪。


 ——あの日も、雪だった。


 ハイルトンの意識は、ゆっくりと過去へ沈んでいく。


 *


 まだ「副長」だった頃のことだ。


 北方軍港の桟橋に、ひときわ大きな艦影が横たわっていた。


 連合軍巡航艦ノーザンクロス。

 オルタイト運搬船として造られ、今はSKY部隊の運用母艦として改装された船。


 甲板の上では、白銀のSKYが膝を折り、整備クルーが忙しく動き回っていた。


「ケイ、あなたまた勝手に配線弄ったでしょう」


 開け放したハッチの向こうから、女性の声が飛ぶ。


 艦内通路を歩いていたハイルトンは、苦笑しながら立ち止まった。


 機関室のドアが半開きになっている。

 そこから、白衣に近い薄い作業服の背中が一つ。

 金髪の髪をざっくりひとつに束ねた女性が、パネルの中を覗き込み、男を睨んでいた。


「……心外だな。多少は考えてやってる」


 無造作なクセのある黒髪をかきあげながら、古賀ケイが面倒くさそうに返す。


「多少じゃ困るの。リアクター共鳴値がずれたら、パイロットが先に参るんだから」


 古賀ノエル。ケイと同じくオルディアの血を引く化学研究員であり、艦のオルタイト管理担当だった。

 その足もとで、小さな足音が駆けてくる。


「おかあさーん!」


 通路の向こうから、ちょこちょこと走ってきたのは、まだ幼い少女だ。

 毛糸の帽子を片手に振り回しながら、勢い余ってノエルの腰にぶつかる。


「あすみ、走らない」


「だって、ロイさんが!」

 あすみは息を切らしたまま、後ろを振り向いた。


「僕のせい?」


 追いかけてきた小柄な男——ロイ・ラブラトリーが、肩をすくめる。

 ブラウンの癖毛の髪、少しよれたチェックのシャツに白い研究室用の上着を羽織っている。


「“この辺から見る星が一番きれいだ”って教えただけだよ」


「それで毎回走らせるな」


 ノエルが呆れたようにため息をつく。


 ハイルトンは、その光景を少し離れたところから眺めていた。


 副長肩章を付けていても、この船では彼もまた「家族の一員」だ。


「おーい、艦長!」


 甲板側から、艦内放送用のマイクを握ったラナ・エルネストが顔を出す。


「また勝手に抜け出してませんかー?」


「勝手にとは失礼な。定時巡回だ」


「はいはい、“定時”が一日に何回あるんですか?」


 ラナは苦笑しながらも、軽く敬礼を寄越した。

 艦長補佐官にして、ノーザンクロスの頭脳。


 この船には、軍艦らしくない笑い声が、いつもどこかで響いていた。


 *


 そんな日常が、少しずつ変わり始めたのは——


「民族狩り」という言葉が、報告書の中で頻繁に使われるようになってからだった。


「帝国側、オルディア系住民の摘発を“治安維持”名目で拡大……」


 ブリーフィングルームのスクリーンに、被害地域の地図が映る。


 赤く塗られた区域が、じわじわと広がっていくのを見て、誰も声を出さなかった。


 その日の会議が終わったあと、ハイルトンは甲板に出た。


 夕暮れの空を、雪混じりの風が渡っていく。


 そこへ、ひとりの男がやってきた。


「——グレイ中尉」


 低く落ち着いた声。


 振り返ると、軍服の襟をきちんと留めた男が立っていた。

 北方基地司令官イル・チャンティ。


「副長、だったか。いつもノーザンクロスの無茶を受け止めてくれて、助かります」


「無茶をやらせてるのは司令の方でしょうに」


 ハイルトンは苦笑した。


「それで、今日は?」


「客だ」


 イルは、甲板の端に目をやった。


 そこには、小さな輸送艇が一隻停まっている。

 ハッチが静かに開き、軍服ではない人物が降りてきた。


 コートのフードを深くかぶった女性。その腕の中には、まだ幼い幼児をしっかりと抱いていた。


 彼女は周囲を慎重に見回し、イルの方へ歩み寄った。


「紹介しましょう。彼女はエリン」


 イルの紹介を聞きながら、ハイルトンはわずかに目を見開いた。


「——帝国皇王の、元妃だ」


 エリンは、深く頭を垂れた。


「……亡命を、受け入れてくださり、ありがとうございます」


 かすれた声だった。


 腕の中の子供が、小さく身じろぎする。

 すべすべした頬が、北方の冷たい空気に触れて、赤くなった。


