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SKY  作者: RUI


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48/68

Sky48-ブリッジヘッドの炎-

 


 翌朝0600。格納庫の空気は、いつもより少しだけ張り詰めていた。


 天井の照明が、機体の装甲を白く照らしている。

 整備班の足音が、あちこちで響く。工具の金属音。冷却剤の匂い。

 油の匂いが、空気に混ざっている。それらが混ざり合って、いつもと違う緊張感を作り出していた。


 タミルが機体の下でジャッキを外しながら、ぼそりと言う。

 工具を床に置く音が、カチャン、と鳴った。床に当たる金属の音が、格納庫の空間に反響する。


「今日のは、長くなる」


 カイトがタミルを見ながら言う。


「分かってる」


 タミルは作業の手を止めずに目だけをカイトに向ける。


「帰ってこれなかったら、整備班全員で呪ってやるからな」


「ひどいな」


「ひどくない。整備班の総意」


 カイトは苦笑して、機体の腹を軽く叩いた。

 冷たい金属の感触が、手のひらに残る。

 指先に、機体の温度が伝わってくる。まだ起動していない機体の、眠っているような冷たさ。


「行ってくる」


「壊すなよ」


「壊さない」


 背中越しに、タミルの「嘘つくな」という声が聞こえた気がした。

 カイトは振り返らずに、格納庫の奥へ向かった。


 *


 ブリーフィングルームに入ると、既に全員が揃っていた。

 天井の低い、密閉された空間。金属の壁が、わずかに冷気を放っている。

 スクリーンには、昨日とは違う地図。小国群の境界線付近。

 赤い点が、いくつも並んでいる。

 その光が、室内を薄暗く照らしている。壁に反射する赤い光が、誰の顔も血の色に染めているように見えた。

 換気ダクトから流れる空気が、わずかに金属の匂いを運んでくる。誰かのフライトスーツが擦れる音。椅子の軋み。それらが、静寂の中ではっきりと聞こえた。


「おはよう、ボリー。今日のブリーフィング、長くなりそうね」


 リアがいつものパーカー姿で椅子に座っている。

 膝の上に端末を置いて、画面を眺めている。指が画面の上を滑っていく。

 彼女の後ろの壁には、古い配線ボックスが剥き出しになっている。この部屋はもともと倉庫だったのだろう。急造のブリーフィングルームの匂いがした。


「そう?」


 カイトがヘルメットを椅子の下に置く。


「ミナがデータ山盛り準備してたわ。民間施設の配置図まで」


 リアは端末を指で叩く。カツカツという小さな音が、静かな室内に響いた。


「……細かいな」


 カイトが椅子に座りながら答える。


「細かくないと、間違えるからね」


 リアが端末から目を上げて、カイトを見る。


 その言葉の奥に、何かが沈んでいる。

 カイトは、それ以上何も言わなかった。


「着席を」


 ミナの声に促されて、カイトは自分の席に座った。

 椅子の冷たい金属が、背中に触れる。フライトスーツ越しでも感じる、その冷たさ。


 前方のスクリーンに、地図が拡大される。

 光が強くなって、部屋全体が青白く染まる。その光の中で、誰もが無言だった。


「じゃ、始めよう」


 ニコの声が、スピーカーから響く。


「今日の目標。帝国の南方前進拠点、コードネーム”ブリッジヘッド”」


 スクリーンに、建物群の画像が映し出される。

 倉庫。港。鉄道の引き込み線。

 どこも、半分は民間施設に見える。

 建物の窓に、光が灯っている。その光が、まだ人がいることを示していた。


「ここが、帝国南下の補給拠点です」


 ミナが、レーザーポインタで画像を指す。

 赤い光が、建物の輪郭をなぞる。その光が、まるで照準を合わせているように見えた。


「ここを経由して、小国群への物資・兵力が流れています」


 スクリーンが切り替わる。

 物資の流れを示す矢印が、地図の上に追加される。


