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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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68/125

Sky68-背中の面影-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 雲の下は湿って暗い。

 木々の上を流れる風が重くて、機体の腹を押し上げる感触がある。アスミはスロットルを絞り、計器の針が落ちるのを目で追った。耳の奥で駆動音が低くなり、代わりに枝を払う音が増えていく。

「降りる」

 そう言うと、僚機のセリが返事の代わりに高度を合わせてきた。横に並びすぎない。離れすぎない。間だけをきっちり保って、同じ場所へ落ちてくる。

 着地の瞬間、脚が泥に沈んだ。膝の駆動が沈み込みを吸い、機体がきしんで金属が鳴る。ハッチが開くと、透過部の外にあった景色が、そのまま匂いになって入ってきた。土と、腐りかけた葉と、雨の残り。肺が一度だけ詰まる。

 降りた途端に、叫び声が真正面からぶつかってきた。

「こっちだ! 列、止めるな!」

「担架! 担架こっち!」

 走る足音。乾いた発砲音。怒鳴り声の途中でひっくり返る泣き声。

 森の中だと、全部が近い。距離があるはずなのに、耳の中へ直接落ちてくる。木が音を跳ね返して、どこから聞こえているのか分からなくなる。

 アスミは銃を持って機体を降りた。足元の泥が靴底に絡み、一歩進むたびに重い。すぐそばでセリも降りてくる。周囲を素早く見回し、何も言わずにアスミの左斜め前へ回った。撃たれた時に、射線が一本減る位置。

 難民の列は木立の間を蛇のように伸びていた。老人の背中に子どもが縋りつき、荷物が落ち、誰かが拾う。地上兵が腕で誘導しているのに、恐怖で足が止まる。低い枝が列の頭を掠め、そのたびに誰かが身を屈めた。