「こっちは、第二皇子。名前は?」


「カイト、です」


 エリンは、幼子を抱きなおした。


 その指先が、わずかに震えているのを見て、ハイルトンは息を吸う。


 帝国の懐から、直接連れ出された母子。

 しかも、血統的に最も価値のあるオルディア。


 連合にとっては、最高級の“カード”になり得る存在だ。


 イルは、そのことを承知の上で、穏やかな声を保っていた。


「彼女と子どもを、しばらくノーザンクロスで保護してほしい。地上に置いておくより、安全だからな」


「……了解しました」


 ハイルトンは敬礼し、それから少し砕けた口調に変える。


「ようこそ、うちの騒がしい船へ」


 エリンは驚いたように顔を上げ、それからかすかに笑った。


「騒がしいのは、好きです」


 その笑みは、まだどこか頼りなかったが——

 ノーザンクロスの空気には、確かに馴染みそうだった。


 *


 日が経つごとに、船はますます「家」に近づいていった。食堂では、ロイとケイが小競り合いを繰り広げる。


「お前、またあすみを格納庫に連れて行ったろ」


 トレーを片手に、ケイが呆れたように言う。


「いいじゃないか、喜んでるんだから」


 ロイは、向かいの席に座ったあすみの頭を軽く撫でた。


「ね、楽しかったね。あすみちゃん」


「うん!」


 スプーンを持ったまま、あすみは笑う。ケイはため息をついた。


「まだ2歳だぞ。エンジンの真後ろに立たせるな」


「耳塞いでたから大丈夫だよ」


「そういう問題じゃない!」


 その横で、ノエルとエリンが顔を見合わせて微笑む。


「でも、本当に空が好きね」

 ノエルが、手元のコーヒーカップを指でなぞりながら言う。


 エリンは、毛布の中で眠るカイトの頬をそっと撫でた。


「この子は……できるだけ、窓の外を見せずに育てたいです」


 その言葉には、笑顔の下に隠した決意が滲んでいた。

 自分が逃れてきた側の世界。そこに残された人たちそれを知っているからこそ。


 やがて——民族狩りは、宇宙コロニーにも及び始めた。


 オルタイト鉱山のある衛星。オルディア系住民が多い居住区。

 焼け跡の映像が、毎日のように司令部から送られてくる。

 そんなある日、ノーザンクロスの研究室で、ノエルとロイ・ラブラトリーが机の上に山ほどの資料を広げていた。


「VR……保護?」


 ハイルトンは、書類の束を手に取り、眉をひそめる。


「そう。連邦管理下のコロニー内部に、閉じた仮想環境を作るの」


 ノエルは、ホロモデルを指先で回転させた。


 小さな街の鳥瞰図。

 学校、広場、図書室。

 ごく平凡な日常が、その中に詰め込まれている。


「オルタイト同期技術を応用して、長期睡眠状態のまま、子どもの意識だけをこの中に接続する。身体は保護施設で管理して、意識は“普通の学生生活”を送らせるの」


「……そんなことが可能なのか?」


「理論上は、ね」


 ロイが、ぐいと眼鏡を押し上げながら口を挟む。


「もう試験段階までは行ってるんだ。問題は、倫理と——」


「現場の説得だな」


 ハイルトンは、ちらりとノエルを見る。


「誰を、入れるつもりだ」


「まずは……」


 ノエルは、一度言葉を切り、窓の外の通路に視線をやった。


 そこでは、あすみがケイと何かを話しながら歩いている。

 肩の高さまでしかない少女が、必死に手振りで宇宙戦闘の話を再現しているようだった。


「オルディアの純血に近い子どもたち。

 帝国から見れば、“資源”として真っ先に狙われる子たちよ」


 淡々とした口調の奥に、強い怒りが隠れていた。


「帝国も、連合も、“オルタイトを動かせる頭脳”や“血統”を欲しがる。

 だったら——その前に、私たちの手で隠す」


「隠す、ねぇ」


 ハイルトンは、書類の束を机に戻した。


「要するに、“眠らせてしまう”ってことだろう」


「酷い言い方をすれば、そう」


 ノエルは認めた。


「でも、目を覚ましたときに、あの子たちが“普通に学校の愚痴を言える世界”が残っているなら——私は、やる価値があると思う」


 ロイも、腕を組む。


「司令部は渋い顔してるけどな。人員を眠らせるのは“損失”だって」


「……司令は?」


 ハイルトンの問いに、ノエルは小さく笑った。