 帝国本土 → ブリッジヘッド → 小国群。


 矢印が、まるで血管のように、地図の上を這っている。


「この拠点が稼働している限り、帝国の南下は止まりません」


 ミナの声が、少しだけ低くなる。


「民間施設、混ざってるな」


 ウィリスが、腕を組んだまま言う。その声に、わずかな警戒の色が混ざっていた。


「はい。元々は、オルシア沿岸共和国の貿易港でした。帝国が占領後、軍事転用しています」


 画像が拡大される。

 倉庫の壁に、古い看板が見える。港湾会社の名前。色あせた文字。

 その隣に、新しい帝国軍の紋章が描かれている。真新しい赤と黒の色。


「現地住民の状況は?」


 リアが、端末から目を上げて訊く。


「大半は避難済みです。ただし……」


 ミナが一瞬、言葉を切る。

 その一瞬の間が、やけに長く感じられた。


「一部、労働力として徴用された民間人が残っている可能性があります」


 室内が、静かになる。

 誰も動かない。

 換気ダクトの低い音だけが、かすかに響いている。


 カイトは、スクリーンの中の建物を見つめた。

 その窓の向こうに、誰がいるのか。


「可能性、か」


 サジが、椅子を傾ける。椅子の軋む音が、静寂を破った。


「確認は取れていません。帝国側の情報統制が厳しく、詳細は不明です」


 ミナの声は、いつも通り淡々としている。

 でも、その淡々とした声の奥に、何かが沈んでいる。


 カイトは、胸の奥が重くなるのを感じた。


「……で、俺たちは?」


 サジが椅子を傾ける。


「ここを叩く」


 ニコが、あっさり言った。


 その言葉が、空気を変えた。


「補給線を断つ。ここが落ちれば、帝国の南下が遅れる」


 スクリーンに、赤い×マークが付く。

 ブリッジヘッド。


 その×の下に、どれだけの人がいるのか。

 カイトは、画面を見つめながら、胸の奥で何かが引っかかるのを感じた。


「作戦手順です」


 ミナが、新しい画面を表示する。


「第一段階。対空砲座の制圧。全12基を順次撃破します」


 地図上に、対空砲座の位置が赤い点で示される。

 一つ、また一つと。点が増えていく。


「第二段階。主要施設への攻撃。倉庫、港、鉄道施設を順次破壊します」


 攻撃順序が、番号付きで表示される。

 1、2、3、4……。

 その数字一つひとつが、爆発を意味している。


「第三段階。離脱。敵増援が到着する前に、高度を上げて撤収します」


 予想タイムラインが、画面に表示される。

 作戦時間:推定45分。


 45分。

 その短い時間の中で、どれだけのものが壊れるのか。


「リスクは?」


 ウィリスが訊く。


「対空砲火が予想以上に密集しています。回避行動中の被弾リスクは中程度」


 ミナが、別のデータを表示する。

 赤い円が、地図の上に重なっていく。


「また、増援到着時間が予測より早い可能性があります」


「要するに、ぐずぐずしてると囲まれるってことか」


 サジがぼやく。


「その通りです」


 ミナが頷く。


「難民ルートは?」


 ウィリスが、短く訊く。


「さっきの難民ルートも、この先で詰まる」


 ミナが、地図に別の線を追加する。

 難民の逃げ道。その先に、ブリッジヘッドがある。

 線が、まるで血管が詰まっているように見えた。


「ここが帝国の手に残る限り、難民は北へ抜けられません」


 ミナの声が、少しだけ低くなった。


 スクリーンに、新しい画像が表示される。

 難民キャンプ。テントが並んでいる。

 人々が、荷物を抱えて列を作っている。

 子供の姿も見える。小さな影が、親の手を握っている。


「この人たちが、待っています」


 ミナの声が、室内に落ちる。

 その声の重さが、空気を沈ませた。


 カイトは、地図の上の線を見つめる。

 難民ルート。補給線。ブリッジヘッド。

 全部、繋がっている。


(……ここを叩かないと、この先の街が死ぬ)


(でも)


(ここを叩けば、ここにいる誰かが死ぬ)


