Sky62-第7艦隊-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
翌朝、第〇小隊の四人は、運用課へ呼び出されていた。
まだ夜の色が抜けきらない時刻なのに、棟の中は昼と同じ明るさだった。西方本部の照明は、朝と夜で光量を変えない。外がどうなっていようと、ここでは一日中、同じ明るさが続く。
受付前は、その照明の下で、紙の白さだけが浮いていた。番号札はない。端末の表示に名前が出て、窓口が開く。呼ばれるのは声ではなく、電子音だった。
「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。こちらへ」
背後で、リオが小さく舌を鳴らし、ユイは端末の画面を伏せた。
係員は笑顔で言う。笑顔なのに、視線は机上の端末から動かない。指が滑るように画面を送る。
「本日付で、貴官ら《第〇小隊》は第七艦隊直轄・艦隊試験運用支援へ一時配属となります。期間は暫定二週間。延長の可能性あり」
アスミは頷いた。
「了解しました」
声は平らだった。自分でも驚くほど。
セリが横で鼻を鳴らす。
「早いな。昨日まで〝整備が持つ〟って言ってたのに」
係員は笑顔のまま、淡々と書類を二枚差し出した。
「こちら、移動命令と、装備持ち出し許可です。署名をお願いします。質問は署名後に」
セリの目が細くなる。後ろに並んだ二人の気配が、わずかに近くなった。
「……質問する前にサインさせるタイプか」
「規定です」
その一言で、会話が閉じる。リオは何も言わず、視線だけを逸らした。ユイは静かに待っている。
アスミはペンを取った。紙の質が固い。にじまない。気持ちも同じように吸われない気がした。
署名欄に名前を書く。書いた瞬間、もう決まったことになる。また、場所が変わる。
係員が続けた。
「輸送機は一一〇〇発。格納庫側ではなく、南側の連絡滑走路から出ます。搭乗前に、携行品を規定重量内に調整してください。余剰分は保管庫へ」
セリが小さく言う。
「荷物まで測るのかよ」
「艦艇はスペースが限られますので」
係員はそれだけ言って、端末に戻った。
アスミの前の書類は、もう処理済みの色になっている。
*
出発までの数時間、基地は何も変わらない顔をしていた。格納庫も、通路も、掲示も、同じ位置にある。違うのは、アスミの歩く先だけだ。
ロッカールームに戻り、荷物をまとめる。
金属の扉が並ぶ部屋は、いつも少しだけ寒い。開けるたびに、扉が隣の扉に当たって短い音を返す。
持っていくものは少ない。制服、手袋、予備の通信機器、整備用の小物。北方から持ってきた荷物も、西方で増えた荷物も、結局この一つの鞄に収まってしまう。二年でも三年でも、たぶん同じ量にしかならない。
隣のロッカーを開けながら、リオが言った。
「第七艦隊って、セーフハーバーって呼ばれてるらしいぞ」
「セーフハーバー? それって愛称?」
セリがアスミの隣で扉を開ける。
「愛称なんじゃね? 意味は知らねーけど」
その言葉の途中で、ユイがロッカーの横で立ち止まった。
「……アスミ」
「ん?」
「体調悪い?」
アスミは手を止めた。
「なんか元気ない」
間が空く。それから、ユイの顔を見て微笑んだ。
「大丈夫だよ」
そう言ってバッグのファスナーを引く。音がやけに大きく聞こえた。
――なんでヴィーラに乗ってんの。
昨日の声が、まだ胸の奥に残っている。でも、言葉にすると、またどこかが崩れそうだった。
アスミは肩をすくめて笑う。
「寝不足かも」
ユイはしばらくアスミを見ていたが、それ以上は聞かなかった。
セリが隣でバッグの口を閉めながら言う。
「艦隊、ってことは海か。アスミ、お前、船酔いすんの?」
ロッカーの扉を閉めながら、アスミは答えた。
「分かんない。乗ったことないし」
セリが笑う。気づかないふりじゃなくて、いつも通りにしてくれている。
「じゃあ俺が吐く。責任は取れ」
「知らないよ」
そう言って、アスミも口元だけ動かした。笑っているふりは、まだできる。
そのまま、バッグのファスナーを閉めた。
