Sky48-ブリッジヘッドの炎-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
翌朝〇六〇〇。格納庫の空気は、いつもより張り詰めていた。
天井の照明が機体の装甲を白く照らし、整備班の足音と工具の金属音があちこちで響いている。冷却剤と油の匂いが混ざり合って、いつもと違う濃さで肺に入ってきた。
タミルが機体の下でジャッキを外し、工具を床に置く。カチャン、という音が、高い天井へ跳ね返っていった。
「今日のは、長くなりそうです」
カイトが言う。
「分かってる」
タミルは作業の手を止めずに、目だけをカイトに向けた。
「帰ってこれなかったら、整備班全員で呪ってやるからな」
「ひどいな」
「それくらい言わないと、お前みたいなやつは止まらんだろ」
カイトは苦笑して、機体の腹を軽く叩いた。まだ起動していない機体は、眠っているように冷たい。
「命までかけませんよ」
「どうだかな。傷一つつけるなよ。丁寧に飛べ」
「分かってます」
背中越しに、タミルの「嘘つくな」という声が聞こえた気がした。カイトは振り返らずに、格納庫の奥へ向かった。
*
ブリーフィングルームに入ると、既に全員が揃っていた。天井の低い、密閉された空間。もともと倉庫だったのだろう、壁には古い配線ボックスが剥き出しのまま残っている。
スクリーンには、昨日とは違う地図。小国群の境界線付近に、赤い点がいくつも並んでいた。その光が室内を薄暗く照らし、誰の顔もうっすらと血の色に染めている。
「おはよう、ボリー。今日のブリーフィング、長くなりそうね」
リアがいつものパーカー姿で、膝の上の端末に指を滑らせている。
「そう?」
カイトがヘルメットを椅子の下に置く。
「ミナがデータ山盛り準備してたわ。民間施設の配置図まで」
リアが端末を指で叩く。カツカツという小さな音が、静かな室内に響いた。
「……細かいな」
「細かくないと、間違えるからね」
リアが端末から目を上げて、カイトを見る。その言葉の奥に、何かが沈んでいる。カイトは、それ以上何も言わなかった。
「着席を」
ミナの声に促されて、カイトは自分の席に座った。椅子の冷たい金属が、背中に触れる。
前方のスクリーンで地図が拡大され、部屋全体が青白く染まった。
「じゃ、始めよう」
ニコの声が、スピーカーから響く。
「今日の目標。帝国の南方前進拠点、コードネーム〝ブリッジヘッド〟」
スクリーンに、建物群の画像が映し出される。
倉庫。港。鉄道の引き込み線。どこも、半分は民間施設に見えた。建物の窓に、光が灯っている。
「ここが、帝国南下の補給拠点です」
ミナが、レーザーポインタで画像を指す。赤い光が、建物の輪郭をなぞった。
「ここを経由して、小国群への物資・兵力が流れています。この拠点が稼働している限り、帝国の南下は止まりません」
「民間施設、混ざってるな」
ウィリスが、腕を組んだまま言う。その声に、わずかな警戒の色が混ざっていた。
「はい。元々は、オルシア沿岸共和国の貿易港でした。帝国が占領後、軍事転用しています」
画像が拡大される。倉庫の壁に、古い看板が見えた。港湾会社の名前。色あせた文字。その隣に、真新しい赤と黒で帝国軍の紋章が描かれている。
「現地住民の状況は?」
リアが、端末から目を上げて訊く。
「大半は避難済みです。ただし……」
ミナが言葉を切る。
その間が、やけに長く感じられた。
「一部、労働力として徴用された民間人が残っている可能性があります」
室内が、静かになる。誰も動かない。換気ダクトの低い音だけが、かすかに響いていた。
カイトは、スクリーンの中の建物を見つめた。灯りのついた窓。その向こうに、誰がいるのか。
「可能性、か」
サジが、椅子を傾ける。軋む音が、静寂を破った。
「確認は取れていません。帝国側の情報統制が厳しく、詳細は不明です」
