↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: 岩佐知秋
BASE UNION

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/126

Sky63-消えない灯-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。




 着任から三日、アスミは思っているより早く第七艦隊の生活に馴染んでいた。

 艦の揺れにも慣れた。歩くとき、無意識に膝が上下の動きを吸っている。西方本部では一度も使わなかった筋肉だ。

 通路の角を曲がると、当直の兵が端末を抱えて立っていた。目が合うと、軽く顎を上げる。

「お疲れ。REDROSE、艦内案内は終わった?」

「はい。迷子にはなってません」

 アスミがそう返すと、当直は笑った。

「よし。今日の食堂のシチューは当たり。遅いと底さらわれるぞ」

「……それは急ぎます」

 セリが横で小さく笑い、歩幅を速める。


   *


 食堂は、基地の食堂より狭かった。

 天井が近いぶん、声が上に逃げない。皿がぶつかる音、椅子が引かれる音、誰かの笑い声。全部が近い距離で混ざり合って、ちゃんと人がいる感じがした。

 長机は床に固定され、椅子も脚だけが床に留められている。艦が傾いても、部屋の中の配置は変わらない。変わるのは、汁物の表面だけだ。誰かの器の中で、シチューが片側へ寄っては戻っていく。

 壁際の机はどれも塗装が薄くなり、角の丸みが手の跡で光っていた。

 配膳台の前で、炊事担当の兵が腕まくりをしていた。大きな鍋からシチューをすくいながら、流れ作業の手つきでも、目線は一人ずつ見ている。湯気が上がり、天井の照明の光を白く濁らせていた。

「次。……お、噂のREDROSEじゃん」

「噂……?」

「そりゃ噂にもなる。西方本部に来た〝北方の赤い薔薇〟」

 言い方は軽いのに、目は探る感じじゃなかった。単に、口が回る人だ。

 アスミはトレーを受け取り、肩をすくめる。皿の熱が、指の付け根に伝わってきた。

「その褒められ方は苦手です」

 炊事担当兵は笑いながら、パンをトレーに乗せる。

「はは! 素直に褒められとけ、褒められてるうちにな。ほら、パン多めにしとく」

「……ありがとうございます」

 隣でセリがトレーを受け取りながら、ぼそっと言った。

「パンで釣られる英雄」

「英雄には栄養が必要なんです」

 アスミが返すと、炊事担当兵が笑って、次の皿をよそった。

「栄養なら、もっと取っとけよ」

 リオがトレーを持って横から言う。ユイは先に席へ着き、端末を見ていた。

「今日はスクランブル二回。食べないと保たない」

「お前ら、食堂でも作戦かよ」

 セリが呆れた声を出す。

 席を探していると、昼に案内してくれた若い通信兵が手を振った。隣には整備寄りの制服の男、向かいには医務班らしい女が座っている。空いた席を見つけると、自然に詰めてくれた。基地の距離の詰め方に近い。