*
輸送機の腹の中は、金属と油の匂いが混じっていた。
貨物室をそのまま人用に流用した造りで、天井には配線が剥き出しのまま走っている。壁に固定された網が、荷物の代わりに空気を抱えて揺れていた。第〇小隊は向かい合う形で座る。荷物が足元に揃っている。
座席は簡易で、背中に板が当たった。窓は小さく、丸く切り取られた景色の縁が、外の光でぼんやり滲んでいる。
機体が走り出すと、リオが窓の外を一度だけ覗き、すぐに背もたれへ頭を預けた。ユイは端末の電源を落とす。
振動が骨に来る。北方の滑走路とは違う硬さだった。路面の整備が行き届いている分、揺れが規則的だ。
セリが隣で、シートベルトを指先で弾いた。
「俺ら、何なんだろうな」
「まあ、小隊長。俺らは大きな組織の一部ってことでしょう」
リオが窓の外を見ながら言う。
「規則は多そうだよね」
ユイが横目でリオを見た。
アスミは、答えなかった。答えを作ると、今は余計に重くなる気がした。
輸送機が離陸する。重力がふっと抜けて、窓の外の基地が小さくなる。誰も何も言わない。ベルトの金具が小さく鳴った。
滑走路の白線が細くなり、格納庫の列が、ただの箱になる。整備区画の番号も、掲示板も、あれだけ揃っていた全部が、ひとまとまりの灰色に均されていく。人が見えなくなる。
見えなくなるのは、早い。消えるのも、きっと。
雲を抜けると、光が強かった。上から見る雲は真っ白で、影の落ちる場所がどこにもない。下でどんな天気になっているのかも、ここからでは分からなかった。
その白さの中で、アスミは目を細めるだけで済んだ。表情は変えなくていい。
*
沿岸の中継基地は、風の匂いが違った。
塩気が混じっている。乾いた冷たさではなく、湿った冷たさ。息が白くなるのに、皮膚の感覚だけが重い。西方の空気は、いつも喉の奥まで乾いていた。ここでは、吸った息が肺の途中で止まる。
案内係が先導する。舗装の継ぎ目に、白く乾いた塩の粉が溜まっていた。歩く先に、灰色の車両と、さらに小型のシャトルが待っている。
その先に、海が見えた。
海は、広かった。空みたいに広いのに、動いている。波が光を割って、線を作る。作った線は、次の波が来る前に崩れて、また別の場所に生まれる。同じ形が二度とない。
基地の白線も、掲示板の余白も、この動きの前では意味を失った。
風が、前髪を横から攫っていく。目の縁に細かい飛沫が触れて、舌の先にわずかな塩の味が残った。
「……すげえな」
セリが、珍しく声を落とした。
リオが海面を覗き込む。
「落ちたら回収してくれんのかな」
「海水でショートすると思う」
ユイが、珍しく呆れた顔で答えた。
「お前ら、着陸前に縁起でもないこと言うなよ」
セリが顔を歪めて苦笑いする。
シャトルに乗ると、エンジン音の向こうに波の音が重なった。一定ではない。規則的でもない。なのに、落ち着く。
窓の下を、海面が流れていく。近くでは灰色に濁って見えるのに、少し離れた場所だけが、光を受けて銀色に光っている。その帯が、シャトルの速度に合わせて後ろへ滑っていった。
しばらくして、艦影が見えた。
最初は、水平線に置かれた小さな染みだった。それが近づくほどに大きくなり、輪郭が出て、砲塔と艦橋の段差が見え、最後には建物みたいになった。甲板の縁で、波が白く砕けては消えていく。艦がわずかに沈み、また持ち上がる。あれだけの鉄の塊が、水の上で上下していた。
乗艦口で、海軍系の士官が待っていた。制服の線も、敬礼の角度も、声の高さまで揃っている。
「第七艦隊、艦隊運用支援室です。《第〇小隊》の皆さん、ようこそ。案内します」
アスミは背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします」
言葉は丁寧に出た。いつも通りに。
「敬礼の角度まで揃ってるな。怖」
リオが小声でセリに耳打ちする。
「見習えよ」
セリは士官から目を逸らさずに短く返した。
艦内へ入ると、匂いが変わる。金属と、塗料と、海水を拭き取った後の消毒液。