ミナの声に、抑揚はない。ただ、その平らさの下に何かが沈んでいる。
「……で、俺たちは?」
「ここを叩く」
ニコが、あっさり言った。その言葉が、空気を変える。
「補給線を断つ。ここが落ちれば、帝国の南下が遅れる」
スクリーンに、赤い×マークが付いた。
ブリッジヘッド。
その×の下に、どれだけの人がいるのか。
「作戦手順です」
ミナが、新しい画面を表示する。
「第一段階。対空砲座の制圧。全十二基を順次撃破します」
地図上に、対空砲座の位置が赤い点で示される。一つ、また一つと、点が増えていく。
「第二段階。主要施設への攻撃。倉庫、港、鉄道施設を順次破壊します」
攻撃順序が、番号付きで表示された。
一、二、三、四……。
その数字一つひとつが、爆発を意味している。
「第三段階。離脱。敵増援が到着する前に、高度を上げて撤収します」
予想タイムラインが表示される。作戦時間、推定四十五分。
四十五分。その短い時間の中で、どれだけのものが壊れるのか。
「リスクは?」
ウィリスが訊く。
「対空砲火が予想以上に密集しています。回避行動中の被弾リスクは中程度。また、増援到着時間が予測より早い可能性があります」
赤い円が、地図の上に重なっていく。
「要するに、ぐずぐずしてると囲まれるってことか」
サジがぼやく。
「その通りです」
ミナが頷いた。
カイトは、スクリーンの×マークを見つめる。
――ここを叩かないと、この先の街が死ぬ。
――でも。
――ここを叩けば、ここにいる誰かが死ぬ。
どっちも、正しい。どっちも、間違ってる。
その矛盾が、胸の奥で渦を巻いている。昨日、地図の上で見ていたものが、今日は窓の灯りになって目の前にある。
「質問は?」
ニコの声に、誰も手を挙げなかった。
換気の低い音だけが、かすかに響いている。誰もが、言葉を探している。でも、見つからない。
「じゃ、出撃準備。一〇三〇発進」
「了解」
椅子が軋む。メンバーが、それぞれの持ち場へ散っていく。足音が、一人、また一人と廊下に消えていった。
カイトは、最後まで地図を見ていた。その×マークを、見つめていた。
*
出撃準備区画へ向かう通路で、サジが隣に並んだ。ブーツの音が、二人分響いている。
「なあ、ボリー」
「何」
カイトは前を見たまま答える。
「ブリッジヘッド、民間施設混ざってたな」
サジがパイロットスーツのジッパーを上げながら言う。軽い口調。でも、その言葉の重さは、ちゃんと分かっている。
カイトは、何も返さなかった。返せる言葉が、見つからなかった。
サジも、それ以上は何も言わない。二人分の足音だけが揃って、通路の奥へ消えていく。
その足音が、やけに重く聞こえた。
*
パイロットスーツを着て、ヘルメットを手に取る。重さが、手のひらに伝わる。いつもと同じヘルメット。でも、今日は何かが違う。
コクピットに座り、システムを起動する。スクリーンに、緑の文字が次々と並んでいく。
《ヴィーラ起動確認》
《武装チェック完了》
《推進系正常》
全部、正常。
でも、胸の奥が、ざわつく。
カイトは、深く息を吸った。空気が肺に満ちていくのに、息苦しさが消えない。
スロットルに手をかける。グリップの表面の細かな凹凸が、掌に伝わってくる。
「こちらコアシップ。全機、発進準備完了を確認」
ニコの声が、ヘッドセットから流れてくる。
「Fox、準備完了」
「Shade、準備完了」
「Vector、準備完了」
自分の声が、ヘルメットの中で反響した。
「了解。カタパルト起動。全機、発進」
機体が、前へ押し出される。加速。身体が、シートに押し付けられる。呼吸が浅くなる。
そして――夜空へ出る。
*
暗闇の中を、三機が並んで飛ぶ。
月明かりが、機体の装甲に反射している。眼下に、大地の影が広がっていた。
《残り八〇〇キロ》
その数字が、ゆっくりと減っていく。