「こっち、座る?」

「失礼します」

 アスミとセリが腰を下ろすと、医務班の女が言った。

「西方の本部から来たんだよね。……こっちの食事、味薄くない?」

「薄くないです。むしろ、落ち着きます」

 アスミはスプーンを入れる。すくった芋が崩れて、汁の中に沈んだ。口に運ぶと、熱が舌に当たって、少しだけ息が漏れる。温かい。

 整備の男がセリを見て、肩で笑った。

「お前ら、二人ともパイロットか。羨ましいな」

「羨ましいって言うと、整備班に怒られるぞ」

 セリが言うと、通信兵が即座に頷いた。

「怒られる。めっちゃ怒られる。俺、昨日も怒られた」

「何したの」

「工具を……借りて……返すの遅れて……」

 言い訳の途中で、整備の男がスプーンを軽く叩いた。

「〝借りたら戻す〟。小さい頃に教えられたろ」

 やり取りが、軽い。雑に見えて、ちゃんと相手を見て言っている。

 アスミの肩の力が、抜けた。

 抜けた、と思った瞬間、背中の奥がひやっとする。

 落ち着けない、じゃない。落ち着くのが、怖い。落ち着くと、溜めてたものが落ちてくる。

 胸の内側で、何かを落とさないように支えている手がある。ここでそれを離したら、音を立てて崩れる気がした。

 スプーンを持つ指に、力が入る。アスミは笑顔を作り直して、会話に戻った。

「当直って、何時交代ですか?」

 通信兵が指を折りながら説明を始める。整備の男が途中で補足する。医務班の女が「寝不足の顔したら診療室行きなよ」と言って、冗談みたいに笑った。

「はい」

 アスミは返す。普通の声。普通の返事。

 セリがシチューを飲み干して、パンで皿を拭うようにして食べた。

「艦の飯、うまいな」

「うん」

 セリがちらりとこちらを見る。アスミも気づいたが、視線は合わせなかった。

「西方の本部の食堂、妙に整ってたもんな。味も整ってた」

 セリはそこで言葉を切り、アスミの顔を見る。

「大丈夫か」

「大丈夫」

 アスミは笑った。口の端だけ。いつもより少し小さい。


 食堂を出ると、通路の灯りが白っぽかった。昼の区画は音が減り、かわりに換気の音が耳に残る。

 途中の舷側に、小さな丸窓が一つだけあった。厚いガラスの向こうは、もう暗い。海面は見えず、艦の灯りが水に落ちて、細かく割れているのだけが分かる。

 壁の低い位置には、非常時の誘導灯が等間隔で灯っていた。船の中は、消える灯りと消えない灯りが、はっきり分かれている。

 寝室区画の前には、当直交代の兵が立っていて、端末にチェックを入れていた。

「消灯、二十三時。消えない部屋があったら記録する。以上」

 言い方は事務的なのに、視線は柔らかい。アスミとセリを見ると、軽く顎を上げた。

「新入り、迷うなよ」

「努力します」

 アスミが返すと、兵は笑って通した。


   *


 格納庫の開口部から、夕方の海が見えた。

 水平線に近い場所だけが橙に灼けていて、そこから手前へ向かうほど、海の色が濃くなっていく。艦が進むたび、その帯が斜めに傾いた。上部ハッチは半分開いたままで、外の光と内側の整備灯が、機体のちょうど胸の高さで境目を作っている。上半分は夕日の色、下半分は白。同じ装甲なのに、二色に分かれて見えた。

