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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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76/93

Sky76-光の中へ-

 

 西方本部の会議室は、朝だというのに白く冷えていた。


 壁際の空調が低く鳴り、並んだ端末の光が机の縁を青白く照らしている。

 誰かが椅子を引く音が短く響き、そのあとはまた静かになった。


 第0小隊は、いつもの位置に散って座っていた。

 リオは端末を片手で弄びながら、椅子の背にもたれている。

 ユイは画面に落とした視線を上げない。セリは前方の戦域図ではなく、その少し手前に座るあすみの横顔を見ていた。


 あすみは背筋を伸ばし、膝の上に置いた手も動かさない。

 無理をしているようには見えない。

 ただ、ここ数日のあいだにあった揺れが、表へ出てこなくなっていた。


 扉が開き、ヘイル大尉が入ってくる。

 軍靴の音は一定で、机の前に立つまで一度も乱れない。

 端末を置くと、出席者を見回すこともなく画面を開いた。


「第0小隊に通達する」


 平坦な声だった。

 空調の音に重なるように、その一言が落ちる。


「古賀あすみ一等兵、アンダーソン一等兵。両名は西方本部から外れる」

「第0試験飛行隊については存続、編成を組み直し新しい小隊編成となる」

「今後の作戦内容は追って説明する」


 室内の空気が、ほんの少しだけ止まった。


 リオが椅子の背から体を起こす。

 ユイがそこで初めて顔を上げた。

 セリの肩が、ごくわずかに強張る。


 あすみだけが、すぐには反応を見せなかった。


「配置換えだ。配属先はノーザンクロス。本日付で発効する」


 ヘイルは視線を端末に落としたまま続ける。


「今日から引き継ぎに入れ。整備班、管制、運用ログ、機体管理、全て対象だ。正式な通達は本部から回っている」


 短い説明だった。

 短い分だけ、決定事項としての硬さだけが残る。


 ヘイルは端末から目を上げた。


「質問は」


 誰もすぐには口を開かない。

 端末の表示だけが静かに明滅している。


「ありません」


 最初に答えたのは、あすみだった。

 表情は変わらない。声にも迷いがない。自然な返答なのに、セリにはその滑らかさが落ち着かなかった。


「……ありません」


 セリも遅れて答える。

 声は出た。だが、自分のものなのに少し遠かった。


 ヘイルは頷き、端末を閉じる。


「以上だ。解散」


 それだけ言って踵を返す。

 扉が閉まる音が、やけに乾いて聞こえた。


 椅子を引く音が重なり、隊員たちが立ち上がる。

 リオが端末を抱えたまま肩を回し、ユイは無言で通路側へ歩き出す。

 あすみも席を立ち、ヘルメットを取り上げた。


 セリはその横顔を見たまま立ち上がるのが少し遅れた。

 自分で動かした配置換えなのに、命令として落ちてきた途端、別の重さで胸に沈んでくる。



 西方本部の一日は、その日を境に急に早くなった。


 整備班への引き継ぎ、運用端末の整理、機体ログの送付、認証情報の更新。

 人が動くたびに紙と端末が移動し、格納庫では工具音が絶えなかった。

 何もかもが、二人がここを離れる前提で進んでいく。


 セリはその流れに押されるように、一日中動いていた。

 考える暇を作らないために、わざと手を止めなかったのかもしれない。


 あすみも同じように、淡々と引き継ぎをこなしていた。

 整備班と話し、確認のサインを入れ、ログを見て、必要なものだけを渡す。

 受け答えは普通で、笑いもする。だからこそ、見ていて落ち着かなかった。


 夜になっても、西方本部の格納庫は完全には静まらない。

 白い灯りの下で足場が動き、遠くの壁際では誰かが低い声で整備記録を読み上げていた。


