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SKY  作者: 岩佐知秋
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76/126

Sky76-光の中へ-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 



 西方本部の会議室で、誰かが椅子を引く音が短く響き、そのあと静かになった。

 第〇小隊は、いつもの位置に散って座っていた。リオは端末を片手で弄びながら、椅子の背にもたれている。ユイは画面に落とした視線を上げない。セリは前方の戦域図ではなく、その少し手前に座るアスミの横顔を見ていた。

 アスミは背筋を伸ばし、膝の上に置いた手も動かさない。無理をしているようには見えない。

 ただ、ここ数日のあいだにあった揺れが、表へ出てこなくなっていた。

 扉が開き、ヘイルが入ってくる。軍靴の音は一定で、机の前に立つまで一度も乱れない。端末を置くと、出席者を見回すこともなく画面を開いた。

「第〇小隊に通達する」

 空調の音に重なるように、その一言が落ちる。

「アスミ・レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。両名は西方本部から外れる」

「第〇試験飛行隊については存続。編成を組み直し、新しい小隊編成となる」

「今後の作戦内容は追って説明する」

 室内の空気が、ほんの少しだけ止まった。

 リオが椅子の背から体を起こす。ユイがそこで初めて顔を上げた。セリの肩が、ごくわずかに強張る。

 アスミだけが、すぐには反応を見せなかった。

「配置換えだ。配属先はノーザンクロス。本日付で発効する」

 ヘイルは視線を端末に落としたまま続ける。

「今日から引き継ぎに入れ。整備班、管制、運用ログ、機体管理、全て対象だ。正式な通達は本部から回っている」

 短い説明だった。短い分だけ、決定事項としての硬さだけが残る。

 ヘイルは端末から目を上げた。

「質問は」

 誰もすぐには口を開かない。端末の表示だけが静かに明滅している。

「ありません」

 最初に答えたのは、アスミだった。

 表情は変わらない。声にも迷いがない。自然な返答なのに、セリにはその滑らかさが落ち着かなかった。

「……ありません」

 セリも遅れて答える。声は出た。だが、自分のものなのに少し遠かった。

 ヘイルは頷き、端末を閉じる。

「以上だ。解散」

 それだけ言って踵を返す。扉が閉まる音が、やけに乾いて聞こえた。

 椅子を引く音が重なり、隊員たちが立ち上がる。リオが端末を抱えたまま肩を回し、ユイは無言で通路側へ歩き出す。アスミも席を立ち、ヘルメットを取り上げた。

 セリはその横顔を見たまま、立ち上がるのが少し遅れた。

 自分で動かした配置換えなのに、命令として落ちてきた途端、別の重さで胸に沈んでくる。


   *


 西方本部での一日は、その日を境に急に早くなった。

 整備班への引き継ぎ、運用端末の整理、機体ログの送付、認証情報の更新。人が動くたびに紙と端末が移動し、格納庫では工具音が絶えなかった。何もかもが、二人がここを離れる前提で進んでいく。

 セリはその流れに押されるように、一日中動いていた。考える暇を作らないために、わざと手を止めなかったのかもしれない。

 アスミも同じように、淡々と引き継ぎをこなしていた。整備班と話し、確認のサインを入れ、ログを見て、必要なものだけを渡す。受け答えは普通で、笑いもする。だからこそ、見ていて落ち着かなかった。

 夜になっても、西方本部の格納庫は完全には静まらない。白い灯りの下で足場が動き、遠くの壁際では誰かが低い声で整備記録を読み上げていた。

 その音の中で、セリは何度も自分の端末を閉じては開いた。ノーザンクロスへ送るはずの運用ログは、もう揃っている。揃っているのに、送信済みの表示を見るたび、胃の奥が重くなる。


   *


 帰還前日、廊下の灯りは少しだけ落とされていた。

 作戦区画から格納庫へ続く通路には、白い誘導灯が床沿いに並んでいる。壁の向こうからは、整備班の工具の音が規則的に響いていた。出発を明日に控えた基地は静かだったが、止まってはいなかった。

