Sky-5-北方基地の日常-
北方基地の朝は、だいたい風の音から始まる。
鉄骨を叩く低い唸りと、窓ガラスを揺らす雪混じりの突風。
目を覚ましたあすみは、天井を見上げたまま、しばらくその音を聞いていた。
(……ノーザン・クロスのエンジン音の方が、まだ静かだったな)
上掛けから手を出すと、指先がひやりとする。
ここが「地上」だということを、毎朝のように思い知らされる。
——そして、ここが今、自分の戦場だということも。
*
「訓練スケジュール、午前はシミュレーション、午後は実機点検ね」
食堂でトレーを持って並んでいると、セリがタブレットを片手にぼそりと言った。
「あすみは……はい、これ。SKY操縦専攻・Sランク様の今日のご予定」
からかうように画面を向けてくる。
「様はやめて。目立ちたくて取ったわけじゃない」
「分かってるよ。こっちも勝手に“薔薇”とか呼んでるしな」
「……誰が言い出したの、それ」
「さあな。整備班じゃないか?」
あすみは、少しだけ眉をひそめた。
あの格納庫での視線を思い出す。
(“薔薇”なんて…嫌だなあ。)
「ほら、席空いたぞ」
セリが顎で示す先、食堂の隅に二人分のテーブルが空いていた。
二人が腰を下ろすと、壁のモニターがニュース番組に切り替わる。
《——空暦三十三年、帝国軍は南方海域で再び挑発行為を——》
地図の上に赤い線が引かれていく。
南の海、東の国境、そして“北方方面”の文字。
《連合軍広報は、「前線付近での小規模な交戦はあったが、被害は最小限」と——》
「……“最小限”って言葉、便利だよな」
セリがスプーンを弄びながらぼそりと呟く。
画面の中で、避難民の列が映る。
小さな子どもが、薄い毛布を握りしめたまま、カメラを見上げていた。
(……あのコロニーの教室で見てたニュースも、こんな感じだった)
あすみはスープを一口飲んで、温かさだけを喉の奥に落とした。
(あの時は、画面の向こう側の“現実”から守られてた。
——でも今は、その“現実”の中にいる)
モニターの音が、急に遠ざかっていく気がして、
あすみは意識的にスプーンを口へ運んだ。
「食えよ。午前のシミュレーション、どうせ吐きそうになるんだから」
「ならないから。……LAAで散々やったもの」
「はいはい。LAAの優等生様」
わざとらしく肩をすくめるセリに、あすみは苦笑した。
*
第一訓練区画。
半円状に並んだ複数のポッドが、低い振動音とともに起動している。
壁際には教官席用のモニター群、その前には監視用の長机。
「SKY用戦術シミュレーター、起動確認。各機、リンク開始してちょうだい」
インカムから聞こえるのは、訓練担当教官——ルイス中尉の落ち着いた声だ。
あすみはポッドの内部に座り、シートベルトを締め直した。
閉じたハッチの内側、薄暗い空間にホログラフィックのインターフェースが浮かび上がる。
(……この画面)
見覚えがある。
LAAの訓練区画で、何度も見たレイアウト。
あの頃は、授業の一環として、
「ゲームと現実の違い」を教え込まれるための教材だった。
《SKYシミュレーション・モードA
――難度:初級/戦場環境:低軌道宙域》
機械音声が淡々と告げる。
「シミュレーション開始まで、あと三十秒」
カウントダウンの表示が、視界の隅に浮かぶ。
(あの時は、“ここで撃墜されても何も失わない”って知ってた)
あすみは、自分の息が少しだけ浅くなっていることに気付いた。
(でも今は——)
訓練の先にあるのは、本物の出撃だ。
出撃の先にあるのは、本物の死だ。
それが、画面の向こう側ではなく「自分の延長線上」にある。
「……ふぅ」
小さく息を吐いて、スティックに手をかける。
「古賀あすみ二等兵、準備完了」
「セリ・アンダーソン二等兵、同じく」
「了解。——北方第七基地としての面子もかかってるわよ、二等兵ども」
からかうような声色に、あすみは目を細める。
「LAA首席と次席の腕前、こっちにもちゃんと見せてちょうだい」
(……あの頃の延長線上じゃない。
今は、ここから現実に繋がってる)
「——開始」
視界が宇宙の闇に切り替わった。
*
「結果としては、合格点ね」
訓練後のブリーフィングルームで、教官が淡々と評価を告げた。
「アンダーソン二等兵。もう少し味方との距離感を意識しなさい。前に出過ぎる癖は、実戦だと真っ先に狙われるわよ」
「了解しました」
「古賀二等兵は……もう少し、自分を信用してもいいわ。避けられるくせに、一度目で全部避けようとするから、視野が狭くなる」
「……はい」
「でも、二人とも“死にたくない動き”がちゃんと身に付いてるのは悪くない。そこは、アカデミーの教育に感謝しなさい」
軽口のように言って、教官——ルイス中尉は資料を閉じた。
「以上。午後は実機点検。整備班を舐めると後で痛い目見るからね。しっかりどうぞ」
ブリーフィングが終わり、部屋から出ると——
「おつかれさん。元気そうでなによりだ」
廊下の壁にもたれて、湯飲みを片手に立っている男がいた。
「……グレイ大佐」
「北はどうだ、アカデミー様」
