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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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71/117

Sky71-抜け落ちたもの-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 ブリーフィング室は、朝の光がまだ届ききらないまま白く冷えていた。


 壁際の空調が低く鳴り、並んだ端末の画面だけが淡い光を返している。


 誰かが椅子を引く金属音が短く響いて、すぐにまた静かになった。


 第0小隊の面々は、それぞれ散って座っていた。


 リオは椅子の背にもたれ、眠気を払うみたいに首を鳴らしている。


 ユイは端末の表示を確認したまま口を開かず、セリは前方のスクリーンではなく、

 その一つ手前に座るあすみの横顔をぼんやり見ていた。


 あすみは背筋を伸ばし、膝の上に置いた手を動かさない。


 昨日までの疲れが消えたわけじゃないはずなのに、顔には妙な静けさだけが残っていた。


 ブリーフィング室の扉が開き、ヘイル大尉が入ってくる。


 軍靴の音は一定で、机の前に立つまで一度も乱れない。

 端末を机に置くと、ヘイルは出席者を見回すこともなく、画面を開いた。


「第0小隊。今日の外縁哨戒は編隊を変更する」


 平坦な声だった。

 空調の音に重なるように落ちたその一言で、室内の空気が少しだけ締まる。


 ヘイルは端末に視線を落としたまま続けた。


「REDROSEを先頭に置く。アルファ2以下は後方支援へ回れ」

「哨戒区域は西側外縁。民間施設近接区域を含む」


 セリの指先が机の下でわずかに止まった。


 民間施設に近い区域。

 普通なら、射線や規定について何か一つは確認が入る。

 少なくとも、昨日までのあすみならそうだった。


 だが、あすみは表情を変えない。ヘイルの言葉をそのまま受け取り、間も置かずに口を開いた。


「了解しました」


 それだけだった。


 質問もない。

 確認もない。

 声に迷いもない。


 リオが端末から顔を上げ、ほんの一瞬だけあすみを見る。

 ユイも視線だけを動かしたが、何も言わない。


 その短い沈黙ごと無視するように、ヘイルは次の表示へ画面を送った。


「発砲規定は現行維持。赤域規定は上限。敵編隊との接触後は現場判断を優先する」


 ヘイルの声音には何の起伏もない。

 命令が滞りなく通ったことを、ただ予定通りの進行として処理しているだけだった。


 セリは前を見たまま、あすみの返答を頭の中でなぞっていた。


 民間施設が近い。

 しかも先頭配置。

 前なら、あいつは少なくとも一つは聞いた。


 射線。

 施設との距離。

 後方支援との間隔。


 そういう細かいことを、面倒なくらい確認してから飛ぶ奴だった。


 なのに今日は、何も聞かなかった。


 ヘイルが最後の指示を閉じる。


「以上だ。各自、十分後に発進準備へ入れ」


 端末が閉じる音がして、ブリーフィング室にまた空調の唸りだけが残った。

 ヘイルは書類も持たず、そのまま踵を返す。扉が閉まる音は妙に乾いていた。


 その瞬間、あすみが一番先に立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音が、静かな室内に細く伸びた。