 セリは端末を片手に、休憩室から出た。引き継ぎの最終確認がまだ残っている。自分でも分かるくらい、足は速かった。

「セリ」

 声をかけられて、足を止める。

 ユイが通路の途中に立っていた。端末を胸の前に抱え、こちらをまっすぐ見ている。

「……アスミが探してた。整備班の引き継ぎ、まだなんでしょ?」

「……ああ、今行く」

 セリは短く返した。それだけで通り過ぎるつもりだった。だが、ユイは動かなかった。

「大丈夫?」

 その一言に、セリは眉を寄せる。

「何が。大丈夫だよ、向こうにはちゃんとログ送ってあるから」

 ユイは視線をセリにまっすぐ向けて言った。

「引き継ぎじゃなくて、二人とも。この間、喧嘩してた」

 セリの足が、そこで止まった。喉の奥に残っていた乾きが、急に濃くなる。

「……大丈夫だよ。よくあることだろ、相棒と喧嘩くらい」

「普通の状態だったらね」

 ユイの声は平坦だった。いつもは端末を見ながら話しているのに、今に限っては視線がセリを捉えたまま動かない。

 セリは何も返さない。視線だけが格納庫の方角へ向く。壁の向こうで工具の音がひとつ、乾いて鳴った。

 ユイが続ける。

「誰かに話した方がいいと思う。セリが崩れたら、もたない」

 セリはそこで、ようやく息を吐いた。

「……考えとく」

 言葉は短い。だが、普段の軽さはなかった。

 ユイはそれ以上追わなかった。ただ、セリの背中を見ながらその場に立っている。


「強がってんなー」

 後ろから聞こえた声に、ユイが振り返る。

 リオが紙コップのコーヒーを口へ運びながら、のんびり歩いてくる。その顔はいつも通りに見えるのに、目だけは笑っていない。

「それ、言っちゃだめだよ」

 ユイは目を細めてリオを見た。

 リオは一度だけユイを見たが、すぐに廊下の先、格納庫の方へ視線を戻す。

「俺が言わなくたって、分かってんだろ」

 ユイもリオに向けていた顔を、同じように廊下の先へ向けた。

「……そうだといい」

 二人はそれ以上何も話さなかった。廊下の奥で、整備班の工具の音だけが響いていた。


   *


 出発当日の朝、西方本部はいつもより静かだった。

 晴れているのに、光はどこか薄い。防壁の上を流れる雲は高く、港湾側の空だけが白く霞んで見えた。

 格納庫前の搬送路には、最低限の荷物を積んだ台車が一台だけ置かれている。二人分とは思えないほど少ない荷だった。

 アスミは先に来ていた。足元に小さな荷物を置き、ヘルメットを脇に抱えたまま、輸送機の方を見ている。制服の襟元はきちんとしていて、乱れはない。

 セリは少し遅れて格納庫前へ出た。肩には自分の荷。眠れていないのは自分でも分かったが、いまさら顔に出す気もなかった。

 アスミがこちらに気づく。

「おはよ」

 声は普通だった。あまりにも普通で、セリは一瞬だけ返事が遅れた。

「……おはよ」

 それだけ返して、隣に立つ。並んではいる。けれど、肩が触れるほど近くはない。半歩ぶんだけ、間が空いていた。

 格納庫の奥では、整備班がいつものように動いている。工具の音、ホイストの低い駆動音、金属の擦れる音。

 西方本部は、二人がいなくなっても変わらず動いていくのだと、その音だけで分かった。

 リオが先にやって来て、眠そうな顔のまま足を止める。

「寂しくなるな、小隊長」

 軽く言ったはずなのに、声は少しだけ掠れていた。

 セリが鼻で息を吐く。

「もう小隊長じゃないって」

「だよな」

 リオはそう返してから、アスミを見る。何か言いかけて、やめた。代わりに口の横をひとつ掻く。

「REDROSE……向こう行っても、変な無茶すんなよ」

 アスミは目を細める。

「無茶してるつもりないんだけど」

「そういうとこだって」

 リオは小さく笑った。その笑いは長く続かなかった。

 少し遅れてユイが来る。端末を胸の前に抱え、二人分の転属データを最後に確認しているらしい。格納庫前の白い灯りの下で足を止めると、画面を閉じて顔を上げた。