 その列の外側、難民のすぐ脇で、武装した集団が動いていた。

 装備は揃っている。動きは訓練されている。けれど連合の迷彩でも、帝国の徽章でもない。誰かが短く合図を出し、別の誰かが難民を背中に庇いながら射線を切っている。

 その中心で、リーダー格に見える青年が軽機関銃を構えていた。

 撃つ姿勢が、上手い。腰を落として、反動を受け止める。撃ちっぱなしにしない。短く刻んで、帝国兵の頭を上げさせない射撃。

 第三勢力……? でも、難民を庇ってる。

 アスミは列へ走り込み、転びかけた子どもの肩を掴んで立たせた。指が細い。震えている。握った手が汗で濡れていて、ぬるい。

「大丈夫。前、行ける?」

 子どもは頷けないまま、目だけ動かした。アスミは背中を押し、母親らしい人の腕へ渡す。

 次に、足を引きずる老人がいる。地上兵が抱えようとして抱えきれず、呻いている。黙って肩を入れ、持ち上げた。骨が軽い。服が湿っていて、土の匂いが濃い。

 その時、軽機関銃の射撃が止まった。止まった理由が、弾切れか、状況判断か――判断する前に、青年が半身を翻す。

 背中が、こちらを向きかけた。

 アスミの足が、止まる。

 左が少し下がる肩の癖。首筋から顎にかけての骨格。肩甲骨の位置。武器を支える腕の角度。そして、難民の列に対して身体を盾にする、あの寄り方。

 どこかで見たことがある。

 そう思った瞬間、別方向の銃声が増え、煙が森の低いところを這って視界を切った。

 アスミは老人を地上兵に渡し、煙の向こうへ声を投げる。

「そこの人、動かないで!」

 自分でも驚くほど、声が強く出た。

 その声は、煙に吸われる。返事はない。

 でも、煙の向こうで金属が擦れる音が一つ、耳に入った。

 ――。

 言葉は出ない。出せる場所でもない。

 帝国兵の射線が木の幹を削り、樹皮が弾ける。近くで子どもの泣き声が跳ね、誰かの「伏せろ!」が重なった。

「列! 止めるな!」

 地上兵の怒鳴り声に引き戻され、アスミは息を吸う。泥が靴底に絡む。踏み直すたび、重い。

 背中は、もう見えない。煙が厚くなって、森の奥が一枚の壁になる。

 それでも、さっきの一瞬が、目の奥に残ったままだ。

 アスミは銃を構え直し、列の外側へ身体を寄せる。転びそうな荷物を引き上げ、次の人の背を押した。

 指先に残る震えを、引き金に渡さないように。

 もう一度だけ、煙の向こうを見る。

 そこには、灰色しかない。それを飲み込んだまま、アスミは前へ動いた。


 煙が薄くなった一瞬、爆撃で上がった炎に、青年の顔が浮かんだ。

 髪色が違う。記憶の黒髪より、少し薄いグレー。目の色も違う。森の光のせいかもしれない。

 それでも、真っ直ぐに射抜くような目が、記憶と同じだった。

 アスミの指が勝手にセーフティを探し、肩が銃床を押し込む。

 第三勢力。識別不能。武装。近距離。

 銃を構える。肩を入れる。照準が上がる。

 ――。

 さっき見えた、あの顔。はっきり見えたわけじゃない。ただ、自分の直感が言っていた。

 あの青年の顔を、知っている。

 そして――口が、勝手に動いた。

「……カイト?」

 青年が、こちらを見た。ほんの一瞬、肩が止まる。銃声の中で、呼吸の音だけが残る距離だった。

 その目が、アスミの銃口を一度なぞる。


 記憶にある丸みを帯びた頬の輪郭は、細く、大人の顔立ちになっている。髪の色も、目の色も、あの頃とは違う。

 けれど、分かってしまう。どこにいても。

 なんで。なんで、ここにいるの。

 どうして――。


 カイトは、アスミの目を見た。煙越しでも分かる。銃口の軌道より先に、目が決まっている。撃つ時の目だ。迷いが残る前に、手順へ落ちる目。

 分かっていたはずだった。西方で飛んでいる〝赤い薔薇〟が、軍の中でどう扱われるか。どう変わるか。自分が会わないほうがいい理由も。

 それでも、アスミの瞳を見て、胸の内側が一度だけ沈んだ。

 僅かに、唇に力が入る。

 そうか。俺を識別する前に、撃てるんだな。

 もう〝撃てる眼〟になったんだな。

 アスミの銃口が上がる角度が、こちらの肩の高さに揃う。距離。風。遮蔽物。全部が数字みたいに整列していく。

 カイトは反射で、難民の背に自分の背を寄せた。撃たれたら、ここで受ける位置。

 銃を振り向けるより先に、守る姿勢が出てしまう。


 アスミが前へ踏み出そうとした、次の瞬間、横から衝撃が入った。

 セリが飛び込んできて、銃口を押し下げる。強くはない。逃げられない程度。けれど確実に下がる角度。

「バカ、撃つな! 民間人庇ってるだろ!」

 セリの声は荒かった。怒鳴っているのに、視線はアスミから逸らさない。アスミの顔を見て、状況を見て、その順番を崩さない。

 アスミは息が詰まったまま、銃を下げきれない。

 下げきれないのに、もう撃てない。

 カイトは、アスミを真っ直ぐに見ていた。

 その視線は、知っている人の目じゃなかった。距離と角度と、次に動く方向だけを拾う目だった。こちらの感情が入る余地がない。

 爆発音が近くで鳴った。木が裂け、煙幕のように煙が増える。視界が白と灰の間で揺れ、地上兵の叫びが割り込んだ。

「救護班! こっち来い!」

「列、動かせ! 今だ!」

 救護班が担架を押して飛び込んでくる。担架の金属が鳴り、布が擦れる。

 目の前を人が横切り、射線も視線も切られた。

 その隙に、カイトは難民のほうへ身体を寄せる。銃を下げるのではなく、難民の背中に自分の背中を当てるようにして守りながら、仲間と一緒に後退していく。

 アスミが一歩前へ出た。

「………待っ!」

「カイト!」

 声が届く前に、煙が濃くなった。森の奥へ、影が溶けるみたいに消える。

 足は踏み出せない。難民の列が、まだそこにある。

 待って。行かないで。追いかけたい、でも――。

 いま追ったら、列が割れる。

 アスミは銃を握ったまま、立ち尽くした。握る手に、力が入る。


   *


 帝国兵の射撃が、ふっと途切れた。

 途切れた瞬間に訪れるはずの静けさは来ない。森は、静かになり方を忘れている。泣き声、咳、怒鳴り声、枝を踏む足音。救護班が担架を引きずる金属音。どれもが湿った空気に吸い込まれず、耳の奥へ直接落ちてくる。

