Skyーシュミレーションの空ー
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
フラッシュの閃光が、視界を何度も白く塗り潰した。
目の前には、三脚に据えられた無数のカメラ。各国の外務大臣に囲まれ、左右から絶え間なく声を掛けられる。
「こちらへ視線をお願いします」
「REDROSE、もう少し中央へ」
「笑顔をいただけますか」
隣に立つ広報担当者が、手元の端末を確認しながら声を落とした。
「これが終わったら、次は総司令官との面会です」
「了解しました」
その一言を、機械のように返す。
同時に、何度も同じ問いが浮かんでは消えていた。
私は、どうしてここにいるんだろう。
その問いを、一体いつ置いてきたのか。いまとなっては、もう分からない。
ーー数年前
シミュレーターのコクピットから見る宇宙を、綺麗だと思ったことは一度もない。
黒い空間に浮かぶ光点は、どれも同じ距離に見えた。
機体を傾けると、星々が音もなく流れていく。
照準の中央に敵機を捉え、引き金を引くと白い閃光が表示され、遅れて撃墜を知らせる短い電子音が鳴った。
静かすぎる、とアスミは思う。
宇宙は、もっと遠いものだったはずだ。窓越しに眺めるだけでよかった。
触れられなくても、どこまでも続いていると思えれば、それでよかった。
『終了。帰投せよ』
機械音声に従って操縦桿を戻すと周囲の星々が薄れ、やがて白い壁へ変わった。
軽く息を吐きながらヘッドセットを外し、前髪を整えた。
小さな箱のような模擬コクピットから出ると、適性テスト用のシミュレーション室には、もう誰も残っていなかった。
「終了。結果は向こうで受け取れ」
監督官が、室内後方にいるデータ担当の教師を指す。端末の前に座っていた教師が、結果票を一枚取り出した。
「ありがとうございました」
アスミは軽く礼をすると、紙を受け取り、シミュレーション室を早足で出ていく。肩まである髪が少し揺れた。
「どうだった?」
監督官が教師に尋ねる。
「涼しい顔をして帰って行った。S判定だよ。さすがだな」
教師は苦笑しながら、端末の評価画面を監督官へ向けた。
LAA入校適性検査
受験者:アスミ・レイナー
パイロット適性:S
総合判定:RANK S
廊下では、先に試験を終えた生徒たちが、結果票を広げていた。
笑い声の横を通り過ぎながら、アスミは手の中の紙を一度も開かず、半分に折る。
見る必要なんてない。
見たくもない。
どうせ、少ししたら呼び出される。先生から、軍に入れと言われる。
だって私は、オルディア人だから。
*
惑星インシオン近傍の宇宙域に浮かぶ、セレスタ共和国管轄の居住コロニー《アビゲイル》
連合軍基地と宇宙港が併設されたこのコロニーには、インシオンから逃れてきた戦争孤児たちの保護施設や、軍の補給基地が置かれている。
戦争も、軍事産業も、生活のすぐ隣にある。
アスミたちは、それを当たり前のものとして見ながら育った。
放課後のチャイムが鳴り終わっても、教室のざわめきはなかなか収まらなかった。
「技能測定の結果と、配ったプリントを保護者と見ておくように」
担任は最後にそう告げると、教室を出ていった。
机の上には、折りたたまれたテスト結果と、進路調査票が置いてある。
白い紙が、やけに重い。
ただのプリントだ。そう思おうとしても、指先が拒む。
――これを開いた瞬間、進路じゃない。人生が決まる。
(見たくないな)
軍は好きではない。
それでも、このコロニーで生きていれば、軍のことを考えないわけにはいかない。
ニュースや教材で、当たり前のように出てくる単語――《オルタイト》。
特別な鉱石。
特別な力。
特別な血。
その“特別”が増えるほど、軍の影は濃くなる。アスミは、それを知っている。
窓の外には、宇宙空間が広がっていた。
青い惑星――インシオンは、コロニーの影に隠れて滅多に見えない。
「アスミ!一緒に帰ろ?」
元気な声とともに、アン・ヘンドリックが机に身を乗り出した。
肩口で揺れる栗色のボブ。くりっとした大きな目。よく動く表情は、教室の中でもひときわ明るい。
「あっ、ごめん。今日はカイトと約束しちゃってて」
アスミがそう言うと、アンはわざとらしく肩を落とした。
「え〜! 残念。じゃあ、明日は一緒に帰ろうね!」
アスミは笑顔でアンに答えた。
「うん。明日は一緒に帰ろう」
中学に入学して最初に、話しかけてくれたのがアンだった。
気が合うのか、アンと一緒にいると、人見知りのアスミでも、いくらか自然体でいられた。
教室の後ろから、男子たちの声が聞こえてきた。
「お前、技能試験なんだった?」
カイトの声だ。
「……Aだけど」
面倒くさそうに答えたのは、セリ・アンダーソン。