通路は狭く、天井が低い。配管が頭上を走り、その下を人が通れるだけの高さしか残っていない。壁には手すりが通してあって、握りの部分だけ塗装が剥げ、下の金属が鈍く光っていた。何千回も握られた場所の色だった。
足音がすぐ壁に返る。基地の廊下より、息が近い。
案内係が歩きながら言う。
「艦内では、動線確保のため荷物は最小限で。許可のない区画への立ち入りは禁止。端末の持ち込みは登録が必要です。登録は後ほど」
「……やっぱなんでも測るな、ここ」
セリが、アスミにだけ聞こえるように言った。
アスミは頷く。頷きながら、頭の中で言うべき言葉を探さなかった。
その後ろで、リオとユイが荷物を持ち直しながら話している。
「荷物、最小限って言われてもなあ」
「リオは私物が多すぎると思う」
それぞれ荷物を肩から下げ、割り当てられた区画へ進んでいく。
割り当てられた区画は、簡素だった。二段ベッド、金属のロッカー、机。備品はどれも床か壁に固定されていて、動かせるものが一つもない。窓はない。壁は薄い。遠くで機械が回る音がする。
「閉じ込められてる感すごいな」
リオが天井を見上げた。
「船だからね。窓は基本ないよ」
ユイがロッカーの内側を確認しながら言う。
ドアが閉まる。その音が、基地の個室より短くて、固い。
アスミはバッグを床に置いた。ロッカーの扉を開けると、塗料と金属の匂いが内側から押し返してくる。
壁が一度、細かく鳴った。どこかで艦が軋んだ音だ。
その揺れに合わせて、さっき通った通路の匂いがした。消毒液と、海水を拭き取った布の匂い。遅れて部屋に入ってくる。
床が、わずかに傾いている気がした。傾いて、戻る。ずっと動いている場所にいる。基地の床は、一度も動かなかった。
机の上には、案内係が置いていった薄いファイルがあった。艦隊規定。行動制限。運用試験項目。紙は乾いていて、指に吸いつかない。
セリがベッドの端に腰を下ろす。
「……また始まるな」
「何が」
リオがベッドに倒れ込む。
「管理」
セリは短く言った。
「規則は読む?」
ユイが机のファイルを持ち上げる。
「読んでも変わらんだろ」
アスミはヘルメットを膝に置き、留め具を一つずつ確かめた。カチ、と金属が噛み合う。
「大丈夫?」
リオが視線をアスミに向ける。
アスミは答えない代わりに、ヘルメットの留め具を強く締めた。
ユイがその動きを一瞬だけ見て、何も言わない。
艦の奥で、短いサイレンが鳴った。
*
艦内の朝は、基地の朝より静かだった。
静かなのに、音が途切れない。どこかで送風が回り、金属が熱を調整する低い唸りが続いている。その底に、もう一つ低い音がある。船体が水を押しのけている音だ。眠っている間もずっと鳴っていて、目が覚めてから初めて、それが鳴っていたことに気づく。
壁越しに足音がして、近い距離で消える。窓がないぶん、時間の感覚が薄くなった。
アスミは、端末の時刻表示を見てから立ち上がった。制服の皺を伸ばし、胸元の留め具を確かめる。指が動く。考える前に動く。
通路へ出ると、案内係が待っていた。昨日の人とは違う。制服の色も線も同じなのに、表情だけが忙しい。
「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵、第〇小隊の方、こちらです。艦長がお会いになります」
「早いな」
セリが肩をすくめる。
案内係は聞こえなかったふりをして歩き出した。
艦内の通路は狭い。二人で並ぶと肩が壁に近い。手すりの金属が冷たく、塗装の匂いが薄く残っている。
途中、隔壁の縁を跨ぐたびに、足を上げなければならなかった。船は、まっすぐ歩ける造りになっていない。
「緊張するな、これ」
リオが小さく息を吐いた。
「普通だろ」
セリは前を見たまま答える。ユイは何も言わない。
曲がり角をいくつか抜けると、扉の前で止まった。扉脇の表示は「艦長室」。文字の下に、小さく注意事項が並んでいる。入室の角度、敬礼、報告順。軍の形式はここにもある。
それでも、昨日の「登録」「制限」「禁止」の列より、人の気配がした。書き方が硬すぎない。
「どうぞ」
案内係が小さく言う。
扉が開いた。