「撤退! 帝国、引いたぞ!」

「列、動かせ! 止まるな! 通路あけろ!」

 地上兵が腕を振って、難民の列を押し出した。列は蛇みたいに伸びて、木立の間に吸い込まれていく。荷物が落ち、誰かが拾い、拾えない人の分を別の誰かが背負う。

 遅い。けれど動く。

 アスミは、煙の濃かった方向を一度だけ見た。

 影はもういない。代わりに、難民の背中がある。背中の向こうに、まだ撃てる距離の帝国兵がいなくなったことだけが、地上の空気を少し軽くしていた。

 銃を持つ手に力を入れて、息を吸う。

「あっち! 負傷者!」

 救護班の声が刺さる。担架が二つ、ほぼ同時に運ばれてきた。片方は肩を押さえた若い男、もう片方は脚を動かせない老人。老人の手が、空を掴むみたいに震えている。

 アスミは駆け寄り、担架の横を押さえた。端を持つだけで、重さの伝わり方が変わる。

 救護班の隊員が息を詰めた顔で「助かる」と言い、アスミは頷くだけで返した。

「列は? 子どもが――」

 言いかけて、声が途中で引っかかる。視界の端に、小さな頭が見えた。さっき肩を掴んだ子どもだ。母親の腰にしがみついて、目だけでこちらを見ている。目が合って、すぐ逸れた。

「アスミ! 上!」

 地上兵の声で、反射的に空を見る。木々の切れ目の上に、リオとユイの機体が低い高度で旋回していた。

 味方の音だ。安心するはずの音なのに、今日は胸の奥が固くなる。

 セリが、少し離れた位置から手を上げて合図した。撤収。機体へ戻れ。

 動きはいつも通りで、いつも通りだからこそ、さっきの衝撃だけが浮いたまま残る。

 アスミは担架の端を離し、救護班に押し付けるように任せた。

「ありがとう!」

 救護班がそう言った。返事をしないまま、頷きだけで済ませる。

 機体へ走る。泥が靴底を掴む。重い。地上は、何もかもが重い。

 ヴィーラの脚元まで来て、アスミは一度だけ立ち止まった。脚部に跳ねた泥の跡が、さっきの着地をそのまま残している。乾きかけた土が、装甲の白の上で茶色い筋になっていた。

