Sky74-曇った標準-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
第〇小隊の面々は、ブリーフィングルームで、それぞれ端末を前にして座っていた。
扉が開き、ヘイル大尉が入ってくる。軍靴の音は一定で、机の前に立つまで一度も乱れない。
端末を置くと、出席者を見回すこともなく画面を開いた。
「第〇小隊。上層部より通達だ」
平坦な声だった。空調の音に重なるように落ちたその一言で、室内の空気が締まる。
ヘイルは端末に視線を落としたまま続けた。
「第三勢力との不要な接触を禁止する。対象識別名、Vector。追撃、深追い、独断接触、すべて禁止だ」
リオが端末から顔を上げる。ユイもわずかに視線を動かしたが、何も言わない。
ヘイルの声だけが、そのまま続く。
「理由説明は省く。現場判断での接近も認めない。帝国機への対処を優先しろ。以上だ」
短すぎるくらい短い通達だった。政治だの外交だのといった言葉は一つも出なかったが、逆にその説明のなさが、上の判断の重さだけをはっきり残していた。
セリは無意識に奥歯を噛む。
追うな、という判断自体は理解できる。昨日の戦闘を思えば、むしろそうなるのは当然かもしれない。
だが、自分の中で引っかかっているのは、そこじゃなかった。
追うなとか、近づくなとか、そんな命令より前に、もう別の場所で何かがずれている。
そのずれを、前に座るアスミだけが、まるで知らないみたいに静かにしていた。
ヘイルが最後の確認に入る。
「質問は」
誰もすぐには口を開かない。短い沈黙のあと、アスミが迷いなく答えた。
「ありません」
表情は変わらなかった。声にも迷いがない。
セリの指先が、机の下で止まる。
昨日の戦闘のあとだ。普通なら、何か一つくらい引っかかる。追うなと言われて、あれだけ素直に終われる話じゃない。
少なくとも、昨日のアスミならそうだった。
なのに今日は、何もないみたいに受け取っている。
ヘイルはそれ以上気にも留めずに端末を閉じた。
「十分後に発進準備へ入れ」
それだけ言って、踵を返す。扉が閉まる音が、やけに乾いて聞こえた。
アスミが最初に立ち上がる。椅子を戻す音も小さい。端末を持ち上げ、そのまま扉へ向かって歩き出す背中に、昨日の戦闘の重さは見えなかった。
セリは、立ち上がるのが少し遅れた。
*
ブリーフィング室の扉が閉まると、冷えた空気が背中に残った。外の廊下は白く明るいのに、室内の薄い緊張だけが、まだ体にまとわりついている気がする。
アスミは誰より先に通路へ出ていた。端末を片手に持ったまま、足を止めることなく格納庫のほうへ向かっていく。歩幅も姿勢もいつも通りで、急いでいるようには見えない。ただ、迷いがない。
その背中を見ながら、セリは少し遅れて廊下へ出た。
リオが横を通り過ぎ、壁際の案内灯をちらりと見てから、眠気の残る声で言う。
「追うな、ねぇ」
軽く流した言い方だったが、独り言みたいに落ちたその一言には、さっきの通達への引っかかりが残っていた。
ユイは何も言わない。端末を閉じ、セリの横を静かに通り過ぎる。その視線が一瞬だけアスミの背中へ向かい、すぐに前へ戻った。
廊下の向こうから、格納庫側の低い駆動音が響いてくる。起動準備に入った機体の重い唸りだ。換気の風に押されて、油と焼けた金属の匂いが細く流れてきた。
アスミは振り返らない。セリはその後ろ姿を見ながら、喉の奥に残った言葉を飲み込んだ。
リオが歩きながら、その背中へ声を投げる。
「お前、随分あっさりしてんな。昨日、あれだけまとわりつかれてたんだから、追いたいだろ?」
格納庫前の隔壁が開く。白い作業灯の下、四機の機体が順に起動していくたび、床の金属が低く震えた。装甲の継ぎ目から漏れる反応光が淡く走り、背部推進器の予熱が始まる。
