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SKY  作者: RUI


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65/68

Sky65-手の置き場所-

 


 デブリーフの翌朝、艦内はいつもより静かだった。

 交代の足音はあるのに、声が少ない。機械の唸りだけが規則正しく続いている。


 あすみは通路の壁に肩を寄せて、端末の整備完了通知を確認していた。

 表示は全部「承認済」。やることは、揃っている。揃いすぎていて、落ち着かない。


「古賀」


 背後から呼ばれて、あすみは端末を伏せた。

 振り向くと、アーロン艦長が立っている。いつもと同じ、柔らかい顔。けれど、距離の取り方が違った。

 ただ通りすぎない。足を止める。


「少し、いいか」


「はい」

 あすみは姿勢を正した。条件反射みたいに背筋が伸びる。

 艦長は「楽に」とも言わず、通路の端、扉の陰になる位置へ目で促した。人の流れから半歩だけ外れる場所。


 そこに立つと、艦の空調の音が少しだけ大きく聞こえる。


 通路の端で向き合う。艦内の空調音が、一定の高さで鳴っている。


 アーロンは、あすみの顔を見る。

 あすみは疲労を見せない。姿勢も崩れない。整っている。整いすぎている。


「ホルスト大佐の下は、出撃が多くて大変だろう?」


「…いえ、大丈夫です。」


 即答だった。


 “考えた”という間がない。


「運用を変えることを条件に署名したそうだな。自由がなくなって不便はないか?」


「はい。問題ありません。」


 不便か、と聞いた。返ってきたのは、問題の有無。


 個人の感覚ではなく、基準で答えている。


 アーロンはわずかに視線を落とし、また上げる。


「自由を差し出してまで、君が飛ぶ理由はなんだ?」


 あすみは視線を逸らさない。


「軍の象徴としての責務です」


 教本のような答え。揺れはない。


「責務か。それは組織の理由だな。君の本心は?」


 ほんの一拍。


 瞬きが、わずかに遅れる。


「……同じです。」


 その一瞬。


 声は正しい。内容も正しい。


 だが、その正しさが、引っかかる。そして、アーロンはそこで理解した。


(――飛ぶ理由で、心を塞ごうとしているのか。)


(お前はーー自分を差し出したのか)


 責務は嘘ではない。しかし、それだけで立つ声ではなかった。


「あまり何かで埋めようとするな」


 言葉は短かった。

 叱る声ではない。問い詰める声でもない。なのに、胸の奥に刺さる。


「……」


 あすみの返事が、思ったより遅れた。

 艦長はあすみの目を見る。視線が逃げない。逃がさない。


「正しさだけで、埋められはしない」


 その瞬間、

 あすみの喉の奥が、ひりついた。


 何かが、図星みたいに当たった。


 当たったけれど、意味が分からない。


「……はい?」


 声が少し掠れた。


 艦長は目を逸らさない。


「古賀、正しさを確認しながら進もうとするな。いつか限界がくる」


 胸の奥がざわつく。


 確認?

 誰が?