 乗降ハンドルに手をかける。手袋越しでも冷たい。

 背後で、セリの足音が近づいた。半歩ずらし、周囲を見渡しながら、アスミの横に止まる。

「戻るぞ」

 アスミは頷き、コクピットに滑り込んだ。ハーネスを引き、バックルが噛み合う音を確かめる。

 ハッチが閉まる。外が、薄い膜の向こうへ移動した。

 泣き声が遠のく。土の匂いも薄まる。湿った空気の重さが、急に軽くなる。

 代わりに、自分の呼吸がヘルメットの中で反響した。

 《アスミ? 聞こえてるか》

 返事が遅れた。遅れた理由を、自分で説明できない。喉が乾いて、舌が動かない。操縦桿を握った指が硬い。

 《……おい》

 二度目は短い。急かしていない。確認だけ。

 アスミは息を吐いて、短く言った。

「カイトがいた」

 無線が一瞬、空白になった。セリの呼吸が止まる気配が、マイク越しに分かる。

 《……》

 その沈黙を切ったのは、管制の声だった。平らで、事務的で、今は救いみたいに冷たい。

 《Alpha2、REDROSE。上空へ復帰。残敵監視。地上班、撤収完了までカバー。燃料残量、報告》

 管制の声が、もう一度アスミを呼ぶ。

 《――REDROSE? 報告》

 アスミは急いで視線を計器へ落とした。数字へ逃げる。逃げることで、崩れずに済む。

「REDROSE、燃料残、――」

 途中で息が引っかかった。胸の奥が、森をもう一度見たがっている。だが手順が先に来る。

「――残、六二。現空域、風弱。機体、軽微汚損のみ。飛行継続可能」

 《了解。Alpha2は?》

 セリが続ける。声は平常、けれど少しだけ低い。

 《Alpha2、燃料残、五九。飛行継続可能》

 《了解。二機、上昇。高度一二〇〇。航路デルタへ》

 スロットルを押し込む。背部スラスターが息を吸い込み、機体が震えた。脚が泥を離れる。枝を払う音が消えて、森が下へ落ちていく。

 上昇するにつれて、現場の音が薄くなる。薄くなるほど、置き去りにしたものだけが重くなった。

 追えなかった。追わなかった。

 視界の端で、難民の列が小さく見える。列の隣に、地上兵と救護班の動き。担架が動く。列が動く。動いていることだけは、確認できる。

 《地上班より。列、抜け道へ誘導中。帝国、接触なし。周辺、警戒継続》

 《管制、了解。Alpha2、REDROSE、監視続行》

 アスミは視線を遠くへ置いた。遠くへ置くことで、冷静になろうとする。

 セリの無線が、短く入った。

 《……見間違いだろ》

 アスミは、即答しなかった。

「間違えたりしない」

 説明はできない。したくない。説明したら、自分がカイトに銃口を向けた事まで、言葉にしてしまう。

 セリは返さなかった。

 あの時。セリだって見たはずだ。煙の向こうのカイトを。じゃあ、なんで。

 セリ、あの時……なんで止めたの。

 スロットルを握るアスミの手が、かすかに震えた。


 監視時間が過ぎ、管制から帰投指示が来る。

 《Alpha2、REDROSE。帰投。前線拠点、進入レーンAへ。降下指示、追って出す》

 雲の下へ降りると、森の湿気がまた近づいた。けれど今度は、地上の中ではない。

 空から見ると、森は面になる。面になると、さっきの背中が見えない。

 見えない。だから、今は飛べる。

 前線拠点が見えてくる。仮設の発着レーンは短く、周囲にテントと照明が並んでいた。救護車両が何台か走っていて、赤いライトが地面を舐めている。

 《管制より。REDROSE、進入許可。風、右から二》

「REDROSE、了解」

 降下。速度。角度。手順。

 レーンが近づき、脚部が接地する。衝撃が足元から来て、体の中の硬さが一段増えた。


   *


 ハッチを開けた瞬間、外の匂いが戻ってきた。

 消毒液、泥、火薬。救護の声。金属が鳴る音。全部が混ざって、夜の薄さが始まっている。

 整備兵が近づいてきて、手を上げた。

「REDROSE、機体外観チェック入ります。泥、脚部に付着。損傷確認します」

「お願いします」

 セリが隣で降り、ヘルメットを外した。アスミを見ないまま、整備兵に短く言う。

「Alpha2も同様。急ぎで頼む」

 整備兵が頷き、ライトを当てて脚部を覗き込む。光が泥の跡を白く浮かび上がらせた。

 救護班が担架を運ぶのが見えた。担架の上の老人の手が、まだ空を掴むみたいに動いている。

 アスミはその手から目を逸らし、代わりに端末の通知を開いた。

 《残敵監視、報告済》

 《帰投、受領》

 《次ブリーフ時刻:〇七三〇》

 画面が冷たい。冷たいから、手が止まる。

 アスミは端末を消さずに、ただ画面の明るさを落とした。光が弱くなると、さっきの目がまた浮かぶ。

 絶対に間違えるわけない。あれはカイトだった。

 遠くで、救護の声が交差した。発電機が低く唸り、テントの布が風で鳴る。

 アスミはヘルメットを抱え直し、息を一度だけ深く吸った。吸ったのに、胸の奥の硬さはほどけないままだった。

 銃を持っていた自分の手を見つめる。

 さっきの森で、私、カイトに銃を向けていた。


   *


 前線拠点へ戻ったのは、日が沈みきる直前だった。

 森の湿気を腹に溜めたまま、輸送車のタイヤが泥を噛む。車列のライトが短い影を切り刻み、テントの列が暗がりに浮いた。救護班の灯りだけが明るい。担架の金属が鳴り、消毒液の匂いが鼻の奥に刺さる。

