Sky3-宇宙に出る理由
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
医務室の自動扉を乱暴に押し開けると、アスミの身体はもう走り出していた。
艦内の通路を駆ける足は思ったように前へ出ない。膝が頼りなく揺れ、少し走っただけで息が上がった。
長く眠っていた身体は、気持ちに追いついてくれない。それでも、止まったら二度と動けなくなる気がした。
アスミは、ひたすら前だけを見ていた。
(探さなきゃ。行かなきゃ。どこかに、外に――)
どこへ向かっているのか、自分でも分からない。ただ本能のように、艦の奥へ、奥へと走っていた。
やがて、廊下の先にセキュリティマークの付いた扉が見えた。
床の材質が変わる。足音を吸い込んでいた白い通路から、硬い金属床へ。不規則な足音が、急に大きく反響した。
その先に、重い扉が現れる。
【第3格納庫】
注意プレートの横で警告灯がゆっくりと回転し、赤い光が廊下を舐めていた。
(ここ……)
扉の向こうから、誰かの怒鳴り声が聞こえる。
「いいか、急げよ! 次のテストフライトまで時間がないんだ!」
自動扉が開いた瞬間、アスミは息を呑んだ。
広い格納庫の中央に、白銀の機体が立っていた。天井近くまで届く、人の形をした機体。
人間よりも少し細長いプロポーション。余計な突起のない、滑らかな輪郭。
装甲は雪のように白く、関節や装甲の継ぎ目だけが薄い青色の光を帯びている。
肩口には、連合の二枚羽を象った識別マークがついていて、脚部のグレーのラインが試験機であることを示していた。
細いバイザー状のスリットが、頭部に一本走っている。
折りたたまれたウイングフレームと胸部中央の装甲は、ほかより一段深く沈み込んでいる。
その奥で、青白いコアユニットが脈打つように明滅していた。
人の形をしているのに、人ではない。
それでも、その姿は確かに――どこまでも遠い空を連想させた。
(これが……ヴィーラ……)
コロニーの授業で、何度も映像を見た。
正式には、SKY搭載新型空宙機兵。教科書には、そう書かれていた。
けれど、本物は――もっと静かで、もっと綺麗で、もっと遠かった。
気づけば、足が勝手に格納庫の中へ踏み込んでいた。
「おい、君! 危ないから――」
整備士の声が聞こえた。けれど、耳には入らない。
機体の胸部へ続く整備用の梯子に手をかける。腕に力が入らず、一段登るだけで肩が震えた。それでも、息を切らしながら梯子を登っていく。
(これに乗れば、行ける)
(外に。カイトのいる、どこかに――)
ハッチの端に手をかける。装甲は、触れた瞬間に指先の熱を奪うほど冷たかった。それなのに、その奥で、じんわりと別の熱が生まれる。
指先から手のひらへ。細い糸のような熱が、ゆっくりと腕を伝った。
「開いて……」
力任せに引こうとした瞬間、鋭い警告音が格納庫に響き渡った。
【パイロット認証がありません】
【コクピットハッチはロックされています】
機械的な声が、乾いた空間に反響する。
「どうして……! 開いて!」
アスミは、爪が剥がれそうになるほどハッチを叩いた。
届かない。
届かせてくれない。
胸の奥が、きしむように痛む。
(行かなきゃ)
(今ここで行かなかったら――)
「――アスミ!」
腰のあたりを、強い力が引いた。
身体が梯子から剥がされるように後ろへ引き倒され、視界が大きく揺れる。
「危ないだろ! 勝手に乗ろうとするな!」
背中を支えた腕の主は、セリだった。
見覚えのある深いブラウンの髪。いつもは落ち着いている目が、今は必死に見開かれている。
「離して! 乗らなきゃ……あれに乗らなきゃ、カイトのところに――!」
「今のお前が乗ったら、死ぬ!」
セリの声が、怒鳴り声に近い音量で響いた。
本当は、よくないことだと分かっている。今の身体では、まともに歩くことさえ難しい。
でも、ここで止まったら、本当に二度と会えなくなる気がした。
「……お願い、セリ。探しに行かなきゃ。今行かなきゃ、どんどん遠くへ――」
「パイロット認証も、訓練もなしで出ていったら、真っ先にヴィーラに殺されるのはお前だ!」
その言葉に、何かが切れた。
アスミは、背後から支えるセリの胸を、前よりずっと細くなった手で何度も叩いた。
「じゃあ、セリが行ってよ! あれに乗って、早くカイトを探しに行ってよ!!」
涙も、叩く腕も止まらない。どうにもならない感情を、全部ぶつけた。
「ずっと、どこにいたの! みんな、ジョンもアンも、みんな何やってたの!」
セリは、叩き続けるあすみの手首を強く掴んだ。爪が食い込みそうなほど、ぎゅっと。
「……俺だって、行きたいよ」
セリの声が、小さく震えた。
その一言だけが、格納庫の広い空間へ落ちた。空気が、急に冷たく感じる。
さっきまで近くに見えていた白銀の機体が、急に遠いものになった。
「……やだぁっ……」
アスミの指先が、空を掴むように宙を掻いた。
涙で目の前が霞んでいる。ぼやけた視界の中で、ほんの一瞬、ヴィーラの胸のコアが微かに明滅した。
(――聞こえた?)