 どっちも、正しい。どっちも、間違ってる。


 その矛盾が、胸の奥で渦を巻いている。


「質問は?」


 ニコの声に、誰も手を挙げなかった。

 室内が、静かになる。

 換気の低い音だけが、かすかに響いている。


 誰もが、言葉を探している。

 でも、見つからない。


「じゃ、出撃準備。1030発進」


「了解」


 椅子が軋む。

 メンバーが、それぞれの持ち場へ散っていく。

 足音が、廊下に消えていく。一人、また一人と。


 カイトは、最後まで地図を見ていた。

 その×マークを、見つめていた。


 *


 出撃準備区画へ向かう通路で、サジが隣に並んだ。

 ブーツの音が、二人分響いている。

 カツ、カツ、という足音だけが、静かな廊下に響いた。


「なあ、ボリー」


 サジが横を向いて話しかける。


「何」


 カイトは前を見たまま答える。


「ブリッジヘッド、民間施設混ざってたな」


 サジがフライトスーツのジッパーを上げながら言う。

 軽い口調。でも、その言葉の重さは、ちゃんと分かっている。


 カイトは、何も返さなかった。

 返せる言葉が、見つからなかった。

 ただ歩き続ける。


 サジも、それ以上は何も言わない。

 二人の足音だけが揃って、通路の奥へ消えていく。

 ただ、二人分の足音だけが、通路に響いていた。


 その足音が、やけに重く聞こえた。


 *


 フライトスーツを着て、ヘルメットを手に取る。

 重さが、手のひらに伝わる。

 内側のパッドが、指に触れる。柔らかい感触。


 カイトは、ヘルメットの内側を見つめた。

 いつもと同じヘルメット。

 でも、今日は何かが違う。


 コクピットに座り、システムを起動する。

 スクリーンに、緑の文字が次々と並んでいく。

 起動音が、小さく響く。機械的な音。


 《SKY起動確認》

 《武装チェック完了》

 《推進系正常》


 全部、正常。


 でも、胸の奥が、ざわつく。


 カイトは、深く息を吸った。

 空気が、肺に満ちていく。

 でも、息苦しさが消えない。


 スロットルに手をかける。

 冷たい金属の感触。

 グリップの表面の細かな凹凸が、掌に伝わってくる。


「こちらコアシップ。全機、発進準備完了を確認」


 ニコの声が、ヘッドセットから流れてくる。


「Fox、準備完了」


「Shade、準備完了」


「Vector、準備完了」


 カイトの声が、通信に乗る。

 自分の声が、ヘッドセットの中で反響した。


「了解。カタパルト起動。全機、発進」


 機体が、前へ押し出される。

 加速。身体が、シートに押し付けられる。

 重力が、身体に圧力をかけてくる。呼吸が浅くなる。

 そして――夜空へ出る。


 *


 暗闇の中を、三機が並んで飛ぶ。

 月明かりが、機体の装甲に反射している。

 眼下に、大地の影が広がっている。

 スクリーンに、目標地点までの距離が表示される。


 《残り800km》


 その数字が、ゆっくりと減っていく。


「低空侵入に移行する。敵レーダーに映らないよう、高度を下げろ」


 ニコの指示に、カイトは機体を傾ける。

 惑星の重力が、じわりと身体を引っ張る。

 下へ、下へと。


 高度を下げていく。

 機体が、わずかに震える。

 大気の抵抗が増していく。計器に、速度と高度が表示される。

 機体の下に、地形が見えてくる。山の稜線。森の黒い影。

 遠くに、川が月明かりを反射している。銀色の線が、大地を這っている。


「高度5000。降下継続」


「Fox、了解」


「Shade、了解」


「Vector、了解」


 スクリーンに、雲が流れていく。

 白い雲が、視界を覆う。

 その下に、陸地の輪郭。海岸線。そして――

 夜の地上が見えてくる。街の灯りが、点々と散らばっている。

 その中に、一際明るい場所がある。ブリッジヘッド。

 港の照明。倉庫の窓明かり。鉄道ヤードの作業灯。

 遠くから見ると、それはまるで普通の港町のように見えた。


 《目標地点まで、残り200km》


 レーダーに、地上施設群が浮かび上がり始める。

 倉庫。港。鉄道の引き込み線。

 その中に、小さな光が点々と並んでいる。

 街灯。それは、人がいるという証拠。


 カイトは、その光を見つめた。