 アスミは降車してすぐ、ヘルメットを抱え直した。泥が乾きかけた手袋がざらつく。自分の心拍が、耳の奥で遅れて響いた。

「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。こちら」

 誘導兵の声に従って、簡易デブリーフ用のテントに入る。中は狭い。地図板、タブレット、赤鉛筆。椅子は足が短くて、座ると膝が上がる。天井の布が低く、頭上で風に押されて膨らんでは戻った。

「難民列、第一集結地点まで誘導完了。連合側死傷、軽微。帝国小隊、撤退。以上」

 それからようやく、担当士官の目が上がった。

「第三勢力の目撃報告は?」

 アスミは、喉の奥で一度だけ言葉が引っかかった。誰かの背中。半身。目。煙。銃口。

 セリが先に口を開く。

「識別不能。NTOでも帝国でもない。難民を庇って後退した」

「交戦は?」

「なし。こちらも撃っていない」

 士官は頷き、画面に何かを入力した。

「了解。次、弾薬・燃料」

 数字が並び、チェックが入る。ペン先が紙を叩く音が、やけに乾いている。

 アスミは「了解しました」と言った。言えた。言えたのに、胸の奥に別のものが残ったままだった。


 テントを出ると、夜が落ちていた。

 仮設テントの布が風で鳴り、発電機の低い唸りが地面を震わせる。土の上に敷かれた板が軋み、誰かのブーツが遠くで止まった。消毒液の匂いと、火薬の残り香が混ざっている。

 救護の列の端で、難民の子どもが小さく泣いていた。母親らしい人が背中を撫でている。

 アスミは視線を向けたまま、足が出ない。出せば、さっきの煙の向こうが戻ってくる。

 銃を向けたのは、私だ。

 テントの陰で立ち止まった。ヘルメットを抱えたまま、指が顎紐の縫い目をなぞる。締めた感触が、まだ残っている。

 セリが少し遅れて来た。髪に泥が跳ねている。頬のあたりに、小さな擦り傷があった。

 セリはそれを気にせず、アスミの正面には立たない。半歩ずらして、逃げ道を塞がない位置。

 アスミはセリを見上げた。目が乾いているのに、瞬きが増える。

「なんで止めたの」

 声は震えていなかった。震えていないから、余計に硬い。

 セリは目を逸らさない。肩の力だけ少し抜いて、短く言った。

「あいつは民間人庇ってた。こっちに銃向けたのは帝国だけだ」

 アスミは唇を噛んだ。噛んだのに、言葉が止まらない。

「撃つか撃たないかは、私が決める」

 言い切った瞬間、喉の奥がひりついた。

 セリの眉がわずかに動く。怒った顔じゃない。事故を想像した顔だ。一拍だけ置いて、息を吐く。

「材料が足りないなら、まず撃たないって選択もあった」

 その言い方が、アスミの胸に刺さった。正しい。正しいのに、地上でそんな余裕がなかったことも分かっている。

 アスミはヘルメットを抱える腕を、少し強く締めた。顎紐の金具が、微かに鳴る。

 セリは低い声のまま、もう一つだけ言った。

「お前、今の自分の顔見てみろよ」

 アスミは何も返せなかった。返せないまま、抱える腕に力が入る。指の関節が白くなった。

 沈黙が落ちる。テントの布がまた鳴った。発電機の唸りが、変わらないまま続く。

 アスミは喉を動かし、声を絞った。

「……いま、あいつ、って言った。カイトが生きてるって知ってたの?」

 セリはすぐに答えなかった。間があった。その間に、アスミの中で答えが先に形になる。

 セリは一度だけ目を伏せる。それから顔を上げた。

「……知らねえよ」

 言い切るのに、迷いがない。

「嘘。何か知ってるんでしょ?」

 アスミはセリに一歩近づいた。

「ずっと探してたって知ってたのに。なんで、私に何も言わなかったの?」

 セリは手で裾を直しながら、静かに言う。

「だから、知らねえって」

 アスミが泣きそうな顔でセリを見つめる。

 セリはその顔を見て、視線を足下に逃した。

「会えたのに。……またいなくなった」

 本当に言いたいことは、別にある気がした。でも、まだ言葉にならない。