「低空侵入に移行する。敵レーダーに映らないよう、高度を下げろ」
ニコの指示に、カイトは機体を傾けた。惑星の重力が、じわりと身体を引っ張る。下へ、下へと。
高度を下げるにつれ、大気の抵抗が増して機体がわずかに震える。地形が見えてくる。山の稜線。森の黒い影。遠くで、川が月明かりを反射し、銀色の線になって大地を這っていた。
「高度五〇〇〇。降下継続」
「Fox、了解」
「Shade、了解」
「Vector、了解」
白い雲が視界を覆い、その下に陸地の輪郭と海岸線が現れる。そして――夜の地上。街の灯りが、点々と散らばっている。
その中に、一際明るい場所があった。ブリッジヘッド。
港の照明。倉庫の窓明かり。鉄道ヤードの作業灯。
遠くから見ると、それはまるで普通の港町のように見えた。
《目標地点まで、残り二〇〇キロ》
レーダーに、地上施設群が浮かび上がり始める。倉庫。港。鉄道の引き込み線。
その中に、小さな光が点々と並んでいる。街灯。人がいるという証拠。
カイトは、その光を見つめた。
「……来たな」
ウィリスの声が、通信に乗る。
目の前に、ブリッジヘッドが見えてくる。スクリーンの中で、目標地点が赤く点滅していた。
その向こう側に、何があるのか。誰がいるのか。
考えるな。今は、任務だけを見ろ。
自分に言い聞かせて、カイトはスロットルを握り直した。手のひらに滲んだ汗で、グリップがわずかに滑る。
*
対空砲火が夜空を裂く。
地上から、光の線が次々と立ち上ってくる。それはまるで、地面から天へ伸びる槍のようだった。光の線が交差し、網を作り、空を埋め尽くしていく。その網の隙間を、三機が縫うように飛ぶ。
「回避!」
ウィリスの声と同時に、カイトは機体を傾けた。重力が全身にのしかかり、視界の端が暗くなっていく。
閃光がすぐ横をかすめ、熱が機体の外装を撫でた。警告音が、コクピットに鳴り続ける。
スクリーンに、敵の対空砲座の位置が次々と表示された。
《敵対空砲・十二基》
《レーダー照射・継続中》
「こっちの存在、バレてるな」
サジの声が、少し息が上がっている。
「いつものだ」
ウィリスが、淡々と返す。
「いつもでも、慣れねぇよ」
サジが短く息を吐いた。
対空砲火が、また一斉に飛んでくる。光の網が、逃げ道を塞ぎながら三機を追いかけてくる。
カイトは機体を捻って回避する。でも、次が来る。また次が。
警告音。敵照準ロック。
「Vector、右側の砲座を潰せ」
「了解」
カイトは照準を合わせる。赤い点が、照準の中心に収まっていく。
指が、トリガーの上で止まる。
――その下に、誰がいる?
でも、考えている時間はない。照準が外れる。また合わせる。
指に、力を込める。
発射。
ミサイルが機体から離れ、白い軌跡が暗闇に伸びていく。
数秒後、爆発。
対空砲座が火を噴いた。赤い火球が膨らみ、金属の破片が夜空にきらめく。
《敵対空砲・残り十一基》
「いいぞ、ボリー。その調子で行け」
ニコの声が響く。
「Fox、左側を頼む」
「了解」
サジの機体が、別の砲座へ向かう。閃光。爆発。また一つ、赤い火球が夜を染める。
《敵対空砲・残り十基》
一つずつ、潰していく。でも、敵も黙っていない。対空砲火が、さらに激しくなる。
重力が、身体を押しつぶす。息が苦しい。意識が、わずかに遠のきかける。
「くそ、増援か!」
サジが叫ぶ。スクリーンに、新しい光点が追加された。
《敵増援・対空砲四基》
「キリがないな」
ウィリスがぼやく。でも、手は止めない。またミサイルが飛び、また爆発が起きる。
カイトは、スクリーンの中の地上施設群を見つめた。
倉庫。港。鉄道の引き込み線。まだ、いくつかの窓に明かりが残っている。
人がいる。
照準を合わせる。今度は、倉庫。大きな建物。古い看板が見える。港湾会社の名前。色あせた文字。
心臓が、速く打つ。その鼓動が、耳の中で響いている。
――その中に、誰がいる?
