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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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62/125

Sky62-第7艦隊-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 翌朝、第〇小隊の四人は、運用課へ呼び出されていた。

 まだ夜の色が抜けきらない時刻なのに、棟の中は昼と同じ明るさだった。西方本部の照明は、朝と夜で光量を変えない。外がどうなっていようと、ここでは一日中、同じ明るさが続く。

 受付前は、その照明の下で、紙の白さだけが浮いていた。番号札はない。端末の表示に名前が出て、窓口が開く。呼ばれるのは声ではなく、電子音だった。

「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。こちらへ」

 背後で、リオが小さく舌を鳴らし、ユイは端末の画面を伏せた。

 係員は笑顔で言う。笑顔なのに、視線は机上の端末から動かない。指が滑るように画面を送る。

「本日付で、貴官ら《第〇小隊》は第七艦隊直轄・艦隊試験運用支援へ一時配属となります。期間は暫定二週間。延長の可能性あり」

 アスミは頷いた。

「了解しました」

 声は平らだった。自分でも驚くほど。

 セリが横で鼻を鳴らす。

「早いな。昨日まで〝整備が持つ〟って言ってたのに」

 係員は笑顔のまま、淡々と書類を二枚差し出した。

「こちら、移動命令と、装備持ち出し許可です。署名をお願いします。質問は署名後に」

 セリの目が細くなる。後ろに並んだ二人の気配が、わずかに近くなった。

「……質問する前にサインさせるタイプか」

「規定です」

 その一言で、会話が閉じる。リオは何も言わず、視線だけを逸らした。ユイは静かに待っている。

 アスミはペンを取った。紙の質が固い。にじまない。気持ちも同じように吸われない気がした。

 署名欄に名前を書く。書いた瞬間、もう決まったことになる。また、場所が変わる。

 係員が続けた。

「輸送機は一一〇〇発。格納庫側ではなく、南側の連絡滑走路から出ます。搭乗前に、携行品を規定重量内に調整してください。余剰分は保管庫へ」

 セリが小さく言う。

「荷物まで測るのかよ」

「艦艇はスペースが限られますので」

 係員はそれだけ言って、端末に戻った。

 アスミの前の書類は、もう処理済みの色になっている。


 *


 出発までの数時間、基地は何も変わらない顔をしていた。格納庫も、通路も、掲示も、同じ位置にある。違うのは、アスミの歩く先だけだ。

 ロッカールームに戻り、荷物をまとめる。

 金属の扉が並ぶ部屋は、いつも少しだけ寒い。開けるたびに、扉が隣の扉に当たって短い音を返す。

 持っていくものは少ない。制服、手袋、予備の通信機器、整備用の小物。北方から持ってきた荷物も、西方で増えた荷物も、結局この一つの鞄に収まってしまう。二年でも三年でも、たぶん同じ量にしかならない。

 隣のロッカーを開けながら、リオが言った。

「第七艦隊って、セーフハーバーって呼ばれてるらしいぞ」

「セーフハーバー? それって愛称?」

 セリがアスミの隣で扉を開ける。

「愛称なんじゃね? 意味は知らねーけど」

 その言葉の途中で、ユイがロッカーの横で立ち止まった。

「……アスミ」

「ん?」

「体調悪い?」

 アスミは手を止めた。

「なんか元気ない」

 間が空く。それから、ユイの顔を見て微笑んだ。

「大丈夫だよ」

 そう言ってバッグのファスナーを引く。音がやけに大きく聞こえた。

 ――なんでヴィーラに乗ってんの。

 昨日の声が、まだ胸の奥に残っている。でも、言葉にすると、またどこかが崩れそうだった。

 アスミは肩をすくめて笑う。

「寝不足かも」

 ユイはしばらくアスミを見ていたが、それ以上は聞かなかった。

 セリが隣でバッグの口を閉めながら言う。

「艦隊、ってことは海か。アスミ、お前、船酔いすんの?」

 ロッカーの扉を閉めながら、アスミは答えた。

「分かんない。乗ったことないし」

 セリが笑う。気づかないふりじゃなくて、いつも通りにしてくれている。

「じゃあ俺が吐く。責任は取れ」

「知らないよ」

 そう言って、アスミも口元だけ動かした。笑っているふりは、まだできる。

 そのまま、バッグのファスナーを閉めた。


 *


 輸送機の腹の中は、金属と油の匂いが混じっていた。

 貨物室をそのまま人用に流用した造りで、天井には配線が剥き出しのまま走っている。壁に固定された網が、荷物の代わりに空気を抱えて揺れていた。第〇小隊は向かい合う形で座る。荷物が足元に揃っている。