 迷いのない動きだった。


 端末を取り、椅子を戻し、そのまま扉へ向かう。

 横顔は見えたのに、そこに昨日までの引っかかりが見つからない。


 セリは立ち上がるのが一瞬遅れた。


 リオが椅子を蹴るように立ち、肩を回しながら軽く言う。


「先頭か。派手だな」


 あすみは振り返らないまま、扉の前で短く返した。


「命令だから」


 それだけ言って、先にブリーフィング室を出る。


 ユイは無言でその背中を見送り、セリの横を通り過ぎる時に、一瞬だけ視線を寄越した。


 問いかけるでもなく、ただ同じ違和感を持ったことだけが分かる目だった。


 セリはその視線に何も返さないまま、遅れて廊下へ出る。

 白い照明の下を歩いていくあすみの背中は、昨日までと同じ制服で、同じ歩幅で、同じようにまっすぐだった。


 なのに、何かが一つ、きれいに抜け落ちているように見えた。


 ブリーフィング室の扉が閉まると、冷えすぎた空気が背中に残った。

 ブーツの底が金属の縁を踏むたび、小さく乾いた音が返る。


 格納庫の方角からは、すでに起動を始めた機体の低い駆動音が響いてきていた。

 油と焼けた金属の匂いが、換気の風に押されて細く流れてくる。


 格納庫前まで来ると、重い隔壁の向こうで整備員たちの声が交錯していた。

 扉が開くと、白い作業灯に照らされた広い空間が一気に目に入る。


 高い天井の梁に沿って警告灯がゆっくり回り、起動を待つ機体の影を床に長く落としていた。


 そこでセリは、足を止めた。


 あすみの機体は、いつもの列ではなく、発進口にいちばん近い位置へ出されていた。

 整備班が先に動いていて、他の機体はその後ろへ回されている。


 白い装甲板の表面を走る整備灯の反射がやけに鋭く見えた。


 本当に、先頭で行かせるつもりだ。


 リオもその配置に気づいたらしく、口笛を吹きかけてやめる。

 代わりに眉だけを上げて、誰にともなく言った。


「本気だな」


 誰も返さない。


 あすみはその配置を見ても顔色を変えなかった。

 当然みたいにまっすぐ自分の機体へ向かっていく。


 整備員がタラップ脇で待っていて、あすみが来ると短く敬礼して、起動手順の最終確認へ端末を差し出した。


 セリは自分の機体へ向かう前に、あすみの背へ声をかける。


「……何も聞かなくていいのか」


 あすみはタラップに足をかけたところで止まり、少しだけ顔を向けた。


 表情は薄い。

 昨日までの疲れが消えたわけじゃないはずなのに、その顔には引っかかりだけがきれいに抜け落ちている。


「何を?」


 本気で分からない、という目だった。


 その返しに、セリは言葉を失う。

 民間施設が近いことも、先頭配置で飛ぶことも、後方支援との距離も、

 昨日までなら自分で拾っていたはずなのに、今日はそのどれも気にしていない。


「……いや、別に」


 そう言うしかなくて、あすみはそれ以上問い返さず、また前を向いた。

 白いタラップを上がっていく足取りは、妙に軽い。


 迷いなく、振り返りもせず、金属の段をひとつずつ確かめるように上がっていく。


 リオがセリの横まで来て、小さく肩をぶつける。


「何だよ、その顔」


「別に」


 セリが低く返すと、リオは笑いもせずに鼻だけ鳴らした。


「……ならいいけど」


 その一方で、ユイは少し離れた位置からあすみの機体を見上げていた。

 視線は静かで、口元も動かない。


 ただ、何かを覚えるみたいに、整備灯に照らされた白い機体と、

 その中へ消えていくあすみの背中を目に焼きつけている。


 格納庫の上部スピーカーが短く鳴る。

 発進準備の最終確認。


 整備員たちが持ち場へ散り、工具の当たる音が細かく響き始めた。


 背部推進器の予熱が進み、空気が少しずつ乾いた熱を帯びていく。


 床の下から伝わる振動は規則的で、機体の鼓動みたいだった。


 セリは自分の機体へ向かいながら、もう一度だけ前を見た。


