Sky6-現実の宇宙-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
警報は、想像していたよりも静かな音だった。
《パイロット各員へ通達。第一迎撃部隊、出撃準備——》
艦内放送が、北方基地の朝を一瞬で「戦場」に塗り替える。
食堂のざわめきが止まり、誰かのスプーンが金属の皿に当たって乾いた音を立てた。
「……来たな」
セリが椅子から立ち上がる。アスミも、トレーを持ったまま一拍遅れて立ち上がった。
喉の奥が、きゅっと縮む。
(——初実戦)
訓練じゃない。シミュレーションでもない。
「ほら、行くぞ。Sランク様」
セリが先に出た廊下からアスミに向かって言った。
「様はやめてってば」
軽口で、ぎりぎりに張り詰めた空気を誤魔化しながら、二人は食堂を飛び出した。
*
壁一面のスクリーンに、北方海域と軌道上のマップが映し出されている。
「帝国側の偵察機と思われる反応が、境界線すれすれの宙域に出現。無人機の可能性が高いが、有人の可能性も捨てきれない」
作戦担当将校のレニーの声は、淡々としていた。
「任務は二つ。一つ、物資輸送船《コール12》の護衛。一つ、帝国機が境界線を越えた場合の排除。
第一迎撃部隊、出撃機は三機。アルファ1、アルファ2、アルファ3——」
視線が、自然と自分たちに集まるのが分かった。
「アルファ1、グレン中尉。アルファ2、アスミ・レイナー二等兵。アルファ3、セリ・アンダーソン二等兵」
(……いきなり二番機)
心臓が、どくん、と一つ大きく跳ねた。
グレン中尉は、まだ二十代後半くらいのパイロットだ。北方基地の実戦経験豊富なヴィーラ乗り。
レニーがアスミたちを見て言った。
「質問は?」
「……ありません」
自分の声が、妙に遠く聞こえた。
《——作戦開始まで、二十七分》
壁の隅に浮かんだカウントダウンが、容赦なく数字を減らしていく。
*
格納庫は、いつもより騒がしかった。
ヴィーラの足元で、整備班が最後のチェックをしている。赤と白の誘導灯が、滑走路方向を示していた。
「レイナー二等兵。スーツの締め付け、問題なし」
「心拍は……少し高いが許容範囲内だな。初出撃だしな」
医務班と整備班が、いつものように他愛もないやり取りを交わしている。
でも、その目つきはみんな真剣だ。
「怖いか?」
ヘルメットを受け取った時、グレン中尉がちらりとこちらを見た。
「……分かりません」
アスミはヘルメットを被りながら、正直に答える。
「怖い、って感覚に名前を付ける余裕が、まだなくて」
そう言うと、中尉はふっと口元を緩めた。
「なら、平気だな。——“生きたい”って感覚だ。大事にしろ」
その言葉が、少しだけ胸の中に居場所を作った。
「グレン中尉、余計なこと言ってないで搭乗してください」
キヌアの冷静な声が飛ぶ。
「へいへい。——じゃ、行くぞ。アルファ2、3」
グレン中尉はそう言うと、コクピットへ続く梯子を登り始めた。
「了解」
アスミもセリも同じようにコクピットに乗り込み、ハッチが閉じる。
密閉される瞬間、外の空気の冷たさと、内側の酸素マスクの匂いが一瞬まざり合った。
《アルファ1〜3、通信チェック。聞こえるか》
《アルファ1、良好》
《アルファ2、問題ありません》
《アルファ3、同じく》
《よし。——北方第七基地、アルファ部隊、出撃する》
機体が、リフトに乗ってゆっくりと上昇していく。
整備台、格納庫の天井、滑走路レーン。視界が、どんどん開けていく。
(あの時と同じ)
VRの教室。シミュレーションポッドの中。
“本物に近い体験”として用意された擬似宇宙。
(……でも、違う)
これは、電源を落として終わる世界じゃない。
*
《アルファ1、ハッチオープン確認。外気、問題なし》
重い扉が前方で開き、灰色の空が覗いた。
雪混じりの風が吹き込む感触は、ここまでは届かない。でも、その向こうにある“外”の温度が、確かに伝わってくる。
《アルファ1、発進する》
グレン中尉の機体が、滑走レーンを駆け抜けていく。重力と推進力の圧が、通信越しに伝わる気がした。
《アルファ2、行け》
「……アルファ2、発進する」
