Sky4-北の境界線-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
――午前四時。
軍都の一角にある古びた宿舎の一室で、安っぽい通信端末がけたたましく震えた。
暗い室内には、脱ぎ散らかされた制服と、倒れたままの椅子。ベッドの上では、布団が山のように盛り上がっている。
「……ぅあ……」
山の中から、くぐもったうめき声が漏れた。その間も、端末は容赦なく鳴り続ける。
『【極秘回線】優先度:高』
機械音声が暗闇を刺すように告げると、布団がもぞりと動いた。隙間から伸びた片手が宙を探り、続いて寝癖だらけの金髪が、ぐしゃりと飛び出す。
ミュラー・エリスは片目だけを開け、枕元の端末を乱暴にスライドした。
「……はい」
『おい、俺だ』
聞き覚えのある、少し掠れた低い声だった。ミュラーは目を閉じかけたまま、枕へ頬を押しつける。
「……先輩? なんですか。まだ寝ていたいんですけど」
『起きろ』
北方第七基地司令官、ハイルトン・グレイ大佐。
回線の向こうでは、紙をめくる音と、ペン先で机をこつこつ叩く音がしていた。
『なんてやつ寄こしてんだ、お前』
開口一番、ため息まじりにそう言われ、ミュラーはようやく両目を開けた。
北方第七基地の司令室では、ハイルトンがソファへ深く腰掛け、手元の端末に映るデータを睨んでいた。机の上では、湯飲みから細い湯気が立っている。
――アスミ・レイナー
LAA航宙アカデミー高等課程・ヴィーラ操縦専攻
適性:RANK S
オルタイト反応値:規定上限付近
出身:アルクトリ皇国
備考:オルディア系血統あり
経歴:十三年間、医療保護下
『俺のところに寄こすってのは、冗談か?』
ミュラーは髪を掻きながら、布団の上へ仰向けに倒れ込んだ。
「冗談だったら、俺が先に笑ってます」
『笑えねぇよ』
ハイルトンは、書類の端を指先で弾いた。
「書類、見ました? 使えるでしょ」
『使えるって……お前、“アレ”をどうするつもりだった?』
髪を弄っていたミュラーの手が、止まる。
「さあ。現場に出たら、本人が決めるかなって思ってますけど」
軽い口調の奥に、わずかな張りつめが混じった。
ハイルトンは端末の備考欄へ視線を戻し、低く問う。
『……オルディア人だってこと、分かってるんだろ?』
「知ってますよ。本人もね。反応値が赤枠を振り切らないように、抑えさせるの大変でしたよ」
“赤枠を振り切る”。
その言葉に、ハイルトンの眉がわずかに動いた。
『……時間の問題だぞ』
「そしたら、先輩がなんとかしてくださいよ。もう俺の担当は外れてるんで」
ハイルトンは鼻で笑い、湯飲みへ手を伸ばした。
『お前らは昔から、そういう役回りを俺にやらせるんだよ』
「何言ってるんですか。最年少北方基地司令官のくせに」
『それは関係ないでしょ』
「俺だって、あんたが前線で活躍してるところ、たまには見たいんですよ」
湯飲みを口元へ運びかけたハイルトンの手が、止まった。
『……その言葉は、お前にそのまま返す』
ミュラーは半分冗談のように笑った。けれど、端末を握る指先にだけ、力がこもる。
「俺は、もう現場には出られませんから」
通話を切ろうとして、ミュラーは一度だけ息を吐いた。それから、眠気を追い払うように目を開け、少しだけ真面目な声を足す。
「先輩」
『なんだ』
「――あの子、ちゃんと“こっち側”で生かして返してください」
「……なるべく長く、北方に足止めしてください」
短い沈黙が落ちた。
司令室の窓の向こうでは、夜明け前の雪が基地の照明をぼんやりと滲ませている。
『努力はする』
それだけを残し、通信はぷつりと切れた。暗い部屋に、ようやく静けさが戻る。
