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SKY  作者: RUI
REDROSE

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Sky2-世界が終わる日-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 教室の朝はいつも通り、ざわめいていた。

 椅子を引く音。机の中を探る音。誰かが笑う声。

 窓の外では、宇宙空間に散る微細な光が、飽きるほど見慣れた背景として広がっている。


「――進路希望調査の最終提出な。今日までだぞ」

 担任の声が、教室の空気をひとつにまとめるように響いた。


 アスミの机の中には、記入済みの紙が入っていた。折り目のついた白い紙が、指先に触れる。

(先生に呼び出されても、普通科に行くって言い切ればいい)


 昨日、伯母にも、LAAには行かないと伝えた。言葉にしてしまえば、それだけのことだった。


 ――カイトは、もうパイロットの道を選んでいる。

 胸の奥に、小さな棘のような痛みが残る。


(私まで軍に行ったら、きっと、両親を裏切るみたいに感じる……)


 自分でも、子どもじみた考えだと思う。それでも、そう思わずにはいられなかった。


「おーい、外のデッキ行かね? インシオン見えるらしいぞ」

 ジョンの声がすると、教室中がわっと沸いた。


 ジョンはカイトの肩を押すようにして、教室から連れ出そうとしている。

 少し困ったような顔をしながらも、カイトは抵抗する気はないらしい。


「行く行く!」

「今日は雲少ないって!」


 ほかの生徒たちも席を立ち、次々と教室を出ていく。

 制服の裾が揺れ、笑い声が廊下へ流れていった。

 もうすぐ授業が始まるのに、男子生徒達は滅多に見ることのできない青い星に色めき立っていた。


 ――その瞬間


 世界が、かすかに軋んだ。


 ほんの一瞬、照明が揺れたような気がした。

 窓の外に広がっていた星々も、薄い膜の向こうで滲んだように歪む。


「……今、何か――」

 アスミが顔を上げた時。


「きゃ――!」


 悲鳴が、どこかの教室から重なって聞こえた。


 床が、ぐにゃりと波打つ。


 足の裏が沈む。重力の向きが分からなくなる。

 天井が遠くなり、次の瞬間には目の前へ迫った。


「地震……? いや、コロニーで――」

 誰かの声は、途中で途切れた。


 黒板が白いノイズに溶けていく。机の輪郭が崩れ、床へ落ちるはずのプリントが、途中で細い光の粒になって消えた。


 隣の席にいたアンの顔が、モザイクのように砕ける。

「アス……なに……?」


 大きな目も、栗色の髪も、細かな四角い光へ変わっていく。

 伸ばされた手は、アスミに届く前に線になり、その線さえほどけて消えた。


「アン――!」

 声を出したはずなのに、自分の耳には届かなかった。


 壁も、窓も、空も――。

 すべてが線と点にほどけ、ばらばらになっていく。


(え……なに、これ)


 耳鳴りがした。

 高い音が頭の奥で膨らみ、思考を押し潰す。


 耳を押さえようとする。けれど、手の感覚がない。動かしているはずなのに、動いていない。腕がどこにあるのかも分からない。指先を握ろうとしても、力が入っているのかさえ確かめられない。

 自分の身体が、どこまで存在しているのか分からなくなる。


 胃の奥が、ゆっくりと裏返るように気持ち悪い。息を吸おうとしても、肺が動かない。

 その感覚に重なるように、薬品めいた消毒液の匂いがした。

 教室にはなかった匂い。鼻の奥へ刺さり、急に近くなる。


 遠くで、誰かが叫んでいる。

「システムが――!」


 何人もの声が混ざり合う。

「戻せ! まだ――!」

「反応値が落ちています!」

「回線を切るな、維持しろ!」


 知らない大人たちの怒鳴り声が、ノイズに飲まれて消える。


 視界が真っ白になった。


 そう感じた瞬間、身体の内側から何かが抜け落ちた。


 そして、すべてが落ちた。



 *



 白い天井に見慣れない照明が並んでいる。


 目を開けただけなのに、まぶたの裏がひどく重い。焦点が合わず、天井の灯りがいくつにも滲んで見えた。

 左右には機械のパネルと、静かに点滅するランプの列。低い駆動音が、遠くで途切れずに鳴っている。


 保健室の天井とは違う。音のない、静かな場所。


(……ここ、どこ)