アスミはタラップの途中で一度だけ振り返り、ヘルメットを脇に抱えたままリオを見た。
「追いたいって言っても、命令は命令でしょ」
声はいつも通りだった。拗ねてもいないし、棘もない。ただ、そこで話が終わっているみたいな返し方だった。
リオは肩をすくめる。
「まぁな。俺だって別に追いたいわけじゃねぇけど」
ユイはその横で端末を閉じ、短く補足した。
「追わない方が面倒は減る」
アスミは小さく「うん」とだけ返し、そのまま機体へ乗り込んだ。
そのやり取りを聞きながら、セリは自分の機体の足元で立ち止まる。
会話は普通だ。受け答えも、声の温度も、おかしくない。
おかしいのは、その普通が、昨日までのアスミの延長に見えないことだった。
《第〇小隊、発進シークエンス移行》
管制の声が天井のスピーカーから落ちる。
セリはヘルメットを被り、操縦席へ身体を沈めた。ハーネスが胸と腰を締め、脚部固定具が噛み合う。正面モニターに自機の状態が立ち上がり、視界の端に僚機識別が順番に並んだ。
「Alpha2より各機、発進。今日は掃討が主だ。Vectorは禁止対象、帝国機だけ見るぞ」
返答はすぐに返ってきた。
《了解》
最後のアスミの声も、何も変わらない。
その変わらなさに、セリは余計に息苦しさを覚えた。
隔壁が左右へ開き、外の光が格納庫の奥まで流れ込む。
先頭の白い機体が発進レーンへ踏み出し、脚部で重さを受けながら加速した。背部推進器が火を噴き、巨体が前のめりに持ち上がる。アスミの機体だ。
続けてセリ、リオ、ユイの順に飛び立ち、四機の白い機体が西方本部の防壁を越えて空へ出た。
*
今日の空域は、都市戦ほど建物が密集していない。だが、平穏とも言えなかった。
外縁部の倉庫群、補給路、崩れた高架、低い防壁。地表に残る構造物の隙間は多く、敵が姿勢を隠すには十分だった。
《北東、熱源二。少し遅れてもう一》
ユイの索敵が、先に敵を拾う。
セリは機体を少し沈め、正面の視界を開いた。黒い帝国機が、倉庫群の上を低く滑るように飛んでくる。黒い装甲の継ぎ目では青い反応光が細く走り、武装はまだ生きている。
「Alpha2より各機、左右へ開くな。先頭維持」
セリの指示に、アスミの機体がまっすぐ前へ出た。装甲の関節部が、今日も赤く光っている。
黒い一機が先に撃つ。火線が倉庫の屋根を掠め、遅れて破片が跳ねた。
アスミの機体は上体をひねって射線を外し、そのまま半身の姿勢で右腕の銃口を通す。
黒い機体の肩口が弾ける。姿勢が崩れたところへ、追うように二射目が入った。胸部中央。装甲が内側から裂け、そのまま一機目が倉庫群の向こうへ落ちていく。
《撃墜一》
管制の声が重なる。
リオが、外周を取りながら息を漏らした。
《相変わらず早ぇな》
アスミは笑うみたいに短く返す。
《撃てる時に撃っただけ》
その返し方まで、普通だった。普通に会話して、普通に敵を落とす。そこだけ見れば、何もおかしくない。
二機目が高度を落とし、補給路の高架下へ逃げ込もうとする。
セリはその動きを見て、短く指示を飛ばした。
「リオ、外から押せ。ユイ、下の熱源見失うな」
《了解》
《見えてる》
BRAVO3が外側から回り込み、DELTA4が上から索敵を固定する。
その間に、アスミの機体が高架へ正対した。
普通なら、影へ入る敵の次の出方を少し見る。
だが、アスミはもう撃っている。
高架の梁を避ける角度だけを拾い、射線をねじ込む。白い機体の上体がわずかに沈み、右腕の銃口が高架下の暗がりへ火を吐いた。
閃光が内部を裂き、遅れて黒い機体が高架の影から転がり出る。片脚を失い、姿勢を崩した胸部へ、さらに一発。二機目も落ちた。
《撃墜二》
セリは歯を食いしばる。速い。しかも、迷わない。昨日のあとも、その速さは落ちていない。
残る一機が、倉庫群の向こうへ抜けるように上体を傾けた。黒い装甲が高架の影へ沈む。