 コクピットへ収まる直前、あすみの横顔がわずかに見える。


 そこにあったはずの何かだけが、綺麗に抜け落ちている気がした。


 その違和感の名前がまだ出てこない。


 言葉にした瞬間、何かが決定的になる気がして、セリは口を閉ざしたまま自分の機体のタラップへ足をかける。


 金属の段が靴底を受け止め、冷たい感触が足裏から伝わった。


 格納庫の奥で警報灯がもう一度赤く回る。

 白い作業灯の下、四機の機体が順に息を吹き返していく。


 先頭には、あすみがいる。


 整備員がタラップ脇から一歩下がり、片手を上げて発進可能の合図を出した。

 あすみは振り返らないまま操縦席へ身を沈める。


 胸と腰を固定するハーネスが音もなく締まり、足元の固定具が靴底を噛んだ。

 装甲越しに伝わる振動は規則正しく、心臓よりも冷たい機械の鼓動だった。


 《各機、発進シークエンス移行》


 管制の声が格納庫全体へ流れる。

 天井のスピーカーは平坦で、そこに人の熱はない。

 だからこそ、セリにはその声がひどく西方本部らしく聞こえた。


 白い機体の背部推進器が順に火を入れる。

 空気が押し出され、熱が床を撫で、格納庫の薄い油の匂いが一気に焦げた金属臭へ変わっていく。


 セリは自分の機体の操縦席で、正面モニター越しにあすみの機体の背中を見ていた。

 いつもの出撃前なら、あすみは発進位置に入る前に一度だけ視線を流し、味方の配置や周囲の地形データを確かめる癖があった。

 だが今日は、その細かな間がない。前を向いたまま、滑らかに、まっすぐに発進位置へ入っている。


 《第0小隊、滑走路進入》


 隔壁が左右へ開き、外の白い光が格納庫の奥まで流れ込んだ。

 朝の乾いた風が機体の装甲を撫で、遠くの空に低く残る砂塵の膜が、陽の色を少し鈍らせている。


 先頭の白い機体が踏み出す。

 脚部サスペンションが重さを受け、金属床から滑走路の硬い感触へ変わる。


 そのすぐ後ろにセリ、外側にリオ、上を取る位置にユイ。四機の隊列が静かに形を作った。


 《アルファ2より各機、発進。編隊そのまま》


 セリの声が通信に落ちる。

 自分でもそれだけは崩すなと決めているみたいに、声だけが冷静だった。


 先頭の機体が背部推進器を吹かす。


 白い巨体が前のめりに加速し、滑走路の先端から空へ跳ねるように浮き上がった。

 あすみの機体だ。続けてセリ、リオ、ユイの順に地面を蹴り、

 四機の白い機体が西方本部の外縁へ向かって高度を上げていく。


 地上には防壁と低い建屋が連なり、その先に民間施設の区画が広がっている。

 灰色の屋根、細い道路、給水塔、避難用シェルターの印。

 戦場の地図として見れば点と線だが、その一つひとつに人がいる。


 前なら、あすみはそこを見ていた。


 セリは舌の奥でその言葉を飲み込む。

 いま言っても遅い。すでに発進している。


 《デルタ4、上空索敵入る》


 ユイの機体が上へ抜ける。

 白い機体が朝の光を受けて小さくなり、索敵情報が隊内のHUDへ流れ込み始めた。


 《ブラボー3、右外取る》


 リオの機体が低く沈み、地上構造物の影に沿って外周へ回る。

 その動きに合わせて、先頭のあすみの機体がほんのわずかに角度を変えた。迷いのない修正だった。


 遠くの空に黒い影が浮かぶ。

 一つ、二つ、三つ――四つ。帝国軍機だ。

 白い隊列を見つけた黒い機体群は、こちらの接近に合わせて横へ散開し、

 それぞれが別の高度と角度を取り始めた。


 《接触まで十秒》


 ユイの声と同時に、セリの視界の端で警告枠が立ち上がる。

 敵の一機が低く潜り、もう一機が上を取る。残り二機は中央で距離を測っていた。


 《民間施設ライン、右へ二キロ。射線管理しろ》


 セリが短く言う。

 その言葉に対して、あすみから返答はない。ただ先頭の白い機体は、まっすぐに敵へ向かっていた。


 次の瞬間、細い光が空を裂いた。

 黒い機体の一つが先に撃ったのだ。