「……来たな」


 ウィリスの声が、通信に乗る。


 カイトは、スロットルを握り直した。

 手のひらに汗が滲む。

 グリップが、わずかに滑る感覚。


 目の前に、ブリッジヘッドが見えてくる。


 スクリーンの中で、目標地点が赤く点滅している。


 その向こう側に、何があるのか。誰がいるのか。


 考えるな。今は、任務だけを見ろ。


 自分に言い聞かせる。

 でも、頭の中から、あの難民キャンプの映像が消えない。


 カイトは、スロットルを握り直した。


 *


 対空砲火が夜空を裂く。


 閃光が、暗闇を切り裂く。

 爆発音が、機体を揺らす。耳の中で、轟音が反響する。

 全身に、音の衝撃が伝わってくる。


 地上から、光の線が次々と立ち上ってくる。

 それはまるで、地面から天へ伸びる槍のようだった。

 光の線が交差し、網を作り、空を埋め尽くしていく。

 その網の隙間を、三機が縫うように飛ぶ。


「回避!」


 ウィリスの声が通信に響くと同時に、カイトは機体を傾けた。

 身体が、シートに押し付けられる。

 重力が、全身にのしかかる。呼吸が浅くなる。視界の端が、暗くなっていく。


 閃光がすぐ横をかすめていく。

 熱が、機体の外装を撫でる。警告音が、コクピットに響く。

 その音が、耳の中で鳴り続ける。


 スクリーンに、敵の対空砲座の位置が次々と表示される。

 赤い点が、増えていく。

 一つ、また一つと。


 《敵対空砲・12基》

 《レーダー照射・継続中》


「こっちの存在、バレてるな」


 サジの声が、少し息が上がっている。

 通信越しでも、緊張が伝わってくる。荒い呼吸の音が、ヘッドセットから聞こえた。


「いつものだ」


 ウィリスが、淡々と返す。


「いつもでも、慣れねぇよ」サジが短く息を吐く。


 対空砲火が、また一斉に飛んでくる。

 光の線が、夜空を埋め尽くす。

 まるで網のように、逃げ道を塞いでいく。

 その光の網が、三機を追いかけてくる。


 カイトは機体を捻って回避する。

 スロットルを握る手に、汗が滲む。

 でも、次が来る。

 また次が。


 警告音が、また鳴る。

 敵照準ロック。


「Vector、右側の砲座を潰せ」


「了解」


 カイトは照準を合わせる。

 赤い点が、スクリーンの中で点滅する。

 その点が、照準の中心に収まっていく。


 指が、トリガーの上で止まる。


(……その下に、誰がいる?)


 でも、考えている時間はない。

 照準が外れる。

 また合わせる。


 指に、力を込める。


 発射。


 ミサイルが機体から離れていく。

 白い軌跡が、暗闇に伸びる。

 スクリーンの中で、距離が縮んでいく。


 800m。

 500m。

 200m。


 数秒後、爆発。


 対空砲座が火を噴く。

 赤い火球が膨らみ、夜空を裂く。

 破片が、四方に散る。金属の破片が、夜空にきらめいた。


 《敵対空砲・残り11基》


「いいぞ、ボリー。その調子で行け」


 ニコの声が、スピーカーから響く。


「Fox、左側を頼む」


「了解」


 サジの機体が、別の砲座へ向かう。

 閃光。爆発。

 また一つ、赤い火球が夜を染める。


 《敵対空砲・残り10基》


 一つずつ、潰していく。

 でも、敵も黙っていない。

 対空砲火が、さらに激しくなる。


 光の線が、三機を追いかけてくる。

 カイトは機体を捻り、回避を続ける。


 重力が、身体を押しつぶす。

 息が苦しい。視界の端が、暗くなる。

 意識が、わずかに遠のきかける。


「くそ、増援か!」


 サジが叫ぶ。

 スクリーンに、新しい光点が追加される。


 《敵増援・対空砲4基》


「キリがないな」


 ウィリスがぼやく。

 でも、手は止めない。

 また、ミサイルが飛ぶ。また、爆発。


 カイトはスクリーンの中の地上施設群を見つめた。

 倉庫。港。鉄道の引き込み線。

 その中に、小さな光が点々と並んでいる。

 街灯。人がいる。


 照準を合わせる。今度は、倉庫。

 大きな建物。古い看板が見える。

 港湾会社の名前。色あせた文字。


 心臓が、速く打つ。

 ドクン、ドクン、と。

 その鼓動が、耳の中で響いている。


(……その中に、誰がいる?)


