Sky63-消えない灯-
着任から3日、あすみは思っているより早く第七艦隊の生活に馴染んでいた。
通路の角を曲がると、当直の兵が端末を抱えて立っていた。目が合うと、軽く顎を上げる。
「お疲れ。Red Rose、艦内案内は終わった?」
「はい。迷子にはなってません」
あすみがそう返すと、当直は笑った。
「よし。今日の食堂のシチューは当たり。遅いと底さらわれるぞ」
「……それは急ぎます」
セリが横で小さく笑い、歩幅を少し速めた。
食堂は、基地の食堂より狭い。天井が近いぶん、声が上に逃げない。
皿がぶつかる音、椅子が引かれる音、誰かの笑い声。全部が近い距離で混ざり合って、
ちゃんと“人がいる”感じがした。
配膳台の前で、炊事担当の兵が腕まくりをしていた。
大きな鍋からシチューをすくいながら、流れ作業の手つきでも、目線は一人ずつ見ている。
「次。……お、噂のRed Roseじゃん」
「噂……?」
「そりゃ噂にもなる。西方本部に来た“北方の赤い薔薇”」
言い方は軽いのに、目は探る感じじゃなかった。単に、口が回る人。
あすみはトレーを受け取り、肩をすくめる。
「その褒められ方は苦手です」
炊事担当兵は笑いながらパンをあすみのトレーに乗せる。
「はは!素直に褒められとけ、褒められてるうちにな。ほら、パン多めにしとく」
「……ありがとうございます」
隣でセリがトレーを受け取りながら、ぼそっと言う。
「パンで釣られる英雄」
セリがぼそっと言う。
「英雄は栄養が必要なんです」
あすみが返すと、炊事担当兵が笑って、次の皿をよそった。
「栄養なら、もっと取っとけよ」
リオがトレーを持って横から言う。
ユイが席に座りながら端末を見ている。
「今日はスクランブル二回。食べないと保たない」
「お前ら、食堂でも作戦かよ」
セリが呆れた声を出す。
席を探していると、昼に案内してくれた若い通信兵が手を振った。
隣には整備寄りの制服の男、向かいには医務班らしい女が座っている。
空いた席を見つけると、自然に詰めてくれる。基地の距離の詰め方に近い。
「こっち、座る?」
「失礼します」
あすみとセリが腰を下ろすと、医務班の女が言った。
「西方の本部から来たんだよね。……こっちの食事、味薄くない?」
「薄くないです。むしろ、落ち着きます」
あすみはスプーンを入れる。熱が舌に当たって、少しだけ息が漏れた。温かい。
整備の男がセリを見て、肩で笑う。
「お前ら、二人とも“飛ぶ人”か。羨ましいな」
「羨ましいって言うと、整備班に怒られるぞ」
セリが言うと、通信兵が即座に頷いた。
「怒られる。めっちゃ怒られる。俺、昨日も怒られた」
「何したの」
「工具を……借りて……返すの遅れて……」
言い訳の途中で、整備の男がスプーンを軽く叩いた。
「“借りたら戻す”。幼稚園でも習う」
やり取りが、軽い。雑に見えて、ちゃんと相手を見て言っている。
あすみの肩の力が、少しだけ抜けた。
抜けた、と思った瞬間――背中の奥が、ひやっとした。
(落ち着けない)
落ち着けない、じゃない。
落ち着くのが、怖い。
(落ち着くと、溜めてたものが落ちてくる)
胸の内側で、何かを落とさないように支えている手。
ここでそれを離したら、音を立てて崩れる気がした。
あすみは笑顔を作り直して、会話に戻る。
「当直って、何時交代ですか?」
通信兵が指を折りながら説明し始めた。整備の男が途中で補足する。
医務班の女が「寝不足の顔したら診療室行きなよ」と言って、冗談みたいに笑う。
あすみは「はい」と返す。普通の声。普通の返事。
セリがシチューを飲み干して、パンで皿を拭うようにして食べた。
「……艦の飯、うまいな」
「うん」
「西方の本部の食堂、妙に整ってたもんな。味も整ってた」
「整ってるって何」
「角がない。……悪い意味じゃなくて」
セリはそこで言葉を切り、あすみの顔をちらっと見た。
「大丈夫か」
「大丈夫」
あすみは笑った。口の端だけ。いつもより少し小さい。
食堂を出ると、通路の灯りが白っぽかった。昼の区画は音が減り、かわりに換気の音が耳に残る。寝室区画の前には、当直交代の兵が立っていて、端末にチェックを入れている。
「消灯、二十三時。消えない部屋があったら記録する。以上」
言い方は事務的なのに、視線は柔らかい。あすみとセリを見ると、軽く顎を上げた。
「新入り、迷うなよ」
「努力します」
あすみが返すと、兵は笑って通した。
*
夕方の格納庫は、白い整備灯に照らされていた。
油と金属の匂いが混ざり、レンチの当たる音が梁に反響している。
開いたハッチから海風が入り込み、潮の匂いがふっと流れてきた。
海上戦艦はゆるやかに揺れ、並んだ機体の脚部がかすかに軋む。