正面から押し返してくる軌道ではない。セリの目には、その動きがいったん戦線を外したように映った。
「リオ、無理に追うな」
指示を飛ばした、その直後だった。
先頭の白い機体が、ためらいなく銃口を高架下へ向ける。関節部に灯る赤い光が沈み、上体が滑るように角度を作った。
撃てると見た瞬間には、もう引き金が引かれている。
閃光が暗がりを裂いた。
黒い機体が影の中から吹き飛び、胸部を撃ち抜かれたまま支柱へ叩きつけられる。そのまま姿勢を失い、残骸を引きずるように地面へ落ちた。
《撃墜三》
管制の確認が入る。
セリは視界を高架下へ戻したまま、喉の奥を強く詰まらせた。
さっき自分が見たものは、何だったのか。敵は退いたのか、それとも位置を変えただけだったのか。
もう確かめようがない。答えは、高架の下に落ちた残骸ごと消えた。
前を飛ぶアスミの機体は、何もなかったみたいに銃口を戻している。動きは乱れず、白い装甲も揺れない。いまの一撃が、迷うような判断ではなかったとでも言うような静かさだった。
《第〇小隊、戦闘終息確認。帰投せよ》
「……Alpha2、了解」
返答を口にした時には、もう声まで重くなっていた。
アスミの機体は先に帰投の向きへ入り、赤い反応光だけを残して高度を整えていく。
倉庫群の上を抜ける風はまだ熱を含み、崩れた高架の影が朝の地表へ長く落ちていた。さっきまで火線が走っていた空が、急に広く見える。
誰も喋らない。
右外を飛ぶリオの機体も静かだった。上を取るユイも同じだった。
誰も喋らないまま、西方本部の防壁が近づいてくる。
《第〇小隊、着陸誘導入る》
管制の声が平坦に流れる。その声に押されるように、四機は順に帰投レーンへ入り、格納庫へ降りていった。
*
戦闘の熱が、まだ装甲に残っている。
格納庫の中は白い作業灯に照らされ、工具のぶつかる乾いた音と、補助電源の低い唸りが奥で重なっていた。整備員たちは足早に動いているのに、第〇小隊の周りだけ、空気が妙に重い。
先に降りたリオは、機体の脇でヘルメットを持ち直したまま、しばらく何も言わなかった。視線は、高架の影があった方角をまだ引きずっている。
ユイも遅れて地上へ降りると、端末を閉じ、整備灯の白い光の中で一度だけ息を吐いた。
セリはヘルメットを外したまま、格納庫の端に立っている。戦闘の余熱が残る機体の列から、少しだけ離れた位置だ。灯りが頬に当たっているのに、表情の影は落ちたままだった。
その沈黙の中で、最初に口を開いたのはリオだった。
「……撤退軌道だったやつを撃ち落とした」
言い切ったあとも、声の余韻だけが格納庫の床の上に残る。
責めるでも、断じるでもない。ただ、見たままをそこへ置いたみたいな言い方だった。
ユイがセリの隣で足を止め、目線を下げる。
「あれは再編成かもしれなかった」
その声は低く、平坦で、だから余計に冷たく響いた。
セリは何も返さない。返せないまま、拳だけがゆっくり固くなっていく。
「……セリ、手」
ユイに言われて、初めて自分の手に力が入りすぎていることに気づいた。握った拳が白くなっている。
あいつが笑って、食って、寝てれば。守る側で飛んでるなら。まだ大丈夫だと思ってた。
リオが視線を寄越す。軽口を挟む時の顔ではなかった。
「……お前のせいじゃない」
セリは答えない。
機体の上で、整備員が足場を寄せる音がする。その向こうで、コクピットのハッチが開いた。
白い装甲の胸元から人影が現れ、整備灯の光がバイザーの曲面に揺れて映る。
けれど、その光は目元までは届かない。
アスミ。お前、何も見てないのか。
喉が乾く。
……何も、映ってないのか。
アスミがタラップを下りてくる。降りたところでセリたちに気づいて、笑った。
それは、いつもと同じ笑顔だった。なのに、少しだけ遠い。
その目の奥に何があるのか、セリには分からなかった。
*
夜の基地外周は、灯りの色が違った。
