Sky73-肩口の傷跡-
次の瞬間、黒い帝国機の銃口が火を噴いた。
閃光は高架の影からまっすぐ伸び、隊列の乱れた中央を貫くように走る。
先に反応したのはユイだった。
「下!」
上空から落ちた声と同時に、リオの機体が外側から機体をねじ込むように回り込む。
白い装甲が建物の縁をかすめ、別角度にいた黒い帝国機を押し返すために火線を吐いた。
サジも都市の外縁寄りから機体を返し、腕の緑のラインを引きずるようにして中央へ寄せてくる。
「セリ、避けろ!」
だが、もう間に合わない。
セリの機体はあすみの射線を塞ぐために深く入りすぎていた。
その向こうで、あすみの機体もまた姿勢を崩しかけている。
高架の影から来た一撃は、その二機をまとめて抜くつもりの角度だった。
その火線の前へ、白い機体が滑り込んだ。
Vectorだった。
肩の青いラインが都市の煤けた光の中で鋭く翻り、白い装甲がセリとあすみのさらに前へ出る。
脚部で強引に重心を支え、上体をひねりながら、
黒い帝国機の射線と第0小隊の中央とのあいだへ自分の機体を差し込んだ。
閃光がVectorの肩口を掠める。
青い反応光が散り、白い装甲の表面に火花が弾けた。だが機体は止まらない。
そのまま右腕の銃口を押し込み、火線の元になった黒い帝国機へ照準を通す。
発砲。
黒い装甲が胸から裂け、敵機は高架下の影へ崩れるように落ちた。
あすみは、セリの機体の向こうでその光景を見ていた。
さっきまで自分の邪魔をしていた第三勢力が、いま、明らかにこちらを庇う位置へ入った。
しかも迷いがない。撃たれる側に自分の機体を置くことを、最初から決めていたみたいな動きだった。
セリはその光景を真正面から見ていた。
操縦席の中で喉が焼けつく。分かっていたつもりだった。
カイトがそこにいて、あすみが知らないまま撃って、最悪の形でぶつかることは分かっていた。
だが、こんなふうに、カイトが自分から入るところまでは想像していなかった。
「カイト、お前……」
(庇うくらいなら、なんでーーー)
低く漏れたその声は、誰にも届かない。
少し離れた位置からサジが怒鳴る。
「Vector、中央の射線に入ってるぞ!」
上空のウィリスは機体を半身にしながら、中央へ続く別の黒い射線を切っていた。
紫のラインが脚部で短く明滅し、低い声が回線に落ちる。
「サジ、叫ぶな。前を見ろ」
「分かってるっての!けどあれ、完全に庇っただろ!」
リオは歯を食いしばったまま、ブラボー3を建物の列の外から滑らせる。
外縁にいた黒い帝国機を押し戻しながらも、視線の半分はずっと中央に残っている。
「……何なんだよ、あいつ」
「セリ、外の黒は押し返す!中央だけ見ろ!」
ユイは返事をしない。
その代わり、全機の位置と民間ラインを一気に更新し、次の射線がどこを通るかだけを淡々と送り続ける。
「高架奥にもう一機。まだ撃線が通る」
その警告と同時に、Vectorがわずかに振り向く。
ほんの少しだけ、白い機体の頭部センサーがあすみの方へ向いたように見えた。
あすみの息が止まりそうになる。
セリは、喉までせり上がった何かを無理やり押し込むみたいに息を呑み、
次の瞬間にはもう隊長の声へ戻っていた。
「第0小隊、立て直すぞ。ユイ、高架奥。リオ、右外の黒を押さえろ。あすみは――」
そこまで言って、ほんのわずかに言葉が詰まる。
視界の先では、赤く光るあすみの機体がまだVectorの背を追っている。
撃とうとして、撃てなくて、助けられた。
その全部が一瞬で起きたせいで、何を優先させるべきかを頭では理解していても、感情だけがまだ追いつかない。
けれど、戦場は待ってくれない。
「……中央の黒を落とせ」
セリが言い切ると同時に、アルファ2が機体をひねって高架下の死角へ滑り込んだ。
高架奥に残っていた黒い帝国機が、崩れた防壁の陰からもう一度銃口を出しかける。
そこへ、上空からユイの声が鋭く落ちた。
「左に逃がすな。下、民間シェルターの列」
デルタ4が上から角度を潰す。