部屋は意外に狭かった。机と書棚、壁面の端末。整頓されているが、整頓の仕方が見せるためではない。必要なものを、必要な位置に置いている感じだった。書棚の紙の背は、どれも角が丸くなっている。誰かが何度も抜いて、戻している。
窓はない。それでも空気が重くない。換気の音が、やけに柔らかかった。
立っていた男が振り向く。年齢は中年に差しかかるくらい。背は高くない。けれど立ち方に、船の揺れより強い軸がある。背筋は真っ直ぐで、両足の置き方が微動だにしない。視線はまっすぐ来るのに、刺す手前で止まる――その間の取り方が、この人の癖だった。
「レイナー、アンダーソン。よく来た。アーロン・ウィルシュ。艦長だ」
声は穏やかだ。けれど語尾が曖昧じゃない。ここで逃げられない、という芯がある。
アスミは背筋を伸ばし、敬礼した。
「レイナー一等兵、着任しました。よろしくお願いします」
口角を少しだけ上げる。笑顔の形。北方で身につけたやつより、薄い。
「アンダーソン一等兵、着任しました。よろしくお願いします」
セリも続く。後ろで、リオとユイも軽く会釈した。艦長は視線だけでそれを拾う。
敬礼を受けて、軽く頷いた。
「敬礼は要る時だけでいい。ここじゃ階級で呼ぶのは必要な時だけだ。普段は名前で呼ぶ」
アスミは一瞬、言葉の意味を確かめるみたいに瞬きをした。
「……はい」
頷くとき、胸の内側で何かが動いた。この人は違う。そう思った瞬間に、続きも一緒に浮かぶ。
アスミはその続きを飲み込んだ。飲み込むのは、今の自分のほうが上手い。
艦長が椅子を示した。
「座れ。状況を共有する。短く行く」
座る。椅子が軋まない。整備されている。
艦長は端末に目を落とし、画面を二、三度送った。読み上げ方が事務的すぎない。確認しながら、本人の言葉として出している。
「西方本部からの一時配属、試験運用支援。……正直、扱いにくい札を付けられてる」
「正直だな」
セリが笑う。
艦長は笑わなかった。怒りもしない。セリの癖を、いったん部屋の空気に馴染ませるだけの間を置いた。
「本部は〝結果〟しか見ない。だが艦隊は〝戻ってくる人間〟が欲しい。そこが噛み合ってない」
アスミの指先が、膝の上で固くなる。
戻ってくる。戻ってくる人間。
誰かがそれを当たり前に言ったことが、妙に引っかかった。
艦長は顔を上げ、アスミを見た。目が合ってから、すぐには言わない。半拍だけ置いて、言葉を出す。
「レイナー。ひとつだ。結論からでいい。だが必要なら理由も言え。黙ってるのが正解とは限らん。判断があるなら、出せ」
アスミは、即答しそうになって止まった。
了解しました、と言えば、いつも通りだ。安全だ。
でも、それだけじゃ足りない気がした。足りない、と思ってしまった。
「……はい」
結局、短い返事になった。それでも、いつもより息を入れた。
艦長は頷いた。
「アンダーソンも同じだ。違和感を慣れにするな」
セリが目を細める。
「……それ、俺に言ってるんですか」
「半分な」
セリは鼻で笑って、肩をすくめた。
「……じゃあ半分は、アスミだな」
艦長が立ち上がる。
「今日は艦内の運用説明とシミュレーター確認。実機は明日からだ。案内は付ける。勝手に迷子になるな。迷ったら止まれ。呼べ」
「迷子にならない努力はします」
アスミが言うと、艦長はようやく口元だけ緩めた。
「努力でいい。……無理に格好つけるな」
部屋を出ると、通路の空気が少しだけ軽く感じた。同じ金属の匂い。同じ狭さ。なのに、息が戻る速度が違う。
息が詰まらない。西方本部の廊下は、いつも息が詰まった。でも、ここは、息がしやすい。
「……あの艦長、ちゃんとしてんな」
セリが隣で小声を落とす。
「うん」
短く答えて、アスミは小さく息を吐いた。胸の奥の硬い塊が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
歩幅を変えずに、案内係の背中を追う。
足元で、艦がゆっくりと揺れていた。
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