「イル司令は、『数字にしないための研究なら、全力でやりなさい』って」


「らしいな」


 ハイルトンも笑う。


 彼自身も、答えを出していた。


「——やれ。必要な設備と人員は、俺がなんとかする」


 その決断は、軍人としては危ういものかもしれない。それでも、「この船の大人」としては一択だった。



 エリンに、その計画を伝えた夜。医務室の一角。簡易ベッドの上で、カイトが眠っている。

 丸い頬。規則正しい寝息。


「……眠らせて、しまうんですか」


 エリンは、カップの中の冷めかけたハーブティーを見つめながら呟いた。


「ええ。少なくとも、この戦争が落ち着くまでは」


 ノエルは正直に答える。


「無責任だって、思う?」


「いいえ」


 エリンは首を振った。指先が、カイトの髪をそっと梳く。


「ここで眠らせてもらえるなら……きっと、あの子は、“誰かの手足になる”前に、“自分”でいられる時間を持てる」


 その目には、静かな安堵と、拭いきれない罪悪感が同居していた。


「……おすすめはできない計画よ」


 ノエルは言った。


「目を覚ました時、世界がどうなっているか分からない。私たちが生きているかどうかも」


「それでも」


 エリンは、はっきりと顔を上げた。


「連合の“数字”にも、帝国の“実験体”にもさせないで済むなら、

 私は、この子に“眠っていてもらう勇気”を持とうと思います」


 その言葉に、ノーザンクロスにいる大人たちの願いが集約されていた。


 ——子どもたちだけは、戦果の数字にしたくない。



 ハイルトンは、医務室の外でその話を聞き終え、廊下の壁にもたれて天井を見上げた。

 遠くで、子どもの笑い声がする。


 覗き込むと、ラナが艦内マップをホログラムで浮かべ、その上をあすみが駆け回っていた。


「ここがメインブリッジで、こっちが格納庫で——」


「じゃあ、ここがラナさんの部屋?」


「それは企業秘密です」


 ラナが真面目な顔で答え、あすみが不満げに頬を膨らませる。

 その横で、ノエルとエリンが肩を並べて立っていた。


 ノーザンクロスの廊下には、家族のような気配が満ちていた。


(この船ごと、どこか別の世界に避難させてやれたらな)


 そんな馬鹿げた願いが頭をよぎり、ハイルトンは自分で苦笑する。


 現実は、もっと硬くて、冷たい。


 だからせめて——

 子どもたちの意識だけでも、「普通の教室」と「空を見上げる窓」に預ける。


 それが、この船の大人たちにできる最大限だった。


 *


 そして今。


 あの計画から、いくつもの冬が過ぎて——


 ノーザンクロスで眠っていたはずの少女は、北方基地の滑走路から空へ飛び立ち、SKYのパイロットとして戦場に立っている。


 ハイルトンは、現在へ意識を引き戻し、静かに息を吐いた。


 机の上のホロパネルには、西方本部から転送されてきた最新の戦闘ログ。

 右下には、小さく《Red Rose》の文字。


 かつて守ろうとした“子ども”の名前——古賀あすみ。


 彼女が空から護っているのは、今も変わらず「誰かの日常」だ。

 ただ、そこに至るまでの道のりが、当初の願いよりもずっと苛酷になってしまっただけ。


 窓の外で、北方の雪が静かに舞う。


 ハイルトンは、コートのポケットからしわくちゃになった煙草ケースを取り出し、結局ふたを開けずに机の上へ戻した。


「……守りたかったはず、なのになぁ」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりとこぼす。


 ノーザンクロスの甲板で交わした約束。

 子どもたちを眠らせてでも、戦場から遠ざけようとした大人たちの願い。


 その願いは、完全な形では叶わなかった。


 それでも——


 ログの中で、赤い軌跡が敵陣を裂いていく。


 あの頃、窓の外の星を見上げていた少女は、今、誰かのために空に立っている。


(だったらせめて。これ以上、壊させない)


 ハイルトンは静かに端末を置いて、窓の外に目をやった。


 例年よりも多い雪が、北方の空から降りそそいでいた。


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