白い機体の下肢が短く光り、空中で姿勢を支えたまま、黒い帝国機の退路を狭めていく。
その冷静さに押されるみたいに、ブラボー3が右外から深く踏み込み、リオは半ば噛みつくような声で叫んだ。
「分かってるって!」
リオの機体が建物の縁をかすめる。
白い装甲が都市の灰色を切り裂き、外周へ逃げようとした黒い機体へ横から火線を浴びせる。
帝国機は肩を削られながらも無理に高度を変え、民間区画との間にある細い空白へ潜ろうとする。
「ちっ、まだ行くかよ……!」
リオが追う。
だが追いすぎれば、今度はこちらが民間ラインへ寄りすぎる。そこを読んでいるみたいな逃げ方だった。
その中央で、あすみはほんの一瞬だけ動けずにいた。
視界の前にまだ、Vectorの白い背中が焼き付いている。
肩の青いライン、その下に残っていた細い傷。自分の弾が掠めた跡。
その同じ機体が、さっき確かに自分の前へ入った。
助けられた。
第三勢力に。
なんで。
その疑問だけが、銃声と警告音の中で妙にはっきり残っている。
「あすみ!」
セリの声が飛ぶ。
はっとする。
視界を切り替えると、高架下から黒い帝国機がもう一機、機体半分だけを出していた。
こちらの混乱を見ていたみたいな角度だった。撃つべき位置。
分かっているのに、引き金へかかった指がほんのわずかに遅れる。
(なんで)
頭の奥で、まだ同じ問いが残る。
そのノイズを振り払うみたいに、あすみは操縦桿を強く握り直した。
赤く光る関節部が脈打ち、白い機体が腰を切るように向きを変える。
思考を止めていた時ほど滑らかではない。けれど、そのぶん、今は妙に手応えが重かった。
照準を絞る。
黒い帝国機の胸部中央。
撃つ。
閃光が走り、黒い装甲が胸から裂けた。機体は高架の影にぶつかり、そのまま崩れる。
「撃墜確認」
ユイの声が短く入る。
あすみは返事をしない。喉の奥に何かがつかえていて、声にすると形が崩れそうだった。
少し離れた位置で、サジが息を荒くしたまま苦い声を出す。
「何だよ今の……! 庇っただろ、完全に」
ウィリスの低い声がすぐに重なる。
「前を見ろ。まだ終わってない」
サジの腕に走る緑のラインが翻り、機体が外縁側へ滑る。
都市の外れで粘っていた黒い帝国機が一機、Vectorの介入と第0小隊の乱れに乗じて退路を探っていた。
そこへサジが火線を押し込み、ウィリスが上から角度を切る。
紫のラインを腿から脚部にかけて光らせた白い機体が、空中で重さを支えたまま半身になり、
片腕のまま正確に敵の頭上を押さえつけていた。
「右外、潰す」
ウィリスの一言に合わせて、サジがほとんど体当たりみたいな角度で踏み込む。
黒い機体は咄嗟に下へ沈もうとしたが、その下にはもう逃げ道がない。
市街の屋根、避難路、防壁の残骸。その全部を計算しきれずに一瞬遅れた胸部へ、サジの火線が刺さった。
爆炎が上がる。
一方で、中央の空ではVectorがまだ離脱していなかった。
カイトは機体を少しだけ後ろへ引き、都市中央の戦況を見ている。
深く入れば、またあすみの前へ出ることになる。それは避けたかった。
避けたいのに、視界が自然と赤い光を追ってしまう。
あすみの機体は、さっきまでみたいな迷いのなさで動けていない。
速い。だが、その速さの中にほんのわずかな乱れが混ざった。
恐怖ではない。困惑だ。自分が作ったノイズだと理解して、カイトは奥歯を噛んだ。
やるべきことは分かっている。
ここで離れる。これ以上近づけば、あすみの中に余計なものを残す。
分かっているのに、機体を返す前に、もう一度だけ赤い光の方を見てしまう。
その視線を、セリは見逃さなかった。
アルファ2の操縦席で、セリの息が浅くなる。
カイトは離れるべき位置にいる。それでも中央を見ている。
あすみは何も知らないまま、いまも敵を追っている。
自分だけが全部知っていて、何一つ言えない。
最悪だ。
だが、隊列だけは立て直さなければならない。
「リオ、右は終わったか」
「今落ちた!」
「ユイ、残敵」