顔は、浮かばない。見たことがないからだ。
それなのに、知らない誰かの形だけが、勝手に像を結ぼうとする。作業服の背中。走る影。何かを叫んでいる口の形。
声は、聞こえない。
でも、ここを落とさないと――。
カイトは、唇を噛んだ。唇の端がわずかに切れて、鉄の味が口の中に広がる。
指に、力を込める。
発射。
ミサイルが倉庫へ向かう。白い軌跡を、目で追う。
爆発。
建物が内側から膨らみ、窓が吹き飛ぶ。ガラスの破片が夜空にきらめき、屋根が内側に折れ、壁が崩れる。爆発の熱波が周囲の空気を歪ませ、隣の建物の窓ガラスが連鎖的に割れていく。倉庫の中から、何かが燃える匂いが立ち上る。油か、木材か、それとも――。
煙が、黒い柱となって空へ昇っていく。
カイトは、その光景を見つめる。
答えは、出ない。見えない。
ただ、建物が崩れていく。
「Vector、次の目標へ」
ニコの声が、冷たい。
「……了解」
カイトは、視線を次の目標に移す。港。
目を閉じた。ひと呼吸だけ。
そして、目を開ける。呼吸を、一度だけ深く吸って、吐き出す。
発射。
閃光。爆発。
今度は、何かに引火したのか、火柱が立った。黄色い炎が黒い煙と共に空へ伸び、地面を赤く照らす。その光が、周囲の建物を染めた。
スクリーンの中で、ブリッジヘッドが崩れていく。建物が一つずつ消え、それに合わせて対空砲火も痩せていった。
《敵対空砲・残り三基》
「あと少しだ。押し切れ」
ウィリスの声。
カイトは最後の砲座に照準を合わせた。手が、震えている。スロットルを握り直しても、震えが止まらない。
もう、何も考えない。
考えたら、指が動かなくなる。
発射。ミサイルが飛ぶ。爆発。
《敵対空砲・全滅》
「よし、帰還する。全機、離脱」
ニコの指示に、カイトは機体を上昇させる。
下を見る。
ブリッジヘッドが、燃えている。倉庫も、港も、鉄道の引き込み線も、全部。
港の岸壁が炎に照らされて赤く光り、鉄道の線路が熱で歪んでいくのが見える。倉庫群の屋根が次々と崩落し、その度に火の粉が夜空に舞い上がった。海面に炎が反射して、黒い水が赤く染まっている。
その火の海の中に、街灯の光はもう見えない。
ただ、燃え盛る建物だけが、夜を照らしている。
黒い煙が、幕のように空を覆い、星を隠していく。
カイトは、その光景を見つめたまま、機体を上昇させた。
手が、まだ震えている。呼吸が、浅い。喉が、乾いている。
目を閉じても、炎が見える。
*
コアシップのデッキに着艦する。
機体が床に接地する重い音が、格納庫全体に反響した。
整備班が、すぐに機体の周りに集まってくる。誰かが「損傷チェック」と叫んでいる。油と金属の匂いに、わずかな焦げた匂いが混ざっていた。機体の外装が、まだ熱を持っている。
カイトはコクピットから降り、ヘルメットを外した。
耳が、キーンと鳴っている。外した後も、高い音が頭の中で響き続けていて、爆発音も、サジの声も、全部その音の向こう側にある気がした。
格納庫の空気が冷たい。汗が冷えて、パイロットスーツの内側が肌に張り付いている。
「お疲れ、ボリー」
サジが近づいてきて、肩を叩く。その手の重さが、やけに軽く感じられた。
カイトは、何も返せなかった。ただ、頷くだけ。ヘルメットを脇に抱えたまま、動けない。
サジは、それ以上何も言わずに、格納庫の奥へ歩いていった。ブーツの音が、遠ざかっていく。
*
デブリーフィングルーム。
さっきと同じ部屋。でも、空気が違う。誰もが疲れた顔をしている。椅子に深く座り込んでいる者。壁にもたれている者。