「……はぁ」
ミュラーは端末を枕元に放り出し、天井を見上げた。
「こっち側、ね……どっち側だよ、まったく」
そうぼやいてから、布団を頭までかぶる。
回線の切れた端末をしばらく見つめていたハイルトンは、やがてソファから立ち上がった。
「……足止めできりゃ苦労はしないんだがな」
肩を一度ぐるりと回す。制服の第一ボタンも締め直さないまま、ハイルトンは司令室を出ていった。
*
カイトが消えてから、四度目の春が来ていた。
アスミはLAAでヴィーラの操縦を学んだ。最初はうまく扱えなかった機体も、卒業する頃には、呼吸に合わせるように飛ぶようになった。
この数年間、毎日欠かさずニュースを追った。けれど、捜している人の痕跡だけは、どこにもなかった。
吐く息が、白い。
本物の北国の空気は、こんなに冷たくて、肌の奥までぴりぴりするのか。輸送機のタラップを降りた瞬間、アスミは思わず肩をすくめた。
(……寒っ)
目の前に広がるのは、鉛色の空と、果ての見えない雪原。低く唸り続ける風が耳の奥まで刺し込んでくる。少し離れた場所では、輸送機のエンジン音が腹の底へ響いていた。
ここが――北方基地。
世界地図で見れば、ほんの小さな点でしかないこの場所が、これから当分、自分の“前線”になる。
「うわ……聞いてたより寒いな」
隣でセリが短く息を吐いた。白い息が、風に攫われてすぐに消える。肩に掛けた荷物バッグの紐を握り直しながら、アスミは苦笑した。
「本物の空気って、こんなに痛いんだね」
「だから嫌だったんだよ、北方基地。なんで希望するんだ、こんなところ」
セリは眉を寄せ、滑りやすい地面を確かめるように足元を見た。
「……別に、ついて来なくてよかったのに」
そうぼやくアスミをセリは横目で睨んだ。
「俺のは任務。お前のは志願。頭に叩き込んでおけ」
アスミは、自分で北方基地配属を希望した。
(自分にとって、宇宙にいちばん近い地上。前線に近い辺境。帝国との境界線)
(――カイトの足跡が、何かしら引っかかる可能性が高い場所)
理由はきわめて個人的で、軍の建前からすれば褒められたものではない。
それでも、ラナ艦長は電話で報告した時、画面の向こうでにっこりと笑った。
『いいじゃない。北はいいところよ。逃げ場は少ないけど、空は綺麗』
ラナ艦長は、アスミが初めてインシオンへ配属されるなら、北方にしてもらうつもりだったらしい。エリンから、そう聞いていた。
「アスミ・レイナー二等兵、セリ・アンダーソン二等兵ですね?」
タラップの下で、制服姿の女性が待っていた。
首元まできっちり留めたコート。隙なくまとめられた髪。眉の上まで掛かりそうな眼鏡。いかにも“できる秘書官”という雰囲気だった。
「本日付で北方第七基地へ配属とのこと。私は基地司令官付秘書官、キヌア・フェルド中尉です。以後、よろしくお願いします」
きびきびとした声に促され、アスミとセリは揃って姿勢を正した。
「アスミ・レイナー二等兵です。本日付で配属になりました」
「同じく、セリ・アンダーソン二等兵です」
二人の敬礼を見届けると、キヌアは満足そうに頷いた。
「よろしい。では、まず基地司令官へ挨拶をしていただきます。こちらへどうぞ」
案内された先は、基地本棟の奥にある司令室だった。
長い廊下の窓から、除雪車が低い音を立てて進んでいくのが見える。建物の継ぎ目には補修跡が残り、古い基地特有の金属と暖房油の匂いが薄く漂っていた。
重厚な扉を、キヌアが二度ノックする。
「北方第七基地司令官、ハイルトン・グレイ大佐。新任のヴィーラ搭乗員候補二名、お連れしました」
部屋の中から、気の抜けた声が返ってくる。
「おー? 入っていいぞ」
(……今のが、基地司令官?)