 その音の中で、セリは何度も自分の端末を閉じては開いた。

 ノーザンクロスへ送るはずの運用ログは、もう揃っている。

 揃っているのに、送信済みの表示を見るたび、胃の奥が少しだけ重くなる。




 帰還前日、廊下の灯りは少しだけ落とされていた。


 作戦区画から格納庫へ続く通路には、白い誘導灯が床沿いに並んでいる。

 壁の向こうからは、整備班の工具の音が規則的に響いていた。

 出発を明日に控えた基地は静かだったが、止まってはいなかった。


 セリは端末を片手に、休憩室から出た。

 引き継ぎの最終確認がまだ残っている。自分でも分かるくらい、足は速かった。


「セリ」


 声をかけられて、足を止める。

 ユイが通路の途中に立っていた。端末を胸の前に抱え、こちらをまっすぐ見ている。


「……あすみが探してたよ。整備班の引き継ぎ、まだなんでしょ?」


「…あぁ、今行く」


 セリは短く返した。それだけで通り過ぎるつもりだった。だが、ユイは動かなかった。


「大丈夫?」


 その一言に、セリは眉を寄せる。


「何が。大丈夫だよ、向こうにはちゃんとログ送ってあるから」


 ユイは視線をセリに真っ直ぐと向けて言った。


「引き継ぎじゃなくて、二人とも。この間、喧嘩してた」


 セリの足が、そこで一瞬止まった。喉の奥に残っていた乾きが、急に濃くなる。


「…大丈夫だよ。よくある事だろ、相棒と喧嘩くらい」


「普通の状態だったらね」


 ユイの声は平坦だった。

 いつも端末を見ながら話しているのに今に限っては視線はセリを見たままだ。


 セリは何も返さない。視線だけが格納庫の方角へ向く。壁の向こうで工具の音がひとつ、乾いて鳴った。


 ユイが続ける。


「誰かに話した方がいいと思う。セリが崩れたら、もたない」


 セリはそこで、ようやく息を吐いた。


「ーー考えとく」


 言葉は短い。だが、普段の軽さはなかった。


 ユイはそれ以上追わなかった。ただ、セリの背中を見ながらその場に立っている。


「強がってんなー」


 後ろから聞こえた声に、ユイが振り返る。

 リオが紙コップのコーヒーを口へ運びながら、のんびり歩いてくる。

 その顔はいつも通りに見えるのに、目だけは笑っていない。


「…それ、言っちゃだめだよ」


 ユイは少し目を細めてリオを見た。


 リオは一瞬だけユイを見たが、すぐに廊下の先、格納庫の方へ視線を戻した。


「俺が言わなくたって、分かってんだろ」


 ユイもリオに向けていた顔を、同じように廊下の先へ向けた。


「……そうだといい」


 二人はそれ以上何も話さなかった。廊下の奥で、整備班の工具の音だけが響いていた。


 出発当日の朝、西方本部はいつもより静かだった。


 晴れているのに、光はどこか薄い。防壁の上を流れる雲は高く、港湾側の空だけが白く霞んで見えた。

 格納庫前の搬送路には、最低限の荷物を積んだ台車が一台だけ置かれている。二人分とは思えないほど少ない荷だった。


 あすみは先に来ていた。

 足元に小さな荷物を置き、ヘルメットを脇に抱えたまま、輸送機の方を見ている。

 制服の襟元はきちんとしていて、乱れはない。


 セリは少し遅れて格納庫前へ出た。

 肩には自分の荷。眠れていないのは自分でも分かったが、いまさら顔に出す気もなかった。


 あすみがこちらに気づく。


「おはよ」


 声は普通だった。あまりにも普通で、セリは一瞬だけ返事が遅れた。


「……おはよ」


 それだけ返して、隣に立つ。

 並んではいる。けれど、肩が触れるほど近くはない。半歩ぶんだけ、間が空いていた。


 格納庫の奥では、整備班がいつものように動いている。工具の音、ホイストの低い駆動音、金属の擦れる音。

 西方本部は、二人がいなくなっても変わらず動いていくのだと、その音だけで分かった。


 リオが先にやって来て、眠そうな顔のまま足を止める。


「寂しくなるな、小隊長」