ミナがスクリーンに作戦結果を映し出す。青白い光の中で、誰の目も、スクリーンを見ているようで、見ていない。
《目標:ブリッジヘッド》
《達成率:九八%》
《損害:なし》
九八%の文字が、やけに大きく見える。
「作戦成功です」
ミナの声は、いつも通りだった。でも、その奥に、何かが沈んでいる。
「お疲れ様。このままヴェスタリアに寄って補給するから、休んでおけよ」
ニコの声だけが、スピーカーの向こうから届いた。
誰も、何も言わない。成功。その言葉の重さが、部屋を満たしている。
「耳鳴りひどい?」
リアが、カイトの隣に座る。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま。
「……うん」
「それ、しばらく残るよ」
リアは、小さく笑った。でも、その笑顔はいつもより薄い。目が、笑っていない。
「慣れる?」
「慣れない」
即答だった。リアが首を横に振る。
「でも、飛ぶ」
リアがスクリーンを見上げる。
「……うん」
カイトは頷いて、また前を向いた。
《達成率:九八%》の文字を見つめる。
九八%。その数字の向こう側に、何があったのか。誰がいたのか。
残りの二%が何なのかは、誰も言わなかった。
答えは、出ない。
*
休憩を挟む間もなく、ARCLINEはヴェスタリアへ寄港した。
港の灯りが、艦の窓から見える。中立国の港は、戦場とは違う光を放っていた。看板の光。人々の生活の光。石造りの岸壁。古い倉庫群。その向こうに、街の明かり。それらが、静かな夜の海面に反射している。
平和な光景だった。
「ニコ、王女様には連絡したか?」
ケイが艦橋のコンソールに手をかけたまま訊く。
「いえ。寄港するから場所開けてくれってだけです。まあ……来そうな気はしますけど」
ニコは椅子に座ったまま、片手で端末を操作している。
ミナが端末から顔を上げた。
「王女様って、ヴェスタリアの? 中立筋の窓口、ニコのところですよね」
言いながら、手元のデータを整理している。
「余計な口動かさない。手を動かす」
ニコが肩をすくめる。
ケイがふっと笑った。
「相変わらず、お前んとこのは活発だな」
煙草に火をつけながら、窓の外を見る。
「活発っつーか……手がかかるというか。苦手なんだよなあ」
ニコは頭をかきながら苦い顔で笑い、端末の画面を閉じた。
その時、船底の影が動いた。
積荷係が顔を上げ、誰かを見て、すぐに目を逸らす。
呼ばれたケイが、手すりを掴みながら階段を降りてくる。ブーツが金属の階段を踏む音が、規則正しく響いた。
階段の途中で、足が止まる。
そこに立っていたのは、夜の港には似つかわしくない姿だった。
質素だが仕立ての良い服。背筋の伸びた立ち姿。積荷と油の匂いの中で、オッドアイの女性が一人だけ、違う空気を纏っている。
オフィーリア・アリア・ヴェスタリア。ヴェスタリア王国の王女が、そこには立っていた。
「……おいおい。本当に来やがった。バレたらまずい」
ケイが階段の手すりから手を離し、煙草を口から外す。
アリアはケイを見つけると、微笑んだ。
「……お久しぶりですね。ケイ・レイナー。うちの者は役に立っていますか?」
数歩前に出る。その歩き方は、船の床を歩いているようには見えなかった。
「……ああ。即戦力だ」
ケイが短く頷く。
「そう。それは良かった」
アリアが小さく息をつく。
遅れて、ニコが同じ階段を降りてきた。足音が、ケイよりも速い。