アスミとセリは顔を見合わせ、それから揃って部屋へ入った。
司令室の奥のソファに、一人の男が腰掛けていた。
四十代半ばくらいだろうか。少し伸びた無精髭。柔らかく癖のついた茶色の髪。
軍服の第一ボタンは開いたまま。ネクタイはどこかへ消えている。片手には湯飲み、もう片方には資料らしきファイル。
(……やる気、あるのかな。この人)
アスミとセリは、ほとんど同時にそう思った。
「本日付で配属になりました、アスミ・レイナー二等兵です」
「同じく、セリ・アンダーソン二等兵です」
二人が姿勢を正して名乗ると、ハイルトンはソファから立ち上がり、ゆっくりとアスミへ近づいてきた。
「おぉ……」
間の抜けた声を上げ、アスミの顔をじっと覗き込む。
「似てねぇな」
それだけ言うと、ハイルトンは身体を離した。
「……はい?」
アスミの眉がぴくりと動く。
横で、セリがアスミの返事に驚いたような顔をしていた。
「司令官。初対面で何を言ってるんですか」
キヌアが、ぴしゃりと口を挟む。
「いやぁ、もっと……こう、目つきがきついかと思ってな。あいつに似てるかと……」
そこまで言いかけて、ハイルトンは咳払いひとつで誤魔化した。
アスミは意味を測りかねたまま、目の前の男を見返す。
ハイルトンは何事もなかったように二人の足元へ視線を落とし、今度は気の抜けた調子で続けた。
「まあ、いいか。北は寒いからな。任務に当たる時は厚着しろよ。風邪をひくな。薬がもったいないから」
靴先で床を軽く叩き、もうひとつ付け足す。
「それと、雪に慣れてないやつは本当によく転ぶ。恥ずかしいから気をつけろ。以上だ。あとはキヌアが説明する」
背を向け、椅子へ戻ろうとしたハイルトンを、キヌアが鋭く睨んだ。
「司令官! それで終わりですか?」
アスミは、思わず口元に笑みが浮かぶのを自覚した。
(……変な人だ)
けれど、どこか懐かしい匂いがした。
ノーザンクロスのラナ艦長も、大事なことを言う時ほど、妙に肩の力が抜けていた。
「よろしくお願いします」
アスミがそう言うと、ハイルトンは椅子へ腰掛けながら満足げに頷いた。
「うんうん。それでいい」
それから、思い出したように声を落とす。
「北はな、空だけは綺麗だ。任務の合間に、たまには見上げろよ」
その一言だけは、さっきまでの気の抜けた調子とは少し違っていた。
アスミが返事をする前に、ハイルトンは大きなあくびをひとつして、書類の束へ視線を戻した。
「司令官、初日くらいきちんとしてください」
キヌアのため息が、司令室に響いた。
*
北方第七基地は、永世中立国アルクトリ皇国の南方海域に浮かぶ、小さな島の上に築かれていた。
北方条約機構――NTOが、オルテア帝国によるオルタイト技術の独占を防ぐため、最初期に設置した前線拠点だった。現在は、その軍事部門にあたるNTO統合軍が基地運用を担っている。
帝国との戦争が始まった頃から使われ続けているせいか、基地の壁には補修跡が残り、外壁の塗装もところどころ剥げていた。
古い施設だった。けれど、人の手が入らなくなった場所ではない。
廊下の向こうでは、整備員が工具箱を抱えて走り、別の通路では、濡れた軍靴の跡を清掃員が無言で拭き取っていた。
「……というわけで、あの方が北方第七基地司令官、ハイルトン・グレイ大佐です」
廊下を歩きながら、キヌアが何事もなかったように説明を続ける。
「やる気があるのか、ないのか分からない方ですが、やる時はやる人です。敵に回すと厄介ですが、味方にすると心強いですよ」
「……なるほど」
アスミは、さっき見た崩れた軍服と、妙に落ち着いた目を思い出していた。
「お二人の部屋は、女子寮と男子寮にそれぞれ用意してあります。荷物を置いたら、すぐに格納庫と訓練施設をご案内します。急ぎなさい」
キヌアは、二人をそれぞれの寮の入口まで案内した。
*
荷物を置き、再びキヌアに連れられて向かった第一格納庫は、外の寒さとは別の熱気に満ちていた。