深いブラウンの髪をセンターパートに分けた、長身の少年だった。
整った顔立ちと落ち着いた目元をしているが、本人の無愛想さのせいか、華やかな印象は薄い。
「くっそ、同じかよ!」
「……どういう意味だよ」
「お前ら、どうせパイロット養成科に行くんだろ! 俺なんか技能判定Cだから、内勤職しか選べないんだぞ!」
大げさに嘆いているのは、ジョン・ラブラトリーだった。
オレンジブラウンの癖毛と、どこか愛嬌のある顔立ち。騒がしいのに憎めない、クラスのムードメーカーだ。
「やだ。うるさいのもついて来た……」
アンが小声で呟き、あすみの横でため息をつく。
(パイロット養成科……)
空を飛ぶことに、憧れがないわけではない。
このコロニーで育った子どもなら、誰だって一度は、ヴィーラに乗る自分を想像したことがある。
数多くのエリートを輩出してきたLAA航宙アカデミーも、パイロットを志す学生にとっては夢の学校だった。
けれど、アスミは――。
「――アスミ! お待たせ。帰ろうぜ」
扉のところで手を振る声に、我に返る。
黒髪を短く切った少年――カイト・ボリーが、いつものように少し無表情で、それでもほんの少しだけ口元を緩めて立っていた。
「うん。じゃあ、また明日ね」
そう言ってアスミが立ち上がると、アンがひらひらと手を振る。
「またね!」
アスミとカイトが教室を出ていく。
ジョンは窓際へ寄り、校舎の外へ目を向けた。少し遅れて、セリとアンも窓の近くに残る。
やがて、二人が校舎を出て、門へ向かって歩いていく姿が見えた。
「……あいつら、ずーっと仲いいよなー。俺も彼女欲しいなー。いいなー」
ジョンが窓際で大きく伸びをする。癖毛が、動きに合わせて跳ねた。
カバンにプリントをしまいながら、セリが呆れたように言う。
「お前は、LAAに受かるように勉強しろよ」
「なんでまた受けなきゃいけないんだよ。特待生だったのによ。なぁ?アン」
「……さあね。免除されるかは、先輩に聞いてよ」
さっきまでの甘い声とは打って変わって、アンの声が急に冷たくなる。
さっきまで笑っていた大きな目も、今は笑っていない。
「……相変わらずの態度豹変だなお前は」
ジョンは、その変化に口元を緩ませた。
アスミの前以外では、愛想を振りまかない。いつものアンだった。
アンは、ふん。と鼻を鳴らして二人に背を向け教室の出口へと歩いていく。
「アン、戻るのか?」
セリが、少しだけ真面目な声で尋ねる。
アンは、セリの方へ少し顔を戻し、視線だけを送った。
「……私のこと、気軽に名前で呼ばないで」
その一言に、セリは一瞬、言葉を失う。アンはそれ以上何も言わず、教室を出ていった。
ジョンは窓枠に手を置いて腕を伸ばしながら、セリの肩越しに、廊下を歩いていくアンを見た。
「怖。アスミ取られて、ご機嫌ななめかよ」
*
学校から居住区へ続くガラス張りの連絡通路を、アスミとカイトは並んで歩いていた。
通路の外には、整然と並ぶ居住区と、遠くにヴィーラ用の訓練場が見える。
白い機体が何機も並び、夕方の照明を受けて淡く光っていた。
金属の光は綺麗だった。けれど、アスミは何も感じない。
金属よりも、本物の宇宙の星や、木や、花の方がずっと美しいと思えた。
「……お前、技能試験のプリント、もう見た?」
少し前を歩いていたカイトが、顔だけを振り向けてアスミを見る。
「……まだ見てないよ」
アスミは、カイトから目を逸らした。
「見とけよ。進路、決めないと」
カイトはそれ以上聞かなかった。アスミの伏せた目元に、長いまつ毛の影が落ちている。
そこからそっと視線を外し、顔を前へ戻す。遠くに浮かぶ宇宙港の光を見ながら、言った。
「カイトは?」
「俺はパイロット養成科!」
少しだけ胸を張る。
「この宇宙を飛べるの、ワクワクするだろ? SKYの実機訓練とかさ」
カイトの笑顔に、笑い返した。
「うん。夢だったもんね」
ガラスに映る横顔を見る。カイトの瞳は、宇宙の黒を映してきらめいていた。
(……この横顔、好きだな)
その言葉を、声に出したことは一度もない。
物心ついた頃には、もうカイトは隣にいた。同じ居住棟の隣室で、医師である母親と二人で暮らしている。
伯母と二人で暮らすアスミにとって、彼らは家族にいちばん近い存在だった。
でも、自分たちのことを深く話したことはない。
知られたくないわけではない。
ただ、知られれば何が起きるのか分からなかった。
オルディア人は、オルディア帝国による民族狩りの標的になっている。
「……でも、ちゃんと帰ってくるから」
「……え?」
「ここに、ちゃんと帰ってくるからな」
そう言ったカイトの耳が赤いことに、アスミは気づいた。
何気ないその一言が、胸の奥深くへ落ちていく。
帰ってくる。
当たり前みたいなその言葉が、この世界では、ときどき当たり前ではなくなる。
