Sky72-すれ違う火線-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
都市西区の上空は、朝だというのに薄く煙っていた。
崩れた外壁の粉塵と、燃え残った建材の匂いが風に乗って流れ、避難誘導のサイレンが遠くで途切れ途切れに鳴っている。
高い建物は少ないが、そのぶん屋根の高さが揃っていて、白い機体が低空を抜けるたび、窓ガラスが小さく震えた。
第〇小隊は西側街区の外縁から侵入し、民間施設の密集地帯をかすめるようにして戦線へ入る。
先頭を飛ぶのは、アスミの機体だ。NTOの白い装甲は鈍い朝の光を受けて淡く光り、その継ぎ目と関節部では、いつもなら青く走るはずの反応光が、赤く細く脈打っている。
背後にセリ、外縁寄りにリオ、上空にユイ。隊列としては整っている。だが、セリにはその並びがまだしっくりこない。
昨日から、アスミは何も聞かなくなった。射線も、施設との距離も、味方との間隔も、前なら一つは確認していたはずなのに、今日は命令をそのまま受け取って、ただ前へ出た。
その違和感が頭の奥に引っかかったまま、セリは機体を少し後ろへ引いて街区全体を見る。
道路の真下では、避難車両がまだ完全に抜けきっていない。屋上に残された簡易通信塔、給水設備、電線の束。戦場として見れば障害物だが、そのひとつひとつの向こうに人がいる。
民間施設に近い区域だというヘイルの言葉を思い出し、セリは無意識に歯を噛みしめた。
《北西より接近、帝国機三》
ユイの声が上から落ちる。次の瞬間、建物の隙間から黒い機体が一気に飛び出してきた。
煤けたような黒い装甲の継ぎ目では、青い反応光が刃みたいに走っている。
敵は三機。二機が左右へ開き、一機が真正面から速度を上げてくる。
《Alpha2より各機、射線管理しろ。民間ラインの中だ》
セリの指示に、リオが短く返す。BRAVO3の機体が右へ膨らみ、建物の列に沿って回り込んだ。上空ではユイが索敵角度を調整し、敵の動きを細かくHUDへ送り続けている。
先頭のアスミは迷わない。
黒い一機が道路上の信号塔を盾にするように沈んだ瞬間、アスミの機体は上体を半身に切り替え、腰を捻るようにして射線を通した。脚部の姿勢制御でわずかに高度をずらし、右腕の銃口が黒い装甲の肩口を捉える。
発砲。閃光が走る。黒い機体の肩が弾け、姿勢を崩したところへ二射目が入った。今度は胸部中央。装甲が内側から裂け、そのまま一機目が建物の向こうへ落ちていく。
《撃墜一》
管制の声がすぐに重なった。
早い、とセリは思う。速いだけじゃない。昨日よりも、迷う時間そのものがなくなっている。
残り二機が同時に高度を変えた。一機は屋根の高さに沿って低く滑り、もう一機はビルの角を使って一瞬だけ視界から消える。
普通なら、ここで一度見る。どちらが先に撃つか、どちらが民間ラインに近いか、施設との距離を測って、それから引き金を引く。
だが、アスミはもう撃っていた。
建物の影から出る瞬間を待つこともせず、角度だけを読み切って先へ置く。白い機体の腕がぶれずに伸び、予測線の先に出た黒い機体の脚部を正確に撃ち抜いた。脚を失った敵が傾き、そのまま地面へ落ち切る前に、追うように胸部へもう一発が入る。
《撃墜二》
リオが通信越しに息を漏らした。
《……今日、やばくない?》
ユイは返事をしない。その代わり、淡々と次の情報を送る。
《東南東、別機体。三機じゃない》
セリの視界に新しい識別が立つ。敵機だ。
だが、さっきまでの三機と軌道が違う。無理に高度を取らない。都市の上を最短で飛ぶんじゃなく、建物の切れ目と避難ラインの外側だけを、まるで最初から見えているみたいに縫ってくる。
《第四波じゃねぇな》
リオの声から軽さが抜けた。
《……線の取り方が違う》
ユイが低く言う。その一言で、セリもようやく視界の違和感を言葉として掴んだ。
黒い帝国機のように、押しつぶすための軌道じゃない。かといって、こちらを避けているわけでもない。必要な場所にだけ入り、必要な場所だけを切る。
しかも、その動きはアスミの機体の射線にだけ、妙に正確に噛んでくる。
先頭のアスミが照準を一度右へ流した。その瞬間、街路の向こうから別の機体が滑り込んでくる。
白い装甲。連合の機体とも、帝国の黒い機体とも違う白だ。関節と継ぎ目にはヴィーラ特有の青い反応光が走り、肩には、はっきりと青い識別ラインが入っていた。
敵でも味方でもないような軌道で、その一機はアスミの機体の前を横切る。撃たせないためだけに入ってきたような角度だった。
セリの手が、操縦桿の上でわずかに固くなる。
――……まさか。
その白い機体は、次の瞬間にはもう別の建物の影へ沈み、また違う角度から現れた。速い。だが速さよりも、線の引き方が正確すぎる。