 座席は簡易で、背中に板が当たった。窓は小さく、丸く切り取られた景色の縁が、外の光でぼんやり滲んでいる。

 機体が走り出すと、リオが窓の外を一度だけ覗き、すぐに背もたれへ頭を預けた。ユイは端末の電源を落とす。

 振動が骨に来る。北方の滑走路とは違う硬さだった。路面の整備が行き届いている分、揺れが規則的だ。

 セリが隣で、シートベルトを指先で弾いた。

「俺ら、何なんだろうな」

「まあ、小隊長。俺らは大きな組織の一部ってことでしょう」

 リオが窓の外を見ながら言う。

「規則は多そうだよね」

 ユイが横目でリオを見た。

 アスミは、答えなかった。答えを作ると、今は余計に重くなる気がした。

 輸送機が離陸する。重力がふっと抜けて、窓の外の基地が小さくなる。誰も何も言わない。ベルトの金具が小さく鳴った。

 滑走路の白線が細くなり、格納庫の列が、ただの箱になる。整備区画の番号も、掲示板も、あれだけ揃っていた全部が、ひとまとまりの灰色に均されていく。人が見えなくなる。

 見えなくなるのは、早い。消えるのも、きっと。

 雲を抜けると、光が強かった。上から見る雲は真っ白で、影の落ちる場所がどこにもない。下でどんな天気になっているのかも、ここからでは分からなかった。

 その白さの中で、アスミは目を細めるだけで済んだ。表情は変えなくていい。


 *


 沿岸の中継基地は、風の匂いが違った。

 塩気が混じっている。乾いた冷たさではなく、湿った冷たさ。息が白くなるのに、皮膚の感覚だけが重い。西方の空気は、いつも喉の奥まで乾いていた。ここでは、吸った息が肺の途中で止まる。

 案内係が先導する。舗装の継ぎ目に、白く乾いた塩の粉が溜まっていた。歩く先に、灰色の車両と、さらに小型のシャトルが待っている。

 その先に、海が見えた。

 海は、広かった。空みたいに広いのに、動いている。波が光を割って、線を作る。作った線は、次の波が来る前に崩れて、また別の場所に生まれる。同じ形が二度とない。

 基地の白線も、掲示板の余白も、この動きの前では意味を失った。

 風が、前髪を横から攫っていく。目の縁に細かい飛沫が触れて、舌の先にわずかな塩の味が残った。

「……すげえな」

 セリが、珍しく声を落とした。

 リオが海面を覗き込む。

「落ちたら回収してくれんのかな」

「海水でショートすると思う」

 ユイが、珍しく呆れた顔で答えた。

「お前ら、着陸前に縁起でもないこと言うなよ」

 セリが顔を歪めて苦笑いする。

 シャトルに乗ると、エンジン音の向こうに波の音が重なった。一定ではない。規則的でもない。なのに、落ち着く。

 窓の下を、海面が流れていく。近くでは灰色に濁って見えるのに、少し離れた場所だけが、光を受けて銀色に光っている。その帯が、シャトルの速度に合わせて後ろへ滑っていった。

 しばらくして、艦影が見えた。

 最初は、水平線に置かれた小さな染みだった。それが近づくほどに大きくなり、輪郭が出て、砲塔と艦橋の段差が見え、最後には建物みたいになった。甲板の縁で、波が白く砕けては消えていく。艦がわずかに沈み、また持ち上がる。あれだけの鉄の塊が、水の上で上下していた。

 乗艦口で、海軍系の士官が待っていた。制服の線も、敬礼の角度も、声の高さまで揃っている。

「第七艦隊、艦隊運用支援室です。《第〇小隊》の皆さん、ようこそ。案内します」

 アスミは背筋を伸ばした。

「よろしくお願いします」

 言葉は丁寧に出た。いつも通りに。

「敬礼の角度まで揃ってるな。怖」

 リオが小声でセリに耳打ちする。

「見習えよ」

 セリは士官から目を逸らさずに短く返した。

 艦内へ入ると、匂いが変わる。金属と、塗料と、海水を拭き取った後の消毒液。

 通路は狭く、天井が低い。配管が頭上を走り、その下を人が通れるだけの高さしか残っていない。壁には手すりが通してあって、握りの部分だけ塗装が剥げ、下の金属が鈍く光っていた。何千回も握られた場所の色だった。