 曳光弾は白い軌跡を引きながら前方を横切り、あすみの機体はそれを紙一重でかわして、機体を右へ半身にする。

 肩の装甲を掠めた光が一瞬だけ火花を散らし、そのまま後方の空へ抜けていった。


 セリは息を止める。

 そのかわし方が、昨日までより速い。速いだけじゃなく、無駄がなかった。


 先頭の機体が脚部姿勢制御を細かく入れ、腰を捻るように向きを変える。

 半身のまま射線を通し、右腕の武装が黒い敵機を捉えた。

 空を飛んでいても、あれは航空機の旋回じゃない。


 骨格ごと向きを変え、腕を通し、腰で撃つ戦い方だった。


 発砲。


 白い閃光が走る。

 先頭を切っていた黒い一機が肩口を撃ち抜かれ、そのまま姿勢を崩して落ちた。

 早い、とセリが思うより先に、あすみの機体は次の標的へ視線を移している。


 《……なんか、パワーアップしてない?》


 リオの声が半分笑い、半分本気で通信に混じった。

 外周を取る彼の機体も敵へ圧をかけているが、それでも先頭の速度は目につく。


 《あのスピードなのに、綺麗に民間施設をかわしてる》


 上空から見ているユイの声は低かった。

 感心にも聞こえるし、警戒にも聞こえた。


 セリは前を向いたまま、敵の配置を追う。


「……行くぞ、後ろからもくる」


 返したのはそれだけだった。

 会話を続けたくなかった。続ければ、自分でも何に引っかかっているのか認めてしまいそうだった。


 黒い敵機が二機、左右へ開き、残る一機があすみの真下へ潜り込もうと高度を落とす。

 先頭の白い機体は、その動きを見た瞬間に推進を吹かし、地表すれすれまで沈んだ。


 通常なら一呼吸置く高さだ。民間施設の屋根、電線塔、避難路の標識、その全部が視界を流れる。


 だが、あすみの機体は迷わない。

 機体を横へ滑らせ、建屋の影を擦るように抜けたかと思うと、次の瞬間には腰を切り返して上を向く。


 右腕の銃口が真上をかすめる黒い敵機の胸部中央へ吸い込まれていく。


 発砲。


 黒い装甲が弾けた。

 敵機は爆炎もまともに広げないまま、その場で力を失ったように落ちていく。


 《撃墜二》


 管制の声が割って入る。


 西方本部の管制室では、壁一面のモニターに戦域図と機体ログが並んでいた。

 その端でログを追っていた若い兵士が、赤く点滅する識別表示を見たまま思わず口を開く。


「REDROSEさ」

「なんか……シューティングゲームでもしてるみてえじゃね?」


 隣の管制官が、あすみの機体を映したモニターから目を離さずに返す。


「やめろよ。戦場だぞ」


「でもよ……」


 言いかけた兵士の声が、次の表示に飲まれた。

 赤く光る識別表示には迷いがない。迷いなく、次々に敵を迎撃していく。


「……撃墜、三。四……」


 数えかけた声が、途中で途切れた。

 モニターの中の白い機体が、次の黒い影へ間髪入れずに照準を移していたからだ。


「……早すぎる」


 その呟きは、誰に向けたものでもなかった。


 戦域では、あすみの機体がすでに次の標的へ向かっていた。

 民間施設の屋根すれすれを滑り、遮蔽物を挟んで角度を消し、また現れる。


 その動きには躊躇がなく、だからこそ綺麗だった。速いのに乱れていない。

 むしろ、考えなくなったぶんだけ、処理が正確になっているようにさえ見えた。


 セリはそれが嫌だった。


 だが、嫌だと思う気持ちとは裏腹に、戦果は出ている。

 敵機はすでに半数を失い、残る黒い二機も、リオの圧とユイの上空支援に挟まれて逃げ道を失っていた。


 先頭の白い機体がまた撃つ。

 黒い一機の脚部が飛び、姿勢を崩したところへ二射目が入る。

 今度は胸部中央。黒い装甲が内側から割れ、そのまま光の中へ消えた。


 最後の一機が反転して高度を上げる。

 それを見た瞬間、あすみの機体は機首を上げ、脚部姿勢制御を短く切り替えて一気に上を取った。

 腰を捻り、肩を入れ、右腕の射線を通す。

 機体の骨格ごと相手の死角へ潜り込み、逃げるより先に引き金を引く。