民間施設も、避難ラインも、こちらの射線も、全部分かった上で、一番嫌な場所にだけ入ってくる。
リオが思わず声を上げた。
《Vectorじゃね! あれが! ARCLINEの!》
ユイの声が、その直後に重なる。
《本当に線引きが正確。ちゃんと考えないと、こっちも危ない》
セリはその白い機体から目を離さないまま、短く言った。
「第三勢力だ。手は出すな」
*
セリの制止が戦場の音に溶けるより先に、アスミの視線はもう、その白い機体へ吸い寄せられていた。
帝国機みたいに押し切ってこない。連合軍機みたいに編隊へ寄り添いもしない。民間施設の屋根と屋根の間、電線塔の影、避難車両の抜けたあとの細い空白だけを、最初からそこに道が見えているみたいに縫ってくる。
そのくせ、さっきからずっと、自分の射線にだけ入ってくる。敵機へ照準を合わせるたび、その白が視界の端に滑り込む。撃たせないためだけに邪魔をしているみたいな動きだった。
……Vector。あれが。
さっきからずっと、私の視界に入って邪魔してくる。撃たせないつもり。
HUDの端で、白い機体がまた横切った。建物の壁面に反射した光が一瞬だけ装甲を撫で、その肩の青い線だけが、鈍い戦場の色の中で妙に鮮やかに浮く。
アスミは操縦桿を握りながら、前方へ入ってくるその機体に視界を奪われていた。
鬱陶しい。
苛立ちが先に立つ。何度撃とうとしても、その一機のせいで角度が潰される。こちらの手を読んでいるみたいに、いちばん嫌なところへ入ってくる。
視界の端に、また入ってきて――。
引き金を引く。
「邪魔!!」
白い閃光が一直線に走った。発射の衝撃が腕から肩へ突き抜け、REDROSEの関節部に走る赤い反応光が一瞬だけ強く脈打つ。
だが、Vectorの白い機体は、その瞬間にはもう半身だけ軸をずらしていた。
肩の青い線が細く揺れ、閃光は装甲の脇を掠めて、そのまま背後の空へ抜ける。
当たってはいない。逃げ方はVectorのほうが上手だった。
セリが制止するよりも早く、アスミの引き金は引かれていた。
*
操縦席で、セリの手がかすかに震える。
戦場の中心で最も見たくなかった光景を、とうとう自分の目で見てしまったみたいに、息が胸の奥で詰まった。
無線に乗らない声を落とす。
「……やめろ」
「やめろ、アスミ」
喉の奥で擦れた声だった。無線へ乗せれば隊長の声になる。命令になる。だから乗せられなかった。
これは命令じゃない。ただの祈りだ。
その白い機体が、また建物の影から現れる。肩の青い線が朝の薄い光を弾いた。
見間違えるはずがなかった。
あれはカイトだ。
撃つな。やめてくれ。
Vectorはカイトだ。
お前達がこんなところで戦う必要なんてない。
セリの心臓が、ひどく速く打つ。
視界の中では、アスミの赤い光と、Vectorの肩の青が、同じ都市の空に交差していた。
*
白い機体の操縦席で、カイトは短く息を呑んでいた。
装甲の脇を掠めた一撃の熱が、わずかに機体表面の塗装を焼いている。肩の青いラインのすぐ下に細い擦過痕が残り、警告表示が一瞬だけ立ち上がって、すぐに消えた。
REDROSE。映像で見た時よりも動きが速くなっている。
迷いがない。
視界の中央で、白い機体の関節部が赤く光る。連合の白とも、帝国の黒とも違う、あの光。
その赤が、今の一撃は偶然じゃないと、嫌でも理解させてくる。
本当に撃てるようになったんだな、アスミ。
都市の煙の向こうで、まだ戦闘は続いている。だが、カイトの耳にはしばらく、自分の機体を掠めた一撃の残響しか残らなかった。
その直後、警告表示が短く明滅する。
左下。
黒い帝国機が一機、瓦礫の影から這い出すように持ち上がり、民間施設の屋根すれすれを滑ってくる。さらにその奥では、別の黒い機体が高架道路の残骸を盾にしながら、都市区画の中央へ射線を通そうとしていた。
カイトは視線を上げる。
白い連合機の列。その先頭で、赤く光る関節を持つ機体が、もう一度こちらへ照準を向けている。
来る。
操縦桿を握り直した。肩に走る青い識別線が、外光を受けて細く光る。
逃げることはできる。
逃げれば、アスミの射線はその先の黒い帝国機へ向く。その機体の位置が悪い。後ろには低い集合住宅の列と、避難の遅れた民間車両が、まだ道路脇に残っていた。
ウィリスの声が回線に落ちる。落ち着いているのに、いつもより低い。
《Vector、右下の黒を切る。中央は触るな》
サジがほとんど同時に、食い気味で言った。
《いやいやいや、中央やばいだろ! REDROSE、また撃つ気だぞ!》
腕に緑のラインが入ったサジの機体が、崩れたビルの壁面を蹴るようにして高度を変える。白い装甲の腕部が一瞬だけ朝の光を返し、そのまま黒い帝国機へ火線を浴びせた。
