Sky66-軍人の箱-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
雲が低い高度で流れていた。
灰色の層が途切れたり重なったりしながら空を横切り、その下を四機のヴィーラが隊形を崩さず進んでいる。
下方には第七艦隊の艦影が広く散開しており、雲の切れ間から甲板灯がかすかな点になって見えた。海面は雲の影で斑になり、明るい場所と暗い場所が、ゆっくりと入れ替わっていく。
巡回空域は静かで、レーダーにも熱源にも変化はない。
第〇小隊は規定の巡回コースを外れることなく、一定高度と速度を保ったまま、艦隊の防空圏の外縁をなぞるように飛行している。
先頭に出ている機体――アスミのヴィーラが、わずかに前へ出ていた。
規定の間隔から半機分ほど外れただけの差だが、操縦桿を握っている者には、その差がはっきりと分かる。
脚部スラスターの噴射が落ち着かない。推力がわずかに強くなり、すぐに弱まり、姿勢制御の補正が細かく続く。高度は安定しているのに、機体の重心がどこか定まらない。
セリは自機の操縦桿をほんのわずかに引き、アスミとの距離を一定に保ったまま、その動きを追っていた。
メインモニターの端に映る機体の挙動を見てから、通信を開く。
「なにイラついてんだよ」
通信回線の向こうで、一拍の間が空いた。
「……別に、いつも通りだよ」
声はいつも通り落ち着いている。言葉の調子も変わらない。
アスミの機体は、落ち着いていない。
推力の調整が細かく続き、機体がまたわずかに前へ出た。
セリはその挙動を見ながら息を吐き、操縦桿を微調整して隊形の位置を維持する。
動きに出てんだよ。
右後方を飛んでいるリオの機体が、肩部スラスターを小さく噴かして高度を合わせた。レーダー画面を流し見ながら機体を横へ流し、隊形の位置を整える。そのまま通信を開いた。
「まあまあ小隊長、女子ってそういう日あるじゃん」
軽い声が回線に流れる。
その少し後方で飛んでいるユイの機体が、腕部をわずかに動かして姿勢を安定させた。視線はモニターの計器に落ちている。睡眠ログと機体状態の表示を確認してから、短く息を吐いて通信を返す。
「……リオ、デリカシーって言葉覚えた方がいいと思う」
リオの機体が肩をすくめるように姿勢を揺らし、脚部スラスターを軽く噴かして高度を合わせた。
「え、なんで? フォローしたつもりなんだけど」
「それがデリカシーないって言ってるの」
通信に小さな笑いが混じる。
隊形は崩れていない。四機のヴィーラは雲の層を抜け、艦隊上空の空域をそのまま横切っていく。雲を抜けた瞬間だけ、装甲が急に明るくなった。
そのとき、セリのモニターの端に識別信号が点滅した。IFFの応答が入る。第七艦隊の防空圏に入ったことを示す信号だ。レーダー画面は依然として静かで、敵影も異常もない。
その横で、REDROSEの機体がまたわずかに前へ出た。
セリは操縦桿を引き、距離を詰める。
「おい、アスミ」
今度は名前で呼んだ。
REDROSEの機体が一瞬だけ反応する。脚部スラスターの噴射が弱まり、機体がゆっくりと速度を落とした。
「隊形」
セリは操縦桿を握りながら短く言う。
「……うん」
REDROSEの機体が元の位置へ戻る。四機が再び横一列の隊形を整え、雲の流れる空域をそのまま進んでいく。
下では、第七艦隊の艦影がゆっくり後方へ流れていった。空域は変わらず静かだ。レーダーにも熱源にも変化はない。
敵影なし。異常なし。
第〇小隊の巡回は、そのまま続いた。
*
NTO西方中央統合基地・西棟会議室は、すでに人の気配を失っていた。
長机の上には、まだ温度の残る端末と、閉じられた資料ファイルがいくつか置かれている。誰かが飲み残したコップの底に、水が少しだけ残っていた。壁面スクリーンは消灯され、照明だけが均一に室内を照らしている。
さきほどまで、この部屋では成果の話がなされていた。
出動回数。戦果。損耗率。前進阻止。象徴効果。
どれも、正しい。どれも、必要な言葉だ。