たぬき親父が、にやにやしながらそう言う。
「様はやめて下さい。ここでは、ただの二等兵です」
「そうか? こっちとしちゃ、働き者は大歓迎だがな」
「……働き者?」
「そう。“働くのはな、寒くない程度でいいんだよ”」
心底真面目な顔でそう言うから、あすみは一瞬言葉を失った。
「……は?」
「寒い中で働くと、頭が痛くなる。頭が痛くなると、いい判断ができなくなる。——だから、寒いところではあんまり働かないに限る」
「司令、理屈っぽく聞こえますが、要するにサボりたいだけですよね?」
いつの間にか横に現れたキヌアが、ぴしゃりと断言した。
「ひどいなぁ、キヌア。私は部下の健康と判断力をだな——」
「基地司令が“働くのは寒くない程度でいい”なんて言わないで下さい。新人が混乱します」
「混乱してないです」
あすみはつい、そう口を挟んだ。
「え?」
「……少なくとも、“寒いのに無理するな”って言われるの、嫌いじゃないです」
そう言うと、グレイ大佐は一瞬だけ目を細めた。
「だってさ、キヌア」
「……そうですか。まあ、ほどほどにサボって、ほどほどに働いて下さい」
「分かってるよ」
絶対に分かっていない返事を残して、たぬき親父は湯飲みを片手に去っていった。
「……あの人、本当に司令なんですよね?」
「ええ。一応」
一応、という部分に、キヌアの深いため息が滲んでいた。
*
午後。第一格納庫前。
雪が、静かに降っていた。
滑走路脇の通路には、除雪用の作業車と、雪かきをしている数人の姿が見える。
「あそこ、基地の外から避難してきた人たちですよ」
隣を歩くセリが、ふと視線を向けた。
「オルディア系の民間人。村ごとなだれ込んできて、そのまま基地の一部を借りて暮らしてる」
「……オルディア」
その言葉に、胸の奥がかすかに疼く。
雪をかいているのは、大人だけじゃない。
十代前半くらいの少年と、まだ幼い少女が、ぎこちない手つきでスコップを動かしていた。
黒髪に、少しだけ赤みの混じった瞳。
薄いコートの裾を、風が容赦なくめくり上げていく。
「寒くないのかな」
思わず口から漏れていた。
「寒いだろうな。でも、地上の他の場所よりは、まだマシなんだろ」
セリは、少しだけ目を伏せた。
「……ちょっと、行ってくる」
「あすみ?」
返事を待たずに、あすみはそちらへ足を向けた。
「こんにちは。手伝おうか?」
声をかけると、少女がびくりと肩を揺らし、少年がその前に一歩出た。
「大丈夫です。これは、僕たちの仕事なので」
抑えた声だったが、礼儀正しさがにじむ。
「そう? 無理しないでね。風、強いから」
あすみは、足元の雪を見下ろした。
白い雪。
吐息の白さ。
指先の冷たさ。
(——あのVRの教室の、人工的な雪とは全然違う)
「……あの」
少女が、あすみを見上げた。
「あなたが、“空の人”なんですか?」
「空の人?」
「SKYに乗る人。皆、そう呼んでて……」
「ああ……うん。そう」
“パイロット”という言葉より、その呼び方の方が、
なぜか胸の奥にすっと落ちた。
「空は、どんな感じですか?」
少女が、少年の影から、恐る恐る顔を出す。
「……そうだな」
あすみは少しだけ考えてから、空を見上げた。
厚い雲の向こうに、さっきまでのシミュレーション映像が重なる。
「綺麗な時もあるし、怖い時もあるよ。
でも——」
言葉を切って、もう一度少女を見た。
「地上より、ちょっとだけ静かかもしれない」
少女は、それを聞いて何かを考えるように瞬きをした。
「……いつか、見てみたいな」
「その時は、窓の外だけ見てね。爆発とか、見なくていいから」
自分でも何を言っているのか分からなくなって、
あすみは、苦笑いでごまかした。
「じゃ、仕事の邪魔になるから。風邪ひかないようにね」
そう言って踵を返すと、背中に小さな声が届いた。
「——“空の人”」
振り返ると、少年がぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「……ううん」
ほんの短い会話。
それでも、自分の足元が少しだけ重くなった気がした。
(守られていた子どもだったはずなのに)
雪を踏む音が、やけに大きく聞こえる。
(今は、“守られていない子ども”を見ている)
その差を、ちゃんと理解してしまっている自分がいる。
*
格納庫の中に入ると、ラルフがSKYの足元で機材をいじっていた。
「あ、古賀二等兵」
「こんにちは。今日からお世話になります」
「……ああ。こっちこそ、あんまり無茶しないでくれると助かる」
そう言いながら、ラルフはあすみの後ろをちらりと見る。
「さっきの子たち、知り合いか?」
「……いえ。今会ったばかりです。でも、私と似たような場所から来たのかなって」
「似たような場所?」
「“追い出された側”って意味で」
さらりと言うその言葉に、ラルフは少しだけ目を見開いた。
「……そっか」
格納庫の天井の高い空間に、機械の匂いと、雪の冷たい空気が混ざる。
北方基地の日常は、静かに、しかし確実に——
あすみの「現実」を塗り替え始めていたた