「輸送機、十分後に出るって」

「了解」

 セリが答える。

 ユイはそれから、アスミを見るでもセリを見るでもなく、二人の間の床を一度だけ見た。

「……また会おう。それまで死なないで」

「ああ」

「うん」

 返事は短かった。ユイはそれ以上何も言わない。ただ、視線だけがほんの一瞬、アスミの顔をなぞった。

 その時、格納庫奥の通路から軍靴の音がした。

 ヘイルだった。朝と同じ無駄のない歩幅でこちらへ来ると、輸送機の前で立ち止まる。

「搭乗五分前だ」

 それだけ言う。送別の言葉らしいものはない。だが、その事務的な声が、かえって西方本部らしかった。

 セリが短く敬礼し、アスミもそれに続く。ヘイルは敬礼を返す代わりに、二人を順に見た。

「向こうでも記録は見ている。以上だ」

 短い。けれど、それで十分だった。

 ヘイルが去っていく。その背中を見送りながら、リオが小さく呟く。

「最後まであの人だな」

 ユイが「うん」とだけ返した。

 輸送機のハッチが開く。内部から白い照明が漏れ、金属製のタラップがゆっくり降りてきた。

 風が吹き込み、アスミの前髪を揺らした。

 セリは荷物を持ち直した。何か言うべきだと思ったが、結局、喉のところで言葉が止まる。

 先に動いたのはアスミだった。ヘルメットを抱え直し、迷いなくタラップへ足をかける。振り返らない。

 その後ろ姿を見て、セリも遅れて歩き出した。

 タラップの途中で、アスミが足を止める。ほんのわずかに横を向いた。

「セリ」

「ん?」

「荷物、落とさないでよ」

 それだけだった。アスミはすぐに前を向き、また歩き出す。

 セリは一瞬だけ目を閉じて、それから小さく息を吐いた。

「落とすかよ」

 返事は遅れたが、アスミはもう聞いていないふうだった。

 二人が機内へ消える。下に残ったリオとユイは、何も言わずにその背中を見ていた。格納庫の白い灯りがタラップの金属を冷たく光らせ、輸送機の内部照明と混じり合う。

 やがてハッチが閉まり、低い駆動音が格納庫の空気を震わせた。

 西方本部の朝は、その音ごといつもの一日に飲み込まれていく。


   *


 ノーザンクロスの艦橋は、いつもよりざわついていた。

「輸送機一八、接近。ベクトル安定。速度許容範囲内」

 ジョン・ラブラトリーがモニターを見ながら報告する。コンソールの前に前傾姿勢で座り、指先だけを忙しく動かす。サブモニタの片隅に、輸送機の識別情報が表示された。

 《TRANSFER:ASUMI LAYNER》

 《TRANSFER:ANDERSON SERI》

 その文字列を、ジョンは一瞬だけ目でなぞる。

 二人とも、生きて帰ってきた。胸の奥で、短く息を吐いた。

「受け入れポート、ロックシーケンス開始」

 隣の座席に座っているアン・ヘンドリックも手元のパネルを操作する。スクリーンに、ドッキングリングが閉じる映像が映った。

「圧力、外部と内部の差、クリア。……転属二名、乗っています」

 最後の一言は、誰に聞かせるでもなく口をついて出た。アンはすぐに視線を戻す。

 アスミ、やっと帰って来た。

 胸の中でだけ、名前を呼ぶ。

 艦長席のラナが、サブモニタへ一瞥を送った。

「迎え入れて。格納庫の連中に伝えて」

「了解」

 ジョンが応じ、艦内放送へ回線を切り替える。


 輸送機の接続完了を告げる低い音が、ノーザンクロスの格納庫にゆっくり広がった。

 白い誘導灯が床に帯のように落ち、整備足場の影が長く伸びている。機関部の振動は床の金属を通して足裏へ伝わり、空調に混じって油と熱の匂いが薄く漂っていた。

 ハッチの前には、整備班の連中が自然に集まっていた。誰かが呼び集めたわけでもないのに、気づけばそうなっていた、という顔ぶれだった。つなぎの袖を肘までまくった者、工具手袋を片手だけ外した者、作業端末を脇に挟んだままの者。皆、仕事の途中の格好のまま、閉じたハッチを見上げている。