アーロンは、席を立たずに一枚のデータを見続けていた。
画面に表示されているのは、
――アスミ・レイナー
――コールサイン:REDROSE
出動記録が縦に並んでいる。北方から西方に移動して、もうすぐ三ヶ月。戦闘参加回数は、同階級の平均を大きく上回っていた。
「……多いな」
小さく呟く。
戦果は優秀だ。判断も正確だ。被弾率は低い。完璧に近い。
だからこそ、気になる。規則正しすぎるのだ。
そこへ、椅子を引く音がした。
「失礼する」
イル・チャンティ副司令官が、随行を伴って立ち上がるところだった。会議は終わった。各自が散り、彼もまた次の執務へ移るだけだ。
アーロンは顔を上げる。
「副司令官」
イルが足を止めた。
「何か」
声は平坦だ。疲労も苛立ちも見せない、整った音。
アーロンは立ち上がらなかった。ただ、手元の端末を閉じる。
「ひとつ、確認したい事が」
随行の一人が視線を上げる。イルは軽く手で制し、視線だけを寄越した。
「簡潔に」
「アスミ・レイナーの件です」
その名が出た瞬間、イルの表情に変化はなかった。だが、返答までの間がわずかに縮まる。
「戦果については会議で報告した通りだ。問題はない」
「戦果の話ではありません」
アーロンは言葉を選ばなかった。
「貴方にとって、アスミ・レイナーは、兵器ですか。人間ですか」
室内の空気が一段階落ちた。随行が、息を止める。
イルは瞬きひとつせずにアーロンを見た。
「軍人だ」
即答だった。兵器でもない。人間でもない。軍人。
分類としては、最も便利な言葉だ。
アーロンはわずかに目を細める。
「それで、彼女は壊れませんか」
問いは、静かだった。
「彼女をVR保護システムの最初の被験者に承認したのは……副司令官、貴方ですよね」
最初の被験者。正式導入前の、例外の処理だった。
イルは一瞬だけ視線を外し、資料に落とす。
「壊れる軍人は、配置を誤った結果だ。現状、レイナー一等兵は最適な位置にいる」
最適。合理。損耗管理。正しい言葉だ。
アーロンは頷かなかった。
「運用規定の変更と署名の件も、最適ですか」
「組織の判断だ」
「彼女個人の判断ではない?」
「軍人だ、と言ったはずだ」
そこでイルは視線を切った。
「それ以上の議論は無意味だ。必要なら、書面で提出を」
それ以上、言葉を重ねなかった。一度だけ視線を落とすと、椅子を引き、静かに立ち上がる。
随行の士官がすぐ後ろにつき、そのまま歩き出した。
靴底が会議室の床を踏むたび、乾いた音が長いテーブルの間を渡っていく。誰も口を開かないまま、その音だけが室内を横切った。
扉が開き、そして閉まる。重たい空気だけが、その場に残された。
静寂が戻る。アーロンは、しばらくそのまま座っていた。
軍人。便利な箱。壊れたときは配置の問題。
では――壊れかけていることは、誰が見る。
端末を再び開き、アスミ・レイナーの出動履歴をスクロールする。数字は整然としている。だからこそ、違和感がある。
「……軍人、か」
呟きは、室内に溶けた。
彼は端末を閉じ、今度は立ち上がる。
探すべき人間は、別にいる。
アンダーソン。彼女の隣に立ち続けている、ただ一人。
*
アーロンは西方本部からの輸送艇を降り、海上戦艦の甲板に足を付けた。
潮の匂いが先に来る。油と金属の匂いが、そのあとを追う。遠くで回る機関音は一定で、艦そのものが呼吸しているみたいだった。甲板の縁で波が砕け、細かい飛沫が風に乗って頬に当たる。
乗員が敬礼する。アーロンは短く返し、歩幅を崩さず艦内へ入った。
通路は狭い。壁の塗装は薄く、手すりの金属は冷たい。足音が戻ってくるたび、戻ってきた場所の硬さを思い出させた。
艦橋へ向かう途中で、足を止める。格納区画の方から、工具の乾いた音が混じっていた。整備灯の白が、通路の角を淡く塗っている。
「アンダーソンはどこだ」
すれ違った整備兵が即座に答える。
「格納区画です」
頷き、方向を変える。
エレベーターを降りると、格納区画の音がいきなり増えた。送風の唸り、チェーンの擦れる音、誰かの短い指示。金属床の振動が靴底に伝わってくる。