 海風が入り込み、潮の匂いが油の匂いを一瞬だけ薄める。それも、風が抜ければすぐ戻った。

 レンチの当たる乾いた音が梁に反響している。艦がゆるやかに傾くたび、並んだ機体の脚部が、荷重を受け直してかすかに軋んだ。

 基地の格納庫では、機体は一度も動かなかった。ここでは、立っているだけで揺れている。

 アスミは自分の機体の脚部装甲を見上げながら、ふと口を開いた。

「第七艦隊の海域は落ち着いてますね」

 機体の脚に潜り込んでいた整備班の男が、レンチを止める。

「今だけな」

 装甲のボルトを指先で確かめながら、肩越しに続けた。

「最近じゃ、この辺よりも帝国側の海域の戦況が悪化してる」

 レンチを回す音が、また響き始める。

「みんなそっちに出払ってるよ」

 装甲に背を預けていたリオが腕を組んだ。

「いよいよ帝国本土攻める気か」

 整備班は鼻で笑った。

「そう簡単じゃねぇよ」

 言いながら、脚部の隙間へ手を突っ込んで配線の束を掻き分ける。

「帝国まで行くのに小国群が間にあんだろ。中立の立場の国もある」

 整備台に腰掛けていたユイが、端末から視線を上げた。

「ただ押し潰して進める場所じゃない?」

「そうだよ。これ以上難民増やして南半球に送ってみろ」

 整備班は肩をすくめた。手だけは止まらない。

「次は南半球からNTOが締め上げられるぞ」

 リオが苦笑した。

「また、サン=ラディア辺りが抗議してくるな」

 セリが腕を組んだまま口を開く。

「ますます国内の治安が悪化するって?」

「そう。オルタイトを使わない、戦争には参加しない。その代わり、難民が増えて宗教戦争が国内で絶えない」

 リオが頷きながら言った。

「ゼルンハイトもオルシアも、難民を受け入れるには限度があるしね」

 ユイが端末を見ながら続ける。

 セリは足元のカバンから端末を出しながら言った。

「かと言って、簡単に宇宙コロニーに上げられるわけでもない」

 リオが機体の脚を眺めてから、顔を上げる。

「コロニーに行けるのは、上流階級と選ばれたやつだけ」

 鼻から軽く息を吐いて、言葉を続けた。

「移動させるだけで国家予算超えるしな」

 整備班はようやく脚部の下から身体を出し、レンチを肩にかけた。

「こんだけ長く続いてんだ。膠着状態の今が、ある意味一番安定してるかもしれねぇな」

 格納庫の奥では、ラジオから軍事ニュースの音が流れている。誰も聞いていないのに、誰も消さない。開口部の向こうで、橙の帯がさっきより細くなっていた。

 リオが機体の脚を指差した。

「あ、そこのボルトちょっと緩んでるかも。この間の戦闘で、ちょっと銃当てた」

 整備班が振り向く。

「当てたぁ? 西方にいる間に直して貰ってないのか?」

 リオが肩をすくめる。

「急な移動で時間が無かったんだよ。なあ小隊長?」

 セリが手元の端末を持ち直して操作しながら、短く笑った。

「移動命令のせいにするなよ」

 整備班がレンチを握り直す。

「お前らな。海上でVectorに当たったらどうするつもりだ。銃抜いたらネジ飛びました、じゃ笑えねえぞ」

 装甲に背を預けていたリオが顔を上げた。

「Vector? 誰だよ」

 整備台に腰掛け、端末を見ていたユイが視線だけ上げる。

「ニュース見てない? 第三勢力のエースパイロット」

「ちょっと前にニュースで名前が出たろ? 帝国を叩く〝ARCLINE〟」

 整備班はまたレンチを回しながら言った。装甲に工具が当たる乾いた音が響く。

「最近じゃ、軍の中でもちょっとした有名人だぞ」

 リオが腕を組んで機体を見上げた。

「へー。小隊長、知ってた?」

 整備ログを確認していたセリの手が、止まった。

 画面を送る指が、次の項目へ行かない。ほんの一拍だけ。それから、何事もなかったように視線を落とした。

「……さあな」

 整備班が、拭き終えたウエスを肩に放った。

「遭遇した奴に聞いたんだけど」

 レンチをくるりと回す。

「嫌な逃げ方するらしい」

 リオが眉を上げた。

「嫌な?」

「境界線を引くんだよ」

 整備班は装甲の継ぎ目を指先でなぞる。爪の先で、塗装の段差を確かめるような動きだった。

「気持ち悪いくらい正確に」

 その声が、少し低くなる。

「追ってるはずなのに、気づいたら、こっちが後退してる」

 誰もすぐには言葉を返さない。

 外の橙は、もうほとんど落ちていた。開口部の縁だけが薄く光を残し、その先は海と空の境目が見えなくなっている。整備灯の白だけが強くなって、機体の影が、艦の揺れに合わせて床の上をゆっくり往復していた。

「それか――」

 その瞬間、格納庫の奥で何かが落ちる音がした。整備員の舌打ちが、遠くで響く。

 整備班は肩をすくめて言った。

「忽然と消える」

 リオの機体の隣で、自分の機体の装甲に触れていたアスミの指先が、そこで止まった。

 装甲の冷たさが、掌の下でそのまま止まっている。

「……Vector」

 声にならないくらいの音で、その名前が口から落ちた。

 なぜ止まったのか、自分でも分からない。ただ、胸のどこかが一度だけ、変な鳴り方をした。

 リオが苦笑する。

「会いたくないなー。Vector」

「ARCLINEは帝国を狙ってる」

 端末を見たまま、ユイが言った。指が画面を滑る。

「この海域には来ないと思う。遭遇する確率は、かなり低い」

 腕を組んだセリが、リオを横目で見る。

「リオ、線引かれても堕ちないように、システム点検もちゃんとしろよ」

 わずかに口元を緩めた。

「もしVectorってやつと会っても、俺はお前を置いてくからな」

 リオが即座に顔をしかめる。

「それ職務怠慢って言うんだぞ、小隊長」

 整備班がレンチを肩にかけ、リオを見て笑った。

「Vectorみたいに、敵にファンが出来るような戦い方しろよ」

 リオが苦い顔で笑い返す。

「ファンねぇ……」

 上部ハッチから、また海風が吹き込んだ。潮の匂いが油の匂いに混ざる。機体の影が、ゆっくりと揺れた。

 海上戦艦は、静かに波の上を進んでいる。


   *


 夜の海は黒く、甲板の外では絶え間なく波が船体を叩いていた。低い衝撃が鋼鉄を伝い、艦長室の床に微かな振動を残していく。遠くでレーダーの回転音と通信士の報告が交差する。海上展開中の艦隊は、眠らない。