 黒い機体が真っ二つに割れた。


 《交戦終了》


 管制の声が入る。

 レーダーから赤い敵影が消え、朝の空だけが戻ってきた。


 セリは減速しながら、先頭を飛ぶあすみの機体の背中を見た。

 白い装甲に傷はある。だが姿勢は崩れず、推進の火も安定している。


 《各機、西方本部へ帰投》


 ユイの声が短く落ちる。

 上空から降りてきたデルタ4が編隊の真上へつき、ブラボー3が外周を警戒しながら速度を落とした。

 四機の白い機体は再び形を整え、西方本部へ向けて機首を返す。


 地上の建屋と防壁が近づいてくる。

 避難区画の屋根、給水塔の影、低い道路。

 戦闘中は線と面にしか見えなかったものが、帰りの高度ではまた「街」に戻っていた。


 セリはその景色を横目で見ながら、前を飛ぶあすみの機体から目を離せなかった。


 《本部側、着陸誘導入る。アルファ2から順に降ろせ》


 管制は事務的だった。

 感情のない声が、今日の戦果まで最初から予定に入っていたみたいに平坦に響く。


 先頭の白い機体が滑走レーンへ入る。

 脚部が地面に触れ、重さを受け止めた衝撃が小さく返る。


 コクピットが開く。

 外の空気が流れ込み、焼けた金属と油の匂いが一気に濃くなった。


 あすみは機体から降りると、整備員の声にもほとんど反応を返さず、

 胸元の留め具を外しただけでその場に立っていた。


 汗で額に張りついた髪を払うでもなく、ただ少し息を整えている。

 その横顔には疲労があるのに、戦闘直後の張り詰めた影だけが妙に薄かった。


 リオが先に機体を降りて、ヘルメットを脇に抱えながら整備班へ片手を上げる。


「右腕、二発掠ってる。あと脚部に軽い振動残ってるから見といて」


 整備員が了解、と短く返し、すぐにリオの機体へ走っていく。

 ユイは既に端末を開き、上空ログの転送確認を始めていた。


 全てがいつもと同じだ。さっきの戦闘だけが少し場違いみたいに頭へ残っている。


 セリが地面へ降りると、格納庫の中央寄りに置かれた可搬端末の前で、

 管制兵が戦果確認の表示を立ち上げていた。


 青白い画面に戦闘記録が流れ、識別符号と撃墜時刻が順に並ぶ。


「第0小隊、交戦記録確認」


 兵士の声に、ヘイル大尉が奥から歩いてくる。

 軍靴の音は乾いていて、戦闘の熱とも整備員の慌ただしさとも関係なく、一定の速さで床を打った。


 ヘイルは端末の前で立ち止まると、表示された記録に目を落とした。

 その横顔はいつも通り無表情で、そこに驚きも感心も浮かばない。ただ数字を読む顔だった。


「敵四、全機撃墜。損害軽微」


 管制兵が確認する。

 画面の下段に、各機の行動ログが小さく並ぶ。

 その中でREDROSEの識別表示だけが、他より速い間隔で戦果欄を埋めていた。


 別の兵士が思わず画面を覗き込む。


「……早えな」


 その声は小さかったが、格納庫の金属音の隙間にはっきり落ちた。

 隣にいた整備兵が黙ったまま表示を見て、それから視線だけをあすみへ向ける。


 ヘイルは画面から目を離さずに言った。


「哨戒区域の損害報告は」


「民間施設被害、なし。地上車両への巻き込みもありません」


「なら問題ない」


 それだけだった。


 問題ない。

 その言葉が、セリの胸の奥に小さく引っかかった。


 確かに、数字だけ見れば問題はない。

 敵は落ちた。民間施設も無事だった。味方の損害も軽い。

 それでも、さっきの速さをその一言で片づけていいのかと、口の奥で何かがざらつく。


 ヘイルはそこで初めて視線を上げ、少し離れて立つあすみの方を見た。


「REDROSE」


 あすみが顔を向ける。


「反応速度、良好」

「このまま維持しろ」


 あすみは表情を変えない。

 敬礼もしないまま、ただ短く答えた。


「了解しました」


 返答は滑らかだった。

 戦闘中と同じくらい迷いがない。そのことに、セリはかえって息苦しさを覚える。