 軽く言ったはずなのに、声は少しだけ掠れていた。


 セリが鼻で息を吐く。


「もう小隊長じゃないって」


「だよな」


 リオはそう返してから、あすみを見る。何か言いかけて、やめた。代わりに口の横をひとつ掻く。


「REDROSE……向こう行っても、変な無茶すんなよ」


 あすみは少しだけ目を細める。


「無茶してるつもりないんだけど」


「そういうとこだって」


 リオは小さく笑った。その笑いは長く続かなかった。


 少し遅れてユイが来る。

 端末を胸の前に抱え、二人分の転属データを最後に確認しているらしい。

 格納庫前の白い灯りの下で足を止めると、画面を閉じて顔を上げた。


「輸送機、十分後に出るって」


「了解」


 セリが答える。ユイはそれから、あすみを見るでもセリを見るでもなく、二人の間の床を一度だけ見た。


「……また会おう。それまで死なないで」


「ああ」


「うん」


 返事は短かった。

 ユイはそれ以上何も言わない。ただ、視線だけがほんの一瞬、あすみの顔をなぞった。


 その時、格納庫奥の通路から軍靴の音がした。

 ヘイル大尉だった。朝と同じ無駄のない歩幅でこちらへ来ると、輸送機の前で立ち止まる。


「搭乗五分前だ」


 それだけ言う。

 送別の言葉らしいものはない。だが、その事務的な声が、かえって西方本部らしかった。


 セリが短く敬礼し、あすみもそれに続く。ヘイルは敬礼を返す代わりに、二人を順に見た。


「向こうでも記録は見ている。以上だ」


 短い。けれど、それで十分だった。


 ヘイルが去っていく。その背中を見送りながら、リオが小さく呟く。


「最後まであの人だな」


 ユイが「うん」とだけ返した。


 輸送機のハッチが開く。内部から白い照明が漏れ、金属製のタラップがゆっくり降りてくる。

 風が吹き込み、あすみの前髪を少しだけ揺らした。


 セリは荷物を持ち直す。何か言うべきだと思ったが、結局、喉のところで言葉が止まる。


 先に動いたのはあすみだった。ヘルメットを抱え直し、迷いなくタラップへ足をかける。振り返らない。

 その後ろ姿を見て、セリも遅れて歩き出した。


 タラップの途中で、あすみが少しだけ足を止める。ほんのわずかに横を向く。


「セリ」


「ん?」


「荷物、落とさないでよ」


 それだけだった。あすみはすぐに前を向き、また歩き出す。

 セリは一瞬だけ目を閉じて、それから小さく息を吐いた。


「落とすかよ」


 返事は遅れたが、あすみはもう聞いていないふうだった。


 二人が機内へ消える。下に残ったリオとユイは、何も言わずにその背中を見ていた。

 格納庫の白い灯りがタラップの金属を冷たく光らせ、輸送機の内部照明と混じり合う。


 やがてハッチが閉まり、低い駆動音が格納庫の空気を震わせた。

 西方本部の朝は、その音ごといつもの一日に飲み込まれていく。


 *


 ノーザンクロスの艦橋は、いつもよりざわついていた。


「輸送機一八、接近。ベクトル安定。速度許容範囲内」


 ジョン・ラブラトリーがモニターを見ながら報告する。

 コンソールの前に前傾姿勢で座り、指先だけを忙しく動かす。


 サブモニタの片隅に、輸送機の識別情報が表示される。


【TRANSFER:KOGA ASUMI】

【TRANSFER:ANDERSON SERI】


 その文字列を、ジョンは一瞬だけ目でなぞった。


(……二人とも、生きて帰ってきた)

 

 胸の奥で、短く息を吐く。


「受け入れポート、ロックシーケンス開始」


 隣の座席に座っているアン・ヘンドリックも手元のパネルを操作する。

 スクリーンに、ドッキングリングが閉じる映像が映った。


「圧力、外部と内部の差、クリア。……転属二名、乗っています」


 最後の一言は、誰に聞かせるでもなく口をついて出た。アンはすぐに視線を戻す。


(あすみ、やっと帰って来たんだね)