「なし。熱源、第三勢力二。ARCLINE側は離脱準備」
ユイの声は変わらず冷静だった。
その報告で、ようやく戦場の輪郭が戻る。黒い帝国機は全て落ちた。
残っているのは第0小隊と、白い第三勢力機だけ。
セリは息を吐いた。
まだ胸の奥は焼けたままだったが、隊長として出す声だけは平らに整える。
「第0小隊、帰投する。追うな」
その最後の一言が、どちらへ向いたものなのか自分でも曖昧だった。
あすみに向けたのか、自分に向けたのか、それとも肩に青いラインを入れた白い機体に向けたのか。
あすみは返事をするまで少しだけ遅れた。
「……了解」
その声を聞いて、セリはわずかに目を閉じる。
あすみの声の底に、小さな引っかかりだけが沈んでいた。
Vectorの白い機体が、ようやく都市の外へ向けて高度を抜く。
肩の青いラインが朝のくすんだ光の中で一度だけ揺れ、すぐに建物の向こうへ消えた。
あすみはその背中を、ほんの一瞬だけ見ていた。
敵だった。
邪魔だった。
撃とうとした。
なのに、助けられた。
なんで。
その問いは答えにならないまま、都市の煙と一緒に胸の奥へ沈んでいく。
都市の外縁を抜ける頃には、戦場の煙は少しずつ薄くなっていた。
崩れた建物の列が遠ざかり、その向こうに灰色の海が開ける。
波の上に浮かぶARCLINEの母艦は、朝の光を鈍く返しながら、何事もなかったみたいに静かにそこにいた。
通信に、サジの呆れたような声が飛び込んでくる。
「REDROSE速ぇ!なんだあれ。」
サジの機体が少し下の高度で並び、都市側を振り返る。
軽い調子のはずなのに、その声にはまだ戦闘の熱が残っていた。
少し上を取るウィリスの機体が、速度を落としながら短く返す。
腿から脚部へ入った紫の線が、光の中でかすかに沈んで見えた。
「…Vector、深追いするな。民間人保護が優先だ」
カイトは視線を前へ戻したまま答える。
「…分かってる」
短い返事だった。
それ以上話せば、余計なものまで声に滲みそうだった。
白い機体は母艦の誘導灯に導かれ、着艦甲板へ入る。
脚部が甲板に触れた瞬間、低い衝撃が操縦席の背へ返り、固定具が噛み合う金属音が小さく響いた。
ようやく機体が止まっても、カイトの呼吸だけがまだ戦場の速さを引きずっている。
コクピットが開く。
潮の匂いと、熱を持った金属の匂いが一緒に流れ込んできた。
カイトはハーネスを外し、胸部ハッチから降下索と昇降ブロックを使って甲板へ降りる。
見上げれば、白い機体は人の背丈など比較にならない高さで格納庫の灯を受けていた。
肩の青いラインは頭上のずっと上にあり、そこへ走る細い傷も、
ここから見れば白い装甲に引かれた一本の焦げ跡にしか見えない。
足を止める。
肩の青いラインのすぐ下、白い装甲に残った細い傷を見上げた。
焼けた塗装のざらつきは、この距離でも分かる気がした。
ほんの少し掠っただけの跡だ。けれど、その浅い傷が誰のものかは分かっていた。
「……あすみ」
カイトが低く落とした声は、格納庫の広さの中で小さく沈んだ。
整備班が足場車を寄せ始める。金属の車輪が甲板を鳴らし、
昇降足場がゆっくりと機体の肩口へ向けてせり上がっていく。
その動きを目で追いながら、カイトはしばらくその場を動かなかった。
少し離れた場所で、サジが機体にもたれたままその様子を見ている。
口元に苦い笑いを浮かべ、わざとらしく肩をすくめた。
「あーあ、愛おしそうに眺めちゃって」
その横で、ウィリスは片腕でヘルメットを持ったまま、視線だけをカイトへ向けている。
止めるでもなく、見逃すでもない、静かな目だった。
サジはさらに口の端を上げる。
「たまんねぇよなぁ、好きな女に撃たれてよ」
ウィリスが低く返す。
「口に出すな」
サジは鼻を鳴らし、それ以上は続けなかった。
カイトはまだ傷を見上げていた。
白い装甲に残った細い焦げ跡。
その浅い線の向こうに、都市の空と、赤く光る機体と、
こちらへ向けられた銃口がそのまま焼き付いている気がした。