 リオが端末の表示から顔を上げ、セリの方へほんの少しだけ目を寄越した。

 何も言わない。けれど、その視線だけで十分だった。


 さっき空で見たものを、こいつもまだ飲み込めていない。


 ユイは端末を閉じる音だけを小さく立てる。

 無表情のままなのに、その沈黙だけが微妙に長い。


 格納庫の奥では、整備班が次の出撃に向けた確認を始めていた。

 工具のぶつかる音、記録を読み上げる声、クレーンの低い駆動音。


 全部が西方本部のいつもの出来事で、その「いつも通り」の中にだけ、

 今日の戦果が不自然なくらいきれいに収まってしまっている。


 セリはそれをうまく飲み込めなかった。


 ーーー


 休暇スペースは、いつも薄暗かった。

 天井の照明は必要最低限で、自販機の冷却音と換気の唸りが、ずっと同じ高さで鳴っている。


 甘い栄養バーの匂いと、焦げたコーヒーの匂いが混ざり、紙コップの山がカウンターの隅に寄せられていた。


 セリは壁際に寄って、背中を軽く預けていた。肩から力は抜けているのに、目だけは休んでいない。

 手元の端末を見てもいないのに、親指が無意識に縁をなぞる。


 その背後から、靴音が一つ、軽く寄ってきた。


「よぉ、相棒」


 リオの声は、いつも通りの軽さだった。軽いからこそ、近づいてきた気配を誤魔化せない。

 セリは顔だけ向け、眉をわずかに寄せる。


「誰が相棒だよ」


 リオは肩をすくめ、紙コップを差し出した。中身はコーヒーだ。熱が、紙越しに伝わってくる。


「まぁまぁ、お疲れさん」


 セリは受け取ったが、すぐには口をつけない。カップを持つ指の関節が、少しだけ固い。


 リオはカウンターにもたれ、目線をわざと散らしながら――ふと、言葉を落とした。


「南の地上戦の時、何かあったろ?」


 その瞬間、セリの呼吸が一呼吸だけ遅れた。表情は崩れない。

 

 ただ、視線がリオを捉える速度だけが少し変わる。


「……なんで」


 低い声だった。問いというより、踏み込むな、に近い。


 リオは笑って流さない。けれど、重くもしない。

 紙コップの縁を指で軽く弾き、音を立てない程度に落ち着かせる。


「別に。REDROSEの迷いが消えたなって思っただけ」


 セリの眉が、ほんの少し動いた。


「迷い?」


「撃ち方な」


 リオは言葉を探すみたいに、首の後ろを掻く。上手く言えない、という顔のまま、でも逃げずに続けた。


「地上戦の後からちょっと変わった。早くなったよな。上手く言えないけど」


 セリは、その言い方で“何を見られていたか”に気づいたように、リオを見た。

 隊長として見る視線ではなく、同じ小隊の人間として、見られていた――その事実に。


 リオは視線を逸らさない。口元だけをわずかに上げて、軽いまま言う。


「俺は助かってるよ。死ぬ確率が減るからな」


 セリはカップを持ったまま、しばらく何も言わなかった。熱が冷めるほどではない時間。

 それでも、言葉を選ぶ時間だった。


「……それ、褒めてねぇよな」


 ようやく出た声は、短く、乾いていた。


 リオはすぐに否定しない。少しだけ目を細めて、息を吐く。


「まぁ、褒めてはいないね。隊長を労ってはいるつもり」


 セリの口元が、ほんのわずかに動いた。笑いではない。呆れでもない。

 答えのないところに、言葉を落とすときの顔だった。


「……なんだそれ」


 紙コップの縁が、指の間でかすかに鳴る。

 休暇スペースの音は変わらないのに、二人の間だけ空気が少し重くなった。


(俺がもっと早くカイトの事を伝えてれば)

(でも…)

(…今さら何を言っても、あすみを苦しめるだけだ)


 セリは結局、コーヒーを飲まないまま、熱を確かめるようにカップを持ち直した。

 リオも、それ以上は何も言わず、セリの隣で静かにコーヒーを飲んでいた。



次回更新は3/28(土)になります

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