「来るぞ」

 誰かが小さく言った。その声のあと、輸送機のハッチが内側から開く。白い照明が一段強く漏れ、金属製のタラップがゆっくり降りてきた。

 最初に姿を見せたのはセリだった。肩に荷物を引っかけ、ヘルメットを脇に抱えたまま、眩しそうに格納庫の光を見る。

 その後ろから、アスミが降りてくる。こちらも荷物は少ない。ヘルメットを抱えたまま、足元を見ずにタラップを下りてきた。

「おー」

 整備班の一人が、思わずみたいに声を上げた。

「久しぶりだな、お前ら」

「でかくなったなあ」

 笑い混じりの声が重なる。誰かがタラップの下まで出て、セリの肩を軽く叩いた。

「LAA卒業してから二年か。早いな」

「お前は長期休暇のたび帰ってきてたから、そこまで久しぶりって感じでもねえけどな」

 別の整備員が、アスミに向かってそう言って笑う。

 アスミは目を細めた。

「それでも久しぶりですよ」

 声はやわらかかった。その返しに、また小さな笑いが起きる。

「セリの方が久しぶりか。長い休みはずっとインシオンに帰ってたもんな」

「そりゃ顔も変わるわけだ」

 セリは肩をすくめる。

「変わってねえよ」

「いや、ちょっとは変わった」

「背だけじゃなくて面もな。毛は生え揃ったか?」

「やめろって」

 久しぶりの軽口なのに、不思議と無理がなかった。格納庫の空気がやわらぐ。工具の音も、補助電源の唸りもそのままなのに、この一角だけ温度が変わったようだった。

 アスミはその輪の中で、ちゃんと笑っていた。口元も、返す声も、いつものアスミだった。

 その少し離れた二階の階段踊り場に、アンが立っていた。手すりに片手を置き、下の様子を見ている。

 帰ってきた。本当に帰ってきたんだ。胸の奥が少しだけほどける。

 けれど、次の瞬間、アンの指先に力が入った。

 アスミは笑っている。整備班の声にも普通に返している。笑っているのに、その目の奥だけが静かすぎた。

 アンは手すりを握る指先に、知らないうちに力を込めていた。

 下ではまだ整備班の声が続いている。

「荷物それだけかよ」

「輸送機で酔ってねえか」

 アスミは小さく笑った。

「大丈夫」

 アンは、アスミの目の奥を静かに見つめていた。


   *


 アスミとセリは、整備班へ一通り挨拶をすませると、並んで格納庫を出た。

 艦内廊下には、ノーザンクロス独特の薄暗さと、足元を這う誘導灯の光があった。

「……ノーザンクロス、だな」

 セリが肩にかけた荷物の持ち手を直しながら言う。

「うん」

 アスミも荷物を右から左へ持ち替えながら答えた。

 しばらく沈黙が続いたあと、セリが言った。

「一応言っとく」

「うん?」

「配置換え、ラナ艦長に言ったのは俺だから」

 アスミは、足を止めなかった。

「うん。分かってる」

 短く返す。

「……お前が嫌がっても、俺はお前の隣でバディやるからな」

 その言葉には、迷いがなかった。

 アスミは、ほんの少しだけ横を向いた。

「……うん」

 それだけ言って、二人ともまた、前を向く。

 廊下の先で、自動ドアが静かに開いた。中から漏れる白い光が、二人の影を床に伸ばす。

 二人は並んで、その光の中へ歩みを進める。そして、扉が閉まる音が、艦内の騒音に紛れて消えていった。


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