 難民キャンプのテント。

 列を作る人々。

 荷物を抱えた子供。


 その顔が、頭の中に浮かぶ。


 でも、ここを落とさないと――


 カイトは、唇を噛んだ。

 唇の端が、わずかに切れる。

 鉄の味が、口の中に広がった。


 指に、力を込める。


 発射。


 ミサイルが倉庫へ向かう。

 白い軌跡が、暗闇に伸びる。

 その軌跡を、目で追う。


 爆発。


 建物が内側から膨らみ、窓が吹き飛ぶ。

 ガラスの破片が、夜空にきらめく。千切れた金属片が、花火のように散っていく。

 屋根が内側に折れ、壁が崩れる。

 崩れていく建物から、火の粉が舞い上がった。


 爆発の熱波が、周囲の空気を歪ませる。

 隣の建物の窓ガラスが、連鎖的に割れていく。

 倉庫の中から、何かが燃える匂いが立ち上る。油か、木材か、それとも――


 煙が、黒い柱となって空へ昇っていく。


 スクリーンの中で、倉庫が崩れていく。

 その隣の建物も、巻き込まれて崩れていく。

 火の粉が、夜空に舞い上がる。


 カイトは、その光景を見つめる。


 答えは、出ない。

 見えない。


 ただ、建物が崩れていく。


「Vector、次の目標へ」


 ニコの声が、冷たい。


「……了解」


 カイトは、視線を次の目標に移す。


 次の照準。港。


 脳裏に、何かが一瞬よぎる。


 作業服の男。

 走る影。

 口の形だけが、音のない映像の中で開閉する。


 叫んでいる。

 何かを叫んでいる。


 でも、声は聞こえない。


 カイトは目を閉じた。

 一瞬だけ。


 そして、目を開ける。


 呼吸を、一度だけ深く吸う。

 空気が、肺に満ちる。

 吐き出す。


 発射。


 閃光。爆発。


 今度は、何かに引火したのか――

 火柱が立つ。

 黄色い炎が、黒い煙と共に空へ伸びる。

 地面が、赤く照らされる。その光が、周囲の建物を染めた。


 スクリーンの中で、ブリッジヘッドが少しずつ崩れていく。

 建物が、一つずつ消えていく。

 対空砲火も、少しずつ弱くなっていく。


 《敵対空砲・残り3基》


「あと少しだ。押し切れ」


 ウィリスの声。


 カイトは最後の砲座に照準を合わせた。

 手が、震えている。

 スロットルを握り直す。

 でも、震えが止まらない。


 もう、何も考えない。


 考えたら、指が動かなくなる。


 発射。


 ミサイルが飛ぶ。爆発。


 《敵対空砲・全滅》


「よし、帰還する。全機、離脱」


 ニコの指示に、カイトは機体を上昇させる。


 下を見る。


 ブリッジヘッドが、燃えている。

 倉庫。港。鉄道の引き込み線。

 全部、燃えている。


 赤い火。黄色い火。白い煙。

 熱が、地面から立ち上っている。

 その熱気が、大気を歪ませている。


 港の岸壁が、炎に照らされて赤く光っている。

 鉄道の線路が、熱で歪んでいくのが見える。

 倉庫群の屋根が、次々と崩落していく。

 その度に、火の粉が夜空に舞い上がった。


 海面に、炎が反射している。

 黒い水が、赤く染まっている。


 その火の海の中に、街灯の光はもう見えない。


 ただ、燃え盛る建物だけが、夜を照らしている。


 煙が立ち上る。

 黒い煙が、星を隠していく。

 その煙が、まるで幕のように空を覆っていく。


 カイトは、その光景を見つめたまま、機体を上昇させた。


 手が、まだ震えている。

 呼吸が、浅い。

 喉が、乾いている。


 目を閉じても、炎が見える。


 *


 コアシップのデッキに着艦する。


 機体が、床に接地する音が響く。

 ゴトン、と重い音。

 その音が、格納庫全体に反響した。


 格納庫の照明が、いつもより明るく感じられる。

 整備班が、すぐに機体の周りに集まってくる。

 工具を持った手が、機体の下に潜り込んでいく。

 誰かが「損傷チェック」と叫んでいる。


 油の匂い。金属の匂い。そして、わずかに焦げた匂い。

 機体の外装が、まだ熱を持っている。


 カイトはコクピットから降り、ヘルメットを外した。


 耳が、キーンと鳴っている。

 ヘルメットを外した後も、高い音が頭の中で響き続けている。

 爆発音も、サジの声も、全部その音の向こう側にある気がした。


 格納庫の空気が、冷たい。

 汗が冷えて、肌に張り付く。

 フライトスーツの内側が、べっとりと濡れている。