スロットルを押し込、足元のペダルを踏む。ヴィーラの身体が、音もなく前へ滑り出した。
雪を踏みしめる感触はなく、ただ加速の圧だけが身体を押しつぶす。
《速度良好。そのまま——》
基地の建物が後ろへ流れ、灰色の空が視界を埋める。次の瞬間、重力の感覚がふっと軽くなった。
雲を抜けた。
——そして、宇宙が広がった。
(……)
言葉が、喉の奥で止まった。
黒に近い深い藍色の空。遠くに小さく青白く輝くインシオン。
インシオンの太陽の光が、機体の装甲に線を描く。
これまで、画面越しに何度も見てきた光景。あの頃、屋上や廊下の窓から「綺麗だね」と笑い合いながら見ていた宇宙。
(——同じ、なわけない)
ヘルメット越しに聞こえる、わずかな呼吸音。スラスターの微かな震えが、背中から伝わってくる。
どこかで、誰かが打ち上げた通信衛星の残骸が光っている。それが綺麗だと思った瞬間、自分で自分に腹が立った。
《アルファ1より全機へ。これより指定宙域へ向かう。編隊を維持しろ》
《アルファ2、了解》
《アルファ3、了解》
輸送船《コール12》は、既に前方宙域に待機しているはずだ。
機体のHUDが、青いマーカーでその位置を示す。
《こちらコール12。護衛、感謝する。……悪いな、新人を前線に引っ張り出しちまって》
《気にするな。こっちも仕事だ》
グレン中尉の声は、いつも通りの落ち着きだ。
(仕事、か)
その言葉を、少しだけ自分の中で転がしてみる。
(これは、私が“やりたい”からやること。——だけど、同時に“仕事”でもある)
その境界線が、まだうまく引けない。
*
《前方宙域に熱源反応。数……三、いや四。識別信号なし》
管制の声が、急に硬くなった。
《高度、速度ともに帝国側標準無人機と一致》
《アルファ部隊、迎撃に移行。コール12は予定ルートを維持。そのままこちらの後方へ》
《了解》
輸送船のシルエットが、HUDの向こうに小さく映る。その先に、複数の赤いマーカー。
《アルファ2、3は俺の後ろにつけ。勝手に出張るなよ》
《了解》
喉の奥に、またさっきとは違う種類の渇きが広がる。
(これが——)
VRでは何度も見た光景。だが今、そこにいるのは「プログラムされた敵機」じゃない。
《敵機との距離、八千。まだ向こうは気付いてない。接近してから散開する》
射撃可能距離まで、どんどん数字が減っていく。
《——散開》
グレン中尉の機体が左へ、セリの機体が右へ。あすみは、やや中央よりに出る。
画面中心にあるクロスヘアが、赤いマーカーの一つを捉えた。
《ロックオン完了》
(撃てる)
指先一つで、消し飛ばせる。
その先にいるかもしれない“誰か”の存在を、想像しないようにしないと——。
《アルファ1、射撃》
中尉の機体からビームが放たれ、一機が沈黙した。遅れて爆散する白い光が、宇宙に歪な花を咲かせる。
《アルファ2、任せる》
私の番…
「……アスミ・レイナー、撃ちます。」
トリガーを引く。
放った火線が、敵機の胴体をなぞる。照準線が敵機を貫き、機体がバラバラに砕け散る。
破片が、光を反射して煌めいた。
(……綺麗、なんて…思ったらだめ)
心の中で、自分を殴る。
《後方より新たな反応! 三時方向、近い!》
《くそ、もう来たか——!》
別の隊の通信が割り込んできた。
《こちらベータ2! 被弾、被弾! 推進が——》
途中で、雑音に飲まれて途切れる。
《ベータ2の反応、消失》
管制官の声が、わずかに震えた。
《救助隊を要請——》
《駄目だ。帝国機、残骸の周りに地雷撒いてきてる。今近づいたら、こっちも巻き込まれる》
《そんな——!》
誰かの叫びが、通信回線の向こうで遠く聞こえる。
(さっきまで、生きていた声)
同じ空にいた。同じように、出撃して。
(今、これで終わった)
画面の右隅で、先ほどの機体の識別番号が灰色に変わる。
ゲームオーバーの表示ではない。リスタートもない。
《アルファ部隊、遊んでる暇はないぞ。敵機残り二。落とす》
《アルファ3、右側の一機を抑える》
《了解!》
セリの機体が、スラスターを吹かして敵機の横を取る。その先で爆発する機体の残骸が、あまりにも“現実”すぎて、酔いそうになる。
