Sky67-森へ降りる空-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
ブリーフィングルームの照明は落とされていた。
壁一面のスクリーンには地図が投影され、青い光が室内を淡く照らしている。海上戦艦の低い振動が床を通して伝わり、並べられた椅子の脚がわずかに震えていた。
アスミは前列の席に座り、スクリーンを見上げていた。説明はまだ始まっていない。地図だけが静かに映し出されている。
国境線がいくつも重なった地形だった。小さな国が寄り添うように並んでいる。線と線の間隔が狭く、どこからどこまでが一つの国なのか、見ているだけでは分からない。
アスミは机の上で手を軽く組み、そのまま動かさずに画面を見ていた。青い光が、指の甲を薄く染めている。
後ろの扉が開く音がした。振り向かなくても、足音で誰が入ってきたのか分かる。セリだ。
ブーツの硬い足音が通路を進み、隣の席で椅子が引かれた。金属の脚が床を擦る音が、小さく響く。
セリは椅子を少し後ろに引いたまま、先にスクリーンを見上げた。
「……もう来てたのか」
そう言いながら腰を下ろす。アスミは横を見ずに小さく頷いた。
「うん」
セリは背もたれに身体を預け、腕を組んだままスクリーンを見続ける。
「まだ始まってないな」
その時、再び扉が開いた。
「ここ空いてる?」
ユイの声だった。リオが椅子を片手で引きながら室内を見渡す。
「後ろ空いてる」
二人はアスミたちの一列後ろに腰を下ろした。ユイは椅子の背にもたれ、首を後ろへ倒す。
「眠……」
その横で、リオが軽く肘でつついた。
「お前さっきまで寝てただろ」
ユイは目を閉じたまま顔をしかめる。
「寝てない。目閉じてただけ」
リオは端末を机に置きながら小さく笑った。
「それを寝てるって言うんだよ」
ユイは片目だけ開けてリオを見る。
「違う」
ぼそぼそとした声だった。
その時、前方の扉が開いた。作戦担当官が資料端末を持って入ってくる。胸の参謀章がスクリーンの光を受けて、小さく光った。
担当官はスクリーンの前に立ち、端末を操作する。地図がゆっくりと拡大された。一度室内を見渡してから、言う。
「始める」
レーザーポインタの赤い光がスクリーンに現れた。
「今回の任務は小国防衛戦」
赤い光が地図の一点をなぞり、そこで止まる。
「作戦区域はここだ」
表示されたのは、グラディウス共和国だった。
アスミは背筋をわずかに伸ばし、スクリーンを見上げる。隣でセリが腕を組み直した。
参謀の声が続く。
「現在、この地域では帝国軍の侵攻が確認されている」
画面が切り替わり、衛星写真が表示された。平原の中に広がる都市。その周囲に、軍の配置を示すマークが重なっている。
「帝国軍は国境線を越え、グラディウス共和国主要都市へ進軍中」
赤い矢印が都市へ向かって伸びた。
後ろでユイが体を起こし、肘を机についたままスクリーンを見上げる。
「……また国境か」
リオは椅子の背にもたれ、腕を組んだまま答えた。
「この辺、いつも燃えてるよな」
ユイはスクリーンに表示された数字を指先で示す。
「人口、三百万」
リオが眉を上げた。
「そんなにいんのか」
「難民入ってる」
ユイは肩をすくめる。
参謀の声が続いた。
「NTO主力は、この戦域に増援を投入する」
スクリーンの端に部隊名が並ぶ。
第三艦隊。
第七艦隊。
西方防衛軍。
セリは目を細めて画面を見ている。アスミは机の上で組んだ指先をほんの少しだけ動かし、また止めた。
参謀がレーザーポインタを動かす。
「我々の任務は空域制圧および地上戦支援」
地図の南側に青いラインが引かれた。
「帝国軍は地上部隊を大量投入している。市街戦になる可能性が高い」
都市の上に赤い円が重なる。
セリが小さく息を吐き、背もたれに身体を預けたまま呟いた。
「……地上か」
アスミは何も言わない。ただ、スクリーンの都市を見ている。
道路。
建物。
川。
そこに重なる赤い矢印。
縮尺のせいで、建物の一つひとつは点にもならない。それでも、その中に三百万という数字がある。
後ろでリオが肘を机につき、身を乗り出した。
「近いな」
「何が」
ユイが横目で見る。
リオは顎でスクリーンを指した。
「街」
ユイは視線を落とすが、何も言わない。
参謀の声が続く。
「NTO主力が帝国軍と正面衝突する」
青と赤の矢印が、地図の上で向かい合った。
「戦闘開始は四十八時間以内と予測されている」
タイムラインが表示される。
アスミはゆっくり瞬きをした。都市の名前が画面の端に出ている。
グラディウス。
見たことのない街。でも、そこには人がいる。
参謀は最後のページを表示した。
「詳細ブリーフィングはこの後、各編成ごとに行う」
端末を閉じる。その音が、静かな室内に小さく響いた。
「以上だ」
すぐに立ち上がる者はいなかった。スクリーンの青い光だけが、しばらくのあいだ室内に残っていた。
*
小さなブリーフィング室には、艦の金属の匂いが薄く残っていた。
壁のスクリーンには作戦区域の地図が表示され、机の中央には作戦端末が一台だけ置かれている。天井が低く、四人が座るとそれだけで部屋がいっぱいになった。
第〇小隊の四人は、机を囲むように席についている。
アスミは椅子の背にもたれず、足を揃えて座っていた。両手は机の上に静かに置かれ、視線だけがスクリーンに向けられている。
セリは隣の席で椅子の背にもたれ、腕を組んで画面を見上げていた。後ろではリオが椅子を半分横向きにして座り、端末を膝の上で回している。ユイは机の端に肘をつき、スクリーンの地形データを黙って見ていた。