「お疲れ、ボリー」


 サジが近づいてきて、肩を叩く。

 その手の重さが、肩に残る。

 でも、その重さが、やけに軽く感じられた。


 カイトは、何も返せなかった。

 ただ、頷くだけ。

 ヘルメットを脇に抱えたまま、動けない。


 サジは、それ以上何も言わずに、格納庫の奥へ歩いていった。

 ブーツの音が、遠ざかっていく。

 その背中が小さくなっていく。

 その音が、やけに遠くに聞こえた。


 *


 デブリーフィングルーム。


 さっきと同じ部屋。でも、空気が違う。

 誰もが疲れた顔をしている。椅子に深く座り込んでいる者。壁にもたれている者。

 天井の照明が、いつもより暗く感じられた。


 ミナがスクリーンに作戦結果を映し出す。

 青白い光が、室内を照らす。

 その光の中で、誰もが無言だった。

 誰の目も、スクリーンを見ているようで、見ていない。


 《目標:ブリッジヘッド》

 《達成率:98%》

 《損害:なし》


 98%の文字が、やけに大きく見える。

 その数字が、スクリーンの中で光っている。


「作戦成功です」


 ミナの声は、いつも通り淡々としている。

 でも、その声の奥に、何かが沈んでいる。


「お疲れ様、このままヴェスタリアに寄って補給するから休んでおけよ」


 ニコの声が、スピーカーから響く。


 誰も、何も言わない。

 成功。その言葉の重さが、部屋を満たしている。


 換気の低い音だけが、かすかに響いている。

 その音が、やけに大きく聞こえた。


「耳鳴りひどい?」


 リアが、カイトの隣に座る。

 椅子が軋む音が、小さく響く。

 パーカーのポケットに手を突っ込んだまま。


「……うん」


 カイトが小さく頷く。


「それ、しばらく残るよ」


 リアは、小さく笑った。

 でも、その笑顔は、いつもより少しだけ薄い。

 目が、笑っていない。

 彼女も疲れている。


「慣れる?」


 カイトがリアの方を見る。


「慣れない」


 即答。

 リアが首を横に振る。


「でも、飛ぶ」


 リアがスクリーンを見上げる。


「……うん」


 カイトは、頷いた。

 また前を向く。


 スクリーンの中の《達成率:98%》の文字を見つめる。

 98%。その数字の向こう側に、何があったのか。誰がいたのか。


 答えは、出ない。


 *


 休憩を挟む間もなく、ARCLINEはヴェスタリアへ寄港した。


 港の灯りが、艦の窓から見える。

 中立国の港は、戦場とは違う光を放っていた。看板の光。人々の生活の光。

 それらが、静かな夜の海面に反射している。

 石造りの岸壁。古い倉庫群。その向こうに、街の明かり。

 平和な光景だった。


「ニコ、王女様には連絡したか?」


 ケイが艦橋のコンソールに手をかけたまま訊く。


「いえ。寄港するから場所開けてくれってだけです。まあ……来そうな気はしますけど」


 ニコは椅子に座ったまま、片手で端末を操作している。


 ミナが端末から顔を上げて言う


「王女様ってヴェスタリアの?中立筋の窓口、ニコのところですよね」


 そう言いながら、ミナは手元のデータを整理している。


 ニコがミナの方を見て、眉を片方上げる


「余計な口動かさない。手を動かす」


 ニコが肩をすくめながら言う。


 ケイがふっと笑って言う。


「相変わらず、お前んとこのは活発だな」


 煙草に火をつけながら、ケイが窓の外を見る。


 ニコは頭をかきながら、苦い顔で笑う。


「活発っつーか……手がかかるというか。苦手なんだよなあ」


 そう言いながら、ニコは端末の画面を閉じた。


 その時、船底の影が動いた。

 積荷係が顔を上げ、誰かを見て、すぐに目を逸らす。


 積荷係に呼ばれたケイが、手すりを掴みながら階段を降りてくる。

 ブーツが金属の階段を踏む音が、規則正しく響く。

 階段の途中で足を止めた。


 そこに立っていたのは、夜の港には似つかわしくない姿だった。

 質素だが仕立ての良い服。背筋の伸びた立ち姿。

 周囲の積荷や油の匂いの中で、両目の色が違うオッドアイの女性が一人だけ違う空気を纏っている。

 オフィーリア・アリア・ヴェスタリア、ヴェスタリア王国の王女がそこには立っていた。


「……おいおい。本当に来やがった。バレたらまずい。」


 ケイが階段の手すりから手を離し、煙草を口から外す。


 アリアはケイを見つけると、微笑みながら言った。