天井の高い空間に、数機のヴィーラが静かに立っている。
雪を踏んできた隊員たちの湿った靴音。整備班の声。工具がぶつかる乾いた金属音。遠くでは、試運転中の推進器が低く唸っていた。
新しく来た搭乗員候補を見ようと、格納庫の扉の近くには何人かの隊員が集まっている。
「あれが新しいパイロット候補? さっき輸送機から降りてきた二人組」
「髪の黒い方、あれだろ? 例のRANK Sって噂の」
「いやー、毎日、目の保養ができて最高ですね」
隊員たちの小声が、工具音に紛れて飛び交う。
「……何見てるんですか。手伝ってくださいよ」
ため息まじりにそう言ったのは、ラルフ・ハグナー一等兵だった。
まだ二十歳そこそこの若い整備士。茶色の髪を後ろでざっくりと結び、オイルで汚れたツナギの袖を肘までまくっている。
「ラルフ、そんなこと言ったってな。北のこんな辺鄙な基地に、薔薇の花が来たんだぞ」
整備班の一人が、冗談まじりに笑った。
「……薔薇って」
ラルフは呆れた顔をしながら、工具箱からレンチを取り出す。
「ほら、見ろよ。あの顔でSランクのパイロット候補だぜ? 奇跡だろ」
服の襟を掴まれて立たされると、ラルフは諦めたように、皆と同じ方向へ視線を向けた。
「奇跡の使い方、間違ってると思いますけど」
そう返しながらも、無意識に視線がアスミへ吸い寄せられていることに気づく。
(……小さいな)
LAA上がりのパイロット候補生と聞いていたから、もっと尖った目つきで、肩で風を切って歩くような人間を想像していた。
けれど、格納庫へ現れた黒髪の少女は――。
顔立ちは、綺麗といえば綺麗だった。
けれど、本人にその自覚はなさそうで、視線は真っ直ぐで、妙に落ち着いている。
何より、ヴィーラを見上げる時だけ、表情がふっとほどけた。
(……本当に、あれがSランクかよ)
「あなたたち、仕事はどうしたんですか」
集まっている隊員たちの視線に気づき、キヌアが睨みつける。
隊員たちは一瞬で散り、何事もなかったように四方へ戻っていった。
ラルフも慌ててレンチを握り直した。
それでも一度だけ、もう一度アスミの方を見る。
少女はまだ、白銀のヴィーラを見上げていた。
格納庫の喧騒の中で、そこだけ時間がゆっくりと流れているように見えた。
*
一通り基地内の案内が終わると、ようやく自由時間になった。
北方基地の屋上は、風よけの壁があるだけの簡素な造りだった。
けれど、見上げた先に広がる空は、ラナが言った通り綺麗だった。
冬の薄い雲の向こうに、かすかに星が滲んでいる。
風が壁の縁を擦り、低い音を立てて通り過ぎていく。
「空が近い」
アスミは、ぽつりと呟いた。
LAAを出て、何度も宇宙へ上がった。
窓から見た星々も、軌道上の無数の光も知っている。
それでも、この寒くて、風が強くて、何もない北の空は、不思議と“帰ってきた”という感覚を連れてきた。
「また屋上かよ」
背後からセリの声がした。
振り返ると、セリは手に二本の温かい飲み物を持っていた。片方を差し出しながら、呆れたように眉を寄せる。
「……インシオンの地表でも、こんなに星が見えるんだね」
アスミは缶を受け取り、掌へ伝わる熱を確かめるように握った。
セリは隣へ立ち、同じように空を仰ぐ。
「そんなに食い入るように見なくたって、空は逃げないんだから。早く寝ろよ」
「セリ、お母さんみたい」
アスミは缶へ口をつける前に、小さく笑った。
「……逃げないなら、いいね」
風が、二人の間を通り抜けていく。
セリは何も聞かず、手元の缶を少しだけ傾けた。
「ここ、きっと大変だけど。早く受け入れてもらえるようになりたい」
アスミが空を見たまま言うと、セリは小さく鼻を鳴らす。
「じゃあ、さっさと慣れろ。明日から本格的に訓練だ」
「分かってるよ」
軽口が、冷たい風に攫われていく。
冷えた空気の中で、遠くに滲む星の光だけが、二人の頭上で静かに瞬いていた。