 胸の中でだけ、名前を呼ぶ。艦長席のラナが、サブモニタへ一瞥を送った。

「……迎え入れて。格納庫の連中に伝えて」


「了解」

 ジョンが応じ、艦内放送へ回線を切り替える。


 輸送機の接続完了を告げる低い音が、ノーザンクロスの格納庫にゆっくり広がった。

 白い誘導灯が床に帯のように落ち、整備足場の影が長く伸びている。

 機関部の振動は床の金属を通して足裏へ伝わり、空調に混じって油と熱の匂いが薄く漂っていた。


 ハッチの前には、整備班の連中が自然に集まっていた。

 誰かが呼び集めたわけでもないのに、気づけばそうなっていた、という顔ぶれだった。

 つなぎの袖を肘までまくった者、工具手袋を片手だけ外した者、作業端末を脇に挟んだままの者。


 皆、仕事の途中の格好のまま、閉じたハッチを見上げている。


「来るぞ」


 誰かが小さく言った。

 その声のあと、輸送機のハッチが内側から開く。

 白い照明が一段強く漏れ、金属製のタラップがゆっくり降りてきた。


 最初に姿を見せたのはセリだった。

 肩に荷物を引っかけ、ヘルメットを脇に抱えたまま、少しだけ眩しそうに格納庫の光を見る。

 その後ろから、あすみが降りてくる。こちらも荷物は少ない。

 ヘルメットを抱えたまま、足元を見ずにタラップを下りてきた。


「おー」


 整備班の一人が、思わずみたいに声を上げた。


「久しぶりだな、お前ら」


「でかくなったなあ」


 笑い混じりの声が重なる。誰かがタラップの下まで出て、セリの肩を軽く叩いた。


「LAA卒業してから二年か。早いな」


「お前は長期休暇のたび帰ってきてたから、そこまで久しぶりって感じでもねえけどな」


 別の整備員が、あすみに向かってそう言って笑う。

 あすみは少しだけ目を細めた。

「それでも久しぶりですよ」


 声はやわらかかった。その返しに、また小さな笑いが起きる。


「セリの方が久しぶりか。長い休みはずっと地球に帰ってたもんな」

「そりゃ顔も変わるわけだ」


 セリは肩をすくめる。


「変わってねえよ」


「いや、ちょっとは変わった」

「背だけじゃなくて面もな、毛は生え揃ったか?」


「やめろって」


 久しぶりの軽口なのに、不思議と無理がなかった。格納庫の空気が少しだけやわらぐ。

 工具の音も、補助電源の唸りもそのままなのに、この一角だけ温度が変わったようだった。


 あすみはその輪の中で、ちゃんと笑っていた。口元も、返す声も、いつものあすみだった。


 その少し離れた二階の階段踊り場に、アンが立っていた。手すりに片手を置き、下の様子を見ている。


 帰ってきた。

 本当に帰ってきたんだ、と胸の奥が少しだけほどける。けれど、次の瞬間、アンの指先に力が入った。

 あすみは笑っている。整備班の声にも普通に返している。

 笑っているのに、その目の奥だけが静かすぎた。

 アンは手すりを握る指先に、知らないうちに力を込めていた。


 下ではまだ整備班の声が続いている。


「荷物それだけかよ」


「輸送機で酔ってねえか」


 あすみは小さく笑った。

「大丈夫。」


 アンは、あすみの目の奥を静かに見つめていた。

 あすみとセリは、整備班へ一通り挨拶をすませると、並んで格納庫を出た。

 艦内廊下には、ノーザンクロス独特の薄暗さと、足元を這う誘導灯の光があった。


「……ノーザンクロス、だな」


 セリが肩にかけた荷物の持ち手を直しながら言う。


「うん」


 あすみも荷物を右から左へ持ち替えながら答えた。しばらく沈黙が続いたあと、セリが言った。


「一応言っとく」


「うん?」


「配置換え、ラナ艦長に言ったのは俺だから」


 あすみは、足を止めなかった。


「…うん。分かってる」


 短く返す。


「……お前が嫌がっても、俺はお前の隣でバディやるからな」


 その言葉には、迷いがなかった。あすみは、ほんの少しだけ横を向いた。


「……うん」


 それだけ言って、二人ともまた、前を向く。

 廊下の先で、自動ドアが静かに開いた。中から漏れる白い光が、二人の影を床に伸ばす。

 

 2人は並んで、その光の中へ歩みを進める。そして、扉が閉まる音が、艦内の騒音に紛れて消えていった。


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