その中に、見慣れた背中があった。
セリは、機体のパネルを閉じる整備員の横で腕を組んでいる。何かを確認しているらしい。視線だけが忙しく、身体は動かない。
アーロンは近づきすぎない距離で止まり、周囲を一瞥した。人の流れと音の隙間を測るように、半歩だけ距離を取る。
「ブリーフィングは何分後だ」
「二十分です」
「レイナーと、二人で十分だけ時間を取れ」
整備灯の白が、セリの横顔の線を薄く浮かせる。工具の音が一つ止まり、すぐにまた動き出した。
セリの表情がわずかに変わる。
「……理由を伺っても」
「いいから取れ」
アーロンの声は低い。格納区画の騒音に負けないように音量を上げたわけじゃない。最初から届く高さで、必要な分だけ落とされた声だった。
命令というより、確認に近い。
「話すことはあるはずだ」
セリは一瞬だけ視線を落とす。その仕草は迷いではなく、状況を飲み込むための間に見えた。理解している顔だ。
「了解」
アーロンは続ける。視線だけをセリに向けた。
「離れるなよ」
短く。その一言で十分だった。
セリは頷く。
「はい」
それ以上の説明はなかった。アーロンは踵を返し、格納区画の出口へ向かう。
歩き出してすぐ、奥を見た。REDROSEの機体が、静かに整備を受けている。鋼の外装は光を跳ね返し、整備灯の白を淡く抱え込んでいた。
あれは兵器だ。だが、その中にいるのは、兵器ではない。
軍人。都合の良い言葉だ、とアーロンは思う。便利すぎて、守るべきものの輪郭を曖昧にする。
通路へ戻る。ブリーフィング前、残された時間は、十分。
足りるかどうかは、分からない。
*
格納区画の騒音は、まだ残っていた。整備員が機体の下をくぐり、工具を受け渡している。
セリはその様子を見ていた。さっきの言葉が、耳に残っている。
――話すことはあるはずだ。
言わなければならないこと。だが、どう切り出す。
視線を機体に戻す。開いたままのパネルの中で、配線の束が艦の揺れに合わせて、わずかに揺れていた。
その時、アスミが整備班との調整を終えて歩いてきた。
セリは呼び止める。
「終わったか?」
アスミは、セリの顔を見ると「うん」と短く返した。
そして、セリの隣に立ってヴィーラを見上げる。
――どう切り出せばいい。
セリが、機体を見上げるアスミの横顔に目を向けながら口を開こうとした時、アスミのほうが先に言った。
「……セリは、どうしてヴィーラに乗ってるの?」
セリは少しだけ遅れて、息を吐く。
「なんだよ急に」
視線を天井に逃がした。
「親父も兄貴も軍人で……陸と海が埋まってて、空しか空いてなかった。あと、モテるから」
軽く言う。近くにいた整備員が笑った。空気が一瞬だけ緩む。
「……そっか」
アスミの視線は、まだヴィーラのコクピットのほうを向いている。
「なんだよ急に、珍しい質問してくるな」
「……聞いたことなかったから」
それ以上、踏み込まない。
アスミは上に向いていた顔をセリのほうへ戻すと、先に歩き出した。
「私、先にブリーフィングルームに行ってるね」
「……わかった」
セリは呼び止めようとした。でも、呼び止めるには、距離がもうできていた。
言うはずだったことは、まだ口の中に残っている。
なぜ、ヴィーラに乗っているのか。
歩きながら、アスミは胸に触れた。制服の上から指先が止まり、わずかに押さえ込む。布の下で、心臓が普段より少し速く打っている。
問いは外に出た。それでも、本当の向きは、まだ自分の内側へは向いていない。
格納区画の音が戻る。工具の触れる金属音と、整備員の短い声が、高い天井に反響した。
セリは、さっきアスミが見ていた機体を、同じように見上げる。
――アスミ。何を考えて、何を見ていた。
コクピットのどこを。
整備灯の白が外装をなぞる。光が機体の輪郭を滑り、関節の影を浮かび上がらせた。
細い関節。無駄のない装甲。まっすぐに通った輪郭。
その機体は、静かにそこに立っていた。
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