レンチの当たる乾いた音が梁に響き、油と金属の匂いが空気に混ざっている。
あすみは機体の脚部装甲を見上げながら、ふと口を開いた。
「第7艦隊の海域は落ち着いてますね」
機体の脚に潜り込んでいた整備班の男が、レンチを止める。
「今だけな。」
装甲のボルトを指先で確かめながら、肩越しに続けた。
「最近じゃ、この辺よりも帝国側の海域の戦況が悪化してる」
レンチを回す音が再び響く。
「みんなそっちに出払ってるよ」
装甲に背を預けていたリオが腕を組んだ。
「いよいよ帝国本土攻める気か」
整備班は鼻で笑う。
「そう簡単じゃねぇよ」
機体の脚部を軽く叩く。
「帝国まで行くのに小国群が間にあんだろ」
レンチを回しながら続けた。
「中立の立場の国もある」
整備台に腰掛けていたユイが、端末から視線を上げる。
「ただ押し潰して進める場所じゃない?」
整備班は肩をすくめた。
「そうだよ、これ以上難民増やして南半球に送ってみろ」
装甲を軽く叩く。
「次は南半球から連合が締め上げられるぞ」
リオが苦笑する。
「また、サン・ラディア辺りが抗議してくるな」
セリが腕を組んだまま口を開いた。
「ますます国内の治安が悪化するって?」
リオが頷く。
「そう。オルタイトを使わない、戦争には参加しない。その代わり、難民が増えて宗教戦争が国内で絶えない」
ユイが端末を見ながら言う。
「ゼルンハイトもオルシアも、難民を受け入れるには限度があるしね」
セリは足元のカバンから端末を出しながら言う。
「かと言って、簡単に宇宙コロニーに上げられるわけでもない。」
機体の脚を眺めてから、リオは顔を上にあげた。
「コロニーに行けるのは、上流階級と選ばれたやつだけ…」
息を軽く鼻から吐くと言葉を続けた。
「移動させるだけで国家予算超えるしな」
整備班はレンチを肩にかけ、機体の装甲を軽く叩いた。
「こんだけ長く続いてんだ。膠着状態の今がある意味一番安定してるかもしれねぇな」
格納庫の奥では、ラジオから軍事ニュースの音が聞こえている。
リオが機体の脚を指差した。
「あ、そこのボルトちょっと緩んでるかも。この間の戦闘でちょっと銃当てた。」
整備班が振り向く。
「当てたぁ?西方にいる間に直して貰ってないのか?」
リオが肩をすくめる。
「急な移動で時間が無かったんだよ。なあ小隊長?」
セリが手元にあった端末を持ち直して操作しながら、短く笑う。
「移動命令のせいにするなよ。」
整備班がレンチを握り直す。
「お前らな。海上でvectorに当たったらどうするつもりだ」
「銃抜いたらネジ飛びました、じゃ笑えねえぞ」
装甲に背を預けていたリオが顔を上げる。
「vector?誰だよ。」
整備台に腰掛け、端末を見ていたユイが視線だけ上げた。
「ニュース見てない?第三勢力のエースパイロット」
整備班はまたレンチを回しながら言う。
「ちょっと前にニュースで名前が出たろ?帝国を叩く〝ARCLINE〟」
装甲に工具が当たる乾いた音が響く。
「最近じゃ、軍の中でもちょっとした有名人だぞ。」
整備班が振り向く。
「vectorは。」
リオが腕を組んで機体を見上げた。
「へー。小隊長知ってた?」
整備ログを確認していたセリの手が、一瞬だけ止まった。
だがすぐに何事もなかったように視線を落とす。
「……さあな。」
整備班は機体の装甲を叩く。
「遭遇した奴に聞いたんだけど」
鈍い音が格納庫に残った。
「嫌な逃げ方するらしい」
リオが眉を上げる。
「嫌な?」
整備班は装甲の継ぎ目を指先でなぞった。
「境界線を引くんだよ」
格納庫の奥で工具が落ちる音がした。
「気持ち悪いくらい正確に」
整備班の声が少し低くなる。
「追ってるはずなのに、気づいたら
こっちが後退してる」
誰もすぐには言葉を返さない。
整備班がレンチをくるりと回す。
「それか――」
その瞬間、格納庫の奥で何かが落ちる音がした。
整備員の舌打ちが遠くで響く。
整備班は肩をすくめて言った。
「忽然と消える」
リオの機体の隣で自分の機体の装甲に触れていたあすみの指先が、そこで止まった。
「……vector」
リオが苦笑する。
「会いたくないなー。vector。」
端末を見たままユイが言う。
「ARCLINEは帝国を狙ってる」
指が画面を滑る。
「この海域には来ないと思う」
「遭遇する確率は、かなり低い」
腕を組んだセリがリオを横目で見る。
「リオ、線引かれても堕ちないようにシステム点検もちゃんとしろよ。」
わずかに口元を緩めた。
「もしvectorってやつと会っても、俺はお前を置いてくからな。」
リオが即座に顔をしかめる。
「それ職務怠慢って言うんだぞ、小隊長。」
整備班がレンチを肩にかけ、リオを見て笑う。