発進レーン側の白いライトとは別に、外壁近くの通路には薄い橙色の照明が点いている。喫煙所を兼ねた小さなスペースは、その橙色の中に沈んでいた。
鉄の灰皿と、腰の高さの手すりがあるだけの場所だ。遠くで車両のエンジン音が一つ鳴り、すぐに消えた。
セリは、紙コップを片手に柵にもたれている。コーヒーはもうぬるい。煙草の火だけが小さく残っていた。
橙色の光が、額に貼られた白いテープの端を照らしている。昨日、機体ごと射線へ割り込んだ時に、内壁で切ったものだ。傷はまだ完全には塞がっていない。
「失礼」
背後から声がした。セリは振り返らない。
「……」
灯りの縁に、細身の影が入る。シュタイナーだった。制服の前をきちんと留め、手には何も持っていない。
「アンダーソン一等兵」
「なんすか」
セリはコップを一口だけ傾け、苦い液体を喉に押し込んだ。
「用なら、業務時間内にしてください」
「業務ではありません」
「じゃあ、なおさら用はないですね」
風が一度、柵の隙間を通り抜けた。
シュタイナーは、その風が止むのを待ってから口を開く。
「気づいていますね。彼女の変化に」
セリの指先が、煙草のフィルターを少しだけ強く挟んだ。
「首突っ込むなって言いましたよね」
シュタイナーは眉を動かさない。
「……それでは、もう遅いところまで彼女は来ている」
その視線が、夜の発進レーンのほうへ少しだけ流れた。
「あの目は、〝兵器の目〟です」
言葉は淡々としているのに、声の底に何かが混じっている。
「……だから、あんたには関係ないだろ」
セリは笑いもしなかった。煙草の火が、風に揺れる。
「士官としては、そうかもしれません」
シュタイナーは一度だけ瞬きをした。
「……ですが、私は個人的に彼女を守りたい」
セリの口元が、わずかに歪む。
「はっ。好きにしろよ。できるならな」
鼻で笑って、柵に背中を預けた。
シュタイナーはすぐには返さない。外壁の向こうで、トラックのエンジン音が一つ遠ざかる。基地の中庭に植えられた小さな木の葉が、風で揺れた。
「……このままだと、近いうちに彼女は壊れますよ」
それでも言った。
セリは、紙コップを握る手とは逆の拳を、ゆっくりと握る。
「……だからって、何もできないだろ、あんたにも俺にも」
煙を吐き出す。
「ゼルンハイトは連合軍でもない。権限もない」
シュタイナーは、セリを真っ直ぐに見た。
「君だって、分かっているはずです。このままでは危ない、と」
「……君なら、止められるはずだ」
長い沈黙が降りる。
橙色の灯りの下で、二人の影だけが伸びていた。
やがて、セリが口を開く。
「それでも、あいつが言わない限り――」
言葉を区切りながら、煙草を灰皿に押しつけた。
「俺は、あいつの側にただいるだけだ」
シュタイナーは、何も言えなかった。言えば、何かを崩すと分かっていた。
「もう行きます」
セリはそう言って、紙コップをゴミ箱に放り込む。背筋を伸ばし、喫煙所の灯りから一歩外へ出た。
夜の廊下へ戻る扉が開き、閉まる音が響く。
喫煙所には、シュタイナーだけが残った。
灰皿の縁から、細く煙が上がっている。
「……間に合わない」
誰に聞かせるでもなく、小さく言った。
セリが出ていった扉のガラスに、橙色の光を受けた自分の姿がぼんやり映っている。胸元のゼルンハイトの徽章だけが、暗い面の中で角度を持って光っていた。
シュタイナーは、それを一度だけ見て、目を逸らす。
配置図にも、会議の議事録にも、自分の名前の隣にあるのは「出向」の文字だけだ。
止めたい場所に、自分の手は届いていない。
夜風が、灰皿の中の灰をひとつ巻き上げた。
それが消えるのを見届けてから、シュタイナーもまた、橙色の灯りの輪から歩き出した。
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