アリアを見た瞬間、表情が固まったまま、視線だけが泳いだ。
積荷の影。金属製のコンテナ。薄暗い照明。その中で、二人が向かい合っている。周囲の積荷係たちは、気づかないふりをして作業を続けていた。工具を持つ手。チェックリストに落とした目。誰もが、この場の空気を察している。
「……やっぱりなあ。また抜け出してるじゃないですか」
ニコが額に手を当てる。
アリアはまっすぐニコを見た。
「ニコ、元気そうね」
「はい」
ニコが短く答える。視線は合わせない。
「良かった。寄港すると聞いたから、無事か見に来たの」
アリアが一歩、近づく。
ニコは一度だけアリアを見て、すぐに目を逸らした。喉が動く。
腕を組みながら、いつもより少し低い声で言う。
「……無事です。城へ戻ってください。怒られますよ」
アリアが首を傾げた。
「わかってるわ。お前の顔を見に来ただけよ」
ニコが肩を落とす。アリアを見ているが、目は合わない。
「……見せました。戻って」
アリアは、ニコに向けていた目をケイに戻す。背筋を伸ばし、仕事の顔に戻った。
「わかったわ。補給項目は全て用意させました。積み込みが完了したら、すぐに外海へ」
ケイはニコを一度だけ横目で見てから、アリアに視線を戻して短く答えた。
「わかった」
「……今回の南下作戦で、ヴェスタリアも安全ではないの」
そう言うと、アリアは踵を返し、去っていった。もうニコに目線は向けない。
彼女の足音が、船底の金属床に響く。一歩、また一歩と。その歩調は乱れない。
近くで見ていた積荷係のリアとサジ。サジが手に持っていた端末を脇に置き、リアが荷物リストから目を上げる。
「ニコが軽口じゃないの珍しいな」
サジがニコのほうを見ながら言った。
「詮索すんな。ほら、チェック。出港遅れる」
リアが小声で言いながら、また作業に戻る。
ニコが二人のほうを向いて、手を振った。そしてケイと一緒に中へ戻っていく。
「はいはい」
サジが肩をすくめて、また端末を手に取った。
*
夜の艦内は静かだ。ヴェスタリアの港に寄港しているからか、艦内に人が少ない。廊下の照明が、いつもより暗く感じられた。
カイトは自室のベッドに横になる。
狭い部屋。金属の壁。小さな窓から、港の明かりが見える。ベッドの硬さ。毛布の重さ。それらが、いつもと同じ。でも、何かが違う。
眠れない。
耳鳴りが、まだ残っている。高い音が、頭の中で響き続けている。
目を閉じると、炎が見える。ブリッジヘッド。倉庫。港。鉄道の引き込み線。全部、燃えている。
その炎の中に、街灯の光はもう見えない。
オレンジ色の光だけが、瞼の裏に焼き付いて、消えない。
――俺は、何人守って、何人殺したんだろう。
――きっと、両手じゃ数え切れないくらい殺した。
カイトは天井を見上げた。
白い天井。何もない。ただ、白いだけ。
難民船団を守った。補給線を断った。ブリッジヘッドを落とした。
全部、誰かを守るため。全部、誰かを殺すため。
その「誰か」の顔は、見えない。見えないまま、明日もまた飛ぶ。
そして――また、撃つ。それが、俺の仕事だ。カイトは、目を閉じた。
耳鳴りは、まだ残っていた。炎の光が、瞼の裏に焼き付いたまま消えない。
その光の中に、何があったのか。誰がいたのか。
もう、確かめる術はない。
ただ、炎だけが、記憶の中で燃え続けている。
本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。