部屋の前に立った参謀が端末を操作すると、地図がさらに拡大される。山地と森林が広がる区域だった。等高線が密に重なり、谷の底が黒く潰れている。
「第〇小隊の任務は地上降下支援」
参謀の声は落ち着いていた。レーザーポインタの赤い光がスクリーンをなぞる。
「降下地点はこの森林域」
赤い点が一つ表示された。
「現在、この地域では難民の移送が行われている。帝国軍がそのルートを把握した可能性が高い」
画面に細い白線が現れ、森の中を横切るように伸びる。
「NTO地上部隊は移送列の護衛に入る。君たちは上空から支援」
リオは椅子の背にもたれたまま、顎でスクリーンを指した。
「つまり森の中でドンパチ?」
参謀が視線を向ける。
「最悪の場合はそうなる」
「稜線多い」
ユイがスクリーンの標高表示を見ながら言った。
「そうだ」
参謀は頷く。
「視界が切れる。第三勢力がいる可能性もある」
その言葉に、セリが腕を組み直した。
「識別は?」
「困難だろうな」
参謀は端末を操作する。
「独断での発砲は避けろ。難民列が近い」
ユイが軽く息を吐いた。
「……市街地から離れてやればいいのに」
「言うねえ」
リオが小さく笑う。
参謀は四人を見回した。
「質問は最後にまとめて一度」
部屋が静かになる。
アスミはスクリーンを見たまま口を開いた。
「降下高度」
「三千」
「了解」
セリが続けて聞く。
「上空警戒は?」
「分散」
参謀は画面を指した。
「二機は高高度待機」
「稜線を見る」
ユイが小さく頷く。
リオが椅子を前に引いた。
「森の中は?」
「地上部隊が処理する」
参謀は端末を閉じて、小隊を見回す。
「以上」
机の上に端末が置かれる音だけが、小さく響いた。
誰もすぐには立たない。スクリーンの森の地形だけが、静かに表示されている。
やがて参謀が言った。
「解散」
椅子が動く音が重なる。
質問は最後にまとめて一度。返答は結論から。数字と時刻が先に並ぶ。
アスミは最後まで椅子に背を預けず、足を揃えて座っていた。
「了解しました」と言う声は、いつも通りに出た。
いつも通りに出せたことだけが、少しだけ怖い。
*
廊下に出ると、艦内の足音が戻ってくる。忙しなくて、でも人の歩幅だ。
セリが横を歩きながら肩をすくめた。
「……次、地上支援だってさ」
「うん」
「森だって。慣れてないだろ、気をつけろよ」
「……了解」
「了解って言うの、早くなったな」
アスミは顔だけ向けて、笑う形を作った。
「仕事だから」
セリはそれ以上言わなかった。言わないことを選ぶ時の、いつもの顔だった。
格納庫前で、地上部隊の連絡士官が待っていた。言葉は丁寧で、目線は端末の確認が先だ。
「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。地上降下支援。降下点は森林域、座標は送信済みです。現地での優先は難民列の移送確保。第三勢力の可能性あり。識別困難の場合、独断での発砲は避けてください」
「了解しました」
「了解」
端末が、座標を静かに更新した。地図の上に赤い点が一つ打たれ、そこへ線が引かれる。
アスミはヘルメットを被り、ハーネスの締め具を確かめた。指の感触が冷たい。
降下高度、三千。
*
海上戦艦を離れた四機のヴィーラは、推力を揃えたまま戦域へ向かった。
背部スラスターが低く唸り、機体は雲の上を安定した姿勢で滑っていく。編隊の外側を、二機が少し高度を変えて巡っていた。
通信が入る。
《上空警戒、リオ。雲の上はクリア》
少し上の高度で機体を安定させながら、リオが空域を見張っている。
《ユイ、右側稜線を見てる。動きなし》
ユイの機体は編隊の外側で上体をわずかに傾け、センサーを山側へ向けていた。
「了解。上は任せた」
セリが短く返す。
《了解》
《了解》
二つの声が重なった。
アスミは外の景色を見ていた。
コクピットの透過部の向こうで、空が青く遠い。雲の上には何もない。境目も、影も、目印になるものが一つもなかった。
――乗る理由で埋めようなんて思ってない。正しい事をしたい。それは変わらない。
変わらないはずなのに。
艦長に言われた言葉が、頭から離れない。
機体はゆっくりと高度を落とし始める。
高度と速度の数字が静かに並び、計器は安定していた。風の流れも読みやすい。
空のほうが分かりやすい。空では、敵の位置も動きも見える。距離も、逃げ場も、全部数字になる。
森は違う。木が重なり、地形が隠れる。どこに何がいるのか分からない。人がいて、声があって、撃てば何かが壊れる。
「降下準備」
セリの声が入る。
アスミはスロットルを絞った。計器の高度表示が、ゆっくり下がっていく。胸の内側で、重心が上へ抜けるような感覚があった。
雲の切れ間を抜けた瞬間、森が広がった。
濃い緑が視界いっぱいに近づいてくる。上から見ると、木の一本一本は見えない。ただ、盛り上がった緑の面がどこまでも続いていて、その下に何があるのかは分からなかった。谷の筋だけが、影になって黒く走っている。
降下の合図と同時に、森が一気に迫った。
脚部の姿勢制御が細かく働き、機体が降下姿勢に入る。膝が畳まれ、重量が背部へ移る感覚が、シート越しに伝わってきた。
次に聞こえるのは、自分の呼吸と、スラスターの出力が上がっていく低い唸りだけだった。
ヴィーラはそのまま、森の上空へ滑り込んだ。
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