《アルファ2、残り一機》
「……了解」
視界の端で、輸送船が震えている。
さっきのベータ2が残していった爆散光が、まだ残光として漂っている。
(これ以上は——)
アスミは、推進制御を一段階上げた。身体が、シートに押し付けられる。
《レイナー二等兵、無理な加速は——》
制止の声が頭を掠める。それを押し込めて、照準を敵機の背中に重ねていく。
クロスヘアが重なった瞬間——視界の端で、何かが赤く光った。
ヴィーラのコクピット内部、メインコアの状態を示すインジケーター。
本来は淡い青のはずの光が、一瞬だけ、深い赤に近い色に変わる。
(——まだ。)
《パイロット負荷上昇。オルタイト反応値、規定値ギリギリです》
機械音声が、冷静に告げた。
「……大丈夫。まだできる」
自分に言い聞かせるように呟き、トリガーを絞った。敵機が、音もなく砕け散る。
破片が、何もない宇宙の中で、ゆっくりと広がっていく。
《アルファ部隊、敵影消失。……よくやった》
管制官の声が、ほんの少しだけ安堵で緩んだ。
《輸送船《コール12》、無事。損傷軽微》
《ベータ部隊、損失一》
(“損失一”)
さっきの声が、一行の数字と文字に変わった。
《アルファ部隊、帰投しろ》
帰り道の宇宙は、行きよりもずっと静かだった。
さっきまで、ただ「綺麗だ」と思い込もうとしていた宇宙は、今は、どこまでも冷たい空洞にしか見えない。
(あの時、教室の窓から見てた宇宙と、同じ場所とは思えない)
それだけが、はっきりしていた。
*
着艦シークエンスは、身体が勝手に覚えていた。
《速度良好。そのままアプローチ》
《接地まで、十、九、八——》
地表の滑走路が近づき、重力が戻ってくる。スラスターが減速し、機体が滑り込むように降りていく。
衝撃が、脚部からコクピットまで伝わった。
《アルファ2、着艦完了》
「……ふぅ」
ヘルメットの内側が、じんわりと湿っている。手袋の中で、指先が震えているのが分かった。
ハッチが開き、冷たい空気が流れ込んでくる。
それでも、さっきまでの宇宙の冷たさよりは、ずっと人間の温度があった。
「レイナー二等兵、ハッチ開きます。足元気を付けてくださいね」
整備班の声が、下から聞こえる。いつもと同じ、その声が妙に嬉しかった。
立ち上がろうとした瞬間、膝ががくりと笑う。
「……っ」
ハシゴの縁を掴む手も、小さく震えた。
(落ち着け。これくらい、どうってことない)
そう言い聞かせながら一段目に足をかけたところで声が飛んできた。
「ゆっくりでいい。……初出撃なら、なおさらな」
アスミが見上げた先に、ラルフがいた。
いつものツナギ姿。油で汚れた手袋。けれど、その目はいつもより少しだけ真剣だった。
「……分かりますか?」
アスミは、ほんの少しだけ笑ってラルフを見た。
「そりゃ分かる。ヴィーラの脚の震えでだいたいな」
冗談めかして言う。
「それに——」
アスミの足元を、ちらりと見て続けた。
「初出撃帰りで、足がしっかりしてるパイロットなんて、見たことねぇよ」
アスミは震えを止めようと腿を軽く抑える。
「……そうなんですか?」
腰に手を置いて立ったラルフも、少しだけ笑った。
「そうだよ。だから、普通」
“普通”。
戦場に出て、誰かの死を数字で聞かされて。敵を撃ち落として、自分は生きて帰ってきて。
その結果として、足が震えていることが「普通」。
その事実が、少しだけ救いだった。
「……ありがとうございます」
ラルフが少しだけ身を屈めて、機体の側面をぱん、と叩いた。
「よく頑張ったな。お前も、こいつも」
その音が、格納庫に乾いて響いた。ふと、視線を感じて振り向くと
遠くの通路から、雪かき用のスコップを持った少女が、こっそりこちらを見ているのが見えた。
昨日会った、オルディアの兄妹の妹だ。村にはまだ戻っていなかったらしい。
目が合うと、少女は慌てて会釈だけして、走って行ってしまった。
私は、守られていた子どもじゃない。
“現実の空”に立っている。
その事実が、手の震えよりもずっと重く押し寄せてきていた。
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