だが、相手も都市戦に慣れている。片脚だけを引き、装甲板の厚い肩で弾を受け流しながら、なお中央へ食い込もうとしていた。
少し上では、腿から脚部に紫のラインを入れたウィリスの機体が、半身になって射線を通している。片腕でも姿勢は乱れない。上空から交差点全体を押さえ、黒い機体の逃げ道と進路を、じわじわ潰していく。
《サジ、前だけ見ろ。中央はVectorが見る》
《はぁ!? あれ見て見ぬふりできる空気じゃねぇだろ!》
サジの声は騒がしいのに、機体の動きは無駄がない。緑のラインが翻り、白い機体が民間施設の屋根をかすめる直前で腰を切る。その背後を、黒い帝国機の弾道が薄く尾を引いて通り過ぎた。
*
一方、第〇小隊側では、リオが歯を剥くみたいな顔で街路の間へ機体を滑り込ませていた。白い機体の足裏が、崩れた外壁の破片を風圧で弾き飛ばす。
《おいおい、まだやるのかよ……!》
リオの視界の先で、アスミの機体が再びVectorへ正面を向ける。さっきの一撃で終わらなかったことに苛立っているのが、機体の角度だけで分かった。
ユイは上空から全体を見下ろしたまま、淡々と情報を落とす。
《左後方、帝国機一。高架下に民間車両》
《REDROSE、そのまま撃つと抜ける》
リオがすぐに返した。
《分かってる! だから怖ぇんだろ!》
赤く光る機体は、それでも照準を切らない。民間施設の屋根、道路標識、避難ライン、その全部の隙間を最短距離で縫いながら、アスミの銃口はなおVectorを追っていた。
セリの喉が乾く。操縦席の中で、心拍だけがひどく速い。
さっき叫んだ声はアスミに届いていない。届くはずもない。無線に乗せなかったのだから。
それでも、もう一度止めたかった。
「やめろ……」
今度は声がほとんど音にならなかった。
目の前の都市が、戦場ではなく、事故現場の一歩手前に見える。
アスミの機体が、脚部姿勢制御を細かく入れながら半歩だけ左へ滑った。撃つ角度を作るための、癖みたいに滑らかな動きだった。赤く脈打つ関節光が、装甲の継ぎ目に沿って細く走る。
Vectorの機体も動く。肩の青いラインがきらりと揺れ、建物の影を使って角度をずらした。
だが今度のアスミは、ずらされた先まで読んで銃口を追わせている。
セリはその瞬間、考えるのをやめた。
機体がスラスターを短く噴かす。腰を捻り、肩を入れ、赤い光と青い線の間へ、自分の機体を無理やり押し込む。
都市の上を飛ぶ人型兵器としては、最悪に近い入り方だった。隊列も射線管理も関係ない。ただ、間に合うかどうかだけの突っ込みだった。
その直前、アスミはもう二度目の引き金へ指をかけている。
視界の中で、Vectorの肩の青いラインがまた動いた。逃げる。邪魔をする。こちらの射線を潰す。
それだけで十分だった。
鬱陶しい。もう一回、今度こそ。
照準が重なる。発射のために腕部が沈み込んだ、その瞬間――。
横から、白い機体が割り込んだ。
セリの機体だと、すぐに分かった。
「セリ! 撃てない!」
アスミが声を張る。
「悪い、手が滑った」
冗談みたいな言い方だった。けれどセリの機体は、冗談では済まない角度で、完全に射線の中へ入っている。白い装甲の肩がREDROSEの銃口を遮り、二機の距離が近すぎて、装甲同士が擦れる不快な振動が操縦席まで伝わった。
「セリ――」
アスミが息を呑む。意味が分からない、という苛立ちが、声の頭に乗っていた。
その間を、戦場が見逃すはずがなかった。
高架道路の残骸の影に潜んでいた黒い帝国機が、いまの乱れへ射線を通す。
サジが舌打ちと一緒に機体を振った。
《っ、来る!》
緑のラインを引いた白い機体が中央へ滑り込もうとする。だが距離が遠い。間に合わない。
上からウィリスの声が落ちた。
《サジ、右を切れ。中央は――》
最後まで言い切るより先に、Vectorが動いた。
肩の青いラインが翻る。白い機体が建物の縁を蹴るように姿勢を変え、セリとアスミのさらに前へ入ろうとする。都市の煙と瓦礫の粉を巻き上げながら、その動きだけがやけに静かに見えた。
リオが歯を食いしばる。機体が外側から回り込み、別角度の黒い帝国機を押し返すために火線を吐いた。
ユイは上空で息を潜めるみたいに静かになり、全機の位置と民間ラインを一気に更新している。
《セリ、下がれ!》
リオの怒鳴り声が戦場へ飛ぶ。
だがセリは下がらない。下がれるわけがなかった。
いま機体を引けば、その先にいるのはVectorだ。
アスミはそれを知らない。知らないまま、また撃つ。
装甲越しに、セリの呼吸が浅くなる。
目の前では、赤い反応光と、青いラインと、黒い帝国機の火線が、狭い都市の上でひとつに絡まりかけていた。
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