「……起きたのね。大丈夫? 気分悪くない?」

 柔らかい声と、消毒液の匂い。


 さっきまで、崩れていく教室の中で嗅いでいた匂いだった。


 喉がひどく乾いている。舌が上顎へ張りつき、口を開くだけでひりついた。

 腕も脚も、自分のものではないみたいに重い。

 指先を動かそうとすると、ほんのわずかに震えただけで、力が抜けた。


「……こ……こは?」

 自分の声なのに、知らない誰かのものみたいに聞こえる。


 顔を覗き込んでいた女医が、かすかに微笑んだ。

「……医務室よ。ずっと眠っていたから、まだあまり動けないと思うけど……」


 小さい頃から見覚えのある顔。優しいカイトの母さん。


「あ……ばさ……」

 呼ぼうとした名前の代わりに、まず浮かんだのは、たった一人の顔だった。

「……カイト……は?」


 エリンの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。

 目の奥に、何かが沈んだ。

 すぐに消えたけれど、見間違いではなかった。


「……今はいないの。さ、ゆっくり休んで」


「……?」

 返事になっていない。


 胸の奥に、不安がじわりと広がった。冷たい水が、肋骨の内側へ少しずつ溜まっていくようだった。


 何かを聞こうとした。

 けれど、唇が動く前に視界がまた暗くなる。


(……さっきまで、教室にいたのに)


 アンの笑い声。

 ジョンの大きな声。

 カイトの横顔。

 伯母の部屋に飾られていた、インシオン地表の古い写真。


 すべてが、薄い膜の向こうへ遠ざかっていく。


(夢? 違う……現実? それとも、あれが夢……?)


 考えるより先に、意識はまた深く沈んでいった。



 *



 どれほど時間が経ったのか、分からない。

 目を覚ますと、検査を受けて、また眠る。


 その繰り返しだった。


 知らない大人たちが入れ替わりでやって来ては、細い光を目に当て、端末を確認し、手足の反応を確かめた。

 腕へ触れられるたびに、皮膚の下に自分の身体が戻ってきていないことを思い知らされた。


 状況を尋ねても、返ってくるのは当たり障りのない言葉ばかりだった。


「ずっと保護施設の中で眠っていたんだよ」

「後のことは気にせず、ゆっくり休んで」

「今は身体を戻すことだけ考えなさい」


 アンやジョン、セリがどうなったのかも分からない。


 カイトのことを誰に尋ねても、


「まだ会えない」


 としか言われなかった。


 まだ会えない。


 検査が終われば会える。

 身体が戻れば会える。

 もう少し待てば、きっと会える。

 そう思わなければ、眠ることもできなかった。


 けれど、日が経つほど、不安だけが形を持ち始めた。


 急に、自分一人だけが世界に取り残されたような気がした。


 最初に目を覚ました時、艦内のカレンダーは秋を示していた。

 体力が戻り、まともに話せるようになった頃には、季節は冬を越えていた。

 ようやく一人で歩けるようになった頃には、もう春が近づいていた。


(ずっと眠っていたって、どれくらい?)

(どうして誰も、ちゃんと説明してくれないの――)


 艦内放送が、遠くで鳴っている。

 ここが宇宙船の中だということだけは、窓の外を流れる星々が教えてくれた。


 廊下は白く、長く、どこまでも同じ景色が続いている。

 磨かれた床には照明がぼんやりと映り、足元で揺れていた。


 長く動かしていなかった身体の筋力を戻すため、アスミは手すりにつかまりながら、ゆっくりと歩いていた。


 一歩進むだけで、太腿の奥が熱を持つ。

 膝が頼りなく震える。

 呼吸は浅く、少し歩いただけなのに喉が乾いた。


 ――その時。


 曲がり角の向こうから、話し声が聞こえてきた。


「……え? 行方不明ってなに? 医療ポッドの信号、読めないの?」

「回線が切られたらしい。インシオン入ってからまったく分からなくなって、捜索隊も諦めて戻って来たってよ」

「じゃあ、エリンさんの息子さん、行方不明扱いってこと?」


 足が止まった。


 止めようと思ったわけではない。身体が勝手に動きを失った。


(……エリンさんの、息子さん――)

 胸の奥が冷たくなっていく。


 鼓動だけが、急に大きくなる。

 耳の奥で、どく、どく、と鈍い音がした。


(……カイト?)