「vectorみたいに敵にファンが出来るような戦い方しろよ」
リオが苦い顔で笑い返す。
「ファンねぇ……」
格納庫の上部ハッチから海風が吹き込む。
潮の匂いが油の匂いに混ざった。
機体の影が、ゆっくりと揺れる。
海上戦艦は、静かに波の上を進んでいた。
*
夜の海は黒く、甲板の外では絶え間なく波が船体を叩いている。
低い衝撃が鋼鉄を伝い、艦長室の床に微かな振動を残していた。
遠くでレーダーの回転音と通信士の報告が交差する。海上展開中の艦隊は、眠らない。
アーロン艦長は、壁面に投影された戦闘ログを静かに見つめていた。
スクリーンの光が、波の反射のように彼の横顔を淡く照らす。
「古賀あすみのログは、これで以上か?」
背後で控えていた副官がタブレットを確認し、即座に応じる。
「はい、北方から西方に移ってからの記録、すごいですよね。まだ2ヶ月くらいしか経ってないのに 戦果上げるスピードが速いです。優秀ですよ、彼女は。」
外では風が強まり、アンテナがわずかに軋む音がする。
スクリーンには、赤い識別コード《RED ROSE》が並ぶ出撃履歴と戦果。
アーロンは視線を落とさず、低く答えた。
「…そうだな、非常に優秀だ。」
(しかし、出動回数が多すぎる。負担もあるはずだ)
海上では常に即応態勢が敷かれている。
発艦命令は一瞬で下る。優秀なパイロットほど、呼び出される回数は増える。
副官がふと思い出したように口を開く。
「そういえば、運用規定が変わったんですよ。
軍の象徴として彼女が運用変更に同意、署名したらしいですよ。」
アーロンの目がわずかに動く。
「象徴?」
副官は頷く。
「はい。上層部から通達が来てます。コードネームが付くパイロットはそうそう現れませんからね。それに、彼女は赤くなるから目立つ」
窓の外で、艦隊灯が波間に揺れている。
暗い海の上で、光はよく目立つ。
アーロンはゆっくりと息を吐いた。
「象徴という名の英雄にするつもりか。上層部がよく使う広報活動だな。古賀は表に出たがるタイプではなさそうだが?」
副官は小さく肩をすくめる。
「まぁ、そうですね。署名の条件は、REDROSEの戦闘方法を運用に加えないことらしいです。」
艦が大きな波を越え、室内が一瞬わずかに傾く。
アーロンは手元の机を軽く押さえながら言った。
「それは、上層部が半分脅したみたいに受け取れるな。」
副官が苦笑する。
「毎回、嫌な手を使いますよね。」
短い沈黙。
波音と、遠くで鳴る発艦準備のアナウンスがかすかに重なる。
アーロンは再びログへ目を戻す。
出撃、帰投、出撃、帰投。整然と並ぶ成功の記録。
(彼女自身はどう考えているのか。黙って従っているようにも見える。しかし…今は要観察といったところか。)
スクリーンを閉じると、室内は海上特有の暗さに戻った。
鋼鉄の艦体の中で、戦争は静かに続いている。
その中心に、赤いコードネームがあった。
「……このログ、定期的に回せ。出撃間隔と睡眠時間も添付しろ」
副官が背筋を伸ばす。
「了解です、艦長」
艦長室の扉が静かに閉まる。
*
あすみは部屋に戻ってくると、上着を脱いでベッドに横になった。
毛布が体温を閉じ込める。暖かい。暖かいのに、息が浅くなる。
目を閉じても、何も消えない。
音が残る。食堂の笑い声。鍋の匂い。北方の格納庫の金属音。
司令室の写真。西方本部の“署名”。数字。規定。
(眠れない)
時計を見る。消灯から二十分。まだ早い。早いのに、時間が重い。
あすみは起き上がり、水を一口飲んだ。喉が乾いているわけじゃない。動きが欲しいだけだ。
端末の画面をつける。点検項目、明日の予定、シミュレーターの時間。
文字の列が静かに並ぶ。西方本部の通知より優しい。なのに、胸の中の硬さはほどけない。
画面を消す。
消しても、部屋の暗さが増えるだけだった。
しばらくして、通路で足音がした。静かな巡回。一定の間隔。
扉の前で一度止まり、端末のタップ音が小さく鳴る。記録だ、と分かる。
あすみは息を殺した。
寝ていないのを知られたくない、というより――何かを言われたくなかった。
足音は次の部屋へ移っていく。
隣のセリの部屋の前でも止まるが、すぐに離れた。消灯している。
あすみは天井を見た。暗い。何もない。
(落ち着くと、喉の奥が詰まる)
(だから、落ち着けない)
時計は二時を回っていた。
あすみはようやく、まぶたを重くすることを諦めて、息を整えるのをやめた。
息が浅いまま、暗闇に体を沈める。
遠くでまた足音がして、記録のタップ音が一つ鳴った。
艦長は、きっと何も言わない。
ただ、消えない灯りの時間だけは、静かに数えている気がした。
次回更新は3/11 0時頃になります