「私、なんのために――」

 アスミは途中で言葉を止めた。それ以上言ったら、この場に立っていられない。そう思った。

 テントの奥で誰かが咳をした。救護の声が遠くで交差する。戦場の夜は続いていく。

 セリの指先が一度だけ動いた。自分の袖口の泥を払う仕草。いつもなら雑にやるのに、今夜は妙に丁寧だった。アスミはそれを見てしまって、余計に目を離せなくなる。

 セリは少し間を置いた。

「お前は? 前にホルストに廊下で何を言われた?」

 視線がアスミの目に合ったままだ。

「あれからずっと変だぞ」

 アスミは見返した。ホルストに言われた言葉たちが、脳裏に蘇る。

「……それは今関係ないでしょ」

「じゃあ、俺もだ」

 セリは短く返した。

「この話は終わりだ」

 息を吐いて、視線を少し逸らす。逸らした先は救護の灯りだ。

 逃げたわけじゃない。見ていられないものがある目だった。

 アスミはヘルメットを抱え直した。息を吸っても、胸の奥の硬さは残ったままだ。

 セリは何かを隠してる。

 ……なんで隠すの。どうして教えてくれないの。

 その確信だけが、夜の薄さよりはっきりしていた。


 テントに戻る道すがら、端末が震えた。次の行動予定の通知。時刻。集合場所。装備点検。短い文が並ぶ。

 アスミは画面を消さなかった。消せなかった。

 暗いままの画面に、自分の目だけがうっすら映っている。

 その奥に、煙の向こうでこちらを見たあの目が、まだ残っていた。


   *


 翌朝、第〇小隊は第七艦隊へ帰還命令を受けた。

 格納庫に着き、アスミが機体から降りると、セリが整備班と話していた。

 整備班が機体の脚部を見ながら笑っている。

「泥だらけじゃねえか。ぬかるんだところに着地しやがって」

 セリは機体から降りながら、少し困ったように笑った。

「森でぬかるんでない場所を探せって方が無茶だって」

 アスミはセリのほうに視線を向けないまま、黙って横を通り過ぎる。

 セリは格納庫の出口へ歩いていくアスミの背中を見たが、すぐに視線を逸らした。

 リオとユイは、その様子を自分たちの機体の側で端末を操作しながら見ていた。

「昨日、テントの外で言い合ってた」

 ユイが端末に視線を落としたまま言う。

 リオは自分の機体の脚部に寄りかかって、セリのほうへ目を向けていた。

「盗み聞きは良くないぞ」

「聞いてない。布一枚向こうで、聞かないようにする方が難しい」

 ユイの視線は端末から離れない。

 リオがふっと笑った。

「そりゃそうだ」

 そして、鼻から息を吐くように、軽くため息をつく。

「あと数日で本部に帰るっていうのに、うちの隊はどうなることやら」

 ユイは手に持っていた端末を持ち直し、リオの前を通り過ぎた。

「なるようにしかならない」

「お腹すいた、食堂行こ」


   *


 アスミは廊下を歩きながら、何度も同じ言葉を思い返していた。

 けれど、答えはまだ見つからない。数日後には、本部へ帰る。

 アーロン艦長が副官と共に、廊下の向こうから歩いてくる。廊下を歩いている他の乗員たちが、すれ違いながら敬礼をしていた。

 アスミも廊下の端で足を止め、敬礼をして道を譲る。

 艦長は少し立ち止まり、敬礼を返した。

「戻ったか。ゆっくり休め」

「ありがとうございます」

 それだけ返して、アスミは自室へ向かって歩き始める。

 副官が、通り過ぎるアスミへ短く視線を向けた。

 アスミが廊下を曲がるのを見届けてから、副官が口を開く。

「……REDROSEは今日もピシっとしてますね」

「そうだな」

 アーロンが短く答えた。

 抱えきれないものが目の前に落ちてきた時。人間というのは、いつも以上に冷静を装うものだ。

 だが、目だけは嘘をつけない。

 前日までの慌ただしい空気は、もうない。

 第七艦隊は、静かに波を切って進んでいく。


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