 私は——


「私、確認なんてしてません」


 強く言ったつもりなのに、語尾が揺れた。


「……っ」

「自分達の正しさを確認してくるのは、いつも軍の方ですよね!」


 言い切った瞬間、

 自分の声が、少しだけ大きいと気づいた。


 違う。

 言いたいのは、そこじゃない。


 でも止まらなかった。


 呼吸が一拍、止まる。

 艦長の表情は崩れない。ただ、目だけが少し細くなる。


 あすみは、自分の掌を握った。爪が食い込む。痛みがある方が、ましだった。


 艦長は、その小さな乱れを見逃さなかった。

 艦長の目が外れない。逸らしたくても逸らせない。


「……」


 艦長は怒らなかった。

 叱責もしなかった。

 その沈黙で、自分の心臓の音だけが聞こえた。


 あすみは、はっと我に返るみたいに頭を下げた。


「…申し訳ありません。…もう、行きます。」


 逃げるみたいに言って、通路の流れへ戻ろうとする。


 その瞬間、艦長が一歩だけ前に出た。腕を伸ばすでもなく、ただ距離を詰める。

 艦長の手が、あすみの肩ではなく、通路の壁に置かれた。


「古賀」


 低い声。


 あすみは、止まれた。止まれたのに、止まらなかった。


 一瞬だけ、

 肩が引き戻されるような感覚があった。


 でも、任務の時刻が頭に浮かぶ。


 点呼。整列。出撃。


 優先順位は、もう決まっている。


「……失礼します」


 声は静かだった。感情が乗っていない。

 ただ、手順通りの言葉。


 艦長の手は届く距離にあった。


 触れようと思えば、触れられた。


 でも、あすみの足は止まらない。


 止める理由が、もう残っていなかった。


 背中に、艦長の視線が残る。

 追ってこないのに、離れない。


 角を曲がる。背中に視線がある。


 振り返らない。振り返らないと決めたわけでもない。


 ただ、必要がなかった。


 通路の角を曲がったところで、ようやく息を吐いた。

 冷えた空気が肺に落ちて、胸が痛い。


(……正しさで穴埋め?)

(私は、穴埋めなんてしてない。)

(軍が、確認してくる)

(……でも、言っても通らない)


(私は、正しいことをしたいだけ)