「…お久しぶりですね。古賀ケイ。うちの者は役に立っていますか?」


 アリアが数歩前に出る。その歩き方は、船の床を歩いているようには見えなかった。


「……ああ。即戦力だ」


 ケイが短く頷く。


「そう。それは良かった」


 アリアが小さく息をつく。


 遅れて、ニコが同じ階段を降りてくる。

 足音が、ケイよりも速い。

 アリアを見た瞬間、表情が固まったまま、視線だけが泳ぐ。


 積荷の影。金属製のコンテナ。薄暗い照明。

 その中で、二人が向かい合っている。

 周囲の積荷係たちは、気づかないふりをして作業を続けている。

 工具を持つ手。チェックリストに目を落とす顔。

 誰もが、この場の空気を察している。


「…やっぱりなあ。また抜け出してるじゃないですか」


 ニコが額に手を当てる。


 アリアはまっすぐニコを見る。


「ニコ、元気そうね」


「はい」


 ニコが短く答える。視線は合わせない。


「良かった。寄港すると聞いたから無事か見に来たの」


 アリアが一歩、ニコに近づく。


 ニコは一度だけアリアを見て、すぐに目を逸らす。

 喉が動く。


 ニコが腕を組みながら、いつもより少し低い声で言った。

「…無事です。城へ戻ってください。怒られますよ」


 アリアが首を少しだけ傾げて言う。

「わかってるわ。お前の顔を見に来ただけよ」


 ニコが肩を落とす。アリアを見ているが、目は合わない。

「……見せました。戻って」


 アリアはニコの方に向けていた目をケイに戻す。背筋を伸ばし、仕事の顔に戻る。

「わかったわ。補給項目は全て用意させました。積み込みが完了したらすぐに外海へ。」


 ケイはニコを一度だけ横目で見てから、アリアに視線を戻し短く答えた。

「わかった。」


「……今回の南下作戦でヴェスタリアも安全ではないの」

 そう言うとアリアは踵を返し、去っていった。もうニコに目線は向けない。


 彼女の足音が、船底の金属床に響く。一歩、また一歩と。その歩調は乱れない。


 近くで見ていた積荷係のリアとサジ。

 サジが手に持っていた端末を脇に置く。

 リアが荷物リストから目を上げる。


サジがニコの方を見ながらリアに言った。

「ニコが軽口じゃないの珍しいな」


 リアが小声で言いながら、また作業に戻る。

「詮索すんな。ほら、チェック。出港遅れる」


 ニコが二人の方を向いて、手を振る。そしてケイと一緒に中に戻って行った。


「はいはい」

 サジが肩をすくめて、また端末を手に取った。


 *


 夜の艦内は静かだ。ヴェスタリアの港に寄港しているからか、艦内に人が少ない。

 廊下の照明が、いつもより暗く感じられた。


 カイトは自室のベッドに横になる。


 狭い部屋。金属の壁。小さな窓から、港の明かりが見える。

 ベッドの硬さ。毛布の重さ。それらが、いつもと同じ。

 でも、何かが違う。


 でも、眠れない。

 耳鳴りが、まだ残っている。

 高い音が、頭の中で響き続けている。


 目を閉じると、炎が見える。

 ブリッジヘッド。倉庫。港。鉄道の引き込み線。

 全部、燃えている。


 その炎の中に、街灯の光はもう見えない。


 オレンジ色の光だけが、瞼の裏に焼き付いている。

 その光が、消えない。


(……俺は、何人守って、何人殺したんだろう)


(きっと、両手じゃ数え切れないくらい殺した)


 カイトは天井を見上げた。


 白い天井。

 何もない。

 ただ、白いだけ。


 答えは、出ない。

 出るはずがない。

 ただ、この問いだけが、胸の奥に残っている。


 難民船団を守った。

 補給線を断った。

 ブリッジヘッドを落とした。


 全部、誰かを守るため。

 全部、誰かを殺すため。


 その「誰か」の顔は、見えない。

 見えないまま、明日もまた飛ぶ。


 そして――また、撃つ。


 それが、俺の仕事だ。


 カイトは、目を閉じた。


 耳鳴りは、まだ残っていた。

 高い音が、頭の中で響き続けている。


 炎の光が、瞼の裏に焼き付いたまま消えない。


 その光の中に、何があったのか。

 誰がいたのか。


 もう、確かめる術はない。


 ただ、炎だけが、記憶の中で燃え続けている。


次回更新は2/5 0時頃になります。

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