 指先から力が抜けた瞬間、手すりを握り損ね、身体が傾いた。

 壁へ肩をぶつける。痛みはあったはずなのに、ほとんど感じなかった。


 ふらつく足で、アスミは医務室へ戻った。


 いなくなったって、なに?

 いつから?

 私がここで目を覚ましてから――?

 でも、あれから、もう何か月も経っている。


 何度も聞いた。

 何度も、まだ会えないと言われた。


 自動扉が開く音が、やけに大きく響いた。扉が開いた瞬間、アスミは奥に座っていたエリンを見据えた。


「……行方不明って、どういうことですか?」


 カルテ端末へ視線を落としていたエリンが、顔を上げる。

 アスミを見た瞬間、息がわずかに止まった。

 それから、少しだけ目を伏せる。

「……聞いたのね」


 その表情を見て、アスミは悟った。


 まだ会えないのではない。

 もう、会えないかもしれない。


 その可能性を、何か月も隠されていた。


 胸の内側で何かが切れた。怒りなのか、怖さなのか、自分でも分からなかった。


「……何が起きているのか、誰も教えてくれない。どうして? ちゃんと教えてください!」

 声が震える。

 息がうまく続かず、最後の言葉は掠れた。


 エリンは深く息を吸い、言葉を選ぶように続けた。

「……あなたたちが十三年間眠っていた医療ポッドの施設が、襲撃されたの」


「……十?」

 言葉の意味が、すぐには頭に入らなかった。


 十三年。

 数字だけが、音もなく目の前へ落ちる。


「あのコロニーで暮らしていた時間は、全部プログラム。あなたたちを守るために作られた、仮想環境だったの」

 エリンは一度、言葉を切った。

「カイトとあなたを、セリ、ジョン、アンも一緒に見守っていた」


「……守る、ため……?」


 頭が追いつかない。


 教室。

 窓の外の宇宙。

 アンの笑顔。

 ジョンの声。

 セリの面倒そうな返事。

 カイトの赤い耳。


 どれも、ついこの間まで手を伸ばせば届く場所にあった。


「彼は、その襲撃の時に連れ去られた。誰に連れ去られたのかは、まだ分かっていない」


「……そんな……」

 声が、喉の奥で途切れる。


 ついこの間まで、一緒に教室にいた。


 昼休みの計画を立てて。

 帰り道のことを話して。

 ここに帰ってくると、言っていた。


「……あの教室……」

 プログラムされた世界?


 エリンは答えない。ただ、苦しそうに唇を噛んだ。


「だって……この間まで……嘘……」

 

 床が揺れた。

 違う。揺れたのは、自分の身体だった。

 膝から力が抜ける。

 手すりも、壁も、もう近くにはない。


 自分の身体が崩れ落ちたのか、世界が崩れたのか、区別がつかない。


(私……十三年間も眠っていた?)

(あのコロニーは……全部、作り物?)


 医療ポッドの施設。

 プログラムされた世界。

 セリも、ジョンも、アンも、軍の関係者だった。


 カイト以外、全部、嘘だった。


 エリンから告げられた言葉の断片が、アスミの中で崩れていく。

 完璧にはまっていたはずのパズルが、一片ずつ外れ、足元へ落ちていくように。


 けれど、落ちたはずの欠片は床には見えない。


 目の前の世界は、もう形を保っていなかった。


 立っていることさえできず、壁へ手を伸ばした。

 指先が滑り、何も掴めない。


(カイトがいない)


 その事実だけが、崩れた世界の中に残った。


 喉の奥から、声にならない息が漏れた。


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