 端末を握り直す。画面は暗い。

 暗いままの方がいい。


 医務室の前を通り過ぎる。扉の表示灯は点いていない。

 立ち止まらない。立ち止まれない。


 宿舎区画へ続く通路の手前で、リオとユイが端末を覗き込んでいた。


 あすみに気づくと、二人は一瞬だけ視線を寄こす。


 二人とも、何も聞かない。聞けない。


「整備、早めに終わらせとけよ」


 リオが軽く言う。

 軽いのに、目は軽くない。


 ユイは短く頷く。

「次、詰まってる」


 あすみは頷いて通り過ぎる。

 笑わない。

 でも止まらない。


 その先に、セリがいた。


 宿舎区画へ続く通路の先で、セリが待っていた。

 整備服の袖を捲って、工具袋を肩にかけている。


「おい。呼ばれてたろ。艦長に何言われた」


 いつもの軽さ。いつもの目。

 あすみは笑顔を作るのに、少しだけ時間がかかった。


「……別に。注意されただけ」


「ふーん。お前が?」


「私だって注意されるよ」


「珍しい」


 セリが肩をすくめる。

 あすみは頷いて、歩幅を合わせた。


 そのとき、セリがちらっと横目で見た。ほんの一瞬だけ。


「……目、赤いぞ」


 あすみは反射で瞬きをした。そこでやっと、瞬きができた。


「風。艦内でも乾燥してる」


「はいはい」


 セリはそれ以上は聞かなかった。

 聞けないものを、互いに抱えているみたいに。


 宿舎区画へ戻る廊下は、艦の心臓に近いぶん温度が一定だった。

 それでも、あすみの指先は冷えたままだった。


 セリは何も言わずに歩き、曲がり角でひとつ先に曲がった。

 あすみを先に通して、遅れてついてくる——何度もやってきた癖だ。


 居室前で別れるとき、セリは軽く顎をしゃくった。


「整備、俺が先に見とく。お前は先に飯食え」


「……うん。ありがとう」


「礼言うな。いつものだ」


 それだけ言って、セリは格納区画側へ消えた。


 艦内放送がまた短く鳴る。

「各部署、準備に移れ」。声は淡々としている。

 あすみは自室の端末を開かず、靴を脱いだだけで、椅子に腰を落とした。


 ドアの閉まる音が、やけに小さい。


 *


 格納区画の前室は、油と金属と洗浄液の匂いが混じっていた。

 整備員が台車を押し、壁の表示灯がひとつずつ切り替わっていく。忙しいのに、動きが乱れない。


 セリは工具袋を棚に置き、手袋を外して指を鳴らした。

 ふと、視線を感じて顔を上げる。


 アーロン艦長が、通路の端に立っていた。

 制服の襟元がきちんと整っていて、歩いてきたのに乱れがない。


「艦長」


 セリは背筋を正し、敬礼しかけて止めた。

 艦長が手を上げなかった。セリは敬礼の途中で手を止めて、背筋だけを固めた。


「少し、話せるか」


「はい」


 艦長は格納区画の喧騒から半歩外れた、工具棚の陰に立つ。

 整備員の声は届くが、会話の内容は飲み込まれる距離。


 艦長が先に言った。


「西方のやり方には慣れたか」


 セリは一瞬だけ口角を上げた。笑うほどでもない、苦味のある表情。


「……まぁ。合わねぇやり方も、ありますけど」


「君は軍の“合わない”にも長いだろう」


 艦長の声は静かだった。

 責めているわけじゃない。事実を置いているだけ。


 セリは鼻で小さく息を吐いて、肩をすくめる。


「……長いだけっす。ちゃんと働いたの、ここ数年ですよ」


「そうか」


 艦長は短く頷く。視線がセリの胸元——識別票の位置に一瞬だけ落ちて、すぐ戻る。


「……君たちの事は、目を通した」


 その言い方で、ただの挨拶じゃないと分かる。

 セリの返事が、一拍遅れた。


「……」


 艦長は間を詰めずに続けた。

「アンダーソン」


「君は、古賀を止める気はあるか」


 その言葉で、セリの喉が一度だけ鳴った。

 止める。何を。

 あすみは任務をこなしてる。

 さっきだって、少し苛立ってるだけだ。あれは——。


「……あいつが、本気で望むなら」


 口から出た返事は、思っていたより曖昧だった。

 セリは自分でそれに気づいて、眉をわずかに寄せる。


 艦長は「そうか」とだけ言った。

 否定もしない。肯定もしない。受け取って置いた。


 少し間が空く。

 遠くでレンチが落ちる音がして、誰かが「悪い」と謝る声がした。


 艦長が、もう一段低い声で言う。


「離れるな。君だけは」


 その言い切り方が、命令に近かった。


 セリは、反射で「了解です」と言いそうになって、飲み込んだ。

 ここで軽く返すのは違う気がした。


 あすみを、止める?

 俺が?


 あいつは俺より強い。迷いが少ない。真っ直ぐで、傷も抱え込む。

 俺は——隣にいるだけで、追いついてるつもりになってた。


「……離れません」


 セリは結局、短く答えた。

 語尾を整えなかった。整えると嘘になる気がした。


 艦長は頷いた。視線がほんの少しだけ柔らかくなる。


「頼んだぞ」


 それだけ言って、艦長は格納区画の奥へ歩いていった。

 整備員が敬礼し、艦長は軽く返す。歩幅は乱れない。


 セリはその背中を見送ってから、ゆっくり息を吐いた。


 工具棚に置いた手袋を握り直す。

 革がきしむ音が、小さく鳴った。


(あすみを、止める?)

(……俺が?)


 ケニーとあすみの格納庫でのやりとりが、頭に浮かぶ


(あいつのことを支えられるのはカイトだけだ)

(でも……)


 その「でも」の先が、言葉にならない。


「アンダーソン一等兵、次のチェックいけます?」


 整備員の声に、セリは顔を上げた。


「行ける」


 いつもの声を作って、セリは手袋をはめる。

 指先の感覚が、革の中で戻ってくる。


 作業台の上で、機体のパネルが開いていた。

 締めるネジの数は決まっている。順番も決まっている。

 決まっているものは、楽だ。


 セリはレンチを回しながら、さっきの艦長の言葉を、頭の中で一度だけ繰り返した。


 ——離れるな。君だけは。


 格納区画の表示灯が、出撃準備色に切り替わった。

 セリはレンチを置かずに、作業の合間に一度だけ端末を見た。


 居室番号――古賀の表示が残っている。

 そこにいるはずなのに、手が届かない。


 *


 格納庫手前の通路の向こうで、艦の放送が短く鳴った。

 次の任務の準備。整列時刻。点呼。

 通り過ぎる乗員が敬礼しても、返す手が遅れる。


(……)


 あの目。焦点が合わない一瞬。

 瞬きの少なさ。浅い呼吸。


(自分を差し出して埋めたものに、わずかな隙間ができた時)

(古賀のあの目が映すものはなんだ)

 それは希望か?ーーーそれとも


 艦長は小さく息を吐き、敬礼を返しながら歩き出した。


(そのまま進むな、古賀)


 だが、その声は届かない。


 艦内の時計は止まらない。

 次の出撃の時間が、淡々と迫っていた。



次回更新は3/14 20時頃になります

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