「カイト、耳赤い」
カイトは咄嗟に片手で耳を覆い、ばつが悪そうに言った。
「見るなって」
アスミは、くすりと笑った。
「……待ってるよ」
自分の声が、思ったよりもずっと小さく震えていることに、気づかないふりをした。
*
家のリビングは、二人で暮らすには十分なほど広かった。
食卓の横の棚には、赤ん坊の頃のアスミと両親との写真、叔母やカイトたちと映った写真が飾られている。
それ以外には、余分なものがほとんどない。
まるで、いつでも引っ越せるように準備されているかのように、部屋は綺麗に片づいていた。
湯気の立つカップが、テーブルの上に置かれて甘い香りが一瞬だけ広がり、すぐに消えた。
「まだ考えていいのよ?」
伯母は柔らかく言う。けれど、柔らかい言葉ほど、このコロニーでは現実を隠している。
アスミは、結局プリントを一度も開かないまま答えた。
「私、LAAには行かない」
「……いいのね? それで」
伯母の目が真剣になる。
アスミは少しだけ視線を落としてから続けた。
「……軍は好きじゃないの」
シンプルな言葉。でも、その裏には、たくさんの感情が詰まっている。
母は軍の研究者だった。そして、オルディア狩りで死んだ。
父はパイロットだった。輸送中に行方不明になった。
二人とも、もういない。
(軍に関わらなければ、あの人たち、今もどこかで笑っていたのかな)
そんな「もしも」を考えてしまう自分が、嫌だった。
「そう……」
伯母は小さく息を吐いた。
「学校の先生も、行かせたがっているでしょうね」
「……分かってる」
アスミは苦笑いで返した。
「でも、私は普通科でいい。普通に勉強して、普通にどこかで働いて――」
カイトや、みんなと同じ空を見て生きていければ、それでいい。
「――普通、ね」
伯母はカップをひと口飲んでから、頷いた。
「……いいわ。それが、あなたの選んだ道なら」
伯母の横で、壁の時計の針だけが静かに時を刻んでいた。
(……軍なんかに、行かない)
そう心に決めて、その夜は眠りについた。
端末が、枕元で一度だけ光った。
警報ではない。ただの通知音が、静かな部屋に嫌に大きく響く。
アスミは目を開けた。
息が止まるほど短い沈黙のあと、伯母が隣室で立ち上がる気配がした。
壁の時計だけが、変わらない速度で進み続けていた。
*
宇宙は、音を持たない。
コロニーの公転軌道からわずかに外れた位置に、一隻の艦が静止していた。
艦体の識別灯は最小出力に落とされ、外殻を縁取る光は、星の瞬きと見分けがつかないほど淡い。
通信も必要最低限。広い宇宙に溶け込むように、その艦はそこに在った。
――ノーザンクロス。
その内部、監視システム区画。
壁面いっぱいに投影されたスクリーンの中央に、回転するコロニーの断面が映し出されている。
その一角が拡大される。
教室で机に肘をつき、友人と笑い合う少女。
音声は、わずかに遅れて届く。
映像と声の間に生じる、ほんの数拍のずれ。それが、ここが“その場所”ではないことを示していた。
モニタの下で、医療担当者がヘッドセットを外す。耳から離した瞬間、密閉されていた呼吸がわずかに荒くなる。
その背後では、ラナ艦長が腕を組んだまま立っていた。
揺れのない姿勢。視線は、スクリーンに固定されたままだった。
「どうだった?」
低く抑えた声が、区画の静寂をわずかに揺らす。
担当者は一度、喉を鳴らしてから報告した。
「……志願はしません。軍には入りたくないと」
スクリーンの中では、少女が友人に笑いかけている。
こちらの沈黙など、知る由もない。
ラナは小さく息を吐いた。
落胆でも、安堵でもない。事実を受け取っただけの吐息。
「でしょうね」
短い沈黙が落ちる。
モニタの数値が静かに更新され、脳波と生体反応が規則正しく波を描く。
担当者が、視線を落としたまま続けた。
「覚醒予定は春ですが、予定どおり起こしますか?」
ラナの視線は、依然として画面から動かない。
「変更はない。次の保護施設視察の時に、もう一度上へ掛け合う。LAAには進学させない。カイトの件も、同じように打診する予定よ」
少女の笑顔が、スクリーンの端で一瞬揺れた。
通信遅延か。回線の負荷か。
すぐに安定する。
ラナは、モニタの光に横顔を照らされながら、かすかに目を細めた。
遠いコロニー。その内側にある教室。笑い声。
それらすべてが、この艦の中では数値と映像に変換されている。
「……無理やり連れて行くようなことにならなければいいけど」
誰に向けたとも分からない、独り言のような声だった。
区画の外、艦体の奥で機関が低く唸る。
宇宙は、変わらず静かだ。
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