 アーロン艦長は、壁面に投影された戦闘ログを静かに見つめていた。スクリーンの光が、波の反射のように横顔を淡く照らす。

「アスミ・レイナーのログは、これで以上か?」

 背後で控えていた副官がタブレットを確認し、即座に応じた。

「はい。北方から西方に移ってからの記録、すごいですよね。まだ二ヶ月くらいしか経ってないのに、戦果を上げるスピードが速いです。優秀ですよ、彼女は」

 外では風が強まり、アンテナがわずかに軋む音がする。

 スクリーンには、赤い識別コード《REDROSE》が並ぶ出撃履歴と戦果。アーロンは視線を落とさず、低く答えた。

「そうだな。非常に優秀だ」

 しかし、出動回数が多すぎる。負担もあるはずだ。

 海上では常に即応態勢が敷かれている。発艦命令は一瞬で下る。優秀なパイロットほど、呼び出される回数は増える。

 副官がふと思い出したように口を開いた。

「そういえば、運用規定が変わったんですよ。NTOの象徴として、彼女が運用変更に同意、署名したらしいですよ」

 アーロンの目が、わずかに動く。

「象徴?」

「はい。上層部から通達が来てます。コードネームが付くパイロットは、そうそう現れませんからね。それに、彼女は赤くなるから目立つ」

 窓の外で、艦隊灯が波間に揺れていた。暗い海の上で、光はよく目立つ。

 アーロンはゆっくりと息を吐いた。

「象徴という名の英雄にするつもりか。上層部がよく使う広報活動だな。レイナーは表に出たがるタイプではなさそうだが?」

 副官が小さく肩をすくめる。

「まぁ、そうですね。署名の条件は、REDROSEの戦闘方法を運用に加えないことらしいです」

 艦が大きな波を越え、室内が一瞬わずかに傾いた。アーロンは手元の机を軽く押さえながら言う。

「それは、上層部が半分脅したみたいに受け取れるな」

 副官が苦笑した。

「毎回、嫌な手を使いますよね」

 短い沈黙。波音と、遠くで鳴る発艦準備のアナウンスが、かすかに重なった。

 アーロンは再びログへ目を戻す。出撃、帰投、出撃、帰投。整然と並ぶ成功の記録。

 彼女自身はどう考えているのか。黙って従っているようにも見える。しかし、今は要観察といったところか。

 スクリーンを閉じると、室内は海上特有の暗さに戻った。鋼鉄の艦体の中で、戦争は静かに続いている。その中心に、赤いコードネームがあった。

「……このログ、定期的に回せ。出撃間隔と睡眠時間も添付しろ」

 副官が背筋を伸ばす。

「了解です、艦長」

 艦長室の扉が、静かに閉まった。


   *


 部屋に戻ってくると、アスミは上着を脱いでベッドに横になった。

 毛布が体温を閉じ込める。暖かい。暖かいのに、息が浅くなる。

 目を閉じても、何も消えない。音が残る。食堂の笑い声。鍋の匂い。北方の格納庫の金属音。司令室の写真。西方本部の署名。数字。規定。

 眠れない。

 時計を見る。消灯から二十分。まだ早い。早いのに、時間が重い。

 アスミは起き上がり、水を一口飲んだ。喉が乾いているわけじゃない。動きが欲しいだけだ。金属のコップを置くと、机の上で小さく鳴って、艦の揺れに合わせて縁が一度だけ回った。

 端末の画面をつける。点検項目、明日の予定、シミュレーターの時間。文字の列が静かに並んでいる。西方本部の通知より優しい。なのに、胸の中の硬さはほどけない。

 画面を消す。消しても、部屋の暗さが増えるだけだった。

 しばらくして、通路で足音がした。静かな巡回。一定の間隔。扉の前で一度止まり、端末のタップ音が小さく鳴る。記録だ、と分かる。

 アスミは息を殺した。寝ていないのを知られたくない、というより、何かを言われたくなかった。

 足音は次の部屋へ移っていく。隣のセリの部屋の前でも止まったが、すぐに離れた。消灯している。

 アスミは天井を見た。暗い。何もない。

 落ち着くと、喉の奥が詰まる。だから、落ち着けない。

 仰向けのまま、身体だけが艦の動きに合わせてゆっくり傾いた。傾いて、戻る。眠っていない身体を、船だけが揺すり続けている。

 時計は二時を回っていた。ようやく、まぶたを重くすることを諦めて、息を整えるのをやめる。

 息が浅いまま、暗闇に体を沈めた。

 遠くでまた足音がして、記録のタップ音が一つ鳴る。

 艦長は、きっと何も言わない。


 ただ、消えない灯りの時間だけは、静かに数えている気がした。


本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。