そんな気がした。
けれど、次の瞬間にはもう、セリの腕の中へ押し込められていた。
「――アスミ!」
駆け込んできた声が、格納庫に重なる。
アンとジョンだった。整備士たちも集まり、口々に何かを言っている。その声は遠く、うまく意味を結ばない。
「……ごめん……」
何に対して謝っているのか、自分でも分からなかった。
ただ一つだけ分かる。
あの白銀のヴィーラが、「外」とカイトへ繋がる唯一の道だということだけ。
*
夜の艦内は静かだった。
艦内の小さなラウンジで、ラナ艦長とエリンが向かい合っていた。
窓の外には、幾つもの星の帯が流れている。テーブルの上には、飲みかけのマグカップが二つ置かれていた。立ち上る湯気は、もう薄い。
エリンは窓の外へ視線を向けたまま言った。
「……格納庫で暴れたって?」
手元のファイルを閉じて、ラナが言った。
「暴れた、のかしらね。あの子なりに、必死だっただけよ」
エリンは苦く笑った。カイトの手掛かりがない今、エリンにできることは、アスミを見守ることだけだった。
「でも、SKYのハッチに素手で触るなんて、普通はしない。あれは……“血”ね」
「オルタイトと反応する血統。――そのために、私たちはあの子たちをここまで運んできた」
ラナはカップを持ち上げた。けれど、中身を口へ運ぶことなく、また静かに置く。
「長い間、プログラムの中で眠らせて。世界が終わる日を二回も経験させて。……正しいことをしたと思っていたのに」
「そうね」
エリンは、正面からその言葉を認めた。
「正しかったなんて、今となってはとても言えない。でも結局、ヴィーラに手を伸ばした」
エリンはカップの縁を指でなぞりながら、かすかに笑った。笑顔は疲れていた。
「あの子は、そういう子よ。――カイトも、必ず見つけるわ」
ラナは、そう言って静かにエリンを見据えた。
*
格納庫でヴィーラに手を伸ばしてから、数日が過ぎた。
アスミが自室のベッドで横になっていると、ノックもせずにドアが開いた。
「……アスミ、大丈夫?」
アンが、顔だけをひょこっと覗かせる。部屋の中を一度確かめてから、遠慮がちに足を踏み入れた。
「……うん」
短く返す。声が、自分のものではないみたいに乾いて聞こえた。
アンはベッドの端に腰を下ろし、両手を膝の上でぎゅっと握った。
アスミの横顔を覗き込もうとする。けれど、途中でやめて、視線を床へ落とした。
「……あの」
アスミの目は、アンではなく扉の方へ向いていた。
「……これからどうするか、聞いてこいって言われたの?」
少し間を置いて、アンは静かに答えた。
「……うん」
その声にも、少しだけ疲れが滲んでいた。短い沈黙のあと、アスミは力なく呟く。
「……本当に、全部嘘だったんだね……」
アンは、その言葉から逃げないように、一度だけ深く息を吸った。それから、アスミを真っ直ぐに見つめる。
「……うん。でも、確かに最初は監視対象者だったけど、アスミの前で話していたことは、全部本当のことだよ」
アスミは、ゆっくりと目を閉じた。
「……もう少し、眠りたい」
その言葉に、アンの指先がぴくりと動いた。何か言いかけて、唇を噛む。
「……分かった」
それだけを、そっと置くように言った。
立ち上がる時、アンの肩がかすかに震えているのが、閉じたまぶたの裏越しにも分かった気がした。
部屋を出ると、ジョンがドアの前で待っていた。
「どうだった?」
アンの声が震える。目には、もう涙が溜まっていた。
「……私たち、アスミを傷つけた。懲罰対象になっても、もっと早く会いにくればよかった」
ジョンは、アンの肩へそっと手を置いた。その手もまた、気づかないふりをしているだけで、確かに震えている。
「大丈夫。分かってくれるよ。……あいつ、そういうやつだろ」
アンは小さく頷いた。けれど、足はすぐには前へ出なかった。
二人とも、しばらくドアの前に立ち尽くしていた。
*
ここから見る宇宙は、シミュレーションの宇宙よりもずっと暗い。
目の前に、本物の宇宙と、青いインシオンが浮かんでいる。画面越しではない、本物の星。
大きく切り取られた窓のある艦内の展望デッキに、アスミは立っていた。
「聞いたわよ。パイロット養成科。本気で行くつもり?」
背後からかけられた声に振り向くと、ラナ艦長が立っていた。
短く切った髪と、鋭い目。けれど、その奥には、いつも静かな優しさがある。
「……はい」
アスミは、再び宇宙を見つめた。
「私、決めたんです。探すって。ヴィーラに乗っていれば、いつか会えると思うから」
カイトが言った言葉が、胸の奥で反響する。
ここに、ちゃんと帰ってくるからな。
あの教室も、あの廊下も、もう存在しない。
それでも――。
(あの約束だけは、本物だった)
ラナ艦長はしばらくアスミを見つめ、それから小さく笑った。
「……上層部が聞いたら、泣いて喜ぶわね。うちの艦から、もう一人パイロット志望が出たって」
「……軍は、嫌いです」
アスミは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「気が合うわね。私もよ」
ラナは、窓の外のインシオンを見つめた。
「綺麗な宇宙ね」
ガラスの向こうで、青い星がゆっくりと回っていた。白い雲の帯が、その上を薄くなぞるように流れていく。
教室の窓から見ていたインシオンと、色も形もほとんど同じなのに――。
ここからは、戦争も、民族狩りも、何も見えない。
(ここからなら、どこへだって行ける)
(いつか、カイトのいる空にも――)
アスミは、拳を握り締めた。たとえ、自分の足元がもう「普通」ではなくなってしまったとしても。
あの日、コロニーで交わした約束と。格納庫で見上げた、白銀のヴィーラの姿だけを頼りに。
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