 足音がすぐ壁に返る。基地の廊下より、息が近い。

 案内係が歩きながら言う。

「艦内では、動線確保のため荷物は最小限で。許可のない区画への立ち入りは禁止。端末の持ち込みは登録が必要です。登録は後ほど」

「……やっぱなんでも測るな、ここ」

 セリが、アスミにだけ聞こえるように言った。

 アスミは頷く。頷きながら、頭の中で言うべき言葉を探さなかった。

 その後ろで、リオとユイが荷物を持ち直しながら話している。

「荷物、最小限って言われてもなあ」

「リオは私物が多すぎると思う」

 それぞれ荷物を肩から下げ、割り当てられた区画へ進んでいく。


 割り当てられた区画は、簡素だった。二段ベッド、金属のロッカー、机。備品はどれも床か壁に固定されていて、動かせるものが一つもない。窓はない。壁は薄い。遠くで機械が回る音がする。

「閉じ込められてる感すごいな」

 リオが天井を見上げた。

「船だからね。窓は基本ないよ」

 ユイがロッカーの内側を確認しながら言う。

 ドアが閉まる。その音が、基地の個室より短くて、固い。

 アスミはバッグを床に置いた。ロッカーの扉を開けると、塗料と金属の匂いが内側から押し返してくる。

 壁が一度、細かく鳴った。どこかで艦が軋んだ音だ。

 その揺れに合わせて、さっき通った通路の匂いがした。消毒液と、海水を拭き取った布の匂い。遅れて部屋に入ってくる。

 床が、わずかに傾いている気がした。傾いて、戻る。ずっと動いている場所にいる。基地の床は、一度も動かなかった。

 机の上には、案内係が置いていった薄いファイルがあった。艦隊規定。行動制限。運用試験項目。紙は乾いていて、指に吸いつかない。

 セリがベッドの端に腰を下ろす。

「……また始まるな」

「何が」

 リオがベッドに倒れ込む。

「管理」

 セリは短く言った。

「規則は読む?」

 ユイが机のファイルを持ち上げる。

「読んでも変わらんだろ」

 アスミはヘルメットを膝に置き、留め具を一つずつ確かめた。カチ、と金属が噛み合う。

「大丈夫?」

 リオが視線をアスミに向ける。

 アスミは答えない代わりに、ヘルメットの留め具を強く締めた。

 ユイがその動きを一瞬だけ見て、何も言わない。

 艦の奥で、短いサイレンが鳴った。


 *


 艦内の朝は、基地の朝より静かだった。

 静かなのに、音が途切れない。どこかで送風が回り、金属が熱を調整する低い唸りが続いている。その底に、もう一つ低い音がある。船体が水を押しのけている音だ。眠っている間もずっと鳴っていて、目が覚めてから初めて、それが鳴っていたことに気づく。

 壁越しに足音がして、近い距離で消える。窓がないぶん、時間の感覚が薄くなった。

 アスミは、端末の時刻表示を見てから立ち上がった。制服の皺を伸ばし、胸元の留め具を確かめる。指が動く。考える前に動く。

 通路へ出ると、案内係が待っていた。昨日の人とは違う。制服の色も線も同じなのに、表情だけが忙しい。

「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵、第〇小隊の方、こちらです。艦長がお会いになります」

「早いな」

 セリが肩をすくめる。

 案内係は聞こえなかったふりをして歩き出した。

 艦内の通路は狭い。二人で並ぶと肩が壁に近い。手すりの金属が冷たく、塗装の匂いが薄く残っている。

 途中、隔壁の縁を跨ぐたびに、足を上げなければならなかった。船は、まっすぐ歩ける造りになっていない。

「緊張するな、これ」

 リオが小さく息を吐いた。

「普通だろ」

 セリは前を見たまま答える。ユイは何も言わない。

 曲がり角をいくつか抜けると、扉の前で止まった。扉脇の表示は「艦長室」。文字の下に、小さく注意事項が並んでいる。入室の角度、敬礼、報告順。軍の形式はここにもある。

 それでも、昨日の「登録」「制限」「禁止」の列より、人の気配がした。書き方が硬すぎない。

「どうぞ」

 案内係が小さく言う。

 扉が開いた。

 部屋は意外に狭かった。机と書棚、壁面の端末。整頓されているが、整頓の仕方が見せるためではない。必要なものを、必要な位置に置いている感じだった。書棚の紙の背は、どれも角が丸くなっている。誰かが何度も抜いて、戻している。

 窓はない。それでも空気が重くない。換気の音が、やけに柔らかかった。

 立っていた男が振り向く。年齢は中年に差しかかるくらい。背は高くない。けれど立ち方に、船の揺れより強い軸がある。背筋は真っ直ぐで、両足の置き方が微動だにしない。視線はまっすぐ来るのに、刺す手前で止まる――その間の取り方が、この人の癖だった。

「レイナー、アンダーソン。よく来た。アーロン・ウィルシュ。艦長だ」

 声は穏やかだ。けれど語尾が曖昧じゃない。ここで逃げられない、という芯がある。

 アスミは背筋を伸ばし、敬礼した。

「レイナー一等兵、着任しました。よろしくお願いします」

 口角を少しだけ上げる。笑顔の形。北方で身につけたやつより、薄い。

「アンダーソン一等兵、着任しました。よろしくお願いします」

 セリも続く。後ろで、リオとユイも軽く会釈した。艦長は視線だけでそれを拾う。

 敬礼を受けて、軽く頷いた。

「敬礼は要る時だけでいい。ここじゃ階級で呼ぶのは必要な時だけだ。普段は名前で呼ぶ」

 アスミは一瞬、言葉の意味を確かめるみたいに瞬きをした。

「……はい」

 頷くとき、胸の内側で何かが動いた。この人は違う。そう思った瞬間に、続きも一緒に浮かぶ。

 アスミはその続きを飲み込んだ。飲み込むのは、今の自分のほうが上手い。

 艦長が椅子を示した。

「座れ。状況を共有する。短く行く」

 座る。椅子が軋まない。整備されている。

 艦長は端末に目を落とし、画面を二、三度送った。読み上げ方が事務的すぎない。確認しながら、本人の言葉として出している。

「西方本部からの一時配属、試験運用支援。……正直、扱いにくい札を付けられてる」

「正直だな」

 セリが笑う。

 艦長は笑わなかった。怒りもしない。セリの癖を、いったん部屋の空気に馴染ませるだけの間を置いた。

「本部は〝結果〟しか見ない。だが艦隊は〝戻ってくる人間〟が欲しい。そこが噛み合ってない」

 アスミの指先が、膝の上で固くなる。

 戻ってくる。戻ってくる人間。

 誰かがそれを当たり前に言ったことが、妙に引っかかった。

 艦長は顔を上げ、アスミを見た。目が合ってから、すぐには言わない。半拍だけ置いて、言葉を出す。

「レイナー。ひとつだ。結論からでいい。だが必要なら理由も言え。黙ってるのが正解とは限らん。判断があるなら、出せ」

 アスミは、即答しそうになって止まった。

 了解しました、と言えば、いつも通りだ。安全だ。

 でも、それだけじゃ足りない気がした。足りない、と思ってしまった。

「……はい」

 結局、短い返事になった。それでも、いつもより息を入れた。

 艦長は頷いた。

「アンダーソンも同じだ。違和感を慣れにするな」

 セリが目を細める。

「……それ、俺に言ってるんですか」

「半分な」

 セリは鼻で笑って、肩をすくめた。

「……じゃあ半分は、アスミだな」

 艦長が立ち上がる。

「今日は艦内の運用説明とシミュレーター確認。実機は明日からだ。案内は付ける。勝手に迷子になるな。迷ったら止まれ。呼べ」

「迷子にならない努力はします」

 アスミが言うと、艦長はようやく口元だけ緩めた。

「努力でいい。……無理に格好つけるな」


 部屋を出ると、通路の空気が少しだけ軽く感じた。同じ金属の匂い。同じ狭さ。なのに、息が戻る速度が違う。

 息が詰まらない。西方本部の廊下は、いつも息が詰まった。でも、ここは、息がしやすい。

「……あの艦長、ちゃんとしてんな」

 セリが隣で小声を落とす。

「うん」

 短く答えて、アスミは小さく息を吐いた。胸の奥の硬い塊が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

 歩幅を変えずに、案内係の背中を追う。

 足元で、